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2017年10月28日 (土)

2017年10月29日の「聖書と典礼」

2017年10月29日の「聖書と典礼」

「年間第30主日」 A

あなたの神である主を愛しなさい。

隣人を自分のように愛しなさい。

(福音朗読主題句マタイ福音書223739節より)

 

 〔出エジプト記2022節~2333節は「契約の書」と呼ばれる。このことばに基づいて契約が締結される(24章)。エジプトの奴隷状態からの解放という救いの体験をした民には、弱い立場の人間への共感と愛が特別に求められている〕。

第一朗読出エジプト

あなたが寡婦や孤児を苦しめる場合は、わたしの怒りは燃え上がる。

(22章2026節)

出エジプト記

 〔主は言われる。〕20寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。
 
21寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。22もし、あなたが彼を苦しめ、彼がわたしに向かって叫ぶ場合は、わたしは必ずその叫びを聞く。23そして、わたしの怒りは燃え上がり、あなたたちを剣で殺す。あなたたちの妻は寡婦となり、子供らは、孤児となる。
 
24もし、あなたがわたしの民、あなたと共にいる貧しい者に金を貸す場合は、彼に対して高利貸しのようになってはならない。彼から利子を取ってはならない。25もし、隣人の上着を質にとる場合には、日没までに返さねばならない。26なぜなら、それは彼の唯一の衣服、肌を覆う着物だからである。彼は何にくるまって寝ることができるだろうか。もし、彼がわたしに向かって叫ぶならば、わたしは聞く。わたしは憐れみ深いからである。

(註)20寄留者・・・・・・次節の「寡婦」、「孤児」と並んで社会的弱者の代表であった。

(註)22叫びを聞く・・・・・・神が苦しむ人々の叫び声を聞くことは、エジプト脱出という救いの業の出発点でもあった(出エジプト記223節、37節参照)。

 

 〔テサロニケの教会は、パウロが第二回宣教旅行で創設した教会であった。この個所は手紙の冒頭にある神への感謝の一部分にあたる。〕

第二朗読     (一)テサロニケの信徒への手紙

あなたがたは偶像から離れて神に立ち返り、

御子が来られるのを待ち望むようになった。

(1章5節c10節)

使徒パウロのテサロニケの教会への手

5c〔皆さん、〕わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。6そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、7マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。8主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです。9彼ら自身がわたしたちについて言い広めているからです。すなわち、わたしたちがあなたがたのところでどのように迎えられたか、また、あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか、10更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。

(註) 6ひどい苦しみの中で・・・・・・パウロがテサロニケで宣教したとき、ユダヤ人はねたんで暴動を起こし、キリスト信者が襲われた(使徒言行録1719節参照)。

(註) 7マケドニア州とアカイア州・・・・・・ギリシアのこと。当時のローマ帝国ではこの二州に分けられていた。テサロニケはマケドニアの中心都市。

 

 〔イエスは神殿の境内で、当時のユダヤ人の指導者たちと論争していくが、この個所の直前には、サドカイ派との復活をめぐる論争がある。〕

福音朗読          マタイ福音書 

あなたの神である主を愛しなさい。

隣人を自分のように愛しなさい。

(22章3440節)

マタイによる福音

 34〔そのとき、〕ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。35そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。36「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」37イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』38これが最も重要な第一の掟である。39第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』40律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

(註)37心を尽くし~・・・・・・申命記65節の引用。「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である」(同64節)に続く掟で、「シェマー(聞け)の祈りとしてユダヤ人が日々唱えるものとされていた。

(註)39隣人を自分のように~・・・・・・レビ記1918節。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20171029より)

2017年10月20日 (金)

2017年10月22日の「聖書と典礼」

2017年10月22日の「聖書と典礼」

「年間第29主日」 A

皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。

(マタイ福音書2221節より)

 

 〔イザヤ書4055章は紀元前六世紀のバビロン捕囚の終わりのころの預言。バビロンを征服するペルシア王によって神の救いの計画が実現する。すべての出来事は唯一の主である神の計画の中にある。〕

第一朗読           イザヤ書

私はキュロスの右の手を固く取り、国々を彼に従わせる。

(45章1節、46節)

イザヤの預言

1主が油を注がれた人キュロスについて
主はこう言われる。
わたしは彼の右の手を固く取り
国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。
扉は彼の前に開かれ
どの城門も閉ざされることはない。

                             

4わたしの僕ヤコブのために
わたしの選んだイスラエルのために
わたしはあなたの名を呼び、称号を与えたが
あなたは知らなかった。

5わたしが主、ほかにはいない。
わたしをおいて神はない。
わたしはあなたに力を与えたが
あなたは知らなかった。

6日の昇るところから日の沈むところまで
人々は知るようになる
わたしのほかは、むなしいものだ、と。
わたしが主、ほかにはいない。

(註) 1油を注がれた・・・・・・神によって特別な使命を授けられることを意味する。

(註) キュロス・・・・・・世界帝国を築いたペルシアの王で、紀元前539年にバビロンを征服した。被征服民族の宗教的な自由を認め、バビロンから解放されたユダヤ人にエルサレムの神殿の再建を許可した(歴代誌下362223節、エズラ記114節参照)。

