5月22日の「聖書と典礼」
~~~~~~~~三位一体の主日について~~~~~~~~
先週の聖霊降臨の主日で復活節は終わり、典礼歴は年間に戻るが、聖霊降臨後の二つの主日は、四旬節・復活節に祝ってきたことを踏まえた特別な祭日になっている。
きょうの三位一体の主日は、キリストの受難、死、復活、聖霊降臨という救いの御業を通して示された神のいのちの神秘を祝う。父である神は、みことばである御子イエスと聖霊を遣わして、ご自身をあらわしてくださったのである。
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5月22日(日) 三位一体の主日 (C年)
大地に先立って、知恵は生み出されていた。
(第1朗読主題句 箴言8章23-24節より)
第一朗読 箴言
この個所だけでなく、知恵文学の中でしばしば知恵は人格化して語られる。知恵は神の創造の業に先立ってあり、そのみわざに参与している。この考えは、新約聖書において、永遠の神のことばであるイエス・キリストにあてはめられていく(ヨハネ福音書1章1-3節、コロサイの信徒への手紙1章15-17節参照)。
(8章22-31節)
箴言
〔神の知恵は語る。〕
22「主は、その道の初めにわたしを造られた。
いにしえの御業になお、先立って。
23永遠の昔、わたしは祝別されていた。
太初、大地に先立って。
24わたしは生み出されていた
深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。
25山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが
わたしは生み出されていた。
26大地も野も、地上の最初の塵も
まだ造られていなかった。
27わたしはそこにいた
主が天をその位置に備え
深淵の面に輪を描いて境界とされたとき
28主が上から雲に力をもたせ
深淵の源に勢いを与えられたとき
29この原始の海に境界を定め
水が岸を越えないようにし
大地の基を定められたとき。
30御もとにあって、わたしは巧みな者となり
日々、主を楽しませる者となって
絶えず主の御前で楽を奏し
31主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し
人の子らと共に楽しむ。」
(註)22いにしえの御業……天地創造のわざのことであるが、ここでの創造の描写は古代人の宇宙観に基づいている(創世記第1章参照)。
(註)30巧みな者……ここでは「知恵」が、神の世界創造に参加し、中心的な役割を果たす建築家のように考えられているのであろう。
第二朗読 ローマの信徒への手紙
前章まで、パウロは律法の行いではなく、キリストへの信仰によって義とされることを述べてきた。ここでは救いへの大きな希望が語られる。
(5章1-5節)
1〔皆さん、〕わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、2このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。3そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、4忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。5希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
(註) 1義とされた……ここに見られるように、神との正しい関係に入ること、神に受け入れられることを意味する。
(註) 4練達……試練によって高められた信仰の状態を意味する。フランシスコ会訳では、「試練に磨かれた徳」。
福音朗読 ヨハネによる福音書
最後の晩餐の席でのイエスの説教の終わりに近い部分。世を去るにあたって、世に残していく弟子たちに向かって語られたイエスの約束。
(16章12-15節)
ヨハネによる福音
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕12「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。13しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。14その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。15父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」
(註)13その方……聖霊のこと。ヨハネ福音書では、人格を持つもののように語られている。
(註) 真理の霊……この「真理」には、覆いを取り去ってすべてを明らかにするという意味と、確かなもの、頼りになるものという意味がある。
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