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2016年6月24日 (金)

6月26日の「聖書と典礼」

626() 年間第13主日  (C年)

あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります。

(ルカによる福音書957節より)

 

 紀元前9世紀、預言者エリヤは、北イスラエルの王アハブの妻、王妃イゼベルの迫害から逃れてホレブ山(シナイ山)に来た。彼はそこで新しい使命を神から授けられ、自分の後継者エリシャを召し出すように命じられる。

第一朗読           列王記上

エリシャは立ってエリヤに従った。

(19章16節b、1921節)

列王記

 〔その日、主はエリヤに言われた。〕16b「アベル・メホラのシャファトの子エリシャにも油を注ぎ、あなたに代わる預言者とせよ。」
19エリヤはそこをたち、十二軛の牛を前に行かせて畑を耕しているシャファトの子エリシャに出会った。エリシャは、その十二番目の牛と共にいた。エリヤはそのそばを通り過ぎるとき、自分の外套を彼に投げかけた。20エリシャは牛を捨てて、エリヤの後を追い、「わたしの父、わたしの母に別れの接吻をさせてください。それからあなたに従います」と言った。エリヤは答えた。「行って来なさい。わたしがあなたに何をしたというのか」と。
21エリシャはエリヤを残して帰ると、一軛の牛を取って屠り、牛の装具を燃やしてその肉を煮、人々に振る舞って食べさせた。それから彼は立ってエリヤに従い、彼に仕えた。

()19(くびき)……軛は農具などをひかせるために、牛やろば2頭を横に並べてつなぐもの。12軛は24頭ということになる。

() 外套……列王記下1章8節では、「毛衣(けごろも)」と言われ、エリヤの預言者としての特徴を示すもの。これを投げかけるのは、エリシャに預言者としての使命が与えられることのしるしのようである。

()20わたしがあなたに何をしたというのか……わたしがあなたにしたことを忘れないように、という意味であろうか。

()21牛を取って屠り……農耕用の家畜であった牛を屠ることは、古い生活に終止符を打つことを意味するようである。

 

 異邦人キリスト者に律法を守らせようとするユダヤ化主義者たちに対抗して、パウロは、キリストへの信仰によってキリスト者が律法から解放されたと主張した。ここでは律法から解放されたキリスト者の新しい生き方を語る。

第二朗読       ガラテヤ信徒への手紙

あなたがたは、自由を得るために召し出された。

(5章1節、1318節)

使徒パウロのガラテヤの教会への手紙

1〔皆さん、〕自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。
13兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。14律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。15だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい。
16わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。17肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。18しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。

()14隣人を~……レビ記1918節、マタイによる福音書2237-40節参照。

()16霊の導き……キリスト者は、人を神の子とする御子の霊をいただいている(ガラテアの信徒への手紙46節参照)。この聖霊に導かれること。「肉の欲望」は神と無関係な自分勝手な欲望のこと。

 

ルカ福音書では、第1回の受難予告の後、951節からエルサレムに向かう旅が始まる。この旅の始めにあたるきょうの箇所は、十字架への道を歩むイエスに従うことがどういうことであるかを示している。

福音朗読        ルカによる福音書

イエスは、エルサレムに向かう決意を固められた。

「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります。」

(9章5162節)

ルカによる福音

51イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。52そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。53しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。54弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。55イエスは振り向いて二人を戒められた。56そして、一行は別の村に行った。
57一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。58イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」59そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。60イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」61また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」62イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。

()52サマリア人の村……サマリア人はユダヤ人と反目し合っていた。彼らは独自の聖所を持ち、エルサレムの神殿の権威を否定していた。

()54天から火を降らせて・・・・・・かってエリヤはこのようにして自分を捕らえに来た兵士たちを滅ぼした(列王記下1)。しかし、イエスの道はそのような道ではない。

()60死んでいる者たち……イエスが示すいのちの道に従わない人のこと。

()62……牛にひかせて畑を耕す農具。右手に鞭を持ち、左手だけで扱うのでしっかり前を見ていなければならない。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2016626より)

2016年6月18日 (土)

6月19日の「聖書と典礼」

619() 年間第12主日  (C年)

日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

(ルカによる福音書 923節より)

 

〔ゼカリヤ書914章は、本来のゼカリヤ書(18章)とは別の預言者のものと考えられる。この個所はエルサレムの救いと罪からの清めが預言される個所。〕

第一朗読          ゼカリヤ書

(12章1011節、13章1節)

ゼカリヤの預言

1210 〔主は言われる。〕「わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。11その日、エルサレムにはメギド平野におけるハダド・リモンの嘆きのように大きな嘆きが起こる。131その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れを洗い清める一つの泉が開かれる。」

()10彼ら自らが刺し貫いたものであるわたし……誰のことを指していたかは不明だが、神と等しいような神の代理者であろう。ヨハネによる福音書1937節はこれを十字架のイエスにあてはめている。

()11ハダド・リモン……異教の神(および、その聖所)の名と考えられるが、正確なことはわからない。ここでは大きな嘆きのたとえとしてこの名が用いられている。

 

〔ガラテア人のような異邦人キリスト者にユダヤ教の習慣を押し付けようとした人々に反対して、パウロは、キリスト信者がキリストへの信仰によって律法と罪の支配から解放されることを力説してきた。ここではその信仰によってもたらせるものが何であるかをはっきりと述べる。〕

