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2016年1月29日 (金)

1月31日の「聖書と典礼」

1月31日『年間第4主日』

「この人はヨセフの子ではないか。」

(ルカによる福音 422節より)

 

第一朗読          エレミヤ書 

(1章45節、1719節)

紀元前76世紀にユダ王国で活動した預言者エレミヤの召命を語る個所。バビロン捕囚に向かう時代に、エレミヤはユダの罪とその結果である王国の滅亡を預言したため、迫害を受けた。このエレミヤの苦しみはイエスの受難をも連想させる。

                             エレミヤの預言

 〔ヨシヤ王の時代に〕
4主の言葉がわたしに臨んだ。
5「わたしはあなたを母の胎内に造る前から
あなたを知っていた。
母の胎から生まれる前に
わたしはあなたを聖別し
諸国民の預言者として立てた。

 

17あなたは腰に帯を締め
立って、彼らに語れ
わたしが命じることをすべて。
彼らの前におののくな
わたし自身があなたを
彼らの前でおののかせることがないように。
18わたしは今日、あなたをこの国全土に向けて
堅固な町とし、鉄の柱、青銅の城壁として
ユダの王やその高官たち
その祭司や国の民に立ち向かわせる。
19彼らはあなたに戦いを挑むが
勝つことはできない。
わたしがあなたと共にいて、救い出す。」

(註)5母の胎内に造る前から・・・・・・時間的な順序よりも、神の確かな計画であることを表す。(ガラテアの信徒への手紙115節参照)。

(註)聖別・・・・・・その人を取り分けて神のものとすること。

(註)17腰に帯を締め・・・・・・武装を意味する。ここでは神のことばを身に備えること。

 

第二朗読      一コリントの信徒への手紙 

(12章31〜13章13節、 または 13章413節)

 コリントの教会では聖霊の働きとしてさまざまな「賜物(カリスマ)」があり、それぞれの人が自分の受けた賜物を強調することによる混乱も見られた。パウロは教会が秩序正しく一つになることを願い、最高の道をここに示す。

使徒パウロのコリントの教会への手紙

 〔皆さん、〕
1231もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。
 そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。
131たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。2たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。3全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
134愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。5礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。6不義を喜ばず、真実を喜ぶ。7すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
8 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、9わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。11幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。12わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。13それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

(註)131異言・・・・・・原語は元々「舌」を意味することばで「言葉」の意味にもなる。ここでは神を賛美する不思議な言葉のこと(一コリントの信徒への手紙1210節、30節、および14章参照)。コリントの教会で重んじられていた賜物であった。

(註)2山を動かすほどの・・・・・・マタイによる福音1720節、2121節、マルコによる福音1123節参照。

(註)11幼子のように・・・・・・ここでは「無知な者として」という意味で使われている。

(註)12鏡・・・・・・現在の鏡とは違い、古代の鏡は金属を磨いたものだったので、姿がぼんやりとしか映らなかった。

(註)そのとき・・・・・・神との決定的な出会いの時。

(註)顔と顔とを合わせて・・・・・・出エジプト記3311節、民数記128節のモーセについての描写を思わせる。神との直接的で親密な交わりを表す。

 

福音朗読         ルカによる福音 

(4章21節30節)

先週の箇所に続く、故郷のナザレの会堂での宣教開始の日の出来事。しかし、ここで起こることはイエスのこれからの歩み全体を暗示するような出来事であるともいえる。

ルカによる福音

〔そのとき、ナザレの会堂で預言者イザヤの書を読まれた〕

21イエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」23イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」24そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。25確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、26エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。27また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」28これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、29総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。30しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。 

(註)25エリヤ・・・・・・紀元前9世紀の北イスラエルの預言者。この飢饉の話は列王記上17章にある。「シドン」「サレプタ」はイスラエルの北方の地中海沿岸に位置する。

(註)27エリシャ・・・・・・エリヤの弟子で後継者であった預言者。アラム人の王の軍司令官ナアマンはエリシャに言われたとおりヨルダン川で身を洗っていやされた。(列王記下5章参照)。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2016 131より)

2016年1月22日 (金)

1月24日の「聖書と典礼」

1月24日『年間第3主日』

この聖書のことばは、今日、あなたがたが耳にした時、

実現した。

(ルカによる福音421節より)

