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2016年7月 1日 (金)

7月 3日の「聖書と典礼」

7 3() 年間第14主日  (C年)

行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。

(ルカによる福音書103節より)

 

〔イザヤ書の最終章。イザヤ書5666章はバビロン捕囚から解放された後の時代の預言と考えられている。帰国してイスラエルの再建にあたった民の前にはさまざまな困難が待ち受けていた。この人々に向かって預言者は神に従い、信頼するよう励まし、大きな救いを約束する。〕

第一朗読             イザヤ書

見よ、わたしは彼女に向けよう、平和を大河のように。

(66章1014節c)

                             

 

イザヤの預言

 

10エルサレムと共に喜び祝い
彼女のゆえに喜び躍れ
彼女を愛するすべての人よ。
彼女と共に喜び楽しめ
彼女のために喪に服していたすべての人よ。
11彼女の慰めの乳房から飲んで、飽き足り
豊かな乳房に養われ、喜びを得よ。
12主はこう言われる。
見よ、わたしは彼女に向けよう
平和を大河のように
国々の栄えを洪水の流れのように。
あなたたちは乳房に養われ
抱いて運ばれ、膝の上であやされる。
13母がその子を慰めるように
わたしはあなたたちを慰める。
エルサレムであなたたちは慰めを受ける。
14これを見て、あなたたちの心は喜び楽しみ
あなたたちの骨は青草のように育つ。
主の御手は僕たちと共にあ〔る〕ことが
こうして示される。

()10彼女……エルサレムのこと。

()12平和……単に戦争や争いがないということではなく、神の恵みに満たされた状態を表すことば。

()13母がその子を……ここでは、神の愛が母の愛にたとえられているが、同じような例はイザヤ書4915節にもある。

 

〔ガラテア書は、異邦人キリスト信者も割礼を受けるべきだという考えに反論して書かれた。この個所はその結び。〕

 

 

 

 

第二朗読         ガラテヤの信徒への手紙

わたしは、イエスの焼き印を身に受けている。

(6章1418節)

 

 

使徒パウロのガラテヤの教会への手紙

 

14〔皆さん、〕このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。15割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。16このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。
17これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。
18兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。

()14世はわたしに対し~……悪に支配されている世(ガラテア14節)とその考えや生き方(人からよく思われること。ガラテヤ612節参照)からの絶縁を表しているのであろう。

()15割礼……イスラエルの民に属する者となるしるしだった。

() 新しく創造される……神によってまったく新たにされたキリスト者の生き方を表すことば。

()16神のイスラエル……ここではユダヤ人も異邦人も含む、キリストを信じる民全体のこと(ガラテヤ326-29節参照)。

()17焼き印……奴隷につけられるしるし。つまり、パウロがキリストの奴隷であることを指しているのであろう。

 

〔ルカによる福音書には弟子の派遣が2回述べられている(1回目は12人。ルカ91-6節)。ルカだけが伝えるきょうの話は、ルカ951節から始まったエルサレムへの旅の中での出来事。〕

 

福音朗読          ルカによる福音書

あなたがたの願う平和はその人にとどまる。

(10章112節、1720節、 または 10章19節)

 

 

ルカによる福音

 1〔そのとき、〕主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。2そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。3行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。4財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。5どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。6平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。7その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。8どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。」
10「しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。11『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。12言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」
17七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」18イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。19蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。20しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」

() 1七十二人……別の写本は「七十人」となっている。

() 4財布も袋も履物も~……派遣された者には、神に対する絶対的な信頼が要求される。別の箇所には、「ただ履物は履くように」と命じることばもある(マルコによる福音書68-9節参照)。

() 挨拶をするな……儀式ばった挨拶で時間を無駄にするな、という意味のようである。

()11足についたこの町の塵さえも……その地との絶縁を意味するしぐさである。

()12ソドム……罪が満ちていたため、神によって滅ぼされた町(創世記19章参照)。

()13-16・・・・・・省略された個所では、コラジン、ベトサイダ、カファルナウム、と言ったイエスを受け入れなかった町々を叱ることばが続いている。

()18サタンが稲妻のように天から落ちる……悪に対する神の勝利が決定的であることを表す表現である。

()19蛇やさそり……ここでは神に敵対し、人間を苦しめるもの(悪霊)のこと。次の「敵」も同じ。

()20名が天に書き記されている……神に顧みられていることを表す比喩的表現(出エジプト記3232節、ダニエル書121節など参照)。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20167 3より)

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