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2016年3月23日 (水)

3月24日の「聖書と典礼」

3月24日『聖木曜日・主の晩餐の夕べのミサ』

 

第一朗読          出エジプト記

(12章18節、1114節)

                             出エジプト記

 〔その日、〕エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい。『今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。もし、家族が少人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない。その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊でもよい。それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。
 それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である。その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。』」

 

第二朗読     一コリントの信徒への手紙

(11章2326節)

 使徒パウロのコリントの教会への手紙

 〔皆さん、〕わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。

 

福音朗読        ヨハネによる福音

(13章115節)

ヨハネによる福音

* 過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。
 さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」

 

2016年3月24日()~3月26日()

聖なる過越の3日間
聖木曜日の「主の晩さんの夕べのミサ」にはじまり、

主の受難と十字架、そして復活を祝う3日間です。


聖木曜日「主の晩さんの夕べのミサ」では、最後の晩さんにおいて主が聖体、ミサ、司祭職を制定なさったことを記念します。この日のミサでは、キリストに倣って足を洗う洗足式と聖体安置式が行われます。
また、聖木曜日には、各司教座聖堂において「聖香油のミサ」が行われ、その中で司祭たちは司教の前で司祭叙階の日の“司祭の約束”を更新します。このミサで、洗礼、堅信、司祭が叙階のときに受ける油、病者の塗油のとき使われる油が祝福されます。
聖金曜日(主の受難)
古来の伝統に従い、聖金曜日と聖土曜日は、ミサは行われません。
聖金曜日には、主の十字架の勝利を賛美する、十字架の礼拝式が行われます。キリストの受難と死が記念されます。
この日は、キリストの受難に倣い
大斎・小斎の日と定められています。
聖土曜日(復活の聖なる徹夜祭)
「復活の聖なる徹夜祭」は、1年の典礼の中で最も盛大で、中心的な祭儀であり、守るべき徹夜とされています。
わたしたちのために苦しみを受け十字架につけられて死に、その死に打ち勝ち復活された主イエス・キリストを
「アレルヤ」と声高らかにたたえることができるように、この3日間を過ごしたいものです。

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