 

 

第一朗読           ネヘミヤ記 

(8章24節a、5章6節、810節)

バビロンから帰国した人々により神殿が再建され、エルサレムの城壁も修復された。この個所は、イスラエルの民が律法を中心にした信仰共同体として再出発する場面。

 

                             

 

ネヘミヤ記

 

 2〔その日、〕祭司エズラは律法を会衆の前に持って来た。そこには、男も女も、聞いて理解することのできる年齢に達した者は皆いた。第七の月の一日のことであった。3彼は水の門の前にある広場に居並ぶ男女、理解することのできる年齢に達した者に向かって、夜明けから正午までそれを読み上げた。民は皆、その律法の書に耳を傾けた。
 
4a書記官エズラは、このために用意された木の壇の上に立〔った〕。 5エズラは人々より高い所にいたので、皆が見守る中でその書を開いた。彼が書を開くと民は皆、立ち上がった。6エズラが大いなる神、主をたたえると民は皆、両手を挙げて、「アーメン、アーメン」と唱和し、ひざまずき、顔を地に伏せて、主を礼拝した。
 
8〔次いで、レビ人が〕神の律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げたので、人々はその朗読を理解した。
 
9総督ネヘミヤと、祭司であり書記官であるエズラは、律法の説明に当たったレビ人と共に、民全員に言った。「今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。」民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。10彼らは更に言った。「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」

(註)2エズラ・・・・・・大祭司の家系の出身で、律法に精通した書記官。祖国の再建を律法に基づいて指導した。

(註)律法・・・・・・モーセ5書(創世記~申命記)の中核部分と考えられる。

(註)6アーメン・・・・・・「確かに(そのとおりです)」の意味。

(註)9ネヘミヤ・・・・・・バビロニアに住んでいたユダヤ人で、紀元前5世紀の中頃、ペルシャ王によりユダヤの総督に任じられた。

(註)泣いていた・・・・・・民が泣いたのは、感動のためだけでなく、律法によって自分たちの罪を悟ったからであろう。

 

 

 

第二朗読      一コリントの信徒への手紙

(12章1230節、 または 12章1214節、27節)

霊の賜物である各自の能力や役割の優劣を論じ合っていたコリントの教会に対してパウロは、すべてが一つの霊による働きであり、互いが補い合ってキリストが一つの体となることを教える。

 

 

 

使徒パウロのコリントの教会への手紙

 12〔皆さん、〕体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。13つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。14体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。
15足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。16耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。17もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。18そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。19すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。20だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。21目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。22それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。23わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。24見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。25それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。26一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。
 
27あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
28神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。29皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。皆が奇跡を行う者であろうか。30皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。皆が異言を語るだろうか。皆がそれを解釈するだろうか。

(註)13一つの霊をのませてもらった・・・・・・一コリント10・4にも「皆が同じ霊的な飲み物を飲みました」という表現があり、そこでは聖体のことが暗示されている。しかし、ここではむしろ、ヨハネ73739のように、(洗礼において)聖霊を受けることが言われているのであろう。

(註)28預言者・・・・・・霊感によって神のことばを告げるもの。パウロによれば、それは「人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰め」る。(一コリント143)。

(註)異言を語る・・・・・・霊によって神秘を語るが、神に向かって語るものであり、解釈する人がいなければ理解できない。(一コリント142参照)。

 

 

 

福音朗読         ルカによる福音

(1章14節、4章1421節)

ルカ福音書の序文とイエスの宣教開始の場面が結び合わされている。

 

 

 

ルカによる福音

 11-2 わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。3そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。4お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。
 414〔さて、〕イエスはの力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。15イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。
 
16イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。17預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
18 「主の霊がわたしの上におられる。
 貧しい人に福音を告げ知らせるために、
 主がわたしに油を注がれたからである。
 主がわたしを遣わされたのは、
 捕らわれている人に解放を、
 目の見えない人に視力の回復を告げ、
 圧迫されている人を自由にし、
 19主の恵みの年を告げるためである。」
20イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。21そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。