(註) 扉 城門・・・・・・古代都市の城壁の門のこと。

 

 〔この手紙は、新約聖書の中で最も古い文書とされる。テサロニケの教会には、パウロの第二回宣教旅行で福音が伝えられた。〕

第二朗読     (一)テサロニケの信徒への手紙

あなたがたの信仰と愛と希望を、わたしたちは心に留めている。

(1章15節b)

使徒パウロのテサロニケの教会への手紙

 1パウロ、シルワノ、テモテから、父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ。恵みと平和が、あなたがたにあるように。
 
2わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。3あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。4神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、わたしたちは知っています。5abわたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。

(註) 1シルワノ・・・・・・シラスともいう。第二回宣教旅行に同行(使徒言行録1522節、40節参照)。

(註) テモテ・・・・・・パウロの同行者。テモテはテサロニケの教会を再び訪れ、その様子をパウロに知らせた(3章)。

(註) 3忍耐・・・・・・原語は「苦難の下にしっかりととどまる」の意。

 

 〔エルサレムの神殿の境内での出来事。もし、イエスが納税を認めなければ、ローマ帝国の反逆者となり、認めればユダヤ民衆の信望を失うことになる。どちらにしてもイエスを陥れることになる。〕

福音朗読         マタイ福音書

皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。

(22章1521節)

マタイによる福音

15〔そのとき、〕ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。

16そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。17ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」18イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。19税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、20イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。21彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」

(註)16ヘロデ派・・・・・・ヘロデ王家を支持する人々で、ローマ帝国の支配を認めている。本来、ファリサイ派とは相いれない。

(註)17律法に適っている~・・・・・・ここでは、十戒の「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない」(出エジプト記2034節)という掟が問題になっている。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20171022より)

2017年10月13日 (金)

2017年10月15日の「聖書と典礼」

2017年10月15日の「聖書と典礼」

「年間第28主日」 A

あなたは、・・・・・・わたしのために会食を整え。

(詩編235節より 答唱詩編)

 

 〔イザヤ書2427章は、「イザヤの黙示」と呼ばれ、バビロン捕囚からの解放を待ち望む状況の中で、紀元前六世紀半ばにまとめられた預言と考えられている。祝宴のイメージとともに、神が最終的に完成してくださる救いを語る。〕

第一朗読           イザヤ書

主は祝宴を開き、すべての顔から涙をぬぐってくださる。

(25章610節a)

イザヤの預言

6万軍の主はこの山で祝宴を開き
すべての民に良い肉と古い酒を供される。
それは脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒。

7主はこの山で
すべての民の顔を包んでいた布と
すべての国を覆っていた布を滅ぼし

8死を永久に滅ぼしてくださる。
主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい
御自分の民の恥を
地上からぬぐい去ってくださる。
これは主が語られたことである。

9その日には、人は言う。
見よ、この方こそわたしたちの神。
わたしたちは待ち望んでいた。
この方がわたしたちを救ってくださる。
この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。
その救いを祝って喜び躍ろう。

10a主の御手はこの山の上にとどまる。

(註) 6この山・・・・・・直接には、神殿のあるシオンの山(エルサレム)を指すが、特定の場所を超えた、終末的な神との出会いの場のイメージがある(イザヤ書225節参照)。

(註) 古い酒・・・・・・元は「ぶどう酒の澱」の意味。よくねかせた上等の強いぶどう酒を意味する。

(註) 7顔を包んでいた布・・・・・・喪に服している様子を表す。(サムエル記下1530節、195節参照)とも考えられるが、さらに覆い布が取り去られるということは、主の栄光を直接見て、その栄光に照らされる、終末的な救いの完成のイメージ(出エジプト記342935節、()コリント3718節参照)であるともいえる。

(註) 8死を永久に~・・・・・・一コリントの信徒への手紙1554節、黙示録214節参照。

 

 〔手紙全体のしめくくりにあたり、フィリピの教会が獄中のパウロを援助してくれたことに感謝し、神とキリストに満たされる生き方を賛美をこめて語る。〕

第二朗読 フィリピの信徒への手紙

わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能である。

(4章1214節、1920節)

使徒パウロのフィリピの教会への手紙

12〔皆さん、わたしは、〕貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。13わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。14それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。
19わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。20わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

 

 

 〔マタイ福音書は、ルカ福音書での位置(ルカ福音書141524節)と異なり、このたとえ話をエルサレムの神殿でイエスが祭司長と民の長老たちと対決する場面に置く。キリストを受け入れなかったユダヤ人の運命と、異邦人に救いがもたらされた歴史が描き込まれているようである。〕

福音朗読 マタイによる福音書

見かけた者は誰でも婚宴に連れてきなさい。

(22章114節、 または 22章110節)

マタイによる福音

1 〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに〕たとえを用いて語られた。2「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。3王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。4そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』5しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、6また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。7そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。8そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。9だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』10そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。」
11「王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。12王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、13王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』14招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」》