第二朗読       ガラテヤの信徒への手紙

(3章2629節)

使徒パウロのガラテヤの教会への手紙

26〔皆さん、〕あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。27洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。28そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。29あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。

 

()27キリストを着ている……衣服のようにキリストに包まれること。すなわち、キリストのうちにいてキリストと結ばれることを意味する。洗礼式のときの白衣はこのことを象徴的に表現している。

()29約束による相続人……パウロはアブラハムに与えられた祝福の約束が、彼の信仰に基づくものであることを述べている(ガラテヤの信徒への手紙3614節参照)。パウロにとってこの祝福を受け継ぐアブラハムの子孫とは、キリストとキリストに結ばれたキリスト者のことである。

 

 

〔イエスのガリラヤでの活動を見、イエスによって宣教に派遣された弟子たちがイエスに対する信仰を表現する。ルカによる福音書ではこの後(951節以下)、エルサレムに向かうイエスの旅が始まっていく。〕

福音朗読        ルカによる福音書

(9章1824節)

ルカによる福音

18イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。19弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」20イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」
21イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、22次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」23それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。24自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。」

()18ひとりで祈って……ルカによる福音書は、重要な場面で、いつもイエスが祈っている姿を伝えている(321節、516節、612節、92829節、111節、224445節など)。

()19エリヤ……紀元前9世紀の北イスラエルの預言者。神がこの世界に決定的に介入する前に遣わされると考えられた。

()20神からのメシア……「メシア」はギリシア語では「クリストス(キリスト)」。どちらも「油注がれた者」の意。ここでは称号の意味で「メシア」と訳されている。なお、「神からの」は意訳で、直訳では「神のキリスト」。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2016619より)

2016年6月 3日 (金)

6月 5日の「聖書と典礼」

6 5() 年間第10主日  (C年)

あなたはまことに神の人です。

(17章17-24節)

 

第一朗読           列王記(上)

 エリヤは紀元前9世紀の北イスラエル王国で活動した預言者。干ばつを予言した後、シドンのサレプタに行き、そこに住むやもめに食べ物を求めた。彼女がそれを差し出すと、彼女の家は神の祝福に満たされた(列王記上171-16節)。その物語に続くのが今日の箇所。

(列王記上1717-24節)

                             列王記

1717〔そのころ、エリヤの住んでいた〕家の女主人である〔やもめ〕の息子が病気にかかった。病状は非常に重く、ついに息を引き取った。18彼女はエリヤに言った。「神の人よ、あなたはわたしにどんなかかわりがあるのでしょうか。あなたはわたしに罪を思い起こさせ、息子を死なせるために来られたのですか。」19エリヤは、「あなたの息子をよこしなさい」と言って、彼女のふところから息子を受け取り、自分のいる階上の部屋に抱いて行って寝台に寝かせた。20彼は主に向かって祈った。「主よ、わが神よ、あなたは、わたしが身を寄せているこのやもめにさえ災いをもたらし、その息子の命をお取りになるのですか。」21彼は子供の上に三度身を重ねてから、また主に向かって祈った。「主よ、わが神よ、この子の命を元に返してください。」22主は、エリヤの声に耳を傾け、その子の命を元にお返しになった。子供は生き返った。23エリヤは、その子を連れて家の階上の部屋から降りて来て、母親に渡し、「見なさい。あなたの息子は生きている」と言った。24女はエリヤに言った。「今わたしは分かりました。あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です。」

()18罪を思い起こさせ・・・・・・当時は何らかの罪の罰として災いが起こると考えられていたので、一人息子の死という不幸は彼女の罪の対する罰として受け止められた。

 

第二朗読      ガラテヤの信徒への手紙

ガラテヤ地方は小アジア(今のトルコ)中部にあたる。この地の教会はパウロによって創設された異邦人主体の教会。パウロが去った後、ユダヤ人キリスト者が入ってきて、異邦人キリスト者にも律法の遵守を求め、信者たちは動揺した。パウロは自分の告げた「律法ではなく信仰によって救われる」という福音が真実であることを力説する。

(1章11-19節)

使徒パウロのガラテヤの教会への手紙

11兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。12わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。
13あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。14また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。15しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、16御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、17また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。
18それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、19ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。

()18ケファ・・・・・・使徒ペトロのこと。「ケファ」はアラム語で「岩」を意味する。

()19主の兄弟ヤコブ・・・・・・十二使徒中のヤコブとは別人で、エルサレム教会の指導者。

 

* 福音朗読        ルカによる福音書

  死にかけていた百人隊長の僕の病をいやした後の出来事。ルカによる福音書722節にある洗礼者ヨハネへの伝言の中の「死者は生き返り」ということばにつながっていく。

(7章11-17節)

ルカによる福音

711〔そのとき、〕イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。12イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。13主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。14そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。15すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。16人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。17イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。

()11ナイン・・・・・・ガリラヤ地方の町。ナザレの南東6キロメートルに位置する。

()12一人息子 やもめ・・・・・・第1朗読同様、ここでも「やもめと一人息子」である。やもめは貧しい人の代表であり、一人息子は彼女の唯一の希望であった。

()13憐れに思い・・・・・・原語では「はらわたが揺さぶられる」という意味の言葉が用いられている(ルカによる福音書1033節、1520節参照)。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20166 5より)

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