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2017年5月 6日 (土)

2017年 5月 7日の「聖書と典礼」

2017年 5月 7日の「聖書と典礼」

復活節第3主日

わたしが来たのは、羊が命を受けるため、

しかも豊かに受けるためである。

(ヨハネ福音書1010節)

 

 〔五旬祭の日(聖霊降臨の出来事が起こった日)、聖霊に満たされた弟子たちを代表してペトロが集まった人々に語った説教の結びのことばと、それに対する人々の反応を伝える個所。〕

第一朗読          使徒言行録

イエスを、神は主とし、またメシアとなさった。」

(2章14節a、3641節)

使徒たちの宣教

14a〔五旬祭の日、〕ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話した。36「イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」
37人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。38すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。39この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」40ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた。41ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。

(註)36主 メシア……復活し、天に上げられたイエスへの信仰を明確に宣言することば。

(註)38悔い改めなさい~……「回心」「洗礼」「罪のゆるし」は、いつも密接に結びついている(マルコによる福音書14節、ルカによる福音書33節参照)。

(註) 賜物として聖霊を……聖霊のさまざまな働き(カリスマ)のことではなく、神のいのちである聖霊そのものが「賜物(ド―レア)と言われている。

 

 〔すべての人に対して、「神の僕」として行動をすることを勧めたうえで、ここでは召使に対する戒めが語られている。背景には、イザヤ書53章の苦しむ主の僕の姿がある。〕

第二朗読        (一)ペトロの手紙

あなたがたは魂の牧者である方のところへ戻ってきた。

(2章20b25節)

使徒ペトロの手紙

20〔愛する皆さん、〕善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。21あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。
22「この方は、罪を犯したことがなく、
 その口には偽りがなかった。」
23ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。24そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。  25あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。

(註)22この方は~……イザヤ書539節の引用。

(註)24お受けになった傷によって~……イザヤ書535節参照。

(註)25羊のようにさまよって……羊は弱い動物なので、羊飼いのもとで一つになっていなければ狼などに襲われて死んでしまう。イザヤ書536節、エゼキエル書34章56節、マタイ福音書9章36節参照。

 

 〔復活節第4主日は「良い牧者の主日」とも呼ばれ、毎年、ヨハネ福音書10章から「羊と羊飼い」のたとえが読まれる。これらのたとえは、イエスが生まれつきの盲人をいやしたにもかかわらず、イエスを受け入れようとしないファリサイ派の人々(9章参照)に向けて語られた言葉である。

福音朗読       ヨハネによる福音書

わたしは羊の門である。

(10章110節)

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスは言われた。〕1「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。2門から入る者が羊飼いである。3門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。4自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。5しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」6イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。
7
イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。8わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。9わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。10盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」

(註) 1囲い……パレスチナの羊飼いは遊牧生活であったが、夜は外敵から守るために羊を囲いに入れた。

(註) 3聞き分ける……直訳では「聞く」。「聞く」には「聞き従う」という意味もある。

(註) 4知っている……「知る」というのはただ知識として知っているというだけでなく、両者の深い交わりを表すことばである。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20175 7より)

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