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2015年7月 4日 (土)

7月 5日の「聖書と典礼」

7月 5日『年間第14主日』

 

 

1朗読  エゼキエルの預言

2 25節 )

紀元前6世紀、捕囚の地バビロンで、エゼキエルが預言者として召し出される場面。彼は神の栄光の顕現に接してひれ伏し、神の声を聞いた。

 

 〔その日、〕霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた。

わたしは語りかける者に耳を傾けた。主は言われた。「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの人々、わたしに逆らった反逆の民に遣わす。彼らは、その先祖たちと同様わたしに背いて、今日この日に至っている。恥知らずで、強情な人々のもとに、わたしはあなたを遣わす。彼らに言いなさい、主なる神はこう言われる、と。彼らが聞き入れようと、また、反逆の家なのだから拒もうとも、彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう。」

(註)反逆の民……バビロニア捕囚が起こったのは、神に対する民の不従順(反逆)のためであった。エゼキエルの使命は、この民に回心を呼び掛けることである。

 

 

2朗読    使徒パウロのコリントの信徒への手紙Ⅱ

127b10節)

パウロはコリントの教会の中に現れた偽使徒の問題に心を痛めていた。それらの人々は「自己推薦する者」だった。そこでパウロは「誇るものは主を誇れ」

(コリントⅡ 1017節 又は、コリントⅠ 31節 参照)と言う。

 

使徒パウロのコリントの教会への手紙

〔皆さん、わたしが〕思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

(註)とげ……何らかの病気や疾患のことであると考えられる。ガラテヤ41314節には、「…私は、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに…」と述べられている。

(註)サタンから送られた使い……サタンは人を神から引き離す力の源。パウロは「とげ」を、福音宣教の指名の遂行を妨げるものと考えていたので、こう言っている。

 

 

福音朗読         マルコによる福音

( 6章 1 6節 )

ガリラヤ地方を巡って宣教していたイエスとその一行は、

イエスの育った地ナザレに行く。

 

〔そのとき、〕イエスは故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。
 それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。

(註)兄弟 姉妹……ヘブライ語やアラム語には「いとこ」にあたることばがなく、「兄弟」「姉妹」という言葉に、近い親戚が含まれていると言われる。

(註)イエスにつまずいた……直訳は「イエスによってつまずいた」。イエスのことを知っていると思い込むことによって、かえってイエスがだれであるかを理解できなくなったことを意味するようである。フランシスコ会訳聖書では「人々はイエスを理解しようとしなかった」と訳している。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2015・7・5より)

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