« 6月21日の「聖書と典礼」(オリエンス宗教研究所発行より) | トップページ | 7月 5日の「聖書と典礼」 »

2015年6月26日 (金)

6月28日の「聖書と典礼」

6月28日『年間第13主日』

 

1朗読          知恵の書

( 1章13~15節、2章23~24節 )

「知恵の書」は、紀元前2世紀に書かれた。著者は、この個所で創世記13章の

創造の業を思い浮かべながら、人が正しく生きるべきことを述べる。

 

神が死を造られたわけではなく、
命あるものの滅びを喜ばれるわけでもない。
生かすためにこそ神は万物をお造りになった。
世にある造られた物は価値がある。
滅びをもたらす毒はその中になく、
陰府がこの世を支配することもない。
義は不滅である。

神は人間を不滅な者として創造し、
御自分の本性の似姿として造られた。
悪魔のねたみによって死がこの世に入り、
悪魔の仲間に属する者が死を味わうのである。

 (註)生かすために……創世記27節参照。

 (註)陰府(よみ)……死者の領域のことであるが、ここでは死の力を意味する

 (註)ご自分の本性の荷姿……創世記12627節参照。人間は本来、神の永遠性にあずかっており、死は罪の結果であると考えられている。

 

 

2朗読 コリントの信徒への手紙Ⅱ

( 8章7節、9節、13~15節 )

コリントの隣のマケドニア州の信者が貧しいエルサレムの教会のために援助

したことを例にあげ、パウロはコリントの教会にも同様の援助を進める。

 

                             使徒パウロのコリントの教会への手紙

〔皆さん、〕あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。
 あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。

「多く集めた者も、余ることはなく、わずかしか集めなかった者も、
  不足することはなかった」と書いてあるとおりです。

(註)貧しくなられた……フィリピ267節参照。

(註)多く集めた者も……出エジプト記1618節の引用。元は荒れ野の旅の中で

「マナ」について言われたことば。

 

 

福音朗読   マルコによる福音

52143節 )

ゲサラ人(異邦人)の地から帰ってきたイエスを大勢の群集が待ち受けていた。

救いを求めてイエスに向かってくる人々の信仰が描かれている。

 

〔そのとき、〕イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。
 大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。
《さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
 イエスがまだ話しておられるときに、》
会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。

(註)会堂長……会堂の管理者であり、同時にその会堂に属するユダヤ人共同体のリーダーでもあった。

(註)出血……旧約書レビ記152530節にある女性の出血のこと。「汚れ」と考えられ、この女性に触れたものも汚れるとされていた。それゆえ、この女はひそかにイエスに近づいたのである。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2015628より)

« 6月21日の「聖書と典礼」(オリエンス宗教研究所発行より) | トップページ | 7月 5日の「聖書と典礼」 »