2017年 4月30日の「聖書と典礼」

2017年 4月30日の「聖書と典礼」

復活節第3主日

パンを裂くと、彼らはイエスだと分かった。

(福音朗読主題句 ルカによる福音書243031節より)

 

 過越祭に始まる七週間の祭の期間の終わりに、エルサレムには多くの巡礼者が集まっていた。聖霊に満たされた使徒たちはこの人々に向けて、さまざまな国のことばで、イエスを通してなされた神の偉大な業を語りはじめた。〕

第一朗読          使徒言行録

イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、

ありえなかった。

(2章14節、2233節)

使徒たちの宣教

14〔五旬祭の日、〕ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。22ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。23このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。24しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。25ダビデは、イエスについてこう言っています。
 『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。
 主がわたしの右におられるので、
 わたしは決して動揺しない。
 
26だから、わたしの心は楽しみ、
 舌は喜びたたえる。
 体も希望のうちに生きるであろう。
 
27あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、
 あなたの聖なる者を
 朽ち果てるままにしておかれない。
 
28あなたは、命に至る道をわたしに示し、
 御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』
 
29兄弟たち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今でもわたしたちのところにあると、はっきり言えます。30ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。31そして、キリストの復活について前もって知り、
 『彼は陰府に捨てておかれず、
 その体は朽ち果てることがない』
と語りました。
32神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。33それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。」

(註)23律法を知らない者たち……ローマ人のこと。

(註)25-28わたしは、いつも~……詩編16811節の引用。ここでは七十人訳(旧約聖書の古代ギリシア語訳)から引用されている。この詩編の表題には「ダビデの歌」とあるが、ペトロは、この「わたし」をダビデの子孫であるイエス・キリストのことと解している(29節以下参照)。

(註)27あなたは、わたしの魂を~……新共同訳の詩編では、この部分は「あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく、あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず」(1610節)となっている。

 

 〔洗礼の恵みをいただいた人びとに対し、ペトロは神の聖性にあずかり、神を畏れ、互いに愛し合うよう勧告する。〕

第二朗読        一ペトロの手紙

あなたがたが贖われたのは、

汚れのない小羊のようなキリストの尊い血による。

(1章1721節)

使徒ペトロの手紙

17〔愛する皆さん、〕あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。18知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、19きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。20キリストは、天地創造の前からあらかじめ知られていましたが、この終わりの時代に、あなたがたのために現れてくださいました。21あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。

(註)18贖われた……「奴隷が解放される」というイメージ。

(註)19きずや汚れのない小羊……旧約のいけにえ(レビ記221925節)や過越しの子羊(出エジプト記125節)は、無傷であることが要求された。ここでは罪のないキリストの十字架の死を表すためにこう言われる。

(註)21神にかかっている……「神に基づく」と「神に向かっている」という両面が含まれている表現である。

 

 〔イエスが復活した日の夕方の出来事。イエスが聖書を解きあかし、パンを裂くことをとおして、この弟子たちは復活のイエスに出会う。ミサとのつながりを感じさせる個所であると言えよう。

福音朗読        ルカによる福音書

パンを裂くと、彼らはイエスだと分かった。

(24章1335節)

ルカによる福音

13この日、〔すなわち週の初めの日、〕二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、14この一切の出来事について話し合っていた。15話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。16しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。17イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。18その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」19イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。20それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。21わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。22ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、23遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。24仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」25そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、26メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」27そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。
28 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。29二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。30一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。31すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。32二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。33そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、34本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。35二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。

(註)13六十スタディオン……約11キロメートルの距離。

(註) エマオ……正確な位置は知られていない。

(註)21イスラエルを開放して……この弟子たちはメシアを政治的な解放者(地上の王)と考えていたようである。それゆえ、十字架の死をイエスの活動の失敗としか思えなかったのであろう。

(註)27モーセとすべての預言者から~……具体的な個所はあげられていないが、「苦しむメシア」ということは、イザヤ書53章の主の僕の姿の中にもっともはっきりと表れていると言えよう。

(註)30パンを取り~お渡しになった……これは五つのパンを大群衆に分けたときの動作であり、最後の晩さんでもイエスはこの動作を行った(ルカ書916節、2219節)。教会は今もこの動作をミサの中で繰り返している。

(註)34シモン……弟子のペトロのこと。(一コリントの信徒への手紙155節参照)。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017430より)

2017年4月28日 (金)

パンダネ「週報」2017年 4月30日号

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