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2017年4月28日 (金)

2017年 4月30日の「聖書と典礼」

2017年 4月30日の「聖書と典礼」

復活節第3主日

パンを裂くと、彼らはイエスだと分かった。

(福音朗読主題句 ルカによる福音書243031節より)

 

 過越祭に始まる七週間の祭の期間の終わりに、エルサレムには多くの巡礼者が集まっていた。聖霊に満たされた使徒たちはこの人々に向けて、さまざまな国のことばで、イエスを通してなされた神の偉大な業を語りはじめた。〕

第一朗読          使徒言行録

イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、

ありえなかった。

(2章14節、2233節)

使徒たちの宣教

14〔五旬祭の日、〕ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。22ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。23このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。24しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。25ダビデは、イエスについてこう言っています。
 『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。
 主がわたしの右におられるので、
 わたしは決して動揺しない。
 
26だから、わたしの心は楽しみ、
 舌は喜びたたえる。
 体も希望のうちに生きるであろう。
 
27あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、
 あなたの聖なる者を
 朽ち果てるままにしておかれない。
 
28あなたは、命に至る道をわたしに示し、
 御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』
 
29兄弟たち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今でもわたしたちのところにあると、はっきり言えます。30ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。31そして、キリストの復活について前もって知り、
 『彼は陰府に捨てておかれず、
 その体は朽ち果てることがない』
と語りました。
32神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。33それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。」

(註)23律法を知らない者たち……ローマ人のこと。

(註)25-28わたしは、いつも~……詩編16811節の引用。ここでは七十人訳(旧約聖書の古代ギリシア語訳)から引用されている。この詩編の表題には「ダビデの歌」とあるが、ペトロは、この「わたし」をダビデの子孫であるイエス・キリストのことと解している(29節以下参照)。

(註)27あなたは、わたしの魂を~……新共同訳の詩編では、この部分は「あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく、あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず」(1610節)となっている。

 

 〔洗礼の恵みをいただいた人びとに対し、ペトロは神の聖性にあずかり、神を畏れ、互いに愛し合うよう勧告する。〕

第二朗読        一ペトロの手紙

あなたがたが贖われたのは、

汚れのない小羊のようなキリストの尊い血による。

(1章1721節)

使徒ペトロの手紙

17〔愛する皆さん、〕あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。18知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、19きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。20キリストは、天地創造の前からあらかじめ知られていましたが、この終わりの時代に、あなたがたのために現れてくださいました。21あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。

(註)18贖われた……「奴隷が解放される」というイメージ。

(註)19きずや汚れのない小羊……旧約のいけにえ(レビ記221925節)や過越しの子羊(出エジプト記125節)は、無傷であることが要求された。ここでは罪のないキリストの十字架の死を表すためにこう言われる。

(註)21神にかかっている……「神に基づく」と「神に向かっている」という両面が含まれている表現である。

 

 〔イエスが復活した日の夕方の出来事。イエスが聖書を解きあかし、パンを裂くことをとおして、この弟子たちは復活のイエスに出会う。ミサとのつながりを感じさせる個所であると言えよう。

福音朗読        ルカによる福音書

パンを裂くと、彼らはイエスだと分かった。

(24章1335節)

ルカによる福音

13この日、〔すなわち週の初めの日、〕二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、14この一切の出来事について話し合っていた。15話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。16しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。17イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。18その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」19イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。20それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。21わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。22ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、23遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。24仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」25そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、26メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」27そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。
28 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。29二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。30一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。31すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。32二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。33そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、34本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。35二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。

(註)13六十スタディオン……約11キロメートルの距離。

(註) エマオ……正確な位置は知られていない。

(註)21イスラエルを開放して……この弟子たちはメシアを政治的な解放者(地上の王)と考えていたようである。それゆえ、十字架の死をイエスの活動の失敗としか思えなかったのであろう。

(註)27モーセとすべての預言者から~……具体的な個所はあげられていないが、「苦しむメシア」ということは、イザヤ書53章の主の僕の姿の中にもっともはっきりと表れていると言えよう。

(註)30パンを取り~お渡しになった……これは五つのパンを大群衆に分けたときの動作であり、最後の晩さんでもイエスはこの動作を行った(ルカ書916節、2219節)。教会は今もこの動作をミサの中で繰り返している。

(註)34シモン……弟子のペトロのこと。(一コリントの信徒への手紙155節参照)。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017430より)

2017年4月22日 (土)

2017年 4月23日の「聖書と典礼」

2017年 4月23日の「聖書と典礼」

復活節第2主日(神にいつくしみの主日)