(註)12最初から目撃して御言葉のために働いた人々・・・・・・使徒たちのこと。

(註)3テオフィロ・・・・・・この名の人物は知られていない。名前の意味は「神を愛する人」あるいは「神に愛された人」。

(註)14“霊”の力に満ちて・・・・・・ヨルダン川で洗礼を受けた時から、イエスの行動はすべて聖霊に導かれている。

(註)1819主の霊が・・・・・・イザヤ6112586の引用。本来は預言者自身の召命を語る個所であるが、これを読んだイエスはそれを自分にあてはめ、この救いが実現していることを宣言する。

(註)19主の恵みの年・・・・・・50年ごとに負債のすべてが免除され、奴隷が解放されるヨベルの年のこと(レビ251055参照)。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2016 124より)

2016年1月15日 (金)

1月17日の「聖書と典礼」

1月17日『年間第2主日』

イエスは最初のしるしをガリラヤのカナで行われた。

(福音朗読主題句 ヨハネによる福音211節より)

 

 

第一朗読           イザヤ書

(62章15節)

                              イザヤ書5666章はバビロンから帰国した民に向かって預言されたもの。ここではエルサレムの繁栄の回復が告げられる。

 

イザヤの預言

1シオンのために、わたしは決して口を閉ざさず
エルサレムのために、わたしは決して黙さない。
彼女の正しさが光と輝き出で
彼女の救いが松明のように燃え上がるまで。

2諸国の民はあなたの正しさを見
王はすべて、あなたの栄光を仰ぐ。
主の口が定めた新しい名をもって
あなたは呼ばれるであろう。

3あなたは主の御手の中で輝かしい冠となり
あなたの神の御手の中で王冠となる。

4あなたは再び「捨てられた女」と呼ばれることなく
あなたの土地は再び「荒廃」と呼ばれることはない。
あなたは「望まれるもの」と呼ばれ
あなたの土地は「夫を持つもの」と呼ばれる。
主があなたを望まれ
あなたの土地は夫を得るからである。

5若者がおとめをめとるように
あなたを再建される方があなたをめとり
花婿が花嫁を喜びとするように
あなたの神はあなたを喜びとされる。
 

(註)シオン・・・・・・エルサレムと同じ意味で使われている。次の「彼女」も、2節以降の「あなた」もエルサレムの町を指す。

(註)わたし・・・・・・主自身ともとれるが、6267節との関連から預言者自身を指すと考えられる(611節参照)

(註)新しい名をもって・・・・・・改名されるという意味ではなく、まったく新たな実体に生まれ変わることを表している。

(註)捨てられた女・・・・・・神と民との関係は、しばしば夫と妻にたとえられる。

 

 

第二朗読      一コリントの信徒への手紙

(12章411節)

きょうから年間第5主日まで第2朗読は 一コリントの信徒への手紙12章以下が読まれていく。コリントの教会が直面していた分裂や不和などの問題に答えて、パウロはこの手紙を書いた。

 

使徒パウロのコリントの教会への手紙

4 〔皆さん、〕賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。 5務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。 6働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。 7 一人一人にの働きが現れるのは、全体の益となるためです。

8 ある人にはによって知恵の言葉、ある人には同じによって知識の言葉が与えられ、 9 ある人にはその同じによって信仰、ある人にはこの唯一のによって病気をいやす力、 10ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。 11これらすべてのことは、同じ唯一のの働きであって、は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです 

(註)4賜物・・・・・・原語は「カリスマ」で、聖霊の力によるさまざまな働きのこと。

(註)7 “霊” ・・・・・・以下たびたび現れる“霊”という表記は、それが「聖霊」を意味することを明示している。

(註)10預言・・・・・・理解できる言葉で神のことばを告げること。

(註)異言・・・・・・普通では理解できないような言葉で語られる祈りや賛美。内容は無意味ではなく、本筋にあるとおり、解釈され得るものである。

 

 

福音朗読         ヨハネによる福音

(2章111節)

 イエスの活動が始まったばかりのころ、フィリポとナタナエルが弟子となって「三日目」の出来事である。

 

ヨハネによる福音

1 〔そのとき、〕ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。 2イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。 3ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。 4イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」  5 しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。 6 そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。 7 イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。 8イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。 9 世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、 10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」 11イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

