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2017年11月24日 (金)

2017年11月26日の「聖書と典礼」

2017年11月26日の「聖書と典礼」

「王であるキリスト」 A

人の子はその栄光の座に着く。

そして、すべての国の民をより分ける。

(福音朗読主題句 マタイ福音書253132節より)

 

〔エゼキエルはバビロン捕囚の時代(紀元前六世紀)の預言者。イスラエルの指導者(牧者)たちの罪によって、イスラエルの民()は散らされたが、神ご自身(わたし)が牧者として民を集めることを約束する。〕

第一朗読         エゼキエル書

お前たち、わたしの群れよ。わたしは羊と羊の間を裁く。

(34章1112節、1517節)

エゼキエルの預言

11 まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。12牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。15わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。16わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う。
17 お前たち、わたしの群れよ。主なる神はこう言われる。わたしは羊と羊、雄羊と雄山羊との間を裁く。

(註)12雲と密雲の日・・・・・・雲は神の介入を表す。神の裁きの日、つまりバビロニア帝国によってエルサレムが破壊されたときを指す。(エゼキエル書303節参照)

(註)17羊と羊~・・・・・・ここで裁かれるのは、指導者たちだけでなく、民全体である。

 

 〔コリントの教会には死者の復活はないと考えていた人がいた。このためパウロは、キリストの復活とその意味について述べ、救いの完成への希望を力強く語る。〕

第二朗読     (一)コリントの信徒への手紙

キリストは父である神に国を引き渡される。

神がすべてにおいてすべてとなられるためである。

(15章2026節、28節)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

20 〔皆さん、〕キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。21死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。22つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。23ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、24次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。25キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。26最後の敵として、死が滅ぼされます。28すべてが御子に服従するとき、御子自身も、すべてを御自分に服従させてくださった方に服従されます。神がすべてにおいてすべてとなられるためです。

(註)20初穂・・・・・・最初の者の意味。後に続くすべての人の復活の始まりであることを意味する(23節参照)

(註)22アダムによってすべての人が死ぬことになった・・・・・・ローマの信徒への手紙512節参照。

 

 25113節の「十人のおとめのたとえ」、先週の「タラントンのたとえ」に続く説教で、マタイ福音書におけるイエス最後の説教でもある。この後はすぐに受難の記事が続く。この説教は、神の決定的な裁きに際して、何が問われているかを明瞭に示す。〕

福音朗読       マタイによる福音書

人の子はその栄光の座に着く。そして、すべての国の民をより分ける。

(25章3146節)

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕31「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。32そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、33羊を右に、山羊を左に置く。34そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。35お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、36裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』37すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。38いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。39いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』40そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
41 それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。42お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、43旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』44すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』45そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』46こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

(註)32羊飼いが羊と山羊を~・・・・・・第一朗読参照。山羊と羊は昼間は一緒に放牧していたが、夜になると分けられた。なおパレスチナでは羊は白く、山羊は黒いのがふつうである。

(註)35飢えていたとき~・・・・・・これらの苦しみはイエスの受難の姿をも思わせる。

(註)40わたしの兄弟であるこの最も小さい者~・・・・・・イエスに派遣される弟子について語られたマタイ書104042節に似た表現がある。

(註)41永遠の火・・・・・・マタイ書188節参照。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20171126より)

