« 2017年 7月 9日の「聖書と典礼」 | トップページ | 2017年 7月23日の「聖書と典礼」 »

2017年7月14日 (金)

2017年 7月16日の「聖書と典礼」

2017年 7月16日の「聖書と典礼」

「年間第15主日」 A

ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで……。

(マタイ福音書138節より)

 

 〔イザヤ書4055章は「第二イザヤ」と呼ばれるバビロン捕囚の時代(紀元前六世紀)の預言者のもので、捕囚からの解放を告げるメッセージ。人間の目には不可能に思えるような救いのわざを語る預言者は、結びに神のことばの力への信頼を促す。〕

第一朗読           イザヤ書

雨は大地を生い茂らせる。

(55章1011節)

イザヤの預言

〔主は言われる。〕
雨も雪も、ひとたび天から降れば
むなしく天に戻ることはない。
それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ
種蒔く人には種を与え
食べる人には糧を与える。
11そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も
むなしくは、わたしのもとに戻らない。
それはわたしの望むことを成し遂げ
わたしが与えた使命を必ず果たす。

 

 

 〔キリストとともに、聖霊によって神の子供とされたわたしたちの希望を語る。〕

第二朗読      ローマの信徒への手紙

被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいる。

(8章1823節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

18〔皆さん、〕現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。19被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。20 被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。21つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。22被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。23被造物だけでなく、の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。

(註)19被造物……ここでは、人間以外のすべての造られたものを指す。

(註)19神の子たち……聖霊によって「アッバ、父よ」と叫ぶ神の子とされた人間のこと。(81517節参照)。

(註)23 “霊”の初穂……聖霊はすでに与えられているものであり、また将来もたらされる、より豊かな実りを保証するので「初穂」と言われている。

 

  〔マタイ福音書13章には天の国(神の国)のたとえが集められている。〕

福音朗読       マタイによる福音書 

種を蒔く人が種蒔きに出て行った。

(13章123節 または 13章19節)

マタイによる福音

1その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。2すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。3イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。4蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。5ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。6しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。7ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。8ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。9耳のある者は聞きなさい。」

                             

 10弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。11イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。12持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。13だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。14イザヤの預言は、彼らによって実現した。
 『あなたたちは聞くには聞くが、
 決して理解せず、
 見るには見るが、決して認めない。
15 この民の心は鈍り、
 耳は遠くなり、
 目は閉じてしまった。
 こうして、彼らは目で見ることなく、
 耳で聞くことなく、
 心で理解せず、悔い改めない。
 わたしは彼らをいやさない。』
16しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。17はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。
18だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。19だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。20石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、21自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。22茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。23良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」

(註) 3種を蒔く人……これはイエス自身の姿を思わせる。

(註)  種蒔き……当時の種蒔きは、種を手で土地一面に蒔き散らし、それから耕して種に土をかぶせたらしい。そのため無駄になる種も多かったようである。

(註)1117あなたがたには~……この部分は理解しにくいが、このイエスのことばは本来、たとえ話を語る理由というよりも、イエスの教え全体について述べたことばだったのかもしれない。「たとえ」という語の背景にあるヘブライ語の「マーシャール」ということばには、「たとえ」「格言」だけでなく「なぞ」の意味もある。つまり、受け入れない人にとってはイエスの教え全体が謎になってしまう、というのが本来の意味か。

(註)14-15あなたたちは聞くには聞くが~……イザヤ書6910節の引用。

(註)18-23だから、種を蒔く人の~……このようなたとえの説明部分は、イエスのことばではなく、初代教会による解釈、適用であると考えられる。ここにはマタイの時代の教会の困難な状況がうかがえる。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017716より)

« 2017年 7月 9日の「聖書と典礼」 | トップページ | 2017年 7月23日の「聖書と典礼」 »