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2017年3月31日 (金)

神戸地区中ブロック(鈴蘭台・たかとり・兵庫教会)の4月のミサの予定

~~~神戸地区中ブロック~~~

(鈴蘭台教会・たかとり教会・兵庫教会)

2017年 4月のミサの予定

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神戸地区中ブロック(鈴蘭台・たかとり・兵庫教会)の4月の講座予定

~~~神戸地区中ブロック~~~

(鈴蘭台教会・たかとり教会・兵庫教会)

2017年 4月の講座の予定

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2017年 4月2日の「聖書と典礼」

2017年 4月2日の「聖書と典礼」

四旬節第5主日 (A年)

わたしを信じる者は、死んでも生きる。

(ヨハネによる福音書1125節より)

 

 〔バビロン捕囚の時代、預言者エゼキエルは枯れた骨が復活する幻を見る(37110)。それはイスラエルの民の復興を告げるものであった。〕

第一朗読        エゼキエルの預言

わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。

(37章1214節)

エゼキエルの預言

12主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。13わたしが墓を開いて、お前たちを墓から引き上げるとき、わが民よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。14また、わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。わたしはお前たちを自分の土地に住まわせる。そのとき、お前たちは主であるわたしがこれを語り、行ったことを知るようになる。 

 

 〔「キリスト・イエスによって命をもたらせ霊の法則が、罪と死の法則からあなたを開放した」(ローマの信徒への手紙82)と述べたパウロは、霊による命への希望を力強く語る。〕

第二朗読      ローマの信徒への手紙

イエスを死者の中から復活させた方の霊が、

あなたがたの内に宿っている。 

(8章811節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

 8〔皆さん、〕肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。9神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。10キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、は義によって命となっています。11もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。

(註) 8肉の支配下……神から離れた人間の罪深い状態を表すことば。これに対して「霊の支配下」は、神によって生きることを示している。

 

 〔ヨハネ福音書の中でイエスが行った最後の奇跡であり、死から命へ向かう希望が告げられる。「復活であり、命である」キリストへの信仰を深めるように促す洗礼志願者のための伝統的な朗読個所。〕

福音朗読        ヨハネによる福音書 

わたしは復活であり、命である。

(11章145節 または 11章37節、17節、2027節、

33b45節)

ヨハネによる福音

 〔そのとき、〕
1ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。2このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。
3〔そのとき、ラザロの〕姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。4イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」5イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。6ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。7それから、弟子たちに言われた。「もう一度、ユダヤに行こう。」
8弟子たちは言った。「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか。」9イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。10しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」11こうお話しになり、また、その後で言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」12弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。13イエスはラザロの死について話されたのだが、弟子たちは、ただ眠りについて話されたものと思ったのである。14そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。15わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」16すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。
17さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。
ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった。マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。
20マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。21マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。22しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」23イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。25イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。26生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」27マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」
 
28マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。29マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った。30イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。31家の中でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、後を追った。32マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。33イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、
33b〔イエスは〕心に憤りを覚え、興奮して、34言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。35イエスは涙を流された。36ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。37しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。
38イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。39イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。40イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。41人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。42わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」43こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。44すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。
 
45マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。

(註) 3姉妹たち……ラザロのその姉妹マルタとマリアはエルサレムの近くにあるベタニアに住んでいた。

(註) 6同じところ……このとき、イエスはヨルダン川の向こう側に滞在していた(1040)

(註)17四日も……死者の魂は、死後三日間は墓のまわりにいるが、四日目には完全に肉体から離れると考えられていた、といわれる。

(註)33心に憤りを覚え……ここで用いられている言葉は、激しい感情の動きを表す言葉であるが、その感情が憤りであるとすれば、ラザロを死に追いやった悪の力(悪霊)に対する憤りということになろう(38節にも同じ言葉が使われている)

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201742より)

2017年3月24日 (金)

2017年 3月26日の「聖書と典礼」

2017年 3月26日の「聖書と典礼」

四旬節第4主日 (A年)

