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2016年1月22日 (金)

1月24日の「聖書と典礼」

1月24日『年間第3主日』

この聖書のことばは、今日、あなたがたが耳にした時、

実現した。

(ルカによる福音421節より)

 

 

第一朗読           ネヘミヤ記 

(8章24節a、5章6節、810節)

バビロンから帰国した人々により神殿が再建され、エルサレムの城壁も修復された。この個所は、イスラエルの民が律法を中心にした信仰共同体として再出発する場面。

 

                             

 

ネヘミヤ記

 

 2〔その日、〕祭司エズラは律法を会衆の前に持って来た。そこには、男も女も、聞いて理解することのできる年齢に達した者は皆いた。第七の月の一日のことであった。3彼は水の門の前にある広場に居並ぶ男女、理解することのできる年齢に達した者に向かって、夜明けから正午までそれを読み上げた。民は皆、その律法の書に耳を傾けた。
 
4a書記官エズラは、このために用意された木の壇の上に立〔った〕。 5エズラは人々より高い所にいたので、皆が見守る中でその書を開いた。彼が書を開くと民は皆、立ち上がった。6エズラが大いなる神、主をたたえると民は皆、両手を挙げて、「アーメン、アーメン」と唱和し、ひざまずき、顔を地に伏せて、主を礼拝した。
 
8〔次いで、レビ人が〕神の律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げたので、人々はその朗読を理解した。
 
9総督ネヘミヤと、祭司であり書記官であるエズラは、律法の説明に当たったレビ人と共に、民全員に言った。「今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。」民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。10彼らは更に言った。「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」

(註)2エズラ・・・・・・大祭司の家系の出身で、律法に精通した書記官。祖国の再建を律法に基づいて指導した。

(註)律法・・・・・・モーセ5書(創世記~申命記)の中核部分と考えられる。

(註)6アーメン・・・・・・「確かに(そのとおりです)」の意味。

(註)9ネヘミヤ・・・・・・バビロニアに住んでいたユダヤ人で、紀元前5世紀の中頃、ペルシャ王によりユダヤの総督に任じられた。

(註)泣いていた・・・・・・民が泣いたのは、感動のためだけでなく、律法によって自分たちの罪を悟ったからであろう。

 

 

 

第二朗読      一コリントの信徒への手紙

(12章1230節、 または 12章1214節、27節)

霊の賜物である各自の能力や役割の優劣を論じ合っていたコリントの教会に対してパウロは、すべてが一つの霊による働きであり、互いが補い合ってキリストが一つの体となることを教える。

 

 

 

使徒パウロのコリントの教会への手紙

 12〔皆さん、〕体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。13つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。14体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。
15足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。16耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。17もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。18そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。19すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。20だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。21目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。22それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。23わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。24見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。25それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。26一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。
 
27あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
28神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。29皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。皆が奇跡を行う者であろうか。30皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。皆が異言を語るだろうか。皆がそれを解釈するだろうか。

(註)13一つの霊をのませてもらった・・・・・・一コリント10・4にも「皆が同じ霊的な飲み物を飲みました」という表現があり、そこでは聖体のことが暗示されている。しかし、ここではむしろ、ヨハネ73739のように、(洗礼において)聖霊を受けることが言われているのであろう。

(註)28預言者・・・・・・霊感によって神のことばを告げるもの。パウロによれば、それは「人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰め」る。(一コリント143)。

(註)異言を語る・・・・・・霊によって神秘を語るが、神に向かって語るものであり、解釈する人がいなければ理解できない。(一コリント142参照)。

 

 

 

福音朗読         ルカによる福音

(1章14節、4章1421節)

ルカ福音書の序文とイエスの宣教開始の場面が結び合わされている。

 

 

 

ルカによる福音

 11-2 わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。3そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。4お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。
 414〔さて、〕イエスはの力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。15イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。
 
16イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。17預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
18 「主の霊がわたしの上におられる。
 貧しい人に福音を告げ知らせるために、
 主がわたしに油を注がれたからである。
 主がわたしを遣わされたのは、
 捕らわれている人に解放を、
 目の見えない人に視力の回復を告げ、
 圧迫されている人を自由にし、
 19主の恵みの年を告げるためである。」
20イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。21そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。

(註)12最初から目撃して御言葉のために働いた人々・・・・・・使徒たちのこと。

(註)3テオフィロ・・・・・・この名の人物は知られていない。名前の意味は「神を愛する人」あるいは「神に愛された人」。

(註)14“霊”の力に満ちて・・・・・・ヨルダン川で洗礼を受けた時から、イエスの行動はすべて聖霊に導かれている。

(註)1819主の霊が・・・・・・イザヤ6112586の引用。本来は預言者自身の召命を語る個所であるが、これを読んだイエスはそれを自分にあてはめ、この救いが実現していることを宣言する。

(註)19主の恵みの年・・・・・・50年ごとに負債のすべてが免除され、奴隷が解放されるヨベルの年のこと(レビ251055参照)。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2016 124より)

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