信じない者ではなく、信じるものになりなさい。

(ヨハネによる福音書2027節より)

 

 〔キリスト信者の共同体は、イエスの復活と聖霊降臨を体験した使徒たちを中心にエルサレムで誕生した。この個所は、その教会の最初期の様子を伝えている。〕

第一朗読          使徒言行録

信者たちは皆一つになって、すべてのものを共有にした。

(2章4247節)

使徒たちの宣教

42〔信者たちは、〕使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。43すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。44信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、45財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。46そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、47神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。 

(註)42パンを裂くこと……これはミサの最も古い呼び名の一つである。

(註)44-45すべてのものを共有にし~……使徒言行録43237節参照。

 

 〔今日から五週にわたって主日のミサの第二朗読(A年)では、ペトロの第一の手紙が読まれる。この手紙は、初代教会における洗礼式の説教が基になっていると言われる。この個所はその冒頭に部分で洗礼によってキリスト者が受けた喜びと希望を語る。〕

                             第二朗読        一ペトロの手紙

神はわたしたちを新たに生まれさせ、

死者の中からのイエス・キリストの復活によって、

生き生きとした希望を与えてくださる。

(1章39節)

使徒ペトロの手紙

 3わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、4また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。5あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。6それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、7あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。8あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。9それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。 

 

 

 〔ヨハネ福音書で、復活したイエスが最初に弟子たちに姿を現す個所。復活の日(つまり、ペトロたちが空の墓を見た日)の夕方の出来事と、それから一週間後の出来事。〕

福音朗読       ヨハネによる福音書

八日の後、イエスが来られた。

(20章1931節)

ヨハネによる福音

 19その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。20そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。21イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」22そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。23だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
 
24十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。25そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」26さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。27それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」28トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。29イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
 
30このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。31これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

(註)19週の初めの日……安息日の翌日で、今の日曜日にあたる。

(註) 平和があるように……ヨハネ福音書1427節で「平和を与える」と約束されていた。

(註)20手とわき腹……十字架に釘づけられた傷のある手、槍で刺し貫かれたわき腹。

(註)22息を吹きかけて……創世記27節参照。聖霊を与えることを表す動作。なお、聖霊を与えることも最後の晩さんの席で約束されていた(ヨハネ福音書141617節他)。

(註)23だれの罪でも~……マタイ福音書1619節、1818節参照。

(註)24ディディモ……ギリシア語で「双子」の意味。「トマス」はアラム語で、やはり「双子」を意味する。

(註)28わたしの主、わたしの神よ……詩編3523節参照。

(註)30-31このほかにも~……本来のヨハネ福音書の結びのことばと考えられている(21章は後で書き加えられた)。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017423より)

2017年4月15日 (土)

2017年 4月16日の「聖書と典礼」

2017年 4月16日の「聖書と典礼」

復活の主日

週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに……。

(ヨハネ福音書20章1節より)

 

 〔復活節の主日の第1朗読はいつも「使徒言行録」が読まれ、復活した主に力づけられ、聖霊に導かれた初代教会の姿が思い起こされる。毎年読まれるきょうの箇所は、ローマ軍の百人隊長であったコルネリウスから招待を受けたペトロが、イエス・キリストについて証言する個所。〕

第一朗読使徒言行録

イエスが死者の中から復活した後、

わたしたちはイエスと一緒に食事をした。

(10章34節a、3743節)

使徒たちの宣教

34a〔その日、〕ペトロは口を開きこう言った。37「あなたがたは〔このことを〕ご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。38つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。39わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、40神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。41しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。42そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。43また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」 

(註)38聖霊の力に~……ルカ福音書4章18節(イザヤ書61章1節)参照。

(註)41御一緒に食事をした……イエスが確かに生きていることを表すしるし。ルカ福音書24章43節、使徒言行録1章4節参照。

 

 〔洗礼によってキリストと共に死に、キリストと共に復活させられた(コロサイの信徒への手紙2章12節参照)キリスト者の新しい生き方と栄光が語られる。〕

第二朗読      コロサイの信徒への手紙

上にあるものを求めなさい。そこにはキリストがおられる。

(3章14節)

使徒パウロのコロサイの教会への手紙

1 〔皆さん、〕あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。2上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。3あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。4あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。

 

 

 

※第2朗読は一コリントの信徒への手紙5章6節b

読むこともできる。

                             第二朗読     (一)コリントの信徒への手紙

(5章6節b8節)

 

 

使徒パウロのコリントの教会への手紙

 

 〔皆さん、〕わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか。いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。

 

 

 

