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2015年6月21日 (日)

6月21日の「聖書と典礼」(オリエンス宗教研究所発行より)

621『年間第12主日』

イエスは起き上がって、風を叱り

(マルコによる福音書 4章39節より)

 

 

1朗読  ヨ ブ 記

381節、811節)

苦しみの中にあるヨブと友人たちの長い対話ののち、この38章で神が語り始められる。神はご自分がこの世界を創造し、すべてを支配していることを示される。

 

主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
海は二つの扉を押し開いてほとばしり
母の胎から溢れ出た。
わたしは密雲をその着物とし
濃霧をその産着としてまとわせた。
しかし、わたしはそれに限界を定め
二つの扉にかんぬきを付け
「ここまでは来てもよいが越えてはならない。
高ぶる波をここでとどめよ」と命じた。

(註)海は二つの扉を……日本聖書協会口語訳では「海の水が流れいで、体内から湧き出した時、だれが戸をもって、これを閉じ込めたか」と訳されている。なお、海は悪の領域と考えられた。

 

 

2朗読    Ⅱ使徒パウロのコリントの信徒への手紙

51417節)

コリントの教会には、キリストの使徒を装って偽りの福音を伝えようとする人々が入ってきた。(Ⅱコリント111215参照)。パウロはこのことに心を痛め、この手紙の中で、偽使徒に惑わされず自分が伝えた信仰を守るよう、コリントの信者に必死で訴えかける。

 

使徒パウロのコリントの教会への手紙

〔皆さん、〕キリストの愛がわたしたちを駆り立ててい〔ます〕。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。
 それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた〔のです〕。

(註)肉に従って……「肉」は滅びるべき人間を指すことば。この個所は「人間的な基準で」という意味と考えられる。

(註)新しいもの……次節からパウロはキリストによってもたらされた、神との和解について語る。この新しさは神とのまったく新たな関係に生きることである。

 

 

マルコによる福音

   ガリラヤ湖畔で群衆に神の国のたとえを語ったイエスと弟子たちは異邦人の地へと向かう。

 

その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスはの方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。

(註)向こう岸……異邦人であるゲラサ人の地(マルコ51以下参照)

(註)艫……船の最後部。船尾。

(註)黙れ……悪霊に向けて言われた言葉と同じ(マルコ125参照)。悪の領域である海はイエスによって治められる。

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