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2015年9月 9日 (水)

9月13日の「聖書と典礼」

9月13日『年間第24主日』

( マルコによる福音831節より )

人の子は必ず多くの苦しみを受け……

 

 

1朗読         イザヤの預言

( 50章59a節 )

いわゆる「主の僕の歌」の第3の歌。苦難の中で神の助けに信頼する僕(わたし)は預言者個人であると同時に、捕囚の苦しみの中にあるイスラエルの民、

さらにイエスの受難の姿を思わせる。

 

イザヤの預言

主なる神はわたしの耳を開かれた。
わたしは逆らわず、退かなかった。
打とうとする者には背中をまかせ
ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。
主なる神が助けてくださるから
わたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。
わたしは知っている
わたしが辱められることはない、と。
わたしの正しさを認める方は近くいます。
誰がわたしと共に争ってくれるのか
われわれは共に立とう。
誰がわたしを訴えるのか
わたしに向かって来るがよい。
見よ、主なる神が助けてくださる。
誰がわたしを罪に定めえよう。

 

(註)耳を開かれた……ここで「わたし」は神の言葉を聞き、それを人々に告げる預言者のように描かれている。

(註)硬い石のように……あざけりに対してのひるまない態度を表すことば。(エゼキエル書38節、9節参照。

 

 

 

第二朗読         ヤコブの手紙

( 2章14~18節 )

マルコによる福音書の前半で、病人をいやし、罪びとにゆるしをもたらし、

貧しい人に神の国の福音を告げ知らせたイエスの活動を身近に見てきたペトロが、イエスはメシア(キリスト)であると告白する。

*  

使徒ヤコブの手紙

* わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。
 しかし、「あなたには信仰があり、わたしには行いがある」と言う人がいるかもしれません。行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。そうすれば、わたしは行いによって、自分の信仰を見せましょう。

*  

(註)行い……パウロは人が行いではなく信仰によって義とされると述べている(ローマの信徒への手紙328節、ガラテヤに信徒への手紙216節、エフェソの信徒への手紙28節など)が、パウロが言う「行い」は律法の実行のことであり、ヤコブがここで語っているのは、信仰の実践としての愛のことである。

 

 

 

福音朗読         マルコによる福音

( 8章2735節 )

マルコ福音書の前半で、病人をいやし、罪びとにゆるしをもたらし、

貧しい人に神の国の福音を告げ知らせたイエスの活動を身近に見てきた

ペトロが、イエスはメシア(キリスト)であると告白する。

                             

マルコによる福音

 〔そのとき、〕イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。
 それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」

 

(註)エリヤ……紀元前9世紀の北イスラエル王国の有名な預言者。神の裁きの日が来る前に再来すると考えられていた。

(註)誰にも話さないように……この福音書の中でイエスは自分の受難と復活について語り始め、自分が「苦しむメシア」であることを示す。このことが理解されなければ、イエスがメシアであることの意味は誤解されてしまうのである。

(註)サタン……新約聖書ではサタンは普通、悪魔を意味するが、ここでは「神の計画に敵対するもの」「誘惑するもの」という意味でペトロに向かって言われている。

 

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2015 913より)

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