« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »

2015年12月31日 (木)

1月 1日の「聖書と典礼」

1月 1日『神の母聖マリア』

神はその御子を女から生まれたものとしてお遣わしになった。

(第2朗読主題句 ガラテヤの信徒への手紙)

 

第一朗読                 民数記

(6章2227節)

年の初めの聖書朗読は、古くからイスラエルに伝わる祝福のことば。

祭司が礼拝に集まった民を祝福することばであるが、この祝福の源は神義自身である。

民数記

  主はモーセに仰せになった。
 アロンとその子らに言いなさい。
 あなたたちはイスラエルの人々を祝福して、次のように言いなさい。
 主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
 主が御顔を向けてあなたを照らし
 あなたに恵みを与えられるように。
 主が御顔をあなたに向けて
 あなたに平安を賜るように。
 彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福

するであろう。

(註)アロン……モーセの兄弟として知られ、イスラエルの正統の祭司の家系はこのアロンに始まると考えられた。

(註)御顔を向けて……好意を示すことを表す。

(註)わたしの名を――置く……「主が」ということばが3度唱えられることによって、主の名が民の上に置かれて民は完全な神のものとなる。

 

 

第二朗読            ガラテヤの信徒への手紙

(4章47節)

神は御子イエスをまことの人間として特定の時代、民族、文化の中に生まれさせた。

そのことの中にパウロは神の救いを見る。

使徒パウロのガラテヤの教会への手紙

 〔皆さん、〕時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。

(註)時が満ちる……神の計画の中での決定的な救いの時が来たことを意味する。

(註)アッバ……アラム語で子供が父親にむかって呼びかけるときのことば。イエスは神をアッバと呼び(マルコによる福音1436節)、弟子たちにもそのように祈ることを教えた(主の祈り)。

 

 

福音朗読              ルカによる福音

(2章1621節)

救い主の誕生は、天使によってベツレヘム近郊で

野宿していた羊飼いたちに告げられた。

主の降誕から8日目にあたるきょうの福音は、

イエスの誕生に続いて起こった出来事を伝える個所が読まれる。

 

ルカによる福音

 〔そのとき、羊飼いたちは〕急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、〔彼らは、〕この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

(註)天使が話してくれたこと……ルカによる福音210-12節参照。

(註)割礼……男子の包皮を切除すること(レビ記123節参照)。アブラハムと神の契約のしるしであり(創世記179-14節)、これにより神の民の一員になると考えられた。

(註)天使からしめされた名……ルカによる福音131節、マタイによる福音121節参照。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20161 1より)

2015年12月25日 (金)

12月27日の「聖書と典礼」

12月27日『聖家族』

両親はイエスが学者たちの真ん中におられるのを見つけた。

( 福音主題句 ルカによる福音246節より )

 

 

第一朗読 サムエル記(上)

(1章20-22節、24-28節)

紀元前11世紀の出来事。子供がなかったために苦しんでいた

ハンナの願いが聞き入れられ、男の子が生まれた。

                             

 

サムエル記

 〔エルカナの妻〕ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた。
 さて、夫エルカナが家族と共に年ごとのいけにえと自分の満願の献げ物を主にささげるために上って行こうとしたとき、ハンナは行こうとせず、夫に言った。「この子が乳離れしてから、一緒に主の御顔を仰ぎに行きます。そこにこの子をいつまでもとどまらせましょう。」
 乳離れした後、ハンナは三歳の雄牛一頭、麦粉を一エファ、ぶどう酒の革袋を一つ携え、その子を連れてシロの主の家に上って行った。この子は幼子にすぎなかったが、人々は雄牛を屠り、その子を〔祭司〕エリのもとに連れて行った。ハンナは言った。「祭司様、あなたは生きておられます。わたしは、ここであなたのそばに立って主に祈っていたあの女です。わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ったことをかなえてくださいました。わたしは、この子を主にゆだねます。この子は生涯、主にゆだねられた者です。」
 彼らはそこで主を礼拝した。

(註)サムエル……後に偉大な預言者となり、サウルやダビデに油を注ぎ、王とした。

(註)シロ……王国成立以前、長い間、聖所が置かれたエフライムの町。

(註)エリ……白の聖所に仕えていた祭司。

 

