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2016年12月16日 (金)

2016年12月18日の「聖書と典礼」

1218() 待降節第4主日 (A年)

マリアは男の子を生む。その子をイエスと名付けなさい。

(マタイによる福音書121節より)

 

 〔アラムと北イスラエルが同盟して、南のユダ王国に攻撃をしかけたときのこと。動揺したアハズ王に対して主への信頼が求められる。〕

第一朗読         イザヤの預言

見よ、おとめが身ごもって、男の子を産む。

(7章1014節)

イザヤの預言

 10〔その日、〕主は更にアハズに向かって言われた。11「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」
12しかし、アハズは言った。
 「わたしは求めない。
 主を試すようなことはしない。」
13イザヤは言った。
 「ダビデの家よ聞け。
 あなたたちは人間に
 もどかしい思いをさせるだけでは足りず
 わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。
 
14それゆえ、わたしの主が御自ら
 あなたたちにしるしを与えられる。
 見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
 その名をインマヌエルと呼ぶ。」
 

(註)10アハズ……前8世紀後半のユダ王国の王。アッシリア帝国に従属する道を選んだ。

(註)12求めない……ここでは、神の助けを信じないで人間的な判断だけで、行動しようという態度の表れである。

(註)14見よ、おとめが~……きょうの福音で、イエスの誕生を預言するものとされていることば(23節)。

(註) インマヌエル……「神はわれわれと共におられる」という意味。

 

 〔パウロが、これから訪れようとするローマのキリスト者にあてて書いた手紙のあいさつの部分。この中でパウロはキリストの本質を語る。

第二朗読      ローマの信徒への手紙

イエス・キリストはダビデの子孫から生まれ、神の子と定められた。

(1章17節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

 1キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、〔兄弟の皆さんへ。〕――2この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、3御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、4聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。5わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。6この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。――7神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

(註) 3肉によれば……次節の「聖なる霊によれば」と対比されている。ここでは「弱く滅びゆく人間としては」という意味。

(註) ダビデの子孫……マタイによる福音11節、ルカによる福音127節参照。

(註) 7聖なる者……洗礼によってキリスト者が神のものとなったことを表す表現。

 

 〔イエスの誕生は、ルカ福音書ではマリアに対して告げられるが、マタイ福音書ではヨセフへのお告げが伝えられていて、イエスがダビデの子孫として生まれたことの次第を明らかにする。〕

福音朗読        マタイによる福音書

イエスは、ダビデの子ヨセフのいいなずけであるマリアから生まれる。

(1章1824節)

マタイによる福音

18イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。19夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。20このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。21マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」22このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
 
23「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
  その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
24ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ〔た。〕

(註)19正しい人であったので~……ヨセフがマリアを信じていたとすれば、この受胎に神の力の介入を感じ、畏れて身を引いたと言えるであろう。

(註)21イエス……ヘブライ語では「ヨシュア」。「主は救う」という意味がある。

(註)23見よ、おとめが~……イザヤ書714節引用(第1朗読参照)。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20161218 より)

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