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2017年3月 6日 (月)

2017年 3月 5日の「聖書と典礼」

2017年 3月 5日の「聖書と典礼」

四旬節第1主日 (A年)

実にアダムは、来たるべき方を前もって表す者だったのです。

(ローマの信徒への手紙 5章14節より)

 

 〔四旬節の主日のミサの第1朗読は旧約の救いの歴史を回顧していく。今年(典礼暦A年)はその始まりである創造の場面が読まれる。創世記2章は人の創造を中心に神の創造の業が述べられ、3章で最初の人間の罪が語られる。〕

第一朗読           創世記

人間の創造と罪。

(2章79節、3章17節)

創世記

27主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。8主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。9主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
31主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。
 「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
2女は蛇に答えた。
 「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。
3でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
4蛇は女に言った。
 「決して死ぬことはない。
5それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
6女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。7二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。 

(註)27アダマ アダム・・・・・・「アダム」は「人」を指す普通名詞であるが、最初の人間をも指す(第2朗読参照)。人は、神によって生かされており、神から離れれば土の塵に帰っていくしかないという人間観が表れている。括弧内はヘブライ語の語呂合わせを表しているので、朗読するときは省いてもよい。

(註) 命の息……神の霊(聖霊)を思わせる表現。

(註) 8エデン……実在の地名ではない。

(註) 31……悪い者、誘惑するもののシンボル。

 

 〔パウロはキリスト・イエスによる救いがすべての人に及ぶことを、最初の人アダムとの対比によって示そうとする。〕

第二朗読      ローマの信徒への手紙

罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれた(20節)。

(5章1219節、 または 5章12節、1719節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

12〔皆さん、〕一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。
13律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。14しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。
15しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。16この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。
17一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。18そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。19一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。

(註)12一人の人……最初の人間(アダム)のこと。

(註) 罪のよって死が入り込んだ……罪とは神と離れることであり、神から離れたところに命はない。

(註)14前もって表す人……アダムとキリストは罪と義という点では正反対であるが、一人の人間でありながら、すべての人の救いの状態を左右する存在であるという意味で共通するものがある。パウロはキリストを「最後のアダム」(一コリントの信徒への手紙1545節)とも呼んである。

 

 〔イエスが宣教活動を始める前の荒れ野での出来事が、毎年四旬節第一主日に読まれる。この「四十日間」が四旬節の原型である。〕

福音朗読       マタイによる福音書

イエスは四十日間断食をした後、誘惑を受けた。

(4章111節)

マタイによる福音

 1〔そのとき、〕イエスは悪魔から誘惑を受けるため、に導かれて荒れ野に行かれた。2そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。3すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」4イエスはお答えになった。
 「『人はパンだけで生きるものではない。
 神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』
と書いてある。」
5次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、6言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。
 『神があなたのために天使たちに命じると、
 あなたの足が石に打ち当たることのないように、
 天使たちは手であなたを支える』
と書いてある。」
7イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。8更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、9「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。10すると、イエスは言われた。「退け、サタン。
 『あなたの神である主を拝み、
 ただ主に仕えよ』
と書いてある。」
11そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。

(註) 1“霊”……神の霊を意味する。この誘惑も神の計画の中にあった。

(註) 2四十日間……聖書の中で40という数は、試練や苦しみのシンボルである。

(註) 3誘惑する者……悪魔のこと。

(註) 4人はパンだけで~……申命記83節の引用。イエスの答えはいずれも申命記の引用であり、イスラエルの四十日間の荒れ野の旅と関連している個所である。

(註) 5聖なる都……エルサレムのこと。十字架の場面を思わせる。次節のことばはマタイによる福音2740節に似ている。

(註) 6神があなたのために~……詩編911112節。

(註) 7あなたの神である主を試して~……申命記616節。

(註)10あなたの神である主を拝み~……申命記613節。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017 3 5より)

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