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2015年11月28日 (土)

11月29日の「聖書と典礼」

11月29日『待降節第1主日』

人のこの前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。

( ルカによる福音2136節より )

 

 

 

1朗読          エレミヤ書

331416節 )

イスラエル(北王国)はアッシリアに滅ぼされて散り散りになり、

ユダ(南王国)はバビロンに捕囚の身となっていた時代に、

エレミヤは救い主である王(メシア、キリスト)の到来を預言する。

 

 

エレミヤの預言

 見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう。

 

(註)正義の若枝……王である救い主(メシア)のことを指す。

 

 

2朗読       テサロニケの信徒への手紙

パウロの手紙の中で最も古いもの(50年ころ)。パウロは自分が福音を伝えた

この教会に対して、さらに信仰と愛を深めるように励ます。

( テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 312節~42節 )

 

 

使徒パウロのテサロニケの教会への手紙

〔皆さん、〕どうか、主があなたがたを、お互いの愛とすべての人への愛とで、豊かに満ちあふれさせてくださいますように、わたしたちがあなたがたを愛しているように。そして、わたしたちの主イエスが、御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、あなたがたの心を強め、わたしたちの父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように、アーメン。
 さて、兄弟たち、主イエスに結ばれた者としてわたしたちは更に願い、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを、わたしたちから学びました。そして、現にそのように歩んでいますが、どうか、その歩みを今後も更に続けてください。わたしたちが主イエスによってどのように命令したか、あなたがたはよく知っているはずです。

 

(註)わたしたち……この手紙の差出人は、パウロ、シルワノ、テモテである。(テサロニケの教会への手紙Ⅰ 11節参照)

(註)聖なる者……この個所によく似たゼカリア書145節では「聖なる御使い」となっているが、ここではむしろキリスト者を指している。

(註)来られる……キリストが栄光の内に再び来られ、わたしたちの救いが完成することを、初代教会の人々は切望していた。待降節のテーマは、2000年前のキリストの到来であると同時に、この第2の到来を待つことである。

 

 

 

福音朗読             ルカによる福音

( 212528節、3436)

週末についての説教の結びの部分。待降節第1主日の福音では、

毎年「目を覚ましていなさい」ということばが読まれ、

終末における救いの完成を待ち望むわたしたちのあり方が問われる。

 

 

ルカによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「太陽と月と星にが現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。
 放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」

 

(註)徴(しるし)……天体に現れる徴については、旧約聖書でも述べられている。(イザヤ書1310節、エゼキエル書327節、ヨエル書34節など)

(註)人の子……ダニエル書713節参照。

(註)解放……代価を払って奴隷を自由にすること。「あがない」とも訳せる。

(註)その日……人の子が来る時。第2朗読で読まれた一テサロニケ書では、「主が来られる日」(415)、あるいは「主の日」(52)と呼ぶ(一 コリントの信徒への手紙18節、二 コリントの信徒への手紙11314節なども参照)。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20151129より)

 

2015年11月21日 (土)

11月22日の「聖書と典礼」

11月22日『王であるキリスト』

わたしが王とは、あなたが言っていることです。

(ヨハネによる福音1837節より)

 

 

1朗読          ダニエル書

( 71314 )

幻の中で、ダニエルは4匹の獣(当時の世界を支配していた大帝国を表す)を

見た後、神の裁きの到来を見る。

 

 

ダニエルの預言

夜の幻をなお見ていると、
見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り
日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み
権威、威光、王権を受けた。
諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え
彼の支配はとこしえに続き
その統治は滅びることがない。

 

(註)人の子……もともと人間を意味することば(詩編857節参照)。ダニエル書のこの箇所から、神が遣わされているメシア的王を指すようになる。

(註)日の老いたる者……神のこと。このことばは特に神の永遠性を表す。

 

 

 

2朗読          黙 示

158節 )

