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2017年4月 7日 (金)

2017年 4月9日の「聖書と典礼」

2017年 4月9日の「聖書と典礼」

受難の主日(枝の主日) (A年)

「本当に、この人は神の子だった。」

(マタイ福音書27章54節より)

 

 〔マタイ福音書ではすでに三度受難が予告され、イエスのとってエルサレムは受難の地であることが、はっきりと示されていた(マタイ福音書16章21節、20章18節参照)。〕

入城の福音    マタイによる福音書

主の名によって来られる方に、祝福があるように。

(21章111節)

マタイによる福音

 1〔イエスの〕一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、2言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。3もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」4それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
 5「シオンの娘に告げよ。
 『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、
 柔和な方で、ろばに乗り、
 荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
6
弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、7ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。8大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。9そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。
 「ダビデの子にホサナ。
 主の名によって来られる方に、祝福があるように。
 いと高きところにホサナ。」
10
イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ。11そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言った。

(註) 2一緒に小ろばの……5節で引用されるゼカリア書99節のギリシア語訳に基づいて「小ろば」というが、もとは「ろばの子であるろば」となっている。ゼカリア書によれば、ろばは、貧しさ(へりくだり、柔和)と平和のシンボルである(ゼカリア書9910節参照)。

(註) 5シオンの娘に~……ゼカリア書99節のギリシア語訳の引用。「シオンの娘」はエルサレムの町とその住民を指す。

(註) 9ホサナ……本来は「ああ救いたまえ」という意味だが、歓呼の叫びにもなった。仮庵祭の行列のとき、枝を携えた人々によって詩編11825節のホサナが唱えられた。「主の名によって来られる方に、祝福があるように」も同じ詩編の26節のことばである。

 

 〔イザヤ書4055章は第二イザヤと呼ばれる捕囚時代(紀元前六世紀)の預言。その中に「主の僕の歌」と呼ばれるものが四つあり(4214節、4916節、5049節、5213節~5312節)、この個所はその第三のもの。この「僕」は、預言者自身のようでもあり、来たるべきメシアのようでもあるが、何よりもイエス・キリスト(特にその受難)の姿を思わせる。〕

第一朗読       イザヤ書

わたしは顔を隠さずに、嘲りを受けた。

しかし、わたしは知っている。

わたしが辱められることはない、と(主の僕第三の歌)。

(50章47節)

イザヤの預言

4主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え
疲れた人を励ますように
言葉を呼び覚ましてくださる。
朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし
弟子として聞き従うようにしてくださる。
5主なる神はわたしの耳を開かれた。
わたしは逆らわず、退かなかった。
6打とうとする者には背中をまかせ
ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。
7主なる神が助けてくださるから
わたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。
わたしは知っている
わたしが辱められることはない、と。

(註) 4弟子としての舌を……僕の使命は、言葉を通してなされる預言者的なものである。

(註) 6打とうとする者には~……僕の苦難については第四の歌に詳しい(5213節以下)。

(註) 7顔を硬い石のように……迫害に屈服しないさまを表す。

 

 〔互いに愛し合い、へりくだることを命じるパウロは、キリストの模範を思い起こさせる。この個所は、初代教会のキリスト賛歌が引用されていると考えられている。〕

第二朗読    フィリピの信徒への手紙 

神は、へりくだったキリストを高くあげられた。

(2章611節)

使徒パウロのフィリピの教会への手紙

 〔イエス・〕キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。

(註) 6身分……この言葉(モルフェー)の本来の意味は「形、姿」だが、外観のみならず内容・実質をも意味する。7節の「身分」も同じ語。7節で「姿」と訳された語(スケーマ)は外にあらわれた形、形状を指す。

(註) 8十字架の死に至るまで……この言葉は、パウロが元の賛歌に加えたものと考えられる。

 

受難の朗読について――受難の朗読は、古くから聖金曜日の主の受難の記念祭儀に行われていた。きょうの主日にも受難朗読をするのは、主日ごとにキリストの生涯の主な出来事を記念していくためである。現在の朗読配分では、毎年聖金曜日にヨハネ福音書が読まれ、他の福音書は受難の主日に三年周期で読まれる。

 受難朗読は福音朗読の中でも最も重要なもので、特別に長い朗読になっている。ここに掲載されていない長い形(マタイ福音書26142766節)は、ユダの裏切り、最後の晩餐から始まり、イエスの遺体が墓に納められるところまで続く。

 なお、伝統的に役割を分担して朗読するようになっているのは、キリストの受難の出来事をより生き生きと再現するためである。

 

 〔逮捕されたイエスはユダヤの最高法院で裁かれたが、イエスを死刑にするためにローマ総督の判決が必要だった。〕

受難の朗読    マタイによる福音書

主イエス・キリストの受難。

(27章1154節)