 〔イエスが十字架で死んでから三日目の早朝の出来事。〕

福音朗読       ヨハネによる福音書

イエスは死者の中から復活されることになっている。

(20章19節)

ヨハネによる福音

 

1 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。2そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」3そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。4二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。5身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。6続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。7イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。8それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。9イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。

(註) 1週の初めの日……安息日の翌日で、今の日曜日にあたる。

(註)  墓……墓は岩を掘った横穴で、その入り口は転がる石でふさぎ、死者の世界との境界を閉ざした。

(註) 2愛しておられたもう一人の弟子……ゼベダイの子ヨハネのこと。

(註) 5亜麻布……イエスの遺体を包んでいた布(19章40節参照)。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017416より)

2017年4月13日 (木)

2017年 4月16日の「聖書と典礼」

2017年 4月16日の「聖書と典礼」

復活の主日 復活の聖なる徹夜祭

 

第一朗読            創世記

(1章1節、2631節a)

創世記

 初めに、神は天地を創造された。
 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
 神は御自分にかたどって人を創造された。
 神にかたどって創造された。
 男と女に創造された。
 神は彼らを祝福して言われた。
 「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」
 そのようになった。神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。

 

                             

第二朗読            創世記

(22章118節)

創世記

 〔その日、〕神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。
 神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、
息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、
手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」
 アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
アブラハムはその場所を〔主は、備えてくださる(イルエ)〕と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。
 主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。御使いは言った。
 「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」

 

第三朗読          出エジプト 

(14章15節〜15章1節a)

出エジプト記

 〔その日、追い迫るエジプト軍を見て、イスラエルの人々が非常に恐れたとき、〕主はモーセに言われた。「なぜ、わたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい。杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。しかし、わたしはエジプト人の心をかたくなにするから、彼らはお前たちの後を追って来る。そのとき、わたしはファラオとその全軍、戦車と騎兵を破って栄光を現す。わたしがファラオとその戦車、騎兵を破って栄光を現すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」
 イスラエルの部隊に先立って進んでいた神の御使いは、移動して彼らの後ろを行き、彼らの前にあった雲の柱も移動して後ろに立ち、エジプトの陣とイスラエルの陣との間に入った。真っ黒な雲が立ちこめ、光が闇夜を貫いた。両軍は、一晩中、互いに近づくことはなかった。モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。エジプト軍は彼らを追い、ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく彼らに従って海の中に入って来た。朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された。戦車の車輪をはずし、進みにくくされた。エジプト人は言った。「イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。」
 主はモーセに言われた。「海に向かって手を差し伸べなさい。水がエジプト軍の上に、戦車、騎兵の上に流れ返るであろう。」モーセが手を海に向かって差し伸べると、夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。水は元に戻り、戦車と騎兵、彼らの後を追って海に入ったファラオの全軍を覆い、一人も残らなかった。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだが、そのとき、水は彼らの右と左に壁となった。主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。イスラエルはエジプト人が海辺で死んでいるのを見た。イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。

 

第四朗読           イザヤ書

(54章514節)

イザヤの預言

〔エルサレムよ〕
あなたの造り主があなたの夫となられる。
その御名は万軍の主。
あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神
全地の神と呼ばれる方。
捨てられて、苦悩する妻を呼ぶように
主はあなたを呼ばれる。
若いときの妻を見放せようかと
あなたの神は言われる。
わずかの間、わたしはあなたを捨てたが
深い憐れみをもってわたしはあなたを引き寄せる。
ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したが
とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむと
あなたを贖う主は言われる。
これは、わたしにとってノアの洪水に等しい。
再び地上にノアの洪水を起こすことはないと
あのとき誓い
今またわたしは誓う
再びあなたを怒り、責めることはない、と。
山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと
あなたを憐れむ主は言われる。

 

苦しめられ、嵐にもてあそばれ
慰める者もない都よ
見よ、わたしはアンチモンを使って
あなたの石を積む。
サファイアであなたの基を固め
赤めのうであなたの塔を
エメラルドであなたの門を飾り
地境に沿って美しい石を連ねる。
あなたの子らは皆、主について教えを受け
あなたの子らには平和が豊かにある。
あなたは恵みの業によって堅く立てられる。
虐げる者から遠く離れよ
もはや恐れることはない。
破壊する者から遠く離れよ
もはやそれがあなたに近づくことはない。

 

第五朗読           イザヤ書

(55章111節)