 

 

第二朗読       (一)ヨハネの手紙

( 3章1-2節、21-24節 )

この手紙は「神は愛である」と語り、神の子供として、

その愛のうちに生きる道をしめす。

 

使徒ヨハネの手紙

 〔愛する皆さん、〕御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。
 愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。神がわたしたちの内にとどまってくださることは、神が与えてくださったによって分かります。

(註)御子が現れるとき――……原文に「御子」ということばはない。ここで「御子」と訳されている部分は、「神」ととることができる。

(註)互いに愛し合うこと……ヨハネによる福音1334節、1512節参照。

(註)"霊"……聖霊のこと。

 

 

 

福音朗読         ルカ による福音

 ( 2章41-52節 )

少年時代のイエスのエピソードであるが、

後のイエスの宣教活動、受難と復活が暗示されているような個所。

 

 

ルカによる福音

 〔イエスの〕両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

 

(註)過越祭……エジプトからの脱出を毎年記念する祭。イエスが十字架にかけられたのもこの時である。

(註)三日の後……復活に関して使われる言葉(マルコによる福音831節、931節など参照)。

(註)自分の父の家……具体的には神殿を指すが、同時にこのイエスが語る最初の箇所で、自分が父である神のもとにいることをあかししている。なお、「当たり前」とは、神の計画によって定められていることを意味する。

(註)心に納めていた……ルカによる福音219節参照。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20151227より)

2015年12月24日 (木)

12月25日(日中のミサ)の「聖書と典礼」

 

12月25日『主の降誕』(日中のミサ)

ことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた。

わたしたちはその栄光を見た。

( ヨハネによる福音114節より )

 

1朗読           イザヤ書 

527-10節 ) 

紀元前6世紀、イスラエルの民がバビロンで捕囚になっていた時代の預言。

王も民も失い、廃墟のようになっていたエルサレムの町に救いが告げられる。

 

イザヤの預言

いかに美しいことか
山々を行き巡り、良い知らせを伝える者のは。
彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え
救いを告げ
あなたの神は王となられた、と
シオンに向かって呼ばわる。
その声に、あなたの見張りは声をあげ
皆共に、喜び歌う。
彼らは目の当たりに見る
主がシオンに帰られるのを。
歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。
主はその民を慰め、エルサレムを贖われた
主は聖なる御腕の力を
国々の民の目にあらわにされた。
地の果てまで、すべての人が
わたしたちの神の救いを仰ぐ。
 

(註)足……よい知らせ(福音)を伝えるために走っていく伝令のイメージである。この伝令   は預言者自身であろう。

(註)見張り……エルサレムの城壁の上に立って、周囲を警戒し町を守っている人。この人が真っ先に良い知らせを聞き、民に伝える。

(註)贖われた……「あがなう」はもともとは、「売られた者や人を買い戻すこと。代価を払って奴隷を自由の身にすること」を意味した。

 

 

 

 

 

2朗読                ヘブライ人への手紙

11-6節 ) 

ヘブライ書は、試練の中にあるキリスト信者に、信仰に踏みとどまるよう励ます。

その冒頭でイエスの偉大さと、イエスによって 

素晴らしさが語られる。

ヘブライ人への手紙

神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。
 いったい神は、かつて天使のだれに、
 「あなたはわたしの子
 わたしは今日、あなたを産んだ」
と言われ、更にまた、
 「わたしは彼の父となり、
 彼はわたしの子となる」
と言われたでしょうか。〔むしろ、〕神はその長子をこの世界に送るとき、
 「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」
と言われました。

  

(註)終わりの時代……神が人類の歴史に介入する時のこと。この時代はイエスによって始まった。

(註)あなたはわたしの子――……詩編27節の引用。

(註)わたしは彼の――……サムエル記(下)714節の引用。その個所では、「彼」はダビデの子ソロモンを指しているが、ヘブライ書はこのことばをダビデの子孫であるキリストにあてはめる。

