« 2017年8月 | トップページ

2017年9月15日 (金)

2017年 9月17日の「聖書と典礼」

2017年 9月17日の「聖書と典礼」

「年間第24主日」 A

生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものである。

(第二朗読主題句 ローマの信徒への手紙148節より)

 

 〔シラ書(「集会の書」とも言う)は紀元前二世紀に、シラの子イエスによって書かれた律法の解説書のようなもの。この個所全体がレビ記1918節の解説のようになっている。レビ記の箇所では「復習してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である」と言われている。〕

第一朗読            シラ書

隣人から受けた不正を赦せ。

そうすれば、願いを求めるとき、お前の罪は赦される。

(27章30節〜28章7節)

シラ書

2730憤りと怒り、これはひどく忌まわしい。
罪人にはこの両方が付きまとう。

281 復讐する者は、主から復讐を受ける。

主はその罪を決して忘れることはない。

2 隣人から受けた不正を赦せ。そうすれば、
願い求めるとき、お前の罪は赦される。

 人が互いに怒りを抱き合っていながら、
どうして主からいやしを期待できようか。

 4 自分と同じ人間に憐れみをかけずにいて、
どうして自分の罪の赦しを願いえようか。

弱い人間にすぎない者が、
憤りを抱き続けるならば、
いったいだれが彼の罪を赦すことができようか。

6 自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ。
滅びゆく定めと死とを思い、掟を守れ。

7 掟を忘れず、隣人に対して怒りを抱くな。
いと高き方の契約を忘れず、
他人のおちどには寛容であれ。

(註) 2隣人から受けた~・・・・・・人をゆるすことと、ゆるした人が神にゆるされることが結びついている。同様な教えは、きょうの福音や「主の祈り」(マタイ福音書612節、ルカ福音書114節)にも見られる。

 

 〔当時、キリスト者が律法で禁じられている食べ物を食べてもよいかどうか、また、ユダヤ人の暦を守るのはどうかなどに関して論争があった(1416節)。それに対して、パウロは主のために生きることこそが重要で、互いを裁かず、配慮すべきことを語る(1410節以下参照)。〕

第二朗読      ローマの信徒への手紙 

生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものである。

(14章79節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

 7〔皆さん、〕わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。8わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。9キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。

 

 

 〔先週の箇所に続いて、教会共同体の問題として、兄弟同士のゆるし合いについて語られる。このたとえは、「主の祈り」の解説のようである。〕

福音朗読       マタイによる福音書

あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。

(18章2135節)

マタイによる福音

21そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」22イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。23そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。24決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。25しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。26家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。27その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。28ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。29仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。30しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。31仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。32そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。33わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』34そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。35あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」

(註)22七の七十倍・・・・・・「限りなく」の意味。創世記424節参照。

(註)24一万タラントン・・・・・・普通の労働者の十数万年分の賃金に相当する。この天文学的な数値によって神のあわれみの深さを強調している。

(註)27憐れに思って・・・・・・原語は「はらわたを痛める」といった意味で、深い共感を表す。放蕩息子の父のたとえでも使われる(ルカ福音書1520節)。

(註)28百デナリオン・・・・・・労働者の数ヶ月分の賃金。現実的な数字である。

(註)35あなたがたの一人一人が~・・・・・・マタイ福音書615節参照。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017917より)

2017年9月15日 (金)

パンダネ「週報」2017年 9月17日号

~~~カトリック兵庫教会報~~~

パンダネ「週報」

下記をクリックしてください。)

「2017_917_syuhou.pdf」をダウンロード

2017年9月 9日 (土)

2017年 9月10日の「聖書と典礼」

2017年 9月10日の「聖書と典礼」

「年間第23主日」 A

二人または三人がわたしの名によって集まるところには、

わたしもその中にいる。

(マタイによる福音書1820節より)

 

 〔エゼキエルは紀元前六世紀のバビロン捕囚の時代に、捕囚の地で活動した預言者。彼の使命は民を断罪することではなく、民を回心させ、新しく生まれ変わらせることであった。〕

第一朗読         エゼキエル書

あなたが悪人に警告しないなら、

血の責任をわたしはお前の手に求める。

(33章79節)

エゼキエルの預言

 〔主の言葉がわたしに臨んだ。〕7「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたが、わたしの口から言葉を聞いたなら、わたしの警告を彼らに伝えねばならない。8わたしが悪人に向かって、『悪人よ、お前は必ず死なねばならない』と言うとき、あなたが悪人に警告し、彼がその道から離れるように語らないなら、悪人は自分の罪のゆえに死んでも、血の責任をわたしはお前の手に求める。9しかし、もしあなたが悪人に対してその道から立ち帰るよう警告したのに、彼がその道から立ち帰らなかったのなら、彼は自分の罪のゆえに死に、あなたは自分の命を救う。」

(註) 7人の子・・・・・・一人の人間にすぎないが、同時に神との特別な関係に立つ人。ここではもちろん、エゼキエル自信を指す。

(註) イスラエルの家の見張り・・・・・・朗読個所の前の1-6節では、国が攻撃されたときに危険を告げる「見張り」の役割が語られている。預言者の指名もそれにたとえられる。

(註) 8必ず死なねばならない・・・・・・神に対する不従順の結末を表す。創世記217節参照。

(註) 血・・・・・・「血」は生命の宿るところと考えられていた。ここでは「命」と同じ意味。

 

 〔ローマ書12章から始まる、キリスト者の生き方を語る倫理的勧告の中の一節である。〕

第二朗読      ローマの信徒への手紙

愛は律法を全うする。

(13章810節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

8 〔皆さん、〕互いに 愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。9「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。10愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。

(註) 8借り・・・・・・「借りがある」とは義務を負うということ。前節137節につながる表現で、愛し合うと事こそが求められていることを示す。

(註) 9姦淫するな~・・・・・・十戒の後半にある人間関係の根本を律する言葉(出エジプト記201317節、申命記51721節参照)。

(註) 隣人を~・・・・・・レビ記1918節、マタイ福音書223440節参照。

 

 〔マタイ福音書18章は教会共同体のあり方について語る。その中で特に小さいものへの配慮が強調されている。罪を犯した兄弟も「小さい者」「迷った羊」なのであり、そのような兄弟をも見失わないようにする努力が求められる。〕

福音朗読          マタイ福音書

言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。

(18章1520節)

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕15「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。16聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。17それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
18はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。19また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。20二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

(註)16すべてのことが、二人または三人の~・・・・・・申命記1915節参照。

(註)17異邦人か徴税人・・・・・・マタイの属したユダヤ人キリスト教会は、自分たちを「新しい神の民」と考えた。そういう考えが背景にある表現で、「異邦人」「徴税人」はその民に属さない人の意味である。

(註)18つなぐ 解く・・・・・・マタイ福音書1619節参照。

(註)20わたしもその中にいる・・・・・・マタイ福音書123節、2820節を思わせる表現。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017910より)

パンダネ「週報」2017年 9月10日号

