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2017年7月28日 (金)

2017年 7月30日の「聖書と典礼」

2017年 7月30日の「聖書と典礼」

「年間第17主日」 A

あなたは……訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。

(列王記上 311節より)

 

 〔旧約聖書の中の多くの知恵文学がソロモンに帰せられるほど、ソロモン王は知恵ある人として有名であった。〕

第一朗読           列王記上

あなたは自分のために知恵を求めた

(3章5節、712節)

列王記

 5その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。〔ソロモンは答えた。〕7「わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。8僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。9どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」
10主はソロモンのこの願いをお喜びになった。11神はこう言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。12見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。」

(註) 5ソロモン……ダビデ王の息子で、その王位を継承した(紀元前10世紀)。

(註) ギブオン……元はカナン人の町で、エルサレムの北に位置する。有名な聖所があった。まだエルサレムの神殿ができる前のことで、この時、ソロモンはこの聖なる高台でいけにえをささげるためにギブオンに来ていた。

 

 〔「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りない」(818節)と述べたパウロは神の救いへの信頼と希望を語る。〕

第二朗読      ローマの信徒への手紙

神は前もって知っておられた者たちを、

御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められた。

(8章2830節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

28〔皆さん、〕神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。29神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。30神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。

(註)28共に働く……何が共に働くのかははっきりしない。「聖霊」(27節参照)とも「すべて」とも「神」ともとれる。

 

〔天の国(神の国)のたとえが集められたマタイ福音書131-52節の結び。イエスの語る天の国とはいわゆる「天国」のようなものではなく、神との交わりそのものである。〕

福音朗読       マタイによる福音書

宝を見つけた人は、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。

(13章4452節、 または 13章4446節)

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕44「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
45また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。46高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」
 
47「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。48網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。49世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、50燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。51あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。52そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」 

(註)45真珠……古代では非常に高価なものであった。44節のたとえ同様、人が求めるべき宝というテーマは、第一朗読や答唱詩編とつながるものである。

(註)47-50天の国は~……このたとえは先週の福音の「毒麦のたとえ」に似ている(マタイ福音書1324-30節、36-43節)。

(註)52学者……ここでは弟子たちが「学者」と呼ばれている。「一家の主人」はイエスのことであろう。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017730より)

2017年7月21日 (金)

2017年 7月23日の「聖書と典礼」

2017年 7月23日の「聖書と典礼」

「年間第16主日」 A

〔“霊”は〕弱い私たちを助けてくださいます。

(ローマの信徒への手紙826節より)

 

 〔紀元前一世紀頃書かれた「知恵の書」は、旧約時代の様々な出来事をとおして働いた神の知恵について思いめぐらす(1019章)。きょうの箇所は、イスラエルと敵対した先住民であるカナン人に対する神の寛容とその理由が語られる部分〔知恵の書12322節〕から採られている。〕

第一朗読           知恵の書

あなたは罪からの回心をお与えになった。

(12章13節、1619節)

知恵の書

〔主よ、〕
13すべてに心を配る神はあなた以外におられない。
だから、不正な裁きはしなかったと、
証言なさる必要はない。
16あなたの力は正義の源、
あなたは万物を支配することによって、
すべてをいとおしむ方となられる。
17あなたの全き権能を信じない者に
あなたは御力を示され、
知りつつ挑む者の高慢をとがめられる。
18力を駆使されるあなたは、寛容をもって裁き、
大いなる慈悲をもってわたしたちを治められる。
力を用いるのはいつでもお望みのまま。

                             

19神に従う人は人間への愛を持つべきことを、
あなたはこれらの業を通して御民に教えられた。
こうして御民に希望を抱かせ、
罪からの回心をお与えになった。

 

  〔ローマ書8章では聖霊のさまざまな働きが語られるが、ここでは祈りのうちに働く霊のことが言われている。〕

第二朗読      ローマの信徒への手紙

“霊が、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる。

(8章2627節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

26〔皆さん、は〕弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。27人の心を見抜く方は、の思いが何であるかを知っておられます。は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。