(註)神の天使たちは――……旧約聖書ギリシャ語訳からの引用(申命記3243節、詩編977節)。

福音朗読           ヨハネによる福音

11-18節、又は 11-5節、9-14節 )

ヨハネ福音書の序文と言われる部分。

イエス・キリストが世に来られたことの深い意味を語る。

ヨハネ福音書

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

(註)初めに……このことばは創世記11節と同じことば。

(註)言(ことば)……ギリシャ語では、「ロゴス」。この個所では、創世記13節で「光あれ」と言われた神のことばや、知恵の書91-9節などに見られるような[神の知恵(ソフィア)のことを思わせる。

(註)暗闇は光を理解しなかった……「闇は光に打ち勝たなかった」とも訳せる。

(註)ヨハネ……洗礼者ヨハネを指す。

(註)肉……「肉」は人間を意味するが、特に弱く滅びゆくものとしての人間を指すときに用いられることば。

(註)宿られた……元のことばの意味は「天幕」をはる」。神の幕屋(神殿)のイメージで、神が民の中に住むことを表すことばである

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20151225より)

 

 

 

12月25日(夜半)の「聖書と典礼」

12月25日『主の降誕』(夜半のミサ)

今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった。

(福音朗読主題句 ルカによる福音 211節より)

 

 

1朗読                イザヤ書

( 91-3節、5-6 )

紀元前8世紀、ガリラヤ地方はアッシリヤ帝国の属州となった。

エルサレムから遠く離れ、同胞から切り離されてしまった

ガリラヤの人々は暗黒の中にいた。

預言者はこの民に救いを告げ知らせる。

 

イザヤの預言

闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
あなたは深い喜びと
大きな楽しみをお与えになり
人々は御前に喜び祝った。
刈り入れの時を祝うように
戦利品を分け合って楽しむように。
彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を
あなたはミディアンの日のように
折ってくださった。
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と唱えられる。
ダビデの王座とその王国に権威は増し
平和は絶えることがない。
王国は正義と恵みの業によって
今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。
万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

 

(註)ミディアンの日……ミディアン人はラクダ遊牧民として知られている。士師ギデオンは侵入してきたミディアン人を打ち破り、イスラエルを救ったが、この勝利は人間に力によるのではなく、まったく神の力によるものとされた。(士師記68章)。

(註)ひとりのみどりごが……メシア王の即位を歌う詩編27bを思わせる。

(註)その名は――……「名」は単なる呼称ではなく、そのものの本質を表す。ここにあげられている様々な名は、その子どもが神的な王であることを表している。

(註)万軍の主の熱意……「万軍」は神の威厳と力を表すことば。「熱意」は、民に対する神の熱く激しい思いを表すために用いられる語。

 

 

2朗読        テトスへの手紙

211-14節 )

パウロはテトスを「信仰を共にするまことの子」(14)と呼ぶ。

そのテトスに、語るべき教えの中心を述べる。

 

使徒パウロのテトスへの手紙

〔愛する者よ、〕すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。

 

 

福音朗読         ルカによる福音

21-14節 )

ローマ帝国が地中海一帯を支配していた時代、

その世界の片隅の起こった救い主イエスの誕生の様子が伝えられる。

 

ルカによる福音

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
 「いと高きところには栄光、神にあれ、
 地には平和、御心に適う人にあれ。」

 

(註)アウグストゥス……ローマ帝国の初代皇帝。在位紀元前27年~紀元後14年。

(註)最初の住民登録……紀元前86年のことと考えられる。これは人頭税を徴収するための人口調査であった。

 (註)ダビデの家……ダビデは紀元前1000年ごろのイスラエルの王。来たるべき救い主はこのダビデの家系から出ると期待されていた。

(註)ベツレヘム……「パンの家」の意味。ダビデ王の故郷として知られ、預言者ミカによってダビデ王再来の地とされた(ミカ書51節参照)。

(註)主の栄光……神がそこにおられることを表す表現。

(註)メシア……本来は「油そそがれた者」の意味。ギリシャ語では「クリストス(キリスト)」。「救い主」を意味し、ユダヤ人の間では、ダビデ王の再来である理想的な王と考えられていた。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20151225より)