~~~カトリック兵庫教会報~~~

パンダネ「週報」

下記をクリックしてください。)

「2017_910_syuhou.pdf」をダウンロード

2017年9月 1日 (金)

2017年 9月 3日の「聖書と典礼」

2017年 9月 3日の「聖書と典礼」

「年間第22主日」 A

自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

(マタイ福音書1624節より)

 

 〔「エレミヤの告白」と呼ばれる個所の一つ。神のことばを告げたために迫害を受けたエレミヤは、神にその苦しみを訴える。この苦しみはイエスの受難を連想させる。〕

第一朗読          エレミヤ書

主の言葉ゆえに、わたしは恥を受けねばならない。

(20章79節)

エレミヤの預言

7主よ、あなたがわたしを惑わし
わたしは惑わされて
あなたに捕らえられました。
あなたの勝ちです。
わたしは一日中、笑い者にされ
人が皆、わたしを嘲ります。

8わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり
「不法だ、暴力だ」と叫ばずにはいられません。
主の言葉のゆえに、わたしは一日中
恥とそしりを受けねばなりません。

9主の名を口にすまい
もうその名によって語るまい、と思っても
主の言葉は、わたしの心の中
骨の中に閉じ込められて
火のように燃え上がります。
押さえつけておこうとして
わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。
 

(註) 7わたしを惑わし・・・・・・神から与えられた使命によって困苦に陥ったことを言う。

(註) 8嘆き・・・・・・預言者としてエレミヤは、民の繁栄を約束するのではなく、危機の到来や戦争、さらに罪深い民の破滅さえも告げなければならなかったのでこう言う。

(註) 9・・・・・・ここでは体の支柱・中心として考えられているのであろう。

 

 〔ローマ書111章はキリストによる救いを語ってきたが、12章からはキリスト者の生き方について教える。この勧告の部分の始めにあたって、神に向かって生きる人間の根本的な態度が語られる。〕

第二朗読 ローマの信徒への手紙

自分の体を生けるいけにえとして献げなさい。

(12章12節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

1兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。2あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。

(註) 1・・・・・・「精神」に対する「肉体」のような意味ではなく、人間全体を指すことば。

(註) 2自分を変えていただき・・・・・・変える主体は神である。

 

 〔フィリポ・カイサリアでのペトロの信仰告白(先週の福音)に続く個所。ここでイエスは、初めてご自分の受難を弟子たちに予告する。〕

福音朗読       マタイによる福音書

わたしについて来たい者は、自分を捨てなさい。

(16章2127節)

マタイによる福音

21〔そのとき、〕イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。22すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」23イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」24それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。25自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。26人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。27人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。」

(註)21必ず・・・・・・イエスの受難が神の計画に基づくものであることを示す。

(註)23サタン・・・・・・元来は「誹謗するもの」「訴える者の意味。新約聖書では「誘惑する者」の意味で用いられることが多い。

(註)24-25わたしについて来たい者は~・・・・・・マタイ福音書1038-39節でも同様に言われる。ルカ福音書1427節も参照。

(註)25・・・・・・同じ「命」ということばが、ここでは「誕生から死までのこの世の命」と「神によって生かされている命、永遠の命」の二つの意味で使われている。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20179 3より)

 

 

「被造物を大切にする世界祈願日」 (9月の第1日曜日)
 回勅『ラウダート・シ──ともに暮らす家を大切に』(2015年)で、全世界の人に向けて、エコロジー(自然保護)に取り組むよう訴えた教皇フランシスコは、東方正教会にならって、環境保護のための助けを願う日をカトリック教会の暦に加えました。
 地球規模の環境悪化が進む中、自然を破壊することなく、「わたしたち皆の家」である地球を大切にし、調和のうちに発展していくことができるよう、この日、全世界のカトリック教会で祈りがささげられます。
いのちの与え主である神に賛美と感謝をささげるとともに、自然を大切にする視点から、ライフスタイルを見直し、考え方を改める機会としていきたいものです。


(カトリック中央協議会刊『カトリック教会情報ハンドブック2017』より)

パンダネ「週報」2017年 9月 3日号

~~~カトリック兵庫教会報~~~

パンダネ「週報」

下記をクリックしてください。)

「2017_9_3_syuhou_aa.pdf」をダウンロード

« 2017年8月 | トップページ