ヨハネがアジア州の7つの教会に書き送った形式をとる

黙示録のはじめの挨拶の部分

 

 

ヨハネの黙示

証人〔であり、〕誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。
 わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン
 見よ、その方が雲に乗って来られる。
 すべての人の目が彼を仰ぎ見る、
 ことに、彼を突き刺した者どもは。
 地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。
然り、アーメン。
 神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」

 

(註)証人 誠実な方……「真実な証人」ともとれる。黙示録の中で「証人」は殉教者を意味することばでもある。

(註)わたしたちを~祭司とし……出エジプト記1956節などを参照。

(註)アーメン……ヘブライ語で「確かに」の意味。

(註)見よ~……ダニエル主713節(第1朗読)やゼカリア書1210節からとられた表現。

(註)アルファ オメガ……ギリシャ語のアルファベットの最初と最後の文字。「初め」と「終わり」の意味。

 

 

 

福音朗読             ヨハネによる福音

逮捕されたイエスがローマ総督ピラトによって訊問される場面。

( Ⅰ833b~37節 )

 

 

ヨハネによる福音

〔そのとき、ピラトはイエスに、〕「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」ピラトは言い返した。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」

 

(註)ユダヤ人の王……当時のユダヤはローマ帝国の直轄領になっていてユダヤ人の王はいない。もしユダヤ人の王を自称すれば、ローマ帝国に対する反逆罪となる。

(註)わたしの国……わたしの国(バシレイア)という言葉は、イエスが王(バシレウス)であることをある意味で認める発言である。もちろんそれは、ピラトが考えるのとは全く違った意味での王である。

(註)真理……信頼すべき神ご自身と、神について明らかにすることを意味することば。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20151122より)

2015年11月13日 (金)

11月15日の「聖書と典礼」

11月15日『年間第33主日』

その時、大天使ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。

(ダニエル書12 1節より)

 

 

 

1朗読            ダニエル書

1213節 )

ダニエルが見た最後の幻(10章以下)はヘレニズム時代のシリアやエジプトの支配

者のものだった。王たちは強大な力でイスラエルを支配し迫害するが、

その支配にも終の時が来ることが示される。

 

 

ダニエルの預言

その時、大天使長ミカエルが立つ。
彼はお前の民の子らを守護する。
その時まで、苦難が続く
国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。
しかし、その時には救われるであろう
お前の民、あの書に記された人々は。
多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める
ある者は永遠の生命に入り
ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。
目覚めた人々は大空の光のように輝き
多くの者の救いとなった人々は
とこしえに星と輝く。

 

(註)ミカエル……この名は「誰が神のようであろうか」という意味。大天使の長で、イスラエルの守護天使。

(註)あの書に記された……「生命の書」に名前が書き記されているということ(イザヤ書43節、詩編6929節参照)。神の救いの計画の確かさを表している。

(註)目覚める……ダニエル書の最終的な希望は、死者の復活と神による裁きである。

 

 

 

2朗読               ヘブライ人への手紙

1011節~14節、18節 )

キリストの十字架上での奉献によって、旧約の不完全な捧げものは廃止された。

 

 

ヘブライ人への手紙

 すべての祭司は、毎日礼拝を献げるために立ち、決して罪を除くことのできない同じいけにえを、繰り返して献げます。しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き、その後は、敵どもが御自分の足台となってしまうまで、待ち続けておられるのです。なぜなら、キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。
 罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません。

 

(註)敵どもが……詩編1101節からとられた表現。神の完全な勝利の時を意味する。

(註)完全な者……捧げものの本来の目的は、神に立ち返り、罪から清められることであった。イエスの十字架がそれを実現した。

 

 

 

福音朗読               マルコによる福音

132432節 )

エルサレムの東にあるオリーブ山から神殿を見ながら、

イエスが弟子たちに語った最後の説教の中心部分。

 

 

