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2015年9月 5日 (土)

9月 6日の「聖書と典礼」

9月 6日『年間第23主日』

神は来て、あなたたちを救われる

( イザヤ書354節より )

 

 

1朗読         イザヤの預言

(イザヤ書3547a節)

イザヤは紀元前8世紀のユダ王国の預言者であるが、イザヤ書にはイザヤ書には後の時代の預言も含まれている。イザヤ書第1部(139章)の預言を締めくくるきょうの箇所も、バビロン捕囚の時代(紀元前6世紀)にユダの回復を告げた預言であったと考えられる。

 

イザヤの預言

心おののく人々に言え。
「雄々しくあれ、恐れるな。
見よ、あなたたちの神を。
敵を打ち、悪に報いる神が来られる。
神は来て、あなたたちを救われる。」

そのとき、見えない人の目が開き
聞こえない人の耳が開く。
そのとき
歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。
荒れ野に水が湧きいで
荒れ地に川が流れる。熱した砂地は湖となり

乾いた地は水の湧くところとなる。

 (註)心おののく人々……捕虜となって外国で苦しめられていた民のことを指す。

 (註)見えない人の目が開き……これらのことはメシアの到来のしるしと考えられるようになった。イエスによって実現することになる。(今日の福音やマタイによる福音115節など参照)

 

 

2朗読         ヤコブの手紙

215節 )

この手紙の著者は、エルサレム教会の指導者であった

主の兄弟ヤコブだと言われる。

教会の指導者として、ヤコブは非常に具体的で実践的な教えを述べる。

 

わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。その立派な身なりの人に特別に目を留めて、「あなたは、こちらの席にお掛けください」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言うなら、あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか。
 わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。

(註)貧しい人たちを……この個所の考えは、イエスのことば「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである」(ルカによる福音620節)を思い起こさせる。

 

 

福音朗読        マルコによる福音

73137節 )

ティルス地方で、シリア・フェニキアの女の娘をいやした後、

イエスは再びガリラヤ地方に戻ってくる。

 

マルコによる福音

〔そのとき、〕イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」

(註)ティルス地方を去り……ティルス、シドンはガリラヤよりさらに北方の地中海沿岸の町。デカポリス地方はガリラヤ湖の東岸にあたる。いずれも異邦人の地域。

(註)手を置いて……いやしの動作。

(註)深く息をつき……ローマの信徒への手紙82223節では「うめく」と訳されることば。病人の苦しみと一つになったようなイエスの姿が見られる。

(註)耳の聞こえない人を……今日の第1朗読イザヤ書とその注参照。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20159 6より)

 

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