(註)1婚礼・・・・・・第1朗読にあるように、神と人との交わりは婚姻の比喩で語られることが多い。また、宴は週末の救いの宴を連想させる。

(註)3ぶどう酒・・・・・・週末に神が与える救いのシンボル(イザヤ書256節など)。

(註)4婦人よ、わたしとどんなかかわりが・・・・・・拒絶のように聞こえることばであるが、必ずしもそうではない。イエスが「わたしの時」と呼ぶのは十字架の時であり。それこそが救いの時なのである。この節全体は、母を十字架に招くことばであると考えることもできよう。(ヨハネによる福音192527節参照)。ちなみにヨハネ福音書では「マリア」という母の名は言及されない。

(註)6メトレテス・・・・・・約39リットル。

(註)9花婿・・・・・・ここで突然登場する花婿はキリストを暗示しているようである。

(註)11しるし・・・・・・単なる奇跡ではなく、イエスの生涯と活動の意味を表す出来事が「しるし」と呼ばれる。

 

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2016 117より)

2016年1月13日 (水)

教会の場所・地図

教会の場所・地図

《場所》

 所: 神戸市兵庫区塚本通4-4-4

電話番号: 078-575-5294

《ミサ時間》

※ミサの予定表 又は、おしらせの項をご覧ください。

《地図》

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2016年1月12日 (火)

ミサ時間のお知らせ

ミサ時間のお知らせ

◇日曜日(主日)のミサ

   ▷日曜日のミサ(第4日曜日以外)AM 9:00~

 4日曜日の合同ミサ    AM 10:00~

 

*第4日曜日は、 たかとり・兵庫教会合同ミサが

 行われます。

*合同ミサの場所は、

  たかとり教会(Tel:078-731-8300

  兵庫教会(Tel:078-575-5294

 にお問い合わせください。

 

 ◇平日のミサ

   ▷ 火曜日のミサ   PM 7:00~

 ▷ 木曜日のミサ   AM 9:30~

 ※平日のミサは、司祭の都合により変更する場合が

あります。)

 ※ミサ(お祈り)は、どなたでも参加できます。

初めて来られた方は、教会の聖堂入口で声をかけて

ください。ご案内いたします。

2016年1月 7日 (木)

1月10日の「聖書と典礼」

1月10日『主の洗礼』

イエスが洗礼を受けて祈っておられると、天が開けた。

(福音朗読主題句 ルカによる福音321節より)

 

 

第一朗読          イザヤ書

(40章15節、911節)

* イザヤ書の第2の部分(40-55)はバビロン捕囚時代の預言で「第2イザヤ」と呼ばれる。この個所はその冒頭部分。

* 捕囚の民の解放と帰還が告げられる。

                             

イザヤの預言

  慰めよ、わたしの民を慰めよと
あなたたちの神は言われる。

2  エルサレムの心に語りかけ
彼女に呼びかけよ
苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
罪のすべてに倍する報いを
主の御手から受けた、と。

 

3  呼びかける声がある。
主のために、荒れ野に道を備え
わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。

4  谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。
険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。

5  主の栄光がこうして現れるのを
肉なる者は共に見る。
主の口が〔そう〕宣言される。

*  

9  高い山に登れ
良い知らせをシオンに伝える者よ。
力を振るって声をあげよ
良い知らせをエルサレムに伝える者よ。
声をあげよ、恐れるな
ユダの町々に告げよ。

*   

見よ、あなたたちの神

10 見よ、主なる神。
彼は力を帯びて来られ
御腕をもって統治される。
見よ、主のかち得られたものは御もとに従い
主の働きの実りは御前を進む。

11 主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め

小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。

(註)1神は言われる……ここでは天井で行われる神と天使たちの会議の場面が思い浮かべられているようである。神は天使たちに向かって語っている。3節の「声」(呼びかける声)も天井の声である。

(註)2彼女の咎……「彼女」はエルサレムとその住民を指す。バビロン捕囚は民の罪に対する神の裁きと考えられた。

(註)3荒れ野……神とともにイスラエルの民が帰国するバビロンからパレスチナへの道は、ほとんど砂漠のような地である。

(註)9シオン……エルサレム南東部の丘の名。エルサレム全体を象徴的に表すことばとして使われている。

(註)10主の勝ち得られたもの……バビロンから解放された民を指す。「主の働きの実り」も同じ。

 

 

* 第二朗読         テトスへの手紙 

* (2章1114節、3章47節)