イザヤの預言

〔主は言われる。〕
渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。
銀を持たない者も来るがよい。
穀物を求めて、食べよ。
来て、銀を払うことなく穀物を求め
価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。
なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い
飢えを満たさぬもののために労するのか。
わたしに聞き従えば
良いものを食べることができる。
あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。
耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。
聞き従って、魂に命を得よ。
わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。
ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに。
見よ
かつてわたしは彼を立てて諸国民への証人とし
諸国民の指導者、統治者とした。
今、あなたは知らなかった国に呼びかける。
あなたを知らなかった国は
あなたのもとに馳せ参じるであろう。
あなたの神である主
あなたに輝きを与えられる
イスラエルの聖なる神のゆえに。

 

主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。
呼び求めよ、近くにいますうちに。
神に逆らう者はその道を離れ
悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。
主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。
わたしたちの神に立ち帰るならば
豊かに赦してくださる。
わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると
主は言われる。
天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いは
あなたたちの思いを、高く超えている。
雨も雪も、ひとたび天から降れば
むなしく天に戻ることはない。
それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ
種蒔く人には種を与え
食べる人には糧を与える。
そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も
むなしくは、わたしのもとに戻らない。
それはわたしの望むことを成し遂げ
わたしが与えた使命を必ず果たす。

 

第六朗読          バルクの預言

(3章915節、32節〜4章4節)

バルクの預言

聞け、イスラエルよ、命をもたらす戒めを。
耳を傾けて、悟りを得よ。
イスラエルよ、なぜなのか。
なぜお前は敵の地におり、
異国の地で年を重ね、
死者と汚れを共にし、
陰府に下る者の中に数えられたのか。
お前は知恵の泉を見捨てた。
神の定めた道を歩んでいたなら、
永遠に平和のうちに暮らしていたであろう。
学べ、どこに悟りがあるかを。
またどこに力があり、どこに知識があるかを。
そして知れ、どこに長寿と命があり、
どこに目の輝きと平和があるかを。

 

いったいだれが
知恵の在りかを見いだしただろうか。
だれがその宝庫に入っただろうか。
すべてを知る方だけが知恵を知り、
御自分の力でそれを悟り、見いだされたのだ。
その方はあらゆる時代に備えて全地を整え、
それを四足の獣で満たした。
その方が光を放つと、光は走り、
ひと声命ずると、光はおののいて従う。
星はおのおの持ち場で喜びにあふれて輝き、
その方が命ずると、「ここにいます」と答え、
喜々として、自分の造り主のために光を放つ。
この方こそわたしたちの神であり、
他に比ぶべきものはない。
この方は知識の道をすべて見いだし、
それを僕ヤコブと愛するイスラエルに与えた。
その後、知恵は地上に現れ、人々の中に住んだ。
知恵は神の命令の書、永遠に続く律法である。
これを保つ者は皆生き、これを捨てる者は死ぬ。
ヤコブよ、立ち帰ってこれをつかみ、
知恵の光に目を注ぎ、その輝きに向かって歩め。
あなたの栄光をほかの者に、
あなたの特権を異国の民に渡してはならない。
イスラエルよ、わたしたちは幸いだ。
神の御心に適うことを知っているのだから。

 

第七朗読          エゼキエル書 

(36章1617節a、1828節)

エゼキエルの預言

 主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、イスラエルの家は自分の土地に住んでいたとき、それを自分の歩みと行いによって汚した。その歩みと行いによって汚した。それゆえ、わたしは憤りを彼らの上に注いだ。彼らが地の上に血を流し、偶像によってそれを汚したからである。わたしは彼らを国々の中に散らし、諸国に追いやり、その歩みと行いに応じて裁いた。彼らはその行く先の国々に行って、わが聖なる名を汚した。事実、人々は彼らについて、『これは主の民だ、彼らは自分の土地から追われて来たのだ』と言った。そこでわたしは、イスラエルの家がその行った先の国々で汚したわが聖なる名を惜しんだ。
 それゆえ、イスラエルの家に言いなさい。主なる神はこう言われる。イスラエルの家よ、わたしはお前たちのためではなく、お前たちが行った先の国々で汚したわが聖なる名のために行う。わたしは、お前たちが国々で汚したため、彼らの間で汚されたわが大いなる名を聖なるものとする。わたしが彼らの目の前で、お前たちを通して聖なるものとされるとき、諸国民は、わたしが主であることを知るようになる、と主なる神は言われる。わたしはお前たちを国々の間から取り、すべての地から集め、お前たちの土地に導き入れる。
 わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。お前たちは、わたしが先祖に与えた地に住むようになる。お前たちはわたしの民となりわたしはお前たちの神となる。」

 

使徒書の朗読    ローマ信徒への手紙

(6章311節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

 〔皆さん、〕あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。

 