人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。

(サムエル記上167節より)

 

 〔イスラエルの初代の王サウルが神によって退けられることになり、預言者サムエルは、新たに王となるべき人を捜しに出かける。〕

第一朗読         サムエル記(上)

ダビデはイスラエルの王として油を注がれる。

(16章1節b、67節、1013節a)

サムエル記

 〔その日、主はサムエルに言われた。〕1b「角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした。」
6彼らがやって来ると、サムエルはエリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だ、と思った。7しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」
10エッサイは七人の息子にサムエルの前を通らせたが、サムエルは彼に言った。「主はこれらの者をお選びにならない。」11サムエルはエッサイに尋ねた。「あなたの息子はこれだけですか。」「末の子が残っていますが、今、羊の番をしています」とエッサイが答えると、サムエルは言った。「人をやって、彼を連れて来させてください。その子がここに来ないうちは、食卓には着きません。」12エッサイは人をやって、その子を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。」13aサムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。

(註) 6油を注がれる者……古くから、油は食用・薬用として広く用いられたが、特に王の即位の時に用いられて、その人が神によって特別な使命を与えられ、聖霊に満たされることを表した。

(註) 7見る……神によってサムエルの目が開かれていくテーマは、きょうの福音に通じるものを感じさせる。

 

 〔キリストによる救いを受けたものが、以前の欲望のままに生きるのではなく、愛に根ざして生きるべきことをパウロは力説する。〕

第二朗読     エフェソの信徒への手紙

死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。

(5章814節)

使徒パウロのエフェソの教会への手紙

                             

8〔皆さん、〕あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。9――光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。――10何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。11実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。12彼らがひそかに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。13しかし、すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。14明らかにされるものはみな、光となるのです。それで、こう言われています。
 「眠りについている者、起きよ。
 死者の中から立ち上がれ。
 そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」

(註)11暗闇の業……悪霊に従い、肉の欲望のままに生活すること(223節参照)

(註)14眠りについている者~……この詩は、おそらく初代教会の洗礼式のときの賛歌を引用したものであろう。

 

 〔洗礼志願者を闇から光へと招き入れる伝統的な朗読個所。古代の教父たちもこの盲人を洗礼志願者にあてはめている。〕

福音朗読      ヨハネによる福音書

生まれつき目の見えない人は行って洗い、

目が見えるようになって、帰ってきた。

(9章141節、または、9章1節、69節、1317節、3438節、)

ヨハネによる福音

 1〔そのとき、〕イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
2弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」3イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。4わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。5わたしは、世にいる間、世の光である。」6こう言ってから、
6イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。7そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。8近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。9「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。
そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と言った。
13人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。14イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。15そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」16ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。17そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。
 
18それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、19尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」20両親は答えて言った。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。21しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう。」22両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。23両親が、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と言ったのは、そのためである。
24さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」25彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」26すると、彼らは言った。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」27彼は答えた。「もうお話ししたのに、聞いてくださいませんでした。なぜまた、聞こうとなさるのですか。あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか。」28そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。29我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」30彼は答えて言った。「あの方がどこから来られたか、あなたがたがご存じないとは、実に不思議です。あの方は、わたしの目を開けてくださったのに。31神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。32生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。33あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」
34彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。
35イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。36彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」37イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」38彼〔は、〕「主よ、信じます」と言って、ひざまず〔いた。〕
39イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」
40イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。41イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」

(註) 7シロアムの池……エルサレムに引いた用水を溜めていた池。ここでは「シロアム」が「遣わされた者」と解されているが、語源的にははっきりしない。しかし、イエスが神から遣わされた者であること、あるいはこの盲人が遣わされた者になっていくことが象徴的に表されている。

