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2015年5月29日 (金)

5月31日の「聖書と典礼」から

『 三位一体の主日 』

全ての民に父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい

( マタイによる福音 28章19節より)

 

申命記

( 申命記 4章 32343940節 )

 

 〔モーセは民に言った。〕あなたに先立つ遠い昔、神が地上に人間を創造された最初の時代にさかのぼり、また天の果てから果てまで尋ねてみるがよい。これほど大いなることがかって起こったであろうか。あるいは、そのようなことを聞いたことがあろうか。火の中から語られる神の声を聞いて、なお生きている、あなたと同じような民があったであろうか。あるいは、あなたたちの神、主がエジプトにおいてあなたの目の前でなさったように、さまざまな試みとしるしと奇跡を行い、戦いと力ある御手と伸ばした御腕と大いなる恐るべき行為をもって、あえて一つの国民を他の国民の中から選び出し、御自身のものとされた神があったであろうか。

あなたは、今日、上の天においても下の地においても主こそ神であり、ほかに神のいないことをわきまえ、心に留め、今日、わたしが命じる主の掟と戒めを守りなさい。そうすれば、あなたもあなたに続く子孫も幸いを得、あなたの神、主がとこしえに与えられる土地で長く生きる。

 

() 火の中から語られる神の声……荒れ野の旅の途中、シナイ山で十戒が授けられたことを指す。

  ※(参照)旧約聖書 申命記522節 「十戒」

       主は、山で、火と雲と密雲の中から、力強い声をもってこれらの言葉を集まったあなたたちすべてに向かって告げ、それに何も加えられなかった。更に、それを二枚の石の板の上に書いてわたしに授けられた。

() 力ある御手と伸ばした御腕……手に戦いの武器を持っている様子が考えられているのであろう。神の大きな救いの力を表す表現である 。

 

 

使徒パウロのローマの教会への手紙

( ローマの信徒への手紙 8章14~17節 )

 

〔皆さん、〕神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。

 

() アッバ、父よ……「アッバ」はアラム語で子供が父親を呼ぶ時の言葉。イエス自身このように神に祈られた。

  ※(参照)新約聖書 マルコによる福音1436

       こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」

() 相続人……神の恵みと祝福を受け継ぐもの。

 

 

マタイによる福音

( マタイによる福音 28章16~20節 )

 

〔そのとき、〕十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

 

() 権能……行動する自由。権限。

() 父と子と聖霊の名によって洗礼を授け……マタイの教会で使われていた洗礼式文からとられた表現と考えられる。 

() 名によって洗礼を授け……直訳では、「名の中に沈め」となる。また「名」は、そのものの本質を表す。

() 共にいる……

  ※(参照)新約聖書 マタイによる福音書123

「見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

2015年5月26日 (火)

ミサ時間一部変更のお知らせ

◇日曜日(主日)のミサ

▷ 日曜日のミサ(第4日曜日以外) AM  9:00~

   ▷ 4日曜日のミサ        AM 10:00~

 

*第4日曜日は、 たかとり・兵庫教会合同ミサが行われます。

*合同ミサは、午前10時~ 始まります。

(ミサ開始時間午前11時~が、20155月から午前10時~に変更になりました。)

 *合同ミサは、奇数月は兵庫教会・偶数月はたかとり教会で行われます。

 

 ◇平日のミサ

▷ 火曜日のミサ   PM 7:00~

   ▷ 木曜日のミサ   AM 9:30~

  (平日のミサは、司祭の都合により変更する場合があります。)

 

 

 ※ミサ(お祈り)は、どなたでも参加できます。

初めて来られた方は、教会の聖堂入口で声をかけてください。ご案内いたします。

2015年5月22日 (金)

5月24日の「聖書と典礼」から

 

『 聖霊降臨の主日 』

 

炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった

 

(使徒言行録 2章 3節より)

 

 

 

 

 

使徒たちの宣教

 

( 使徒言行録 2章 1~11節 )

 

 

 

 旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

 

さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしたわたしたちは、めいめいが生まれ故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビア、から来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

 

 

 

() 旬祭……旧約聖書で「七週の祭」と言われ、過越祭から五十日目に祝われた。元来は「刈り入れの祭」であった。過越祭に始まる大きなまつりの期間を締めくくる旬祭には、多くの巡礼者がエルサレムに集まっていた。

 

() 風……聖霊のしるし。霊(プネウマ)はもともと「風」を意味する。

 

 

 

 

 

 

 

使徒パウロのガラテヤの教会への手紙

 

( ガラテヤの信徒への手紙 5章 16~25節 )

 

 

 

〔皆さん、〕霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊が対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。肉の業は明らかです。

 

それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。

 

 これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。

 

 

 

() 霊……ここで「霊」は聖霊を意味し、神とのつながりの中にある人間の状態を表す。

 

() 肉……「肉」は、神から離れ、滅びゆく人間の状態を意味する。

 

() キリスト・イエスのものとなった人たち……洗礼を受けてキリストに結ばれた者。

 

 

 

 

 

 

 

ヨハネによる福音

 

( ヨハネによる福音 15章2627節、161215節 )