ミサ時間のお知らせ

ミサ時間のお知らせ

🎄 クリスマス(主の降誕)のミサ

 1224日(木) 

・「主の降誕(夜半)のミサ」 19:00~

 1225日(金)

  ・「主の降誕(日中)のミサ」  9:30~

🎍 新年のミサ

 1月 1日(金)

  ・「神の母聖マリア」祝日のミサ 10:00~

 

◇日曜日(主日)のミサ

▷日曜日のミサ(第4日曜日以外)AM 9:00~

 4日曜日の合同ミサ    AM 10:00~

 

*第4日曜日は、 たかとり・兵庫教会合同ミサが

行われます。

*合同ミサの場所は、たかとり教会、または、兵庫教会

にお問い合わせください。

 ◇平日のミサ

▷ 火曜日のミサ   PM 7:00~

 ▷ 木曜日のミサ   AM 9:30~

 ※平日のミサは、司祭の都合により変更する場合が

あります。)

 ※ミサ(お祈り)は、どなたでも参加できます。

初めて来られた方は、教会の聖堂入口で声をかけて

ください。ご案内いたします。

2015年12月12日 (土)

12月13日『待降節第3主日』

その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。

( ルカによる福音 3章16節より )

第1朗読          ゼファニヤ書

 ( 3章1417節 )

ゼファニヤは紀元前7世紀、ヨシヤ王の時代の預言者。

エルサレムの罪を糾弾し、そこに下される罰を告げた。

しかし、この書の結びは、神が王となり、民の中に来られる救いを預言する。

 

ゼファニヤの預言

娘シオンよ、喜び叫べ。
イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。
娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。
主はお前に対する裁きを退け
お前の敵を追い払われた。
イスラエルの王なる主はお前の中におられる。
お前はもはや、災いを恐れることはない。

 

その日、人々はエルサレムに向かって言う。
「シオンよ、恐れるな
力なく手を垂れるな。
お前の主なる神はお前のただ中におられ
勇士であって勝利を与えられる。
主はお前のゆえに喜び楽しみ
愛によってお前を新たにし
お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」

(註)娘シオン……シオンはエルサレムのこと。ここではエルサレムの町が女性として擬人化して語られる。

(註)喜び……待降節第3主日は、「喜びの主日」とも言われる。主がすぐそばに来ておられる喜びは、今日の三つの朗読に共通している

(註)主はお前のゆえに喜び楽しみ……神が喜ぶというテーマは、イザヤ書62章5節、65章19節、エレミヤ書32章41節などにも現れる。

 

第二朗読       フィリピの信徒への手紙

( 4章47節 )

パウロは獄中にありながら、主に希望を置き、喜びに満ちたこの手紙を書いた。

 

使徒パウロのフィリピの教会への手紙

〔皆さん、〕主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。

(註)喜びなさい……迫害の中での喜びは、マタイによる福音5章11-12節を思わせる。

 

福音朗読         ルカによる福音

( 3章1018節 )

洗礼者ヨハネは、自分のもとに来たすべての人に向かって、

「悔い改めにふさわしい実を結べ」と説いた。

 

〔そのとき、群集はヨハネに、〕「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。
 民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。

(註)下着……現代の下着ではなく、肌に直接着るふつうの衣服のこと。

(註)兵士……ローマ兵だけでなく、ヘロデ・アンティパスの下にユダヤ人兵士もいた。

(註)履物のひもを解く……これは僕の仕事であった。

(註)聖霊と火で……洗礼者ヨハネにとってこのことばは裁きを意味したようであるが、福音書は、聖霊(火はそのシンボル)という神のいのちを人々にもたらすイエスの使命全体を表すことばとして受け取っている。

(註)箕・・・・・・穀物の身と殻を分けるための農具。 身と殻がまじりあったものを宙に飛ばし、殻だけを風で飛ばした取り除く。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20151213より)

2015年12月 4日 (金)

12月 6日の「聖書と典礼」

12月 6日『待降節第2主日』

「人は皆、神の救いを仰ぎ見る。」

( 福音朗読主題句 ルカによる福音 3 6節 )

 

 

 

1朗読           バルク書

519節 )