福音朗読        マタイによる福音書 

(28章110節)

マタイによる福音

 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」

 

聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」から

2017年 4月14日の「聖書と典礼」

2017年 4月14日の「聖書と典礼」

聖金曜日(主の受難)

第一朗読          イザヤの預言

(52章13節〜53章12節)

イザヤの預言

〔主は言われる。〕
見よ、わたしの僕は栄える。
はるかに高く上げられ、あがめられる。
かつて多くの人をおののかせたあなたの姿のように
彼の姿は損なわれ、人とは見えず
もはや人の子の面影はない。
それほどに、彼は多くの民を驚かせる。
彼を見て、王たちも口を閉ざす。
だれも物語らなかったことを見
一度も聞かされなかったことを悟ったからだ。

                             

わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。
主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように
この人は主の前に育った。
見るべき面影はなく
輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
わたしたちは羊の群れ
道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
そのわたしたちの罪をすべて
主は彼に負わせられた。
苦役を課せられて、かがみ込み
彼は口を開かなかった。
屠り場に引かれる小羊のように
毛を刈る者の前に物を言わない羊のように
彼は口を開かなかった。
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり
命ある者の地から断たれたことを。
彼は不法を働かず
その口に偽りもなかったのに
その墓は神に逆らう者と共にされ
富める者と共に葬られた。
病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ
彼は自らを償いの献げ物とした。
彼は、子孫が末永く続くのを見る。
主の望まれることは
彼の手によって成し遂げられる。
彼は自らの苦しみの実りを見
それを知って満足する。
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために
彼らの罪を自ら負った。
それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
彼は戦利品としておびただしい人を受ける。
彼が自らをなげうち、死んで
罪人のひとりに数えられたからだ。
多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのは
この人であった。

 

第二朗読       ヘブライ人への手紙

(4章1416節、5章79節)

ヘブライ人への手紙

 〔皆さん、〕わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。
 キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源とな〔ったのです。〕

 

 

受難の朗読      ヨハネによる福音書

(18章1節〜19章42節)

ヨハネによる主イエス・キリストの受難

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       
 

 
 

「だれを捜しているのか。」

 
 

 
 

彼らは言った。

 
 

 
 

「ナザレのイエスだ。」

 
 

 
 

すると、イエスは言われた。

 
 

 
 

「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」

 
 

 
 

それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。イエスはペトロに言われた。

 
 

 
 

「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」

 
 

 
 

そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイアファであった。
 
シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は、出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。門番の女中はペトロに言った。

 
 

 
 

「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」

 
 

 
 

ペトロは言った。

 
 

 
 

「違う。」

 
 

 
 

僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。
 
大祭司はイエスに弟子のことや教えについて尋ねた。イエスは答えられた。

 
 

 
 

「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。なぜ、わたしを尋問するのか。わたしが何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々がわたしの話したことを知っている。」

 
 

 
 

イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、イエスを平手で打って言った。

 
 

 
 

「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか。」

 
 

 
 

イエスは答えられた。

 
 

 
 

「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」

 
 

 
 

アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った。
 
シモン・ペトロは立って火にあたっていた。人々は言った。

 
 

 
 

「お前もあの男の弟子の一人ではないのか。」

 
 

 
 

ペトロは打ち消して、言った。

 
 

 
 

「違う。」

 
 

 
 

大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が言った。

 
 

 
 

「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか。」

 
 

 
 

ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。
 
人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、言った。

 
 

 
 

「どういう罪でこの男を訴えるのか。」

 
 

 
 

彼らは答えて、言った。

 
 

 
 

「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう。」

 
 

 
 

ピラトは言った。

 
 

 
 

「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け。」

 
 

 
 

ユダヤ人たちは言った。

 
 

 
 

「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません。」

 
 

 
 

それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、言った。

 
 

 
 

「お前がユダヤ人の王なのか。」

 
 

 
 

イエスはお答えになった。

 
 

 
 

「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」

 
 

 
 

ピラトは言い返した。

 
 

 
 

「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」

 
 

 
 

イエスはお答えになった。

 
 

 
 

「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」

 
 

 
 

そこでピラトが言った。

 
 

 
 

「それでは、やはり王なのか。」

 
 

 
 

イエスはお答えになった。

 
 

 
 

「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」

 
 

 
 

ピラトは言った。

 
 

 
 

「真理とは何か。」

 
 

 
 

ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。

 
 

 
 

「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」

 
 

 
 

すると、彼らは、大声で言い返した。

 
 

 
 

「その男ではない。バラバを。」

 
 

 
 

