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2015年11月 7日 (土)

11月 8日の「聖書と典礼」

11月 8日『年間第32主日』

キリストは、多くの人の罪を負うためにただ一度身をささげられた。

( 第2朗読主題句 ヘブライ人への手紙 928節参照 )

 

 

 

1朗読          列王記 上

171016節 )

紀元前9世紀のこと。北イスラエルの王アハブが異教の神々を導入し、主の怒りを招いたため、預言者エリヤは旱魃が起こることを告げ、身を隠した。なお、イスラエルはルカ426節でこの出来事に言及している。

 

 

列王記

 〔その日、預言者エリヤは〕立ってサレプタに行った。町の入り口まで来ると、一人のやもめが薪を拾っていた。エリヤはやもめに声をかけ、「器に少々水を持って来て、わたしに飲ませてください」と言った。彼女が取りに行こうとすると、エリヤは声をかけ、「パンも一切れ、手に持って来てください」と言った。彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。わたしには焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけです。わたしは二本の薪を拾って帰り、わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです。」エリヤは言った。「恐れてはならない。帰って、あなたの言ったとおりにしなさい。だが、まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしに持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。
  主が地の面に雨を降らせる日まで
  壺の粉は尽きることなく
  瓶の油はなくならない。」
 やもめは行って、エリヤの言葉どおりにした。こうして彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事欠かなかった。主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった。

 

(註)サレプタ……アハブ王の支配圏外であるフェニキア地方の町。

(註)やもめ……旧約に於いて、孤児や寄留者と並んで、貧しく、弱い人の代表。旱魃の時など、真っ先に苦しむのはこの人々であった。

(註)あなたの神、主は生きておられます……語っている言葉が真実であることを誓うときにこのように言う。

(註)パン菓子……丸く平たいパンのこと。

 

 

 

2朗読             ヘブライ人への手紙

92428節 )

ヘブライ書は、旧約の祭司職と比較しながら、

イエスの十字架による救いの素晴らしさを語る。

イエスこそ真の大祭司として、神と人とを完全に結び付ける方なのである。

 

 

ヘブライ人への手紙

キリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったのです。また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献げになるためではありません。もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。

 

(註)まことのものの写しにすぎない……地上の聖所(エルサレムの神殿)は天の聖所の写しと考えられている。

(註)神の御前に現れてくださった……これは直訳。フランシスコ会訳では「神のみ前に立って、わたしたちのために執り成しておられる」と解している。

(註)大祭司が年ごとに……年に一度の贖罪日に大祭司は至聖所に入って贖罪の儀式を行った(出エジプト記3010節、レビ記16章参照)。

 

 

 

福音朗読        マルコによる福音

123844節、または124144節 )

神殿でのイエスの活動の終わりの部分。

神殿に来ていた様々な人の姿を見ながら、

イエスはその人々の中にある欺瞞と真実を指摘する。

 

 

マルコによる福音

〔そのとき、〕
イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」
 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

 

(註)長い衣……学者の身分を表す服装である。

(註)レプトン クァドランス……レプトンはギリシャの最少額貨幣。1レプトンは128分の1デナリオン。クァドランスはローマの貨幣でその倍にあたる。今でいえば百円足らずぐらいということになろうか。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201511 8より)

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