(註)26“霊”……聖霊のことであるが、わたしたちの祈りは、この聖霊という神の働きに支えられている。

 

 〔先週の「種蒔きのたとえ」に続いて語られる天の国(神の国)のたとえ。毒麦(罪びと)が混じっていたり、弱く小さな集まりでしかないイエスのまわりの人々の中に、イエスは神の国の確かな芽生えを見ている。〕

福音朗読       マタイによる福音書

刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。

(13章2443節、または 13章2430節)

マタイによる福音

 24〔そのとき、〕イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。25人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。26芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。27僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』28主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、29主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。30刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」
 
31イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、32どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
 
33また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」
 
34イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。35それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
 「わたしは口を開いてたとえを用い、
 天地創造の時から
 隠されていたことを告げる。」
36それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。37イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、38畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。39毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。40だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。41人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、42燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。43そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

(註)25毒麦……小麦に似た雑草で、人間が食べると吐き気やめまいをもよおす。なお、この毒麦のたとえはマタイ福音書だけが伝えている。

(註)31からし種……種は12ミリの小さなもの。木ではなく野菜であるが、成長すると1.53メートルにもなる。

(註)33サトン……容量の単位で、1サトンは約12.8リットルにあたる。

(註)35わたしは口を開いて~……詩編782節の引用。「たとえ」の元の語はヘブライ語の「マーシャール」。新共同訳の詩編のこの箇所で、このことばは「箴言」と訳されている。

(註)37-43良い種を蒔く者は~……このようなたとえの説明は初代教会の解釈、適用であると考えられている。ここではたとえ話全体が、黙示文学的な裁きの様子を示すものと解釈されている。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017723より)

2017年7月14日 (金)

2017年 7月16日の「聖書と典礼」

2017年 7月16日の「聖書と典礼」

「年間第15主日」 A

ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで……。

(マタイ福音書138節より)

 

 〔イザヤ書4055章は「第二イザヤ」と呼ばれるバビロン捕囚の時代(紀元前六世紀)の預言者のもので、捕囚からの解放を告げるメッセージ。人間の目には不可能に思えるような救いのわざを語る預言者は、結びに神のことばの力への信頼を促す。〕

第一朗読           イザヤ書

雨は大地を生い茂らせる。

(55章1011節)

イザヤの預言

〔主は言われる。〕
雨も雪も、ひとたび天から降れば
むなしく天に戻ることはない。
それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ
種蒔く人には種を与え
食べる人には糧を与える。
11そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も
むなしくは、わたしのもとに戻らない。
それはわたしの望むことを成し遂げ
わたしが与えた使命を必ず果たす。

 

 

 〔キリストとともに、聖霊によって神の子供とされたわたしたちの希望を語る。〕

第二朗読      ローマの信徒への手紙

被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいる。

(8章1823節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

18〔皆さん、〕現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。19被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。20 被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。21つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。22被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。23被造物だけでなく、の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。

(註)19被造物……ここでは、人間以外のすべての造られたものを指す。

(註)19神の子たち……聖霊によって「アッバ、父よ」と叫ぶ神の子とされた人間のこと。(81517節参照)。

(註)23 “霊”の初穂……聖霊はすでに与えられているものであり、また将来もたらされる、より豊かな実りを保証するので「初穂」と言われている。

 

  〔マタイ福音書13章には天の国(神の国)のたとえが集められている。〕

福音朗読       マタイによる福音書 

種を蒔く人が種蒔きに出て行った。

(13章123節 または 13章19節)

マタイによる福音

1その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。2すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。3イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。4蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。5ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。6しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。7ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。8ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。9耳のある者は聞きなさい。」

                             