バラバは強盗であった。
 
そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。
 
兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、そばにやって来ては、平手で打って言った。

 
 

 
 

「ユダヤ人の王、万歳。」

 
 

 
 

ピラトはまた出て来て、言った。

 
 

 
 

「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」

 
 

 
 

イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは言った。

 
 

 
 

「見よ、この男だ。」

 
 

 
 

祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると叫んだ。

 
 

 
 

「十字架につけろ。十字架につけろ。」

 
 

 
 

ピラトは言った。

 
 

 
 

「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」

 
 

 
 

ユダヤ人たちは答えた。

 
 

 
 

「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」

 
 

 
 

ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、再び総督官邸の中に入って、イエスに言った。

 
 

 
 

「お前はどこから来たのか。」

 
 

 
 

しかし、イエスは答えようとされなかった。そこで、ピラトは言った。

 
 

 
 

「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」

 
 

 
 

イエスは答えられた。

 
 

 
 

「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」

 
 

 
 

そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。

 
 

 
 

「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」

 
 

 
 

ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに言った。

 
 

 
 

「見よ、あなたたちの王だ。」

 
 

 
 

彼らは叫んだ。

 
 

 
 

「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」

 
 

 
 

ピラトは言った。

 
 

 
 

「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか。」

 
 

 
 

祭司長たちは答えた。

 
 

 
 

「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません。」

 
 

 
 

そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。
 
こうして、彼らはイエスを引き取った。イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちはピラトに言った。

 
 

 
 

「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください。」

 
 

 
 

しかし、ピラトは答えた。

 
 

 
 

「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ。」

 
 

 
 

兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、話し合った。

 
 

 
 

「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう。」

 
 

 
 

それは、
 
「彼らはわたしの服を分け合い、
 
わたしの衣服のことでくじを引いた」
 
という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に言われた。

 
 

 
 

「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」

 
 

 
 

それから弟子に言われた。

 
 

 
 

「見なさい。あなたの母です。」

 
 

 
 

そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
 
この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、言われた。

 
 

 
 

「渇く。」

 
 

 
 

こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。
 
イエスは、このぶどう酒を受けると、言われた。

 
 

 
 

「成し遂げられた。」

 
 

 
 

〔そして、〕頭を垂れて息を引き取られた。
 
    (頭を下げて、しばらく沈黙のうちに祈る)
 
その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。
 
その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。  

 

 

 

過越の聖なる断食(大斎・小斎)

聖地のための献金(聖金曜日)
 14世紀中ごろ、教皇クレメンス6世は、パレスチナ各地の巡礼所とヨーロッパからの巡礼者保護をフランシスコ会に委託しました。
その後、政情不安定な聖地で苦労している修道者たちを支えるために行われるようになった献金は、いつのころからか主の受難と死を記念する聖金曜日にささげられるようになりました。
そして教皇レオ13世は1887年、カトリック教会のすべての小教区にこの聖地のための献金を命じました。
 全世界の教会からローマ教皇庁に集められる献金は、現在、イスラエル、ヨルダン、キプロス、パレスチナ自治区内にある数多くの巡礼所や聖堂などの維持管理に充てられるほか、聖地の貧しい兄弟のための福祉施設や教育施設の運営、奨学金や生活保護などのために使われています。


  (カトリック中央協議会刊『カトリック教会情報ハンドブック』より)

 

2017年 4月13日の「聖書と典礼」

2017年 4月13日の「聖書と典礼」

聖木曜日(主の晩さん) (A年)

第一朗読          出エジプト記

(12章18節、1114節)

出エジプト記

 〔その日、〕エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい。『今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。もし、家族が少人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない。その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊でもよい。それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。
 それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である。その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。』」
 

 

第二朗読    (一)コリントの信徒への手紙

(11章2326節)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

 〔皆さん、〕わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。

 

福音朗読       ヨハネによる福音書

(13章115節)

ヨハネによる福音

 過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。
 さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」

 

聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」から

2017年4月 7日 (金)

カトリック教会の暦(典礼暦) 聖週間 と過越しの聖なる三日間

カトリック教会の暦(典礼暦)

聖週間 と過越しの聖なる三日間

2017年4月9日(日)から4月16日(日)

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2017年 4月9日の「聖書と典礼」

2017年 4月9日の「聖書と典礼」

受難の主日(枝の主日) (A年)

「本当に、この人は神の子だった。」

(マタイ福音書27章54節より)

 

 〔マタイ福音書ではすでに三度受難が予告され、イエスのとってエルサレムは受難の地であることが、はっきりと示されていた(マタイ福音書16章21節、20章18節参照)。〕

