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2016年2月25日 (木)

2月28日の「聖書と典礼」

2月28日『四旬節第3主日』

「わたしはある」という方がわたしをあなたたちに遣わされた。

(第1朗読主題句 出エジプト記314節より)

 

第一朗読         出エジプト記

(3章18節a、1315節)

                              四旬節第3主日の第1朗読は毎年、出エジプト記からとられている。今年の箇所はモーセが神に召し出しされる場面。

出エジプト記

 1〔そのころ、〕モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。2そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。3モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」
 
4主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、5神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」6神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。
 
7主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。8それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地へ彼らを導き上る。」
 
13モーセは神に尋ねた。
 「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」
 
14神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」15神は、更に続けてモーセに命じられた。
 「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。
 これこそ、とこしえにわたしの名
 これこそ、世々にわたしの呼び名。」

(註)1ミディアンの祭司であるエトロ・・・・・・ミディアン人はらくだ遊牧民として知られる。居住地域は定かでない。エジプトを逃れたモーセはエトロのもとに身を寄せ、その娘を妻としていた。

(註)ホレブ・・・・・・別名「シナイ山」。

(註)13名・・・・・・古代人にとって、名は単なる呼び名ではなく、そのものの本性を表すものである。

(註)14わたしはある・・・・・・さまざまな解釈があるが、文脈から考えると、他の神々のような虚しい偶像ではなく、生ける唯一の神、イスラエルを救う力のある方であることの宣言といえよう。

 

第二朗読      一コリントの信徒への手紙

(10章16節、1012節)

 異教の祭儀が盛んであったコリントの町のキリスト者に向けて、そのような祭儀に加わり、偶像礼拝に陥ることのないようにパウロは命じ、この前例を語る。

使徒パウロのコリントの教会への手紙

 1兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、2皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、3皆、同じ霊的な食物を食べ、4皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。5しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。6これらの出来事は、わたしたちを戒める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために。

10彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました。11これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。12だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけ〔なさい。〕

(註)1雲・・・・・・神の臨在のしるし。

(註)34霊的な食べ物 霊的な飲み物・・・・・・荒れ野でイスラエルの民の与えられたマナと岩から涌き出た水のことであるが、パウロはその中に聖体のパンとぶどう酒が暗示されていると考えている。

(註)4霊的な岩・・・・・・水がわき出した岩は荒れ野の旅の間、ずっとイスラエルの民とともにあった、と考えられていた。

(註)6前例・・・・・・原語の「テュポス」は刻印を打ち付けた後にできた型。来たるべきものを前もって示す影としての型の意味で、「予型」とも訳される。11節も同じ。

 

福音朗読         ルカによる福音

(13章19節)

  12章の終わりから終末の裁きについての警告と回心の勧めが語られており、きょうの箇所は今こそが回心の時であることを強調している。

ルカによる福音

 1ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。2イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。3決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。4また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。5決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」
 
6そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。7そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』8園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。9そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」

(註)1ピラトがガリラヤ人の血を・・・・・・過越祭にエルサレムの神殿にいけにえをささげに来たガリラヤ人がピラト(ローマ総督)の兵士によって殺された、という当時の実際の事件を指しているのであろう。

(註)3滅びる・・・・・・ここでは終末の裁きにおける滅びのことを意味している。

(註)4シロアムの塔・・・・・・エルサレムの地下水道の出口、シロアムの池の近くにあった塔。

(註)6ブドウ園にいちじくの木を・・・・・・パレスチナでは、ブドウ園にほかの実のなる木を植えるのは普通のことだった。

(註) 実・・・・・・ここでは、回心の表れとしての生活のたとえであろう(ルカによる福音38節参照)。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2016 228より)

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