(註)14安息日……安息日には労働が禁じられていたが、ファリサイ派の考えによれば、「土をこねること」もその労働の中に含まれていた。

(註)1833……人々は盲人の両親を尋問し、さらに再び盲人を尋問する。その中で彼は、イエスが神から来られた方であると証言する。

(註)34罪の中に……病気や体の障害は、罪の結果と考えられた(92節参照)。

(註) 外に追い出した……この福音書が書かれた時代には、すでにキリスト者はユダヤ教の会堂から追放されていた。この個所にはそれが反映しているのであろう。

(註)35人の子……ヨハネ福音書では、特に十字架を通って天に上げられるイエス自身を指す(31415節参照)。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017 326より)

2017年3月17日 (金)

2017年 3月19日の「聖書と典礼」

2017年 3月19日の「聖書と典礼」

四旬節第3主日 (A年)

わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。

(ヨハネによる福音書414節より)

 

 〔エジプトから解放された民を待ち受けていたのは、厳しい荒れ野の自然だった。〕

第一朗読          出エジプト記

「我々に飲み水を与えよ」

(17章2節)

出エジプト記

3〔その日、〕民は喉が渇いてしかたないので、モーセに向かって不平を述べた。
 「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。」
 
4モーセは主に、「わたしはこの民をどうすればよいのですか。彼らは今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」と叫ぶと、

 5主はモーセに言われた。
 「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。
6見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。」
 モーセは、イスラエルの長老たちの目の前でそのとおりにした。
7彼は、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。イスラエルの人々が、「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と言って、モーセと争い、主を試したからである。 

(註) 6ホレブ……シナイ山のこと。

(註)  岩……ユダヤ教の伝承では、この岩は荒れ野の旅の間、ずっと民についてきたと考えられたが、パウロはこの「霊的な岩」とはキリストのことだと言う(一コリントの信徒への手紙104節参照)。

 

  〔すべての人が罪びとであることを述べた(ローマの信徒への手紙3920節)パウロは、キリストによって罪びとである人間にもたらされた救いを力強く語る。〕

第二朗読      ローマの信徒への手紙

わたしたちに与えられた聖霊によって、

神の愛がわたしたちに注がれている。

(5章12節、58節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

1〔皆さん、〕わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、2このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
 5希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。6実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。7正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。8しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

(註) 5聖霊によって……ここでは、洗礼のときに聖霊が注がれたことが考えられているのであろう(使徒言行録238節、一コリントの信徒への手紙1213節参照)。

 

 〔四旬節A年の第三~第五主日の福音朗読は伝統的な洗礼志願者のための朗読個所が読まれる。これらの箇所は、洗礼志願者をキリストへの深い信仰に導くものである。〕

福音朗読     ヨハネによる福音書

永遠の命に至る水がわき出る。

(4章542節 または 4章515節、

19b26節、39節a、4042節)

ヨハネによる福音

 5〔そのとき、イエスは、〕ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。6そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。
 
7サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。8弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。9すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。10イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」11女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。12あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」13イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。14しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」15女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」
 イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」女は言った。「主よ、」
19b「あなたは預言者だとお見受けします。20わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」21イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。22あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。23しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。24神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」25女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」26イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」
 ちょうどそのとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話をしておられるのに驚いた。しかし、「何か御用ですか」とか、「何をこの人と話しておられるのですか」と言う者はいなかった。女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。
 その間に、弟子たちが「ラビ、食事をどうぞ」と勧めると、イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。そこで、『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」

39aさて、その町の多くのサマリア人は、
 「この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、
イエスを信じた。
40そこで、このサマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところにとどまるようにと頼んだ。イエスは、二日間そこに滞在された。41そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。42彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」