 10弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。11イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。12持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。13だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。14イザヤの預言は、彼らによって実現した。
 『あなたたちは聞くには聞くが、
 決して理解せず、
 見るには見るが、決して認めない。
15 この民の心は鈍り、
 耳は遠くなり、
 目は閉じてしまった。
 こうして、彼らは目で見ることなく、
 耳で聞くことなく、
 心で理解せず、悔い改めない。
 わたしは彼らをいやさない。』
16しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。17はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。
18だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。19だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。20石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、21自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。22茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。23良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」

(註) 3種を蒔く人……これはイエス自身の姿を思わせる。

(註)  種蒔き……当時の種蒔きは、種を手で土地一面に蒔き散らし、それから耕して種に土をかぶせたらしい。そのため無駄になる種も多かったようである。

(註)1117あなたがたには~……この部分は理解しにくいが、このイエスのことばは本来、たとえ話を語る理由というよりも、イエスの教え全体について述べたことばだったのかもしれない。「たとえ」という語の背景にあるヘブライ語の「マーシャール」ということばには、「たとえ」「格言」だけでなく「なぞ」の意味もある。つまり、受け入れない人にとってはイエスの教え全体が謎になってしまう、というのが本来の意味か。

(註)14-15あなたたちは聞くには聞くが~……イザヤ書6910節の引用。

(註)18-23だから、種を蒔く人の~……このようなたとえの説明部分は、イエスのことばではなく、初代教会による解釈、適用であると考えられる。ここにはマタイの時代の教会の困難な状況がうかがえる。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017716より)

2017年7月 8日 (土)

2017年 7月 9日の「聖書と典礼」

 2017年 7月 9日の「聖書と典礼」

「年間第14主日」 A

見よ、あなたの王が来る。……高ぶることなく、ろばに乗ってくる。

(ゼカリア書99節より)

 

 〔ゼカリア書914章は、18章とは別の一つにまとまった預言で、来るべきメシア時代の救いを告げる。9節はイエスのエルサレム入城への関して福音書に引用されていることばである(マタイ福音書215節、ヨハネ福音書1215節参照)。〕

第一朗読          ゼカリヤ書

見よ、あなたの王が来る。彼は高ぶることがない。

(9章910節)

ゼカリヤの預言

〔主は言われる。〕
9娘シオンよ、大いに踊れ。
 娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
 見よ、あなたの王が来る。
 彼は神に従い、勝利を与えられた者
 高ぶることなく、ろばに乗って来る
 雌ろばの子であるろばに乗って。
10わたしはエフライムから戦車を
 エルサレムから軍馬を絶つ。
 戦いの弓は絶たれ
 諸国の民に平和が告げられる。
 彼の支配は海から海へ
 大河から地の果てにまで及ぶ。

(註) 9娘シオン……エルサレムの町が一人の女性にたとえられている。

(註) 高ぶることなく……「貧しい」「柔和な」とも訳せる。七十人訳(古代ギリシア語訳)は「プラユス」という訳語をあてている(きょうの福音朗読で「柔和」と訳されることば)。

(註) ろば……ここでは10節の馬と対比されて、「貧しさ(柔和)」と「平和」のシンボルである。

 

 〔「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死の法則からあなたを解放した」(ローマの信徒への手紙82節)とパウロは宣言した。この法則に従って生きる道をパウロは説く。〕

第二朗読       ローマの信徒への手紙

霊によって体の仕業を断つならば、あなたがたは生きる。

(8章9節、1113節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

 9〔皆さん、〕神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。11もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
12それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。13肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。

(註) 9霊の支配下……「霊」「肉」は人間の二つの部分ではなく、対立する二つの原理。「霊の支配下」は神中心の生き方を指す。「肉に従って生きる」(1213節)は、これと対比される自己中心の生き方のこと。

 

 〔律法の重荷を人々に負わせたファリサイ派や律法学者(マタイ福音書234節参照)と正反対のイエスの姿を示すことば。〕

福音朗読       マタイによる福音書

私は柔和で謙遜な者である。

11・2530

マタイによる福音

25そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。26そうです、父よ、これは御心に適うことでした。27すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。28疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。29わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。30わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