 

 

 

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る心理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。あなたがたも、初めから私と一緒にいたのだから、証をするのである。

 

言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

 

 

 

2015年5月14日 (木)

5月17日の「聖書と典礼」より

『 主の昇天 』

イエスは彼らが見ているうちに天にあげられた

(使徒言行録 1章9節より)

 

 

使徒たちの宣教

( 使徒言行録 1章 1~11節 )

 

 テオフィロさま、わたしは先に第1巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天にあげられた日までのすべてのことについて書き記しました。

イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」され、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。

イエスは言われた。「父がご自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」こう話し終わると、イエスは彼らの見ているうちに天にあげられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

 

 

使徒パウロのエフェソの教会への手紙

( エフェソの信徒への手紙 4章 1~13節 )

 

〔皆さん、〕主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。

しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。

《そこで、「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、人々に賜物を分け与えられた」と言われています。

「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。この降りてこられた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。

そして、〔キリストは〕ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なるものたちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさのなるまで成長するのです。

 

 

マルコによる福音

( マルコによる福音 161520節 )

 

〔そのとき、イエスは11人の弟子に表れて、〕言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」

主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座につかれた。一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。

2015年5月 8日 (金)

5月 10日の「聖書と典礼」より

復活節第6主日

友のために自分の命を捨てること、

これ以上の大きな愛はない

( ヨハネによる福音15章13節 )

 

 

使徒たちの宣教

( 使徒言行録10章25~26節、34~35節、44~48節 )

 

 ペトロが〔カイサリアに〕来ると、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。ペトロは彼を起こして言った。「お立ちください。わたしもただの人間です。

 〔そして、〕ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神は畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」

 ペトロが話を続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。そこでペトロは、「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言った。そして、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるようにと、その人たちに命じた。それから、コルネリウスたちは、ペトロのなお数日滞在するようにと願った。

 

 

使徒ヨハネの手紙

( Ⅰ使徒ヨハネの手紙 4章 7~10節 )

 

 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。

 

 

ヨハネによる福音

( ヨハネによる福音15 917節 )

 

 〔そのとき、〕イエスは弟子たちに言われた。〕「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。

 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕(しもべ)とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

キリスト教に興味をお持ちのあなたへ

 

キリスト教に興味をお持ちのあなたへ

 

今、世界はもとより日本でも思いもよらない事故・事件が発生し多くの命が失われています。また、紛争に巻き添えで多くの人々が苦しんでおられます。

 

 デパートに行けば有り余る衣類や食べ物が、これ全部売れるのかな、売れ残ったらどうなるのかなと心配になるほど、並んでいる一方で食べ物がなく餓死していく人たちがいる。この現状に心痛めておられる方々も多いのではないでしょうか。

 

 今を生きる私たちにイエス・キリストはどう呼びかけられ、何を求めておられるのでしょうか。イエス・キリストはどんな生涯を過ごされたのでしょうね。

 

 聖書に触れながらご一緒に分かち合いませんか。

 

「~こころにひかりを~ 勉強会・分かち合い」530日(土)午後5時から兵庫教会でオリエンテーションを行い、66日(土)から下記の通り毎週行います。

 

 おひとりでのご参加、お友達と一緒にご参加、お子様連れでのご参加、大歓迎です。途中参加もできますので遠慮なくご相談ください。

 

また、洗礼をご希望の方もこの勉強会にご参加ください。

 

 

 

  「~こころにひかりを~ 勉強会・分かち合い」

 

☆日 :毎週土曜日 午後5時~6

 

☆場 所:カトリック兵庫教会

 

☆費 用:無料

 

☆担当者:Fr.ポポン・エマニュエル ・ Sr.木梨 一江

 

         松浦 明生(兵庫)・橘高 喜美子(兵庫)・

 

鈴木 廸子(たかとり)

 

 

 

 ご興味のある方は、別紙の申込書にご記入の上、たかとり教会にFaxするか、担当者に手渡してください。個人情報は、講座受付以外のためには使用いたしません。

 

お問い合わせ・申し込みし先:

 

カトリック たかとり教会・・・TelFax0787318300

 

「mousikomisyo.pdf」をダウンロード

2015年5月 2日 (土)

5月 3日の「聖書と典礼」から

復活節第5主日

わたしはブドウの木、あなたがたはそのえだである

(ヨハネによる福音155節より)

 

 

使徒たちの宣教

( 使徒言行録 9章2631節 )

〔その日、〕サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だと信じないで恐れた。

しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。

それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。また、ギリシャ語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。

それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させた。

 こうして、教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。

 

 

使徒ヨハネの手紙

( Ⅰ使徒ヨハネの手紙 3章18~24節 )

 子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神のみ前で安心できます。心に責められることがあろうとも、神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。

 愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神のみ前で確信を持つことができ、神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神のおきてを守り、御心に適うことを行っているからです。その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。

 神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。神がわたしたちの内にとどまってくださることは、神が与えてくださったによってわかります。

 

 

ヨハネによる福音

( ヨハネによる福音15章1~8節 )

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。

わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。

人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。

あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」

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