入城の福音    マタイによる福音書

主の名によって来られる方に、祝福があるように。

(21章111節)

マタイによる福音

 1〔イエスの〕一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、2言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。3もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」4それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
 5「シオンの娘に告げよ。
 『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、
 柔和な方で、ろばに乗り、
 荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
6
弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、7ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。8大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。9そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。
 「ダビデの子にホサナ。
 主の名によって来られる方に、祝福があるように。
 いと高きところにホサナ。」
10
イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ。11そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言った。

(註) 2一緒に小ろばの……5節で引用されるゼカリア書99節のギリシア語訳に基づいて「小ろば」というが、もとは「ろばの子であるろば」となっている。ゼカリア書によれば、ろばは、貧しさ(へりくだり、柔和)と平和のシンボルである(ゼカリア書9910節参照)。

(註) 5シオンの娘に~……ゼカリア書99節のギリシア語訳の引用。「シオンの娘」はエルサレムの町とその住民を指す。

(註) 9ホサナ……本来は「ああ救いたまえ」という意味だが、歓呼の叫びにもなった。仮庵祭の行列のとき、枝を携えた人々によって詩編11825節のホサナが唱えられた。「主の名によって来られる方に、祝福があるように」も同じ詩編の26節のことばである。

 

 〔イザヤ書4055章は第二イザヤと呼ばれる捕囚時代(紀元前六世紀)の預言。その中に「主の僕の歌」と呼ばれるものが四つあり(4214節、4916節、5049節、5213節~5312節)、この個所はその第三のもの。この「僕」は、預言者自身のようでもあり、来たるべきメシアのようでもあるが、何よりもイエス・キリスト(特にその受難)の姿を思わせる。〕

第一朗読       イザヤ書

わたしは顔を隠さずに、嘲りを受けた。

しかし、わたしは知っている。

わたしが辱められることはない、と(主の僕第三の歌)。

(50章47節)

イザヤの預言

4主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え
疲れた人を励ますように
言葉を呼び覚ましてくださる。
朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし
弟子として聞き従うようにしてくださる。
5主なる神はわたしの耳を開かれた。
わたしは逆らわず、退かなかった。
6打とうとする者には背中をまかせ
ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。
7主なる神が助けてくださるから
わたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。
わたしは知っている
わたしが辱められることはない、と。

(註) 4弟子としての舌を……僕の使命は、言葉を通してなされる預言者的なものである。

(註) 6打とうとする者には~……僕の苦難については第四の歌に詳しい(5213節以下)。

(註) 7顔を硬い石のように……迫害に屈服しないさまを表す。

 

 〔互いに愛し合い、へりくだることを命じるパウロは、キリストの模範を思い起こさせる。この個所は、初代教会のキリスト賛歌が引用されていると考えられている。〕

第二朗読    フィリピの信徒への手紙 

神は、へりくだったキリストを高くあげられた。

(2章611節)

使徒パウロのフィリピの教会への手紙

 〔イエス・〕キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。

(註) 6身分……この言葉(モルフェー)の本来の意味は「形、姿」だが、外観のみならず内容・実質をも意味する。7節の「身分」も同じ語。7節で「姿」と訳された語(スケーマ)は外にあらわれた形、形状を指す。

(註) 8十字架の死に至るまで……この言葉は、パウロが元の賛歌に加えたものと考えられる。

 

受難の朗読について――受難の朗読は、古くから聖金曜日の主の受難の記念祭儀に行われていた。きょうの主日にも受難朗読をするのは、主日ごとにキリストの生涯の主な出来事を記念していくためである。現在の朗読配分では、毎年聖金曜日にヨハネ福音書が読まれ、他の福音書は受難の主日に三年周期で読まれる。

 受難朗読は福音朗読の中でも最も重要なもので、特別に長い朗読になっている。ここに掲載されていない長い形(マタイ福音書26142766節)は、ユダの裏切り、最後の晩餐から始まり、イエスの遺体が墓に納められるところまで続く。

 なお、伝統的に役割を分担して朗読するようになっているのは、キリストの受難の出来事をより生き生きと再現するためである。

 

 〔逮捕されたイエスはユダヤの最高法院で裁かれたが、イエスを死刑にするためにローマ総督の判決が必要だった。〕

受難の朗読    マタイによる福音書

主イエス・キリストの受難。

(27章1154節)

マタイによる主イエス・キリストの受難

                                                                                                                                                                                                                                               
 

 
 

11〔そのとき、〕イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに尋問した。

 
 

 
 

「お前がユダヤ人の王なのか。」

 
 

 
 