* 主の降誕のミサにも読まれる個所。パウロは、ここで教会の

* 指導者テトスに、人々に教えるべきことの核心を告げている。

 

使徒パウロのテトスへの手紙

  211〔愛する者よ、〕すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。12その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、13また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。14キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。
 34わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、5神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。6神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。7こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。

(註)14贖い出し……エジプトの奴隷からの解放のように、人を罪から解放する神の業を表すことば。

(註)5新しく生まれさせ――造りかえる……直訳では「再び生まれ、再び新たにする」こと。

(註)洗い・・・・・・洗礼のこと。

 

 

福音朗読        ルカによる福音

(3章1516節、2122節)

ルカ福音書は、洗礼者ヨハネの活動と説教に続いて、イエスの洗礼を伝える。しかし、洗礼という出来事よりも、聖霊が降り、天からの声が聞こえたことの方に焦点は充てられている。

 

ルカによる福音

15〔そのとき、〕民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。16そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」
 
21民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、22聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

(註)16履物のひもを解く……これはしもべの仕事であった。

(註)聖霊と火で――洗礼を……「洗礼」のもとの意味は「沈める」「浸す」。イエスは人を聖霊(火はそのシンボル)という神の命の中に浸す。

(註)22私の愛する子……詩編27節、イザヤ書421節参照。神の子、神のしもべとしての使命がここから始まる。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2016 110より)

2016年1月 2日 (土)

1月 3日の「聖書と典礼」

1月 3日『主の公現』

わたしたちは当方から王を拝みに来た。

(福音主題句 マタイによる福音 22節より)

 

 

第一朗読       イザヤ書

(60章16節)

イザヤ書の第3の部分(5666章)はバビロンから解放され、

帰国した民に向かって予言したもので「第3イザヤ」と呼ばれる。

エルサレムの回復を通して神は栄光を諸国の民に表される。

 

イザヤの預言

〔エルサレムよ、〕起きよ、光を放て。
あなたを照らす光は昇り
主の栄光はあなたの上に輝く。
見よ、闇は地を覆い
暗黒が国々を包んでいる。
しかし、あなたの上には主が輝き出で
主の栄光があなたの上に現れる。
国々はあなたを照らす光に向かい
王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。
目を上げて、見渡すがよい。
みな集い、あなたのもとに来る。
息子たちは遠くから
娘たちは抱かれて、進んで来る。
そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き
おののきつつも心は晴れやかになる。
海からの宝があなたに送られ
国々の富はあなたのもとに集まる。
らくだの大群
ミディアンとエファの若いらくだが
あなたのもとに押し寄せる。
シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。
こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。

 

(註)ミディアン……最古のラクダ遊牧民として知られる部族。イスラエル人といろいろな接触があった。ミディアン人の地とは北西アラビアを言う。次の「エファ」は不明だが、同じ地を指すものと考えられる。

(註)シェバ……アラビア南部の地。その民族の名でもある。古くから商業によって栄えた。

(註)乳香……アラビアから輸入される香料。古くから神殿への供え物にも用いられた。

 

 

第二朗読     エフェソの信徒への手紙

(3章2節、3節b、56節)

異邦人とユダヤ人がキリストにおいて一つとなり、

神に近づくことができるようになった。

パウロはこの福音に仕える恵みを与えられたことを感謝しながら語る。

 

使徒パウロのエフェソの教会への手紙

 〔皆さん、〕あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今やによって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。

(註)約束……旧約において神の約束を受けたのは何よりもアブラハムとその子孫であった。(創世記15章参照)。

 

 

福音朗読       マタイによる福音

21-12節)

幼子イエスが、すべてを照らす光として現される。

 

マタイによる福音

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
 『ユダの地、ベツレヘムよ、
 お前はユダの指導者たちの中で
 決していちばん小さいものではない。
 お前から指導者が現れ、
 わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

(註)ヘロデ王……ヘロデ大王とも呼ばれる。在位紀元前37~前4年。

(註)占星術の学者……「博士」とも訳される原語の「マゴイ」は、ペルシャのゾロアスター教の祭司階級(マギ)に由来する名。天体観測と占星術の専門家でもあった。

(註)メシア……「油そそがれた者」。本来は王を指したが、来たるべき救い主の意味になった。ギリシャ語では「クリストス」(キリスト)」。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2016 1 3号より)

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