2017年12月10日の「聖書と典礼」

2017年12月10日の「聖書と典礼」

「待降節第2主日」 B

神の子イエス・キリストの福音の初め。

(マルコによる福音書11節)

 

 〔イザヤ書第二の部分(4055章)はバビロン捕囚時代のイスラエルの民に、神による解放を告げる預言である。この個所はその冒頭のことば。〕

第一朗読           イザヤ書

主のために、道を備えよ。

(40章15節、911節)

イザヤの預言

1慰めよ、わたしの民を慰めよと

あなたたちの神は言われる。
2
エルサレムの心に語りかけ
 彼女に呼びかけよ
 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
 罪のすべてに倍する報いを
 主の御手から受けた、と。

                             

3呼びかける声がある。
主のために、荒れ野に道を備え
わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。

4谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。
険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。

5主の栄光がこうして現れるのを
肉なる者は共に見る。
主の口が〔そう〕宣言される。

*  

9高い山に登れ
良い知らせをシオンに伝える者よ。
力を振るって声をあげよ
良い知らせをエルサレムに伝える者よ。
声をあげよ、恐れるな
ユダの町々に告げよ。

*   

見よ、あなたたちの神

10見よ、主なる神。
彼は力を帯びて来られ
御腕をもって統治される。
見よ、主のかち得られたものは御もとに従い
主の働きの実りは御前を進む。

11主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め
小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。

(註) 2彼女・・・・・・エルサレムのこと。エルサレムはここでは単に一つの町の名ではなく、民全体を意味している。

(註) 3荒れ野 荒れ地・・・・・・バビロンからイスラエルの人々が帰国する道。砂漠の中であった。

(註) 5・・・・・・人間のこと。滅びゆく者としての人間、また、弱く、罪の中にある者としての人間を表すときの用いられることば。

(註) 9シオン・・・・・・かってエルサレムの神殿が建っていた丘の名。神殿が新バビロニア帝国によって破壊され、イスラエルの主だった人々が捕囚の身となってバビロンに連れて行かれたこの時代、シオン、エルサレム、ユダの町々は荒廃していた。

(註)10主のかち得られたもの・・・・・・解放された民のこと。

(註)11子羊・・・・・・イスラエルの民のこと。次の「その母」はエルサレムの町。

 

 〔ペトロの第二の手紙は新約聖書の中で最も遅く、一世紀末か二世紀前半に書かれた。ここでは、キリストの再臨の遅れが問題にされている。〕

第二朗読       (二)ペトロの手紙

わたしたちは新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。

(3章 814節)

使徒ペトロの手紙

 8愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。9ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。10主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。11このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。12神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。13しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。
14 だから、愛する人たち、このことを待ち望みながら、きずや汚れが何一つなく、平和に過ごしていると神に認めていただけるように励みなさい。

(註)10主の日・・・・・・キリストが再臨する日。キリストを信じる者にとって、救いが完成する日である。12節の「神の日」も同じ。

(註)13新しい天と新しい地・・・・・・週末における神の救いは新しい創造の業として考えられている(イザヤ書6517節、6622節、黙示録211節参照)。

 

 1節は福音書全体の表題と言ってもよい。マルコ福音書では洗礼者ヨハネの活動の出来事から福音(良い知らせ)が始まっていく。〕

福音朗読マルコ

主の道筋をまっすぐにせよ。

(1章18節)

マルコによる福音

1 神の子イエス・キリストの福音の初め。
2 預言者イザヤの書にこう書いてある。
 「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、
 あなたの道を準備させよう。
3荒れ野で叫ぶ者の声がする。
 『主の道を整え、
 その道筋をまっすぐにせよ。』」
そのとおり、
4洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。5ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。6ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。7彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。8わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

(註) 2見よ~・・・・・・マラキ書31節の引用。

(註) 3荒れ野で~・・・・・・イザヤ書403節(第一朗読)の引用。

(註) 4洗礼・・・・・・元の意味は「水に浸す」「沈める」。

(註) 6野蜜・・・・・・岩の割れ目などに巣を作る野生の蜜蜂の蜜。

(註) 8聖霊で洗礼をお授けになる・・・・・・「聖霊で」とは、洗礼の方法というより、その洗礼のもたらすものを示しているといえるだろう。イエスの洗礼は、人を聖霊の中に沈め、新しいいのちへと生まれ変わらせることになる。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20171210より)

2017年12月 8日 (金)

パンダネ「週報」2017年12月10日号

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