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2015年10月17日 (土)

10月18日の「聖書と典礼」

10月18日『年間第29主日』

人の子は、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来た。

(福音朗読主題句 マルコによる福音1045節より)

 

 

 

1朗読          イザヤの預言

531011節 )

イザヤ書の第2の部分(4055章)には「主の僕の歌」と呼ばれるものが

四つある。この個所は第4の歌の一説。

 

 

     イザヤの預言

病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ
彼は自らを償いの献げ物とした。
彼は、子孫が末永く続くのを見る。
主の望まれることは
彼の手によって成し遂げられる。

 

* 彼は自らの苦しみの実りを見
それを知って満足する。
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために
彼らの罪を自ら負った

(註)この人……次節の「わたしの僕」と同一人物。この苦しむ僕は預言者自    身とも言われるが、イエスの受難と栄光の姿を思わせる。

(註)償いの献げもの……元は、「罪、とが」を意味する言葉で、「とがのための献げ者」をも意味した。律法によれば、無傷の雄羊がささげられることになっていた(レビ記51426節参照)。

 

 

 

2朗読             ヘブライ人への手紙

41416節 )

ヘブライ書はイエスを「大祭司」と呼ぶ。このことばの中に、神への完全な従順と人々との連帯によって、神と人とを一つに結んだイエスの使命が示されている。この大祭司イエスによって、わたしたちが神に近づく道が開かれたということが、本書の中心のテーマである。

 

 

ヘブライ人への手紙

〔皆さん、〕わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。

 

(註)同情……本来の意味は、「同じ目にあうこと、苦難を共にすること」。

(註)恵みの座……恵み深い神ご自身の象徴。

 

 

 

福音朗読            マルコによる福音

(10章3545節、 または 10章4245節)

3回目の受難予告に続く個所。

十字架の道に無理解な弟子たちに対して、

イエスはご自分の受難の意味を解き明かされる。

 

 

マルコによる福音

〔そのとき、〕ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。そこで、
イエスは〔十二人〕を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

 

(註)栄光をお受けになるとき……この二人は、イエスがエルサレムに行き、この世の王となることを期待している。「右」「左」はその時の与えられる特別な地位のことである。

 (註)杯を飲み……ここでは苦しみを受けることを意味する。 洗礼を受ける ここでの「洗礼」は、杯と同じく、苦しみや死を暗示する。

 (註)身代金……元来は、奴隷を開放してもらうために支払う代金を意味する。人の罪の奴隷状態から解放する神のわざを指すようになった。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20151018より)

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