(註)25幼子のような者……幼子は、「無知で無力な者」を表す。ファリサイ派や律法学者が律法を知らない者として軽蔑していた民衆を指す。

(註)29柔和……マタイ福音書55節、215節参照。

(註) 謙遜……ここで用いられている「タペイノス」ということばは、本来「身分が低い」と言う意味。ここでは「心の」という言葉が不可されているので「謙遜」と訳される。

(註) 軛(くびき)……農耕などのために二頭の牛(又はろば)をつなぐ農具。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201779より)

2017年7月 2日 (日)

2017年 7月 2日の「聖書と典礼」

2017年 7月 2日の「聖書と典礼」

「年間第13主日」 A

自分の十字架を担ってわたしたちに従わない者は、

わたしにふさわしくない。

(マタイ福音書1038節より)

 

 〔エリシャは、預言者エリヤの弟子。エリや同様、北イスラエルで活動し、福音書の奇跡を思わせるような様々な奇跡を行ったと伝えられている。〕

第一朗読            列王記(下)

あの方は、聖なる神の人で、その部屋に入っていただける。

4811節、1416a

 8ある日、エリシャはシュネムに行った。そこに一人の裕福な婦人がいて、彼を引き止め、食事を勧めた。以来彼はそこを通るたびに、立ち寄って食事をするようになった。9彼女は夫に言った。「いつもわたしたちのところにおいでになるあの方は、聖なる神の人であることが分かりました。10あの方のために階上に壁で囲った小さな部屋を造り、寝台と机と椅子と燭台を備えましょう。おいでのときはそこに入っていただけます。」11ある日、エリシャはそこに来て、その階上の部屋に入って横にな〔った。〕14エリシャは、「彼女のために何をすればよいのだろうか」と言うので、〔従者〕ゲハジは、「彼女には子供がなく、夫は年を取っています」と答えた。15そこでエリシャは彼女を呼ぶように命じた。ゲハジが呼びに行ったので、彼女は来て入り口に立った。エリシャは、「来年の今ごろ、あなたは男の子を抱いている」と告げた。

(註) 8シュネム・…・・イサカル族の住む地域にある町。イスラエルの北部、ガリラヤ地方と接するあたりに位置する。

(註)14彼女には子供がなく……子供がないことは、女性にとって恥じと考えられたので、大きな苦しみであった。

(註)16来年の今ごろ~……この約束はそのとおり実現した(17節)。

 

 〔罪のあるところに恵みが増したからといって、罪の中にとどまるべきではないとパウロは語る。そのためにキリスト者が受けた洗礼の意味を考えさせる。〕

第二朗読 使徒パウロのローマの教会への手紙

わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、新しい命に生きる。

(ローマの信徒への手紙634節、811節)

 3〔皆さん、〕あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。4わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。8わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。9そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。10キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。11このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。

(註) 3洗礼……「洗礼」(パブテスマ)の元の意味は「沈める、浸す」。水の中に沈められ、そこから再び立ち上がることは死と復活のシンボルである。洗礼とは、「キリストの中に沈められること」であり、「その死の中に沈められること」なのである。

 

 〔十二使徒を派遣するにあたっての長い説教(10542節の結びの部分。)

福音朗読        マタイによる福音書

自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れる。

(103742節より)

 〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕37「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。38また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。39自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。
 
40あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。41預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。42はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

(註)37私よりも父や母を~……非常に厳しい要求であるが、このことによってすべての人との新たなつながりが生まれることにもなる(マタイ福音書124950節参照)。

(註)38-39自分の十字架を~……マタイ福音書162425節、マルコ福音書83435節、ルカ福音書92324節参照。

(註)40-42あなたがたを受け入れる人は~……マタイ福音書185節、マルコ福音書937節、41節、ルカ福音書1016節など参照。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201772より)

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