2月7日の「聖書と典礼」
2月7日『年間第5主日』
恐れることはない。
今から後、あなたは人間をとる漁師になる。
(ルカによる福音5章10節より)
第一朗読 イザヤの預言
(6章1−2節a、3−8節)
ウジヤ王が死んだ紀元前735年頃、アモツの子イザヤがエルサレムの神殿で預言者として召し出される場面。
イザヤの預言
1ウジヤ王が死んだ年のことである。
わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。2a上の方にはセラフィムがい〔た。〕3彼らは互いに呼び交わし、唱えた。
「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。
主の栄光は、地をすべて覆う。」
4この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。5わたしは言った。
「災いだ。わたしは滅ぼされる。
わたしは汚れた唇の者。
汚れた唇の民の中に住む者。
しかも、わたしの目は
王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
6するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。7彼はわたしの口に火を触れさせて言った。
「見よ、これがあなたの唇に触れたので
あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」
8そのとき、わたしは主の御声を聞いた。
「誰を遣わすべきか。
誰が我々に代わって行くだろうか。」
わたしは言った。
「わたしがここにおります。
わたしを遣わしてください。」
(註)2セラフィム・・・・・・天にいる神との仲介者。セラフィムという名は「燃える」という意味の動詞と関連している。
(註)3聖なる・・・・・・イザヤは神のことをしばしば「イスラエルの聖なる方」と呼ぶ。ミサの感謝の賛歌の始めの句はここからとられている。
(註)5災いだ。わたしは滅ぼされる・・・・・・神の聖性の前では、罪に汚れた人間は堪えられず、滅ぼされる、と考えられた。
第二朗読 一コリントの信徒への手紙
(15章1−11節、 または 15章3−8節、11節)
コリントの教会のさまざまな問題について述べた後、パウロは最も大切なこととして復活について語る。
使徒パウロのコリントの教会への手紙
≪1わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。2どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。≫
3最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、4葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、5ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。6次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。7次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、8そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。
≪9わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。10神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。とにかく、≫
11わたしにしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした。
(註)3わたしが―――伝えた・・・・・・コリントの教会はパウロから福音を聞き、信仰に入った。
(註)わたしも受けたもの・・・・・・3-5節は、キリストの復活について新約聖書の中で最も古い伝承である。(この手紙が書かれたのは紀元50年代のことである)。
(註)聖書に書いてあるとおり・・・・・・特定の箇所というよりも、旧約聖書全体の意味。何度も繰り返されるこのことばは、それが神の計画であったことを強調している。
(註)5ケファ・・・・・・使徒ペトロのこと。「ケファ」はアラム語で、意味はペトロと同じく「岩」。復活したキリストのペトロへの出現についてはルカによる福音24章34節にも述べられている。
(註)7ヤコブ・・・・・・「主の兄弟」といわれるヤコブのことと考えられる。エルサレムの教会の指導者であった。
(註)8月足らずで・・・・・・パウロは、教会の迫害者であった自分が使徒とされたことをこのように表現する。パウロへのキリストの出現については、使徒言行録9章1-9節参照。
福音朗読 ルカによる福音
(5章1−11節)
ルカ福音書では、福音を告げ、病人をいやすイエスの活動が始まってしばらくしてから、最初の弟子たちが呼び出されることになる。(マルコによる福音1章16-20節参照)
ルカによる福音
1イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。2イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。3そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。4話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。5シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。6そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。7そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。8これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。9とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。10シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」11そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
(註)5夜通し・・・・・・ガリラヤ湖の漁師たちは魚が水面近くに上がってくる夜に漁をした。
(註)8主よ、わたしから離れてください・・・・・・第1朗読の預言者イザヤ同様、イエスの神的な力を目の当たりにしたペトロは、その威光に堪えることができないと感じてこのように言った。
(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2016・ 2・7より)
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