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2016年8月12日 (金)

8月14日の「聖書と典礼」

814() 年間第20主日  (C年)

わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。

(ルカによる福音書1249節より)

 

 

 〔紀元前6世紀初頭、バビロニア軍の脅威が迫る中で、預言者エレミヤは都にとどまれば滅びしかなく、投降すれば生き延びられるという神のことばを告げたので、交戦を主張する人々の反感を買った。〕

第一朗読          エレミヤ書

あなたは国中で争いの絶えない男である

わたしを産んだ。(エレミヤ書1510節参照)

(38章4-6節、8-10節)

                             エレミヤの預言

4〔その日、役人たちはエレミヤについて〕王に言った。
 「どうか、この男を死刑にしてください。あのようなことを言いふらして、この都に残った兵士と民衆の士気を挫いています。この民のために平和を願わず、むしろ災いを望んでいるのです。」
 5ゼデキヤ王は答えた。
 「あの男のことはお前たちに任せる。王であっても、お前たちの意に反しては何もできないのだから。」
 6そこで、役人たちはエレミヤを捕らえ、監視の庭にある王子マルキヤの水溜めへ綱でつり降ろした。水溜めには水がなく泥がたまっていたので、エレミヤは泥の中に沈んだ。
 
8エベド・メレクは宮廷を出て王に訴えた。
 9「王様、この人々は、預言者エレミヤにありとあらゆるひどいことをしています。彼を水溜めに投げ込みました。エレミヤはそこで飢えて死んでしまいます。もう都にはパンがなくなりましたから。」
10王はクシュ人エベド・メレクに、「ここから三十人の者を連れて行き、預言者エレミヤが死なないうちに、水溜めから引き上げるがよい」と命じた。

() 5ゼデキヤ王……ユダ王国最後の王(在位、紀元前596587年)

() 8エベド・メレク……「王のしもべ」を意味する。ゼデキア王の宮廷に仕えていた宦官であった。10節の「クシュ」はエチオピアのことである。

 

 

 11章で信仰によって生きた旧約時代の人々を思い起こした後、ここではキリスト信者を励ますことばが語られる。〕

第二朗読       ヘブライ人への手紙

自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こう。

(12章1-4節)

ヘブライ人への手紙

1〔皆さん、わたしたちは、〕このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、2信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。3あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。
 
4あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。

() 1おびただしい証人の群れ……神の約束の実現を待ち望み、信仰によって歩んだ旧約時代の人々のこと。

() 2信仰の創始者また完成者……「創始者(アルケーゴス)」には「導きて」と「草分け」の両方の意味がある。イエスによって神への道が開かれ、イエスとともに神のもとに行く約束が成就することを示す。

 

 

 〔先週の福音の続き。厳しいことばは、今が決定的な決断の時であることを表している。〕

福音朗読        ルカによる福音書

わたしが平和をもたらすために来たと思うのか。

そうではない。むしろ分裂だ。

(12章49-53節)

ルカによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕49「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。50しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。51あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。52今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。

53父は子と、子は父と、
 母は娘と、娘は母と、
 しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
 対立して分かれる。」

()49……はっきりとした意味は不明だが、聖霊との関連が考えられる(ルカによる福音書31617節、使徒言行録23節参照)。

()50洗礼……ここでは受難と死(さらに復活)を指す。

()51平和……ここでいう平和は、単に平穏無事な状態のことである。

()  むしろ分裂だ……イエスのメッセージは人々に神の国を受け入れるか否かの決断を迫るので、必然的に分裂が起こるということ。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2016814より)

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