マルコによる福音

  〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕
 「それらの日には、このような苦難の後、
 太陽は暗くなり
 月は光を放たず、
 星は空から落ち、
 天体は揺り動かされる。
そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。
 いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない
 その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」

 

(註)このような苦難……朗読個所の前の13523節では、戦争や迫害、天変地異や偽メシアの出現など、終わりの日に起こる苦難のことが語られている。

(註)太陽は暗く成り……イザヤ書1310節などにも見られる神の裁きの到来を表す表現。

(註)人の子が……ダニエル書713節参照。その他、2427節では旧約聖書からとられたイメージがふんだんに用いられている。

(註)夏……いちじくの収穫の時。

(註)滅びない……文字通りには「過ぎ去らない」。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20151115より)

2015年11月 7日 (土)

11月 8日の「聖書と典礼」

11月 8日『年間第32主日』

キリストは、多くの人の罪を負うためにただ一度身をささげられた。

( 第2朗読主題句 ヘブライ人への手紙 928節参照 )

 

 

 

1朗読          列王記 上

171016節 )

紀元前9世紀のこと。北イスラエルの王アハブが異教の神々を導入し、主の怒りを招いたため、預言者エリヤは旱魃が起こることを告げ、身を隠した。なお、イスラエルはルカ426節でこの出来事に言及している。

 

 

列王記

 〔その日、預言者エリヤは〕立ってサレプタに行った。町の入り口まで来ると、一人のやもめが薪を拾っていた。エリヤはやもめに声をかけ、「器に少々水を持って来て、わたしに飲ませてください」と言った。彼女が取りに行こうとすると、エリヤは声をかけ、「パンも一切れ、手に持って来てください」と言った。彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。わたしには焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけです。わたしは二本の薪を拾って帰り、わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです。」エリヤは言った。「恐れてはならない。帰って、あなたの言ったとおりにしなさい。だが、まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしに持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。
  主が地の面に雨を降らせる日まで
  壺の粉は尽きることなく
  瓶の油はなくならない。」
 やもめは行って、エリヤの言葉どおりにした。こうして彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事欠かなかった。主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった。

 

(註)サレプタ……アハブ王の支配圏外であるフェニキア地方の町。

(註)やもめ……旧約に於いて、孤児や寄留者と並んで、貧しく、弱い人の代表。旱魃の時など、真っ先に苦しむのはこの人々であった。

(註)あなたの神、主は生きておられます……語っている言葉が真実であることを誓うときにこのように言う。

(註)パン菓子……丸く平たいパンのこと。

 

 

 

2朗読             ヘブライ人への手紙

92428節 )

ヘブライ書は、旧約の祭司職と比較しながら、

イエスの十字架による救いの素晴らしさを語る。

イエスこそ真の大祭司として、神と人とを完全に結び付ける方なのである。

 

 

ヘブライ人への手紙

キリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったのです。また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献げになるためではありません。もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。

 

(註)まことのものの写しにすぎない……地上の聖所(エルサレムの神殿)は天の聖所の写しと考えられている。

(註)神の御前に現れてくださった……これは直訳。フランシスコ会訳では「神のみ前に立って、わたしたちのために執り成しておられる」と解している。

(註)大祭司が年ごとに……年に一度の贖罪日に大祭司は至聖所に入って贖罪の儀式を行った(出エジプト記3010節、レビ記16章参照)。

 

 

 

福音朗読        マルコによる福音

123844節、または124144節 )

神殿でのイエスの活動の終わりの部分。

神殿に来ていた様々な人の姿を見ながら、

イエスはその人々の中にある欺瞞と真実を指摘する。

 

 

マルコによる福音

〔そのとき、〕
イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」
 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

 

(註)長い衣……学者の身分を表す服装である。

(註)レプトン クァドランス……レプトンはギリシャの最少額貨幣。1レプトンは128分の1デナリオン。クァドランスはローマの貨幣でその倍にあたる。今でいえば百円足らずぐらいということになろうか。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201511 8より)

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