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2017年10月 6日 (金)

2017年10月 8日の「聖書と典礼」

2017年10月 8日の「聖書と典礼」

「年間第27主日」 A

イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑。

(イザヤ書57節より)

 

 〔イザヤは、紀元前八世紀、ユダ王国で活躍した預言者。神を農夫に、イスラエルやユダをぶどう畑にたとえ、神の愛のこたえない民にその行く末を悟らせようとする。同様なたとえとしてエレミヤ書221節、121011セス、ホセア書 910節、101節など参照〕

第一朗読           イザヤ書

イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑。

(5章17節)

イザヤの預言

1わたしは歌おう、わたしの愛する者のために
そのぶどう畑の愛の歌を。
わたしの愛する者は、肥沃な丘に
ぶどう畑を持っていた。

2よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。
その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り
良いぶどうが実るのを待った。
しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。

3さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ
わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。

4わたしがぶどう畑のためになすべきことで
何か、しなかったことがまだあるというのか。
わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに
なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか。

5さあ、お前たちに告げよう
わたしがこのぶどう畑をどうするか。
囲いを取り払い、焼かれるにまかせ
石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ

6わたしはこれを見捨てる。
枝は刈り込まれず
耕されることもなく
茨やおどろが生い茂るであろう。
雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。

*  

7イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑
主が楽しんで植えられたのはユダの人々。
主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに
見よ、流血(ミスパハ)。
正義(ツェダカ)を待っておられたのに
見よ、叫喚(ツェアカ)。

(註) 1わたし・・・・・・この個所の「わたし」は預言者自身。「わたしの愛する者」は神を指す。一方、36節の「わたし」は神ご自身である。

(註) 2酒ぶね・・・・・・ぶどう酒をつくるためにぶどうを搾る桶。

(註) 6おどろ・・・・・・とげのある灌木の茂み。イザヤ書のみに現れることば。

(註) 7ミシュパト ミスパハ・・・・・・ヘブライ語の語呂合わせを示している。朗読のときに読む必要はない(次の「ツェダカ」「ツェアカ」も同様)。

 

 〔自らが創設し、当時、圧迫を受けていたフィリピの教会の信者に、パウロは信仰のための戦いを進めてきた(12730節参照)。その勧告の結びにあたり、「主は近くにおられます」という確信(45節)から力強く語りかける。〕

第二朗読    フィリピの信徒への手紙

これらのことを実行しなさい。

そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられる。

(4章69節)

使徒パウロのフィリピの教会への手紙

 〔皆さん、〕どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。

 

 

 〔先週の「二人の息子」のたとえに続いて、神殿でユダヤ人指導者たちに向けて語られたたとえ話。このたとえの「農夫たち」も本来、民の指導者たちのことを指したのであろう。〕

福音朗読       マタイによる福音書

主人は、ほかの農夫たちにぶどう園を貸すにちがいない。

(2章3343節)

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。〕

33「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。34さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。35だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。36また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。37そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。38農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』39そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。40さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」41彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」42イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。
 『家を建てる者の捨てた石、
 これが隅の親石となった。
 これは、主がなさったことで、
 わたしたちの目には不思議に見える。』
43だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」

(註)34僕たち・・・・・・旧約の預言者たちのこと。「僕たち」が二回に分けて派遣されるのは、捕囚前と捕囚後の預言者を考えているのであろう。

(註)37息子・・・・・・イエスのことを指す。

(註)39ぶどう園の外に・・・・・・イエスはエルサレムの場外で十字架に架けられた(ヘブライ人への手紙131213節参照)。

(註)42家を建てる者の~・・・・・・詩編1182223節の引用。たとえの結びとして後から加えられたとも考えられる。殺されて復活するイエスこそが新しい神の民の礎石となること、そこに神の計らいの不思議さがあることを語る(使徒言行録411節、一ペトロの手紙27節参照)。

(註)43実を結ぶ民族に・・・・・・マタイはこのたとえの中に、イスラエルの民がキリストを拒否し、その結果、異邦人に救いが及んだ歴史を見ている。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201710 8より)

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