イエスは言われた。

 
 

 
 

「それは、あなたが言っていることです。」

 
 

 
 

12祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。すると13ピラトは言った。

 
 

 
 

「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか。」

 
 

 
 

14それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。15ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。16そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。17ピラトは、人々が集まって来たときに言った。

 
 

 
 

「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」

 
 

 
 

18人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。19一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。

 
 

 
 

「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」

 
 

 
 

20しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。21そこで、総督が言った。

 
 

 
 

「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか。」

 
 

 
 

人々は言った。

 
 

 
 

「バラバを。」

 
 

 
 

22ピラトが言った。

 
 

 
 

「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか。」

 
 

 
 

皆は言った。

 
 

 
 

「十字架につけろ。」

 
 

 
 

23ピラトは言った。

 
 

 
 

「いったいどんな悪事を働いたというのか。」

 
 

 
 

群衆はますます激しく叫び続けた。

 
 

 
 

「十字架につけろ。」

 
 

 
 

24ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。

 
 

 
 

「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」

 
 

 
 

25民はこぞって答えた。

 
 

 
 

「その血の責任は、我々と子孫にある。」

 
 

 
 

26そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。27それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。28そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、29茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、侮辱して言った。

 
 

 
 

「ユダヤ人の王、万歳。」

 
 

 
 

30また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。31このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。
 
32兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。33そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、34苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。35彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、36そこに座って見張りをしていた。37イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。38折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。39そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、40言った。

 
 

 
 

「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」

 
 

 
 

41同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。

 
 

 
 

42「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。43神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」

 
 

 
 

44一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
 
45さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。46三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。

 
 

 
 

「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」

 
 

 
 

これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。47そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、

 
 

 
 

「この人はエリヤを呼んでいる」

 
 

 
 

と言う者もいた。48そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。49ほかの人々は言った。

 
 

 
 

「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう。」

 
 

 
 

50しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。
 
(頭を下げて、しばらく沈黙のうちに祈る)
 
51そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、52墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。53そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。54百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、言った。

 
 

 
 

「本当に、この人は神の子だった。」

 


(註)11総督……紀元2636年、ユダヤ、サマリア、イドマヤの総督で     

          あったピラト。

(註) ユダヤ人の王……当時のユダヤはローマ帝国の直轄領であり、「ユダヤ人の王」を自称することはローマ帝国の対する反逆罪となった。

(註) それは、あなたが~……はっきりした肯定でも否定でもない言い方である。

(註)17バラバ・イエス……「イエス」という名はユダヤでは珍しくない。ルカによればこの男バラバは、「都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていた」(ルカ福音書2319節)。

(註)19妻から伝言が~……この伝言のことはマタイだけが伝えている。

(註)22十字架……ローマの死刑の中でも特に残虐な処刑方法であり、ローマの市民権を持つ者には適用されなかった。植民地の、特にローマに対する反逆者に適用され、見せしめとしての性格を持っていた。

(註)24-25水を持って来させ~……このやり取りもマタイにしかないが、イエスを十字架に追いやったユダヤ人のかたくなさ強調されている。ここには、キリストを受け入れないマタイの時代のユダヤ人への警告の意味があるのだろう。

(註)28赤い外套……王が身にまとうものである。

(註)32キレネ……ギリシアの対岸にあたる北アフリカの都市。

(註)34苦い者を混ぜたぶどう酒……麻酔薬としての効果があり、苦しみをやわらげる。

(註)35くじを引いてその服を分け合い……詩編2219節(きょうの答唱詩編)参照。

(註)39頭を振りながら……詩編228節参照。

(註)40神殿を打ち倒し、三日で建てる……イエスはこのように言ったとして最高法院で訴えられていた(マタイ福音書2661節、ヨハネ福音書219節参照)。

(註)43神に頼っているが~……詩編229節参照。

(註)46エリ、エリ~……詩編22章の冒頭のことば。この詩編については答唱詩編の脚注参照。マタイはマルコよりもヘブライ語に近い形で伝えている。

(註)47エリヤ……紀元前九世紀に活躍した預言者。死なずに天に上げられたとされている(列王記下2章参照)。

(註)48酸いぶどう酒……気付け薬のようなもので、朦朧としてくる意識をはっきりさせる(詩編6922節参照)。

(註)51神殿の垂れ幕が~真っ二つに裂け……神と人とを隔てていたものが取り払われることを意味する。

(註)51-53地震が起こり~人々に現れた……このことはマタイだけが伝えている。マタイはここで、イエスの復活が多くの人の復活の先駆けとしての意味を持つことを示している。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201749より)

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