(註) 5ヤコブが~……ヨセフの子孫マナセとエフライムに与えられた土地がサマリア地方にあたり、その中心がシケムであった。シカルはシケムの廃墟の近くの町。

(註) サマリア……ユダヤ人とサマリア人は共通の祖先を持つが、イエスの時代には反目し合っていた。

(註)14私が与える水……ヨハネ福音書は水と聖霊を結び付けている(ヨハネ福音書73739節参照)が、ここではキリストの命のことばのシンボルとも考えられる。

(註)20この山……ヤコブの井戸の南西に、サマリア人の聖所であるゲリジム山(標高881メートル)があった。

(註)22あなたがたは知らないものを~……ここでイエスは啓示を受けた民としてのユダヤ人の優位を認めている。

(註)23霊と真理をもって……「霊」は人を新たに生まれさせる神の力(ヨハネ福音書358節参照)であり、「真理」とは、イエスによって神がご自身を現されることであると言えよう。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017 319より)

2017年3月10日 (金)

2017年 3月12日の「聖書と典礼」

2017年 3月12日の「聖書と典礼」

四旬節第2主日 (A年)

これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け。

(マタイ福音書175節より)

 

  〔四旬節主日のミサの第1朗読は旧約の救いの歴史を回顧していくが、第二主日には毎年、アブラハムの出来事が読まれる。今年の箇所はアブラハムの選びを述べる。この時、アブラハムは七十五歳であった。〕

第一朗読            創世記

神の民の先祖アブラハムの召命。

(12章14節a)

創世記

1〔その日、〕
主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷
父の家を離れて
わたしが示す地に行きなさい。

2わたしはあなたを大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める
祝福の源となるように。

3あなたを祝福する人をわたしは祝福し
あなたを呪う者をわたしは呪う。
地上の氏族はすべて
あなたによって祝福に入る。」

4aアブラムは、主の言葉に従って旅立った。

(註) 1アブラム……後に神によって「アブラハム(多くの国民の父)」と呼ばれるようになる(創世記175節参照)。

(註) 生まれ故郷……アブラムはカルデアのウル(ユーフラテス川の下流)で生まれ、父テラに連れられてハラン(ユーフラテス川を八百キロほど遡ったところ)に来て、そこに住んでいた(創世記1131節参照)。

(註) わたしが示す地……カナンの地のこと。ハランから南西に数百キロの距離。

(註) 3地上の氏族はすべて~……アブラハムとその子孫を選んだ神の救いの計画の目的はすべての人に祝福をもたらすことである。

(註) 4主の言葉に従って……アブラハムの信仰をよく表していることば。福音朗読の「これに聞け」(5節)につながっていく。

 

 〔この手紙がどの時期に書かれたかははっきりしない。手紙の内容からするとパウロが「主の囚人」として獄中におり(18a29節)、間近に迫る死を覚悟しながら(468節参照)愛する弟子に書き送ったことばということになる。〕

第二朗読 (ニ)テモテへの手紙

神はわたしたちを招き、照らしてくださる。

(1章8b10節)

使徒パウロのテモテへの手紙

8b〔愛する者よ、〕神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。9神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられ、10今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。

(註) 8苦しみ……パウロはこの時、ローマで獄中にいた。

(註) 9聖なる招き……ここではキリスト者としての招きのことを言っている。教会(エクレーシア)とは、この招き(クレーシス)を受けた人々の集まりである。なお、この「招き」というテーマは、第一朗読のアブラムの召し出しや、福音の中での弟子たちの招きとつながっている。

 

 〔最初の受難予告があってから六日目の出来事。四旬節第二主日にはいつもこの変容の出来事が読まれる。この出来事は、十字架を通って栄光に至るイエスの道に弟子たちを招くものであった。〕

福音朗読        マタイによる福音書

イエスの顔は太陽のように輝いた。

(17章19節)

マタイによる福音

1〔そのとき、〕イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。2イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。3見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。

4ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」5ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。6弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。7イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」8彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
9一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。

(註) 3モーセとエリヤ……モーセは律法を、エリヤは預言者を代表する人物。「律法と預言者」で、旧約聖書全体を現した。

(註) 4仮小屋……幕屋を意味することば。ペトロはこの素晴らしい光景が消えてしまうことを惜しんで、彼らの住まいを建てようとした。

(註) 5……目には見えないが神がそこにおられるというしるし(出エジプト記403438節など参照)。

(註) これはわたしの愛する子~……ヨルダン川での洗礼の時も同じ声が聞こえた(マタイ福音書317節参照)。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017 312より)

