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2015年8月16日 (日)

8月15日の「聖書と典礼」

8月15日『聖母の被昇天』

いつの世の人もわたしを幸いな者というでしょう。

(ルカによる福音 148節より)

 

 

1朗読         ヨハネの黙示録

1119a、12章16節、10ab

ここに現れる一人の女性の姿の中に、教会とその母であるマリアの姿を

見るのがカトリック教会の伝統である。

 

ヨハネの黙示

天にある神の神殿が開かれて、その神殿の中にある契約の箱が見え〔た。〕
 また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。
 わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。
 「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。
 神のメシアの権威が現れた。」

(註)契約の箱……旧約時代の神殿では、神の現存のしるしである契約の箱は至聖所の幕の奥にあり、見ることができなかった。

(註)一人の女……旧約と新約の神の民全体を表すという考えが一般的である。

(註)十二の星……イスラエルの12部族、また、新約の12使徒を暗示する。

(註)子を産む痛みと苦しみ……エバを思い出させる表現(創世記316節参照)。

(註)竜……サタンのこと

(註)七つの頭……バビロニアの悪魔の象徴的な姿。

(註)十本の角……ダニエル書77節からとられたイメージ。

(註)男の子……イエスのこと。

 

 

2朗読       コリントの信徒への手紙

( Ⅰコリントの信徒への手紙152027a

パウロはキリストが復活したこと、そして、このキリストの復活にこそ、

わたしたちの希望がかかっていることを力強く述べる。

 

使徒パウロのコリントの教会への手紙

〔皆さん、〕キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。最後の敵として、死が滅ぼされます。「神は、すべてをその足の下に服従させた」からです。

(註)初穂……最初の実りのことであり、その後に多くの実りが続くことを表すことば。

(註)キリストに属している人たち……この第1人者であるマリアがキリストの復活に完全にあずかるものとなった、と教会は信じる。

(註)神は……詩編87節参照。

 

 

福音朗読         ルカによる福音

13956節 )

イエスを身ごもったことを知ったマリアは洗礼者ヨハネを身ごもっている

エリザベトのもとに行った。エリザベトや、救いを待ち望むすべての人と

心を合わせてマリアは神の救いの業をたたえる。

 

ルカによる福音

そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
 そこで、マリアは言った。
 「わたしの魂は主をあがめ、
 わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
 身分の低い、この主のはしためにも
 目を留めてくださったからです。
 今から後、いつの世の人も
 わたしを幸いな者と言うでしょう、
 力ある方が、
 わたしに偉大なことをなさいましたから。
 その御名は尊く、
 その憐れみは代々に限りなく、
 主を畏れる者に及びます。
 主はその腕で力を振るい、
 思い上がる者を打ち散らし、
 権力ある者をその座から引き降ろし、
 身分の低い者を高く上げ、
 飢えた人を良い物で満たし、
 富める者を空腹のまま追い返されます。
 その僕イスラエルを受け入れて、
 憐れみをお忘れになりません、
 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
 アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
 マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

(註)出かけて……マリアはガリラヤのナザレに住んでいた。

(註)女の中で祝福された方……ヘブライ的表現で「もっとも祝福された女」の意味(士師記524節参照)。

(註)わたしの魂は……このマリアの歌は旧約のハンナの歌(サムエル記上2110節)に似ている。イエスを身ごもったマリアの個人的な賛美に始まるが、後半では救いを待ち望むすべての人の祈りになっていく。教会はこの歌を「教会の祈り」の中で毎晩、自分たちの祈りとして歌う。

(註)身分の低い……直訳では「はしための身分の低さ」。歌の中の「身分の低い者」の救いにつながるようなことば。

(註)尊く……「聖である」こと。神が「聖である」ことは、その救いのことばによって示される(レビ記1145節など参照)。

(註)畏れる……「恐怖」というより、神との関係の中で人間が感じ取る無力さ・小ささを表すことば。そこからさらに神に対する人間の正しい態度全体(信頼や愛をも含む)を表すことになる。

(註)僕(しもべ)イスラエル……イザヤ書418節、493節参照。イザヤ書4055章では、捕囚の苦しみの中にある民や迫害される預言者自身が、このように呼ばれている。

(註)アブラハムとその子孫……神の約束を受けた人々の意味。新約聖書では、これは特定の民族を超えて、神を信じ、救いにあずかるすべての人を指す(ルカによる福音38節、ローマの信徒への手紙411節参照)。イエスは特に、救いを必要としている病人や罪びとを「アブラハムの子孫」と呼んだ(ルカによる福音1316節、199節参照)。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2015・ 8・ 9より)

 

祭日『聖母の被昇天』について

5世紀のエルサレムで8月15日に祝われていた神の母マリアの記念は、6世紀には、マリアの死去の日として東方教会で祝われるようになった。7世紀半ばに西方教会にも受け継がれ、マリアの被昇天の名で知られるようになったのは、8世紀になってからである。
 1950年ピオ12世教皇は、マリアが霊肉ともに天に上げられたことを教義として宣言した。教会は、キリストと最も深く結ばれていたマリアが、真っ先にキリストの復活と栄光にあずかっていることを祝っている。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)

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