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2015年10月31日 (土)

11月 1日の「聖書と典礼」

11月 1日『諸 聖 人』

喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。

( マタイによる福音 512a

 

 

1朗読        ヨハネの黙示録

724節、914節 )

ヨハネの黙示録は1世紀末、迫害化にあるキリスト者を励ますために書かれた。

ヨハネは幻のうちにこれから起ころうとしていることを示されるが、

ここでは神の怒りが下る前の、地上での神の民への保護(24節)と

天井での殉教者たちの栄光(9~14節)を見る。

 

 

ヨハネの黙示

わたし〔ヨハネ〕はまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。
 この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ。
 「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、
 小羊とのものである。」
また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、こう言った。
 「アーメン。
 賛美、栄光、知恵、感謝、
 誉れ、力、威力が、
 世々限りなくわたしたちの神にありますように、
 アーメン。」
 すると、長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老はまた、わたしに言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。」

 

(註)神の刻印……それを押された人が神のものであることを示す印。

(註)四人の天使……この4人の天使は大地の四隅の立ち、神の怒りを地上にもたらすものと考えられている。

(註)十四万四千人……十二部族からそれぞれ一万二千人ということだが、象徴的な数字で無数の神の民を表している。

(註)白い衣……勝利のしるしであり、殉教者の栄光を表す。

(註)玉座の前と小羊の前……神とキリストの前、すなわち、天を指している。

 

 

 

2朗読              ヨハネの手紙一

313節 )

反キリストが現れる中で御子の内にとどまる人々の大きな希望が示される。

 

 

使徒ヨハネの手紙

* 〔愛する皆さん、〕御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。

(註)世……キリストをうけいれない世のこと。

(註)御子が現れるとき……別訳では「あの方が現れるとき、わたしたちは、あの方に似たものとなることを……」(フランシスコ会訳2011年版)

 

 

 

福音朗読             マタイによる福音

( 5章1~12a節 )

山上の説教(マタイによる福音5章~7章)のはじめの部分。

ここで語られる人々の姿はイエス御自身の姿を思わせる。

聖人とはキリストの証人のことなのである。

 

 

                             

マタイによる福音

  〔そのとき、〕イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。
 「心の貧しい人々は、幸いである、
 天の国はその人たちのものである。
 悲しむ人々は、幸いである、
 その人たちは慰められる。
 柔和な人々は、幸いである、
 その人たちは地を受け継ぐ。
 義に飢え渇く人々は、幸いである、
 その人たちは満たされる。
 憐れみ深い人々は、幸いである、
 その人たちは憐れみを受ける。
 心の清い人々は、幸いである、
 その人たちは神を見る。
 平和を実現する人々は、幸いである、
 その人たちは神の子と呼ばれる。
 義のために迫害される人々は、幸いである、
 天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」

 

(註)心の貧しい人々……直訳では「霊において貧しい人々」(ルカによる福音6章20節参照)。

 

(註)柔和な人々は……詩編37章11節参照。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201511 1より)

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