2017年3月 6日 (月)

2017年 3月 5日の「聖書と典礼」

2017年 3月 5日の「聖書と典礼」

四旬節第1主日 (A年)

実にアダムは、来たるべき方を前もって表す者だったのです。

(ローマの信徒への手紙 5章14節より)

 

 〔四旬節の主日のミサの第1朗読は旧約の救いの歴史を回顧していく。今年(典礼暦A年)はその始まりである創造の場面が読まれる。創世記2章は人の創造を中心に神の創造の業が述べられ、3章で最初の人間の罪が語られる。〕

第一朗読           創世記

人間の創造と罪。

(2章79節、3章17節)

創世記

27主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。8主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。9主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
31主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。
 「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
2女は蛇に答えた。
 「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。
3でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
4蛇は女に言った。
 「決して死ぬことはない。
5それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
6女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。7二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。 

(註)27アダマ アダム・・・・・・「アダム」は「人」を指す普通名詞であるが、最初の人間をも指す(第2朗読参照)。人は、神によって生かされており、神から離れれば土の塵に帰っていくしかないという人間観が表れている。括弧内はヘブライ語の語呂合わせを表しているので、朗読するときは省いてもよい。

(註) 命の息……神の霊(聖霊)を思わせる表現。

(註) 8エデン……実在の地名ではない。

(註) 31……悪い者、誘惑するもののシンボル。

 

 〔パウロはキリスト・イエスによる救いがすべての人に及ぶことを、最初の人アダムとの対比によって示そうとする。〕

第二朗読      ローマの信徒への手紙

罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれた(20節)。

(5章1219節、 または 5章12節、1719節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

12〔皆さん、〕一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。
13律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。14しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。
15しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。16この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。
17一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。18そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。19一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。

(註)12一人の人……最初の人間(アダム)のこと。

(註) 罪のよって死が入り込んだ……罪とは神と離れることであり、神から離れたところに命はない。

(註)14前もって表す人……アダムとキリストは罪と義という点では正反対であるが、一人の人間でありながら、すべての人の救いの状態を左右する存在であるという意味で共通するものがある。パウロはキリストを「最後のアダム」(一コリントの信徒への手紙1545節)とも呼んである。

 

 〔イエスが宣教活動を始める前の荒れ野での出来事が、毎年四旬節第一主日に読まれる。この「四十日間」が四旬節の原型である。〕

福音朗読       マタイによる福音書

イエスは四十日間断食をした後、誘惑を受けた。

(4章111節)

マタイによる福音

 1〔そのとき、〕イエスは悪魔から誘惑を受けるため、に導かれて荒れ野に行かれた。2そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。3すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」4イエスはお答えになった。
 「『人はパンだけで生きるものではない。
 神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』
と書いてある。」
5次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、6言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。
 『神があなたのために天使たちに命じると、
 あなたの足が石に打ち当たることのないように、
 天使たちは手であなたを支える』
と書いてある。」
7イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。8更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、9「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。10すると、イエスは言われた。「退け、サタン。
 『あなたの神である主を拝み、
 ただ主に仕えよ』
と書いてある。」
11そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。

(註) 1“霊”……神の霊を意味する。この誘惑も神の計画の中にあった。

(註) 2四十日間……聖書の中で40という数は、試練や苦しみのシンボルである。

(註) 3誘惑する者……悪魔のこと。

(註) 4人はパンだけで~……申命記83節の引用。イエスの答えはいずれも申命記の引用であり、イスラエルの四十日間の荒れ野の旅と関連している個所である。

(註) 5聖なる都……エルサレムのこと。十字架の場面を思わせる。次節のことばはマタイによる福音2740節に似ている。

(註) 6神があなたのために~……詩編911112節。

(註) 7あなたの神である主を試して~……申命記616節。

(註)10あなたの神である主を拝み~……申命記613節。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017 3 5より)

2017年3月 3日 (金)

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