(註) 2婚宴・・・・・・婚宴は神の国の完成の姿を表す(マタイ福音書25113節など参照)。

(註) 3家来たち・・・・・・旧約の預言者たちを指す。

(註) 4別の家来たち・・・・・・初代教会の宣教者を指すようである。

(註) 6殺してしまった・・・・・・ここにはキリストとその弟子の受けた迫害が語られているのであろう。

(註) 7町を焼き払った・・・・・・紀元70年のエルサレム滅亡のことが語られている。

(註)11婚礼の礼服・・・・・・・ここでは、神の国に入るのにふさわしい「行い」のことを指しているようである。しかし、1113節はもともと独立したたとえ話だったらしい。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20171015より)

2017年10月 6日 (金)

2017年10月 8日の「聖書と典礼」

2017年10月 8日の「聖書と典礼」

「年間第27主日」 A

イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑。

(イザヤ書57節より)

 

 〔イザヤは、紀元前八世紀、ユダ王国で活躍した預言者。神を農夫に、イスラエルやユダをぶどう畑にたとえ、神の愛のこたえない民にその行く末を悟らせようとする。同様なたとえとしてエレミヤ書221節、121011セス、ホセア書 910節、101節など参照〕

第一朗読           イザヤ書

イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑。

(5章17節)

イザヤの預言

1わたしは歌おう、わたしの愛する者のために
そのぶどう畑の愛の歌を。
わたしの愛する者は、肥沃な丘に
ぶどう畑を持っていた。

2よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。
その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り
良いぶどうが実るのを待った。
しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。

3さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ
わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。

4わたしがぶどう畑のためになすべきことで
何か、しなかったことがまだあるというのか。
わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに
なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか。

5さあ、お前たちに告げよう
わたしがこのぶどう畑をどうするか。
囲いを取り払い、焼かれるにまかせ
石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ

6わたしはこれを見捨てる。
枝は刈り込まれず
耕されることもなく
茨やおどろが生い茂るであろう。
雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。

*  

7イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑
主が楽しんで植えられたのはユダの人々。
主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに
見よ、流血(ミスパハ)。
正義(ツェダカ)を待っておられたのに
見よ、叫喚(ツェアカ)。

(註) 1わたし・・・・・・この個所の「わたし」は預言者自身。「わたしの愛する者」は神を指す。一方、36節の「わたし」は神ご自身である。

(註) 2酒ぶね・・・・・・ぶどう酒をつくるためにぶどうを搾る桶。

(註) 6おどろ・・・・・・とげのある灌木の茂み。イザヤ書のみに現れることば。

(註) 7ミシュパト ミスパハ・・・・・・ヘブライ語の語呂合わせを示している。朗読のときに読む必要はない(次の「ツェダカ」「ツェアカ」も同様)。

 

 〔自らが創設し、当時、圧迫を受けていたフィリピの教会の信者に、パウロは信仰のための戦いを進めてきた(12730節参照)。その勧告の結びにあたり、「主は近くにおられます」という確信(45節)から力強く語りかける。〕

第二朗読    フィリピの信徒への手紙

これらのことを実行しなさい。

そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられる。

(4章69節)

使徒パウロのフィリピの教会への手紙

 〔皆さん、〕どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。

 

 

 〔先週の「二人の息子」のたとえに続いて、神殿でユダヤ人指導者たちに向けて語られたたとえ話。このたとえの「農夫たち」も本来、民の指導者たちのことを指したのであろう。〕

福音朗読       マタイによる福音書

主人は、ほかの農夫たちにぶどう園を貸すにちがいない。

(2章3343節)

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。〕

33「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。34さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。35だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。36また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。37そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。38農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』39そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。40さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」41彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」42イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。
 『家を建てる者の捨てた石、
 これが隅の親石となった。
 これは、主がなさったことで、
 わたしたちの目には不思議に見える。』
43だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」

(註)34僕たち・・・・・・旧約の預言者たちのこと。「僕たち」が二回に分けて派遣されるのは、捕囚前と捕囚後の預言者を考えているのであろう。

(註)37息子・・・・・・イエスのことを指す。

(註)39ぶどう園の外に・・・・・・イエスはエルサレムの場外で十字架に架けられた(ヘブライ人への手紙131213節参照)。

(註)42家を建てる者の~・・・・・・詩編1182223節の引用。たとえの結びとして後から加えられたとも考えられる。殺されて復活するイエスこそが新しい神の民の礎石となること、そこに神の計らいの不思議さがあることを語る(使徒言行録411節、一ペトロの手紙27節参照)。

(註)43実を結ぶ民族に・・・・・・マタイはこのたとえの中に、イスラエルの民がキリストを拒否し、その結果、異邦人に救いが及んだ歴史を見ている。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201710 8より)

2017年10月 3日 (火)

◇九州北部豪雨災害被災者支援バザーのお知らせ

~聖家族児童館・カトリック兵庫教会バザー~

九州北部豪雨災害被災者支援バザー

20171022日(日)

ミ サ:午前10時~1015

バザー:午前1120分~午後2

下記をクリックしてください。)

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