11月29日の「聖書と典礼」
11月29日『待降節第1主日』
人のこの前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。
( ルカによる福音21章36節より )
第1朗読 エレミヤ書
( 33章14~16節 )
イスラエル(北王国)はアッシリアに滅ぼされて散り散りになり、
ユダ(南王国)はバビロンに捕囚の身となっていた時代に、
エレミヤは救い主である王(メシア、キリスト)の到来を預言する。
エレミヤの預言
見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう。
(註)正義の若枝……王である救い主(メシア)のことを指す。
第2朗読 テサロニケの信徒への手紙
パウロの手紙の中で最も古いもの(50年ころ)。パウロは自分が福音を伝えた
この教会に対して、さらに信仰と愛を深めるように励ます。
( テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 3章12節~4章2節 )
使徒パウロのテサロニケの教会への手紙
〔皆さん、〕どうか、主があなたがたを、お互いの愛とすべての人への愛とで、豊かに満ちあふれさせてくださいますように、わたしたちがあなたがたを愛しているように。そして、わたしたちの主イエスが、御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、あなたがたの心を強め、わたしたちの父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように、アーメン。
さて、兄弟たち、主イエスに結ばれた者としてわたしたちは更に願い、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを、わたしたちから学びました。そして、現にそのように歩んでいますが、どうか、その歩みを今後も更に続けてください。わたしたちが主イエスによってどのように命令したか、あなたがたはよく知っているはずです。
(註)わたしたち……この手紙の差出人は、パウロ、シルワノ、テモテである。(テサロニケの教会への手紙Ⅰ 1章1節参照)
(註)聖なる者……この個所によく似たゼカリア書14章5節では「聖なる御使い」となっているが、ここではむしろキリスト者を指している。
(註)来られる……キリストが栄光の内に再び来られ、わたしたちの救いが完成することを、初代教会の人々は切望していた。待降節のテーマは、2000年前のキリストの到来であると同時に、この第2の到来を待つことである。
福音朗読 ルカによる福音
( 21章25~28節、34~36節 )
週末についての説教の結びの部分。待降節第1主日の福音では、
毎年「目を覚ましていなさい」ということばが読まれ、
終末における救いの完成を待ち望むわたしたちのあり方が問われる。
ルカによる福音
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。
放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」
(註)徴(しるし)……天体に現れる徴については、旧約聖書でも述べられている。(イザヤ書13章10節、エゼキエル書32章7節、ヨエル書3章4節など)。
(註)人の子……ダニエル書7章13節参照。
(註)解放……代価を払って奴隷を自由にすること。「あがない」とも訳せる。
(註)その日……人の子が来る時。第2朗読で読まれた一テサロニケ書では、「主が来られる日」(4章15節)、あるいは「主の日」(5章2節)と呼ぶ(一 コリントの信徒への手紙1章8節、二 コリントの信徒への手紙1章13~14節なども参照)。
(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2015・11・29号より)