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2015年8月30日 (日)

8月30日の「聖書と典礼」

8月30日『年間第22主日』

皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい

( マルコによる福音 714節より )

 

 

1朗読          申 命 記

( 412節、68)

エジプトを脱出したイスラエルの民は、

40年後にようやくヨルダン川の東岸についた。

約束の地を目の前にしてモーセは民に語りかける。

 

 

申命記

〔モーセは民に言った。〕イスラエルよ。今、わたしが教える掟と法を忠実に行いなさい。そうすればあなたたちは命を得、あなたたちの先祖の神、主が与えられる土地に入って、それを得ることができるであろう。あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らすこともしてはならない。わたしが命じるとおりにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい。
 あなたたちはそれを忠実に守りなさい。そうすれば、諸国の民にあなたたちの知恵と良識が示され、彼らがこれらすべての掟を聞くとき、「この大いなる国民は確かに知恵があり、賢明な民である」と言うであろう。いつ呼び求めても、近くにおられる我々の神、主のような神を持つ大いなる国民がどこにあるだろうか。またわたしが今日あなたたちに授けるこのすべての律法のように、正しい掟と法を持つ大いなる国民がどこにいるだろうか。

(註)掟と法を忠実に行いなさい……直訳すると「掟と法を聞きなさい」。申命記では、神に聞き従うよう、たびたび命じられる(645節、112728節)

 

 

2朗読         ヤコブの手紙

11718節、21b~22節、27節)

「ヤコブの手紙」は、ユダヤ人キリスト者の中で生まれた説教のような

内容であり、信仰生活の実践面が強調されている。

 

使徒ヤコブの手紙

〔わたしの愛する兄弟たち、〕良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。
 心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。
 御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。
 みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。

(註)真理の言葉……イエス・キリストによる救いの福音を指す。続く「生む」は、神による新たな創造を意味する。

(註)みなしごや、やもめ……旧約聖書において社会的な弱者の代表とされている。

 

 

福音朗読         マルコによる福音

718節、1415節、2123節 )

福音朗読は、先週までヨハネ6章が読まれてきたが、

今週から再びマルコに戻り、ガリラヤでのイエスの活動を伝える。

 

 

マルコによる福音

〔そのとき、〕ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。――そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。
  『この民は口先ではわたしを敬うが、
   その心はわたしから遠く離れている。
   人間の戒めを教えとしておしえ、
   むなしくわたしをあがめている。』
あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」
 それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」

(註)洗わない手……食事の前に手を洗わなければならないという律法はないが、ファリサイハ派は、日常生活に用いた手を宗教的にけがれていると考えていた。

(註)市場……市場には異邦人の証人もいるので、特に汚れを受けやすい場所と考えられていたようである。

(註)この民は……イザヤ書2913節の引用(70人訳ギリシャ語旧約聖書に基づく)。

(註)外から人の体に入るもの……食べ物のこと。旧約聖書には、食べてよいものと食べてはならない者に関する様々な規定があったが、キリスト教はその一切の規定を破棄した。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2015・ 8・30より)

 

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