 2正典に数えられる本書は、エレミヤの書記であったバルクが捕囚の地バビロンからエルサレムに書き送った形をとる。この個所はエルサレムを励ます結びの部分。神の救いとその栄光の現れを待ち望んでいた旧約時代の人々の姿を思い起こすのは、待降節の第1朗読の特徴である。

 

 

バルクの預言 

エルサレムよ、悲しみと不幸の衣を脱ぎ、
神から与えられる栄光で永遠に飾れ。
神から与えられる義の衣を身にまとい、
頭に永遠なる者の栄光の冠をつけよ。
神は天の下のすべての地に
お前の輝きを示される。
お前は神から「義の平和敬神の栄光」と呼ばれ、
その名は永遠に残る。
エルサレムよ、立ち上がれ、
高い山に立って東の方に目を向けよ。
お前の子らは、
神が覚えていてくださったことを喜び、
西からも東からも
聖なる者の言葉によって集められる。
お前の子らは敵に追い立てられ、
徒歩でお前のもとを去ったが、
神は彼らを、玉座につく王のように高く上げ、
栄光のうちにお前のもとに連れ戻される。
すべての高い山、果てしなく続く丘は低くなれ、
谷は埋まって平地になれ、と神は命じられた。
それはイスラエルが神の栄光に包まれ、
安全に歩むため。
森も、香り高いすべての木々も、
神の命令でイスラエルのために木陰をつくる。
神は自らの慈しみと義をもって栄光の輝きを表し、
喜びのうちにイスラエルを導かれる。

 

 (註)エルサレムよ……エルサレムの町が、その住民の母として、擬人化して描かれている。「悲しみと不幸の衣」は、わが子を失い、喪に服している姿であろう。

 (註)義の衣……神の恵みによって守られ、生きることを譬えて言う。イザヤ書321節、6110節などを参照。

 (註)義の平和……平和は正義とともにあるという考え方は聖書の特徴である。(イザヤ書3217節、詩編8511節などを参照。)

 (註)敬神……神をおそれ敬うこと(新約聖書では、1テモテへの手紙210節で使われることば)。

 (註)東の方……バビロン捕囚から解放された民がエルサレムに戻ってくるのはこの方角からである。

 (註)すべての高い山……イザヤ書404節参照。イザヤ同様、ここでもバビロンからの解放が語られているが、それだけでなく、神に導かれた民の歩み全体を表しているようである。

 

 

 

2朗読           フィリピの信徒への手紙

146節、811節 )

パウロは獄中にありながら、自分が信仰を伝えたフィリピの教会への配慮を忘れず、

この書簡を書き送った。

 

使徒パウロのフィリピの教会への手紙

 〔皆さん、わたしは、〕あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。わたしが、キリスト・イエスの愛の心で、あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、神が証ししてくださいます。わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。

 

 (註)最初の日……福音を受け入れ、キリスト者になった時。

 (註)キリスト・イエスの日……キリストの再臨の日のこと。後に出てくる「キリストの日」も同じ。

 

 

 

2朗読              ルカによる福音

316節 )

イエスの宣教活動に先立つ洗礼者ヨハネの活動を述べる個所。

 

 

ルカによる福音

皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。
  「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
  『主の道を整え、
  その道筋をまっすぐにせよ。
  谷はすべて埋められ、
  山と丘はみな低くされる。
  曲がった道はまっすぐに、
  でこぼこの道は平らになり、
  人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

 

 (註)ティベリウス……第2代ローマ皇帝(在位1437年)。

 (註)ポンティオ・ピラト……ヘロデ大王死後(紀元前4年)、王国はアルケラオ、ヘロデ・アンティパス、フィリポによって分割された。ユダヤを支配したアルケラオは紀元6年に追放され、ユダヤはそれ以後、ローマ帝国の属州となり、ローマ総督が置かれた。ピラトは2636年の間、この職にあった。

 (註)荒れ野で―……イザヤ書4035節の引用。イザヤ書では、捕囚の民が神とともにエルサレムに帰還することがこのような形で告げられている。ルカの引用では「主」はイエスを意味する。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201512 6より)

« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »