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2015年10月 3日 (土)

10月 4日の「聖書と典礼」

10月 4日『年間第27主日』

「人が一人でいるのは良くない。彼に合う助けるものを造ろう」

(創世記 218節より)

 

 

 

1朗読           創 世 記

21824節 )

神は人を造り、エデンの園に置き、

人が生きるのに必要なものをすべて備えてくださった。

その最後に、共に生き、助けあう相手が与えられる。

 

 

 

創 世 記

主なる神は言われた。
 「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
  主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。
 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。
 「ついに、これこそ
 わたしの骨の骨、 わたしの肉の肉
 これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう
 まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。

 

(註)助けるもの……                              単なる助手のようなものではなく、対等なパートナーを意味する。

(註)あばら骨……あばら骨から造られたということは、男女が対等であり、親密で、互いに求め合うものであることを表している。

(註)骨の骨 肉の肉……骨と肉は非常に親密な関係(特に血縁関係)を表す言い方。

(註)イシャー、イシュ……ヘブライ語では女と男のことをこのように言う。

(註)一体……直訳すれば、「一つの肉」。

 

 

 

第二朗読             ヘブライ人への手紙

( 2章9~11節 )

今週からヘブライ書が読まれていく。

今日の箇所は、キリストによってもたらされた救いの素晴らしさを語る。

 

 

ヘブライ人への手紙

〔皆さん、わたしたちは、〕「天使たちよりも、わずかの間、低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、「栄光と栄誉の冠を授けられた」のを見ています。神の恵みによって、すべての人のために死んでくださったのです。
 というのは、多くの子らを栄光へと導くために、彼らの救いの創始者を数々の苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の目標であり源である方に、ふさわしいことであったからです。

事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ているのです。それで、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥と〔されないのです。〕

 

(註)天使たちよりも……次の「栄光と栄誉の……」と共に詩編86節ギリシャ語訳からの引用。この詩編は本来、人間一般について語られているものだが、ここではイエスにあてはめられている。

(註)創始者……原語の「アルケゴス」には「導き手」の意味もある。

(註)聖なる者となさる方……イエスのこと。次の「聖なる者とされる人たち」はイエスによる救いを受ける人々。

 

 

 

福音朗読         マルコによる福音

10216節 )

十字架の向かう歩みの中で、イエスは、

神が本来何を望んでおられるのかを明らかにしていく。

 

 

マルコによる福音

  〔そのとき、〕ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」
 イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

 

(註)離縁状を書いて……申命記241節参照。申命記では「妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは」という条件も付けられている。モーセの律法の意図は、夫が妻を勝手に追い出すことを制限することにあった。

(註)神は人を男と女とに……創世記127節参照。

(註)人は父母を離れて・・・一体となる……創世記224節(第1朗読)の引用。

(註)子供……当時の社会の中では無力な者の代表であった。

(註)神の国……神の国は、人間の功績に対する報いではなく、貧しく無力な者に無償で注がれる神の愛そのものである。それゆえ、人には父()に対する子供としての信頼こそが求められる。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201510 4より)

 

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