マタイによる主イエス・キリストの受難

                                                                                                                                                                                                                                               
 

 
 

11〔そのとき、〕イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに尋問した。

 
 

 
 

「お前がユダヤ人の王なのか。」

 
 

 
 

イエスは言われた。

 
 

 
 

「それは、あなたが言っていることです。」

 
 

 
 

12祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。すると13ピラトは言った。

 
 

 
 

「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか。」

 
 

 
 

14それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。15ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。16そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。17ピラトは、人々が集まって来たときに言った。

 
 

 
 

「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」

 
 

 
 

18人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。19一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。

 
 

 
 

「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」

 
 

 
 

20しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。21そこで、総督が言った。

 
 

 
 

「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか。」

 
 

 
 

人々は言った。

 
 

 
 

「バラバを。」

 
 

 
 

22ピラトが言った。

 
 

 
 

「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか。」

 
 

 
 

皆は言った。

 
 

 
 

「十字架につけろ。」

 
 

 
 

23ピラトは言った。

 
 

 
 

「いったいどんな悪事を働いたというのか。」

 
 

 
 

群衆はますます激しく叫び続けた。

 
 

 
 

「十字架につけろ。」

 
 

 
 

24ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。

 
 

 
 

「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」

 
 

 
 

25民はこぞって答えた。

 
 

 
 

「その血の責任は、我々と子孫にある。」

 
 

 
 

26そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。27それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。28そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、29茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、侮辱して言った。

 
 

 
 

「ユダヤ人の王、万歳。」

 
 

 
 

30また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。31このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。
 
32兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。33そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、34苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。35彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、36そこに座って見張りをしていた。37イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。38折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。39そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、40言った。

 
 

 
 

「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」

 
 

 
 

41同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。

 
 

 
 

42「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。43神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」

 
 

 
 

44一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
 
45さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。46三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。

 
 

 
 

「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」

 
 

 
 

これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。47そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、

 
 

 
 

「この人はエリヤを呼んでいる」

 
 

 
 

と言う者もいた。48そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。49ほかの人々は言った。

 
 

 
 

「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう。」

 
 

 
 

50しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。
 
(頭を下げて、しばらく沈黙のうちに祈る)
 
51そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、52墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。53そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。54百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、言った。

 
 

 
 

「本当に、この人は神の子だった。」

 


(註)11総督……紀元2636年、ユダヤ、サマリア、イドマヤの総督で     

          あったピラト。

(註) ユダヤ人の王……当時のユダヤはローマ帝国の直轄領であり、「ユダヤ人の王」を自称することはローマ帝国の対する反逆罪となった。

(註) それは、あなたが~……はっきりした肯定でも否定でもない言い方である。

(註)17バラバ・イエス……「イエス」という名はユダヤでは珍しくない。ルカによればこの男バラバは、「都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていた」(ルカ福音書2319節)。

(註)19妻から伝言が~……この伝言のことはマタイだけが伝えている。

(註)22十字架……ローマの死刑の中でも特に残虐な処刑方法であり、ローマの市民権を持つ者には適用されなかった。植民地の、特にローマに対する反逆者に適用され、見せしめとしての性格を持っていた。

(註)24-25水を持って来させ~……このやり取りもマタイにしかないが、イエスを十字架に追いやったユダヤ人のかたくなさ強調されている。ここには、キリストを受け入れないマタイの時代のユダヤ人への警告の意味があるのだろう。

(註)28赤い外套……王が身にまとうものである。

(註)32キレネ……ギリシアの対岸にあたる北アフリカの都市。

(註)34苦い者を混ぜたぶどう酒……麻酔薬としての効果があり、苦しみをやわらげる。

(註)35くじを引いてその服を分け合い……詩編2219節(きょうの答唱詩編)参照。

(註)39頭を振りながら……詩編228節参照。

(註)40神殿を打ち倒し、三日で建てる……イエスはこのように言ったとして最高法院で訴えられていた(マタイ福音書2661節、ヨハネ福音書219節参照)。

(註)43神に頼っているが~……詩編229節参照。

(註)46エリ、エリ~……詩編22章の冒頭のことば。この詩編については答唱詩編の脚注参照。マタイはマルコよりもヘブライ語に近い形で伝えている。

(註)47エリヤ……紀元前九世紀に活躍した預言者。死なずに天に上げられたとされている(列王記下2章参照)。

(註)48酸いぶどう酒……気付け薬のようなもので、朦朧としてくる意識をはっきりさせる(詩編6922節参照)。

(註)51神殿の垂れ幕が~真っ二つに裂け……神と人とを隔てていたものが取り払われることを意味する。

(註)51-53地震が起こり~人々に現れた……このことはマタイだけが伝えている。マタイはここで、イエスの復活が多くの人の復活の先駆けとしての意味を持つことを示している。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201749より)

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