パンダネ「週報」2017年11月26日号

~~~カトリック兵庫教会報~~~

パンダネ「週報」

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2017年11月18日 (土)

2017年11月19日の「聖書と典礼」

2017年11月19日の「聖書と典礼」

「年間第33主日」 A

主を畏れる女こそ、たたえられる。

(箴言 3130節より)

 

 〔「箴言」はさまざまな格言を集めた書だが、単なる人生訓ではなく、根底に「主を畏れることは知恵の初め」(910節)という考えがある。朗読個所はその結びにある詩で、神への畏敬をもって生きた女性を賞賛をもって描く。〕

第一朗読箴言

有能な妻は、手ずから望みどおりのものを仕立てる。

31・1013、1920、3031

箴言

10有能な妻を見いだすのは誰か。
真珠よりはるかに貴い妻を。

11夫は心から彼女を信頼している。
儲けに不足することはない。

12彼女は生涯の日々
夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない。

13羊毛と亜麻を求め
手ずから望みどおりのものに仕立てる。

                             

19手を糸車に伸べ、手のひらに錘をあやつる。
20貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる。
30あでやかさは欺き、美しさは空しい。
 
主を畏れる女こそ、たたえられる。
31彼女にその手の実りを報いよ。
 
その業を町の城門でたたえよ。

(註)19・・・・・・糸車と同じく、糸をつむぐための道具。

(註)30主を畏れる・・・・・・神の前で自らの限界を知る人間の、神に向かう心を意味する。

(註)31城門で~・・・・・・多くの人の行き交う場所(121節参照)。

 

 〔主が来られる日、死者は復活し、わたしたちは主とともにいるようになる(41518節)。この確信をもってパウロは語る。〕

第二朗読    (一)テサロニケの信徒への手紙

主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはない。

(5章16節)

使徒パウロのテサロニケの教会への手紙

 1兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。2盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。3人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。4しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。5あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。6従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。

(註) 2盗人が~・・・・・・マタイ福音書244244節、ルカ福音書123940節参照。

 

  〔「タラントンのたとえ」として知られる。直前にある「十人の乙女のたとえ」に続き、終末に向かって現在をどう生きるかを問いかける。ルカ福音書191127節の「ムナのたとえ」がこれに対応するが、詳細は少し異なっている。〕

福音朗読        マタイ福音書

お前は少しのものに中実であった。主人と一緒に喜んでくれ。

(25章1430節、 または 25章1415節、1921節)

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕14「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。15それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。
《早速、
16五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。17同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。18しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。》
19さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。20まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』21主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』」
22「次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』23主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』24ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、25恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』26主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。27それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。28さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。29だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。30この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」》

(註)14ある人が旅行に出かける・・・・・・ここでは天に上げられ、再び来られるキリストのことを指している。

(註)15タラントン・・・・・・ギリシアの貨幣単位。一タラントンは六千デナリオン。一デナリオンは一日の日当であるから、一タラントンは、約二十年分の賃金に相当する。なお、ルカのたとえでは、全員が同じ額を預かる。

(註)21少しのもの・・・・・・タラントンの価値から考えれば矛盾するようだが、これから与えられるものに比べればわずかなもの、ということであろう。

(註)24蒔かないところから刈り取り~厳しい方・・・・・・この主人はキリストを指すので不適切な言葉だが、一タラントンあずかった人はまさにそう考え、主人もその考えに基づいて答えた(26節)。

(註)25地の中に隠して・・・・・・倒産することもある当時の銀行に預けるより、はるかに安全な財産の保管方法と考えたもの。しかし、主人は保管することではなく、それを活かすことを要求する。

(註)29持っている人は~・・・・・・マタイ福音書1312節にもある格言のようなことば。

(註)30外の暗闇に~・・・・・・週末の裁きによる決定的な滅亡を意味する(マタイ福音書2213節などにもみられる表現)。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20171112より)

 

 

~~~聖書週間(11月16日~11月23日)~~~
 11月の第3日曜日から第4日曜日までは聖書週間にあてられています。
 神の愛を知り、神の心を受け取るために、わたしたちは新約聖書と旧約聖書を神のことばとして読み、大切にします。
 『聖書週間』は、すべての人、とくに信徒が、この聖書に『より強い関心をもち、親しみ、神の心に生きる』ようになるための週間です。
各教区では、聖書への関心を高め、より親しむために、講演会、研修会、展示会などの催しが計画されます。
 このような催しに進んで参加するとともに、自分でも積極的に聖書に近づきましょう。たとえば、毎日欠かさず聖書を一章ずつ読む方法や、ミサにあずかれなくても、ミサの聖書朗読の当日分を毎日読む方法も勧められています。
   (カトリック中央協議会刊・カトリック教会情報ハンドブック より)

 

パンダネ「週報」2017年11月19日号

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2017年11月10日 (金)

2017年11月12日の「聖書と典礼」

2017年11月12日の「聖書と典礼」

「年間第32主日」 A

キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し。

(一テサロニケの信徒への手紙416節より)

 

 〔「知恵の書」は第二正典に属し、「ソロモンの知恵」とも呼ばれる。紀元前一世紀ごろに書かれた。この個所は地上の支配者たちに、神の掟に従う知恵を求めるよう促す。ここでは、知恵が人格化されて語られている。この「知恵」は単なる人間的な賢さではなく、神的なものである。(知恵の書72526節参照)。新約聖書ではキリストご自身が「神の知恵」と言われるようになる(一コリントの信徒への手紙124節、30節参照)。〕

第一朗読           知恵の書

知恵は、知恵を探す人には自分を示す。

(6章1216節)

知恵の書

12知恵は輝かしく、朽ちることがない。
知恵を愛する人には進んで自分を現し、
探す人には自分を示す。

13求める人には自分の方から姿を見せる。

14知恵を求めて早起きする人は、苦労せずに
自宅の門前で待っている知恵に出会う。

15知恵に思いをはせることは、最も賢いこと、
知恵を思って目を覚ましていれば、
心配もすぐに消える。

16知恵は自分にふさわしい人を求めて巡り歩き、
道でその人たちに優しく姿を現し、
深い思いやりの心で彼らと出会う。

 

 

 〔新約聖書の文書の中で最も早く書かれたこの手紙は、キリストの再臨が間近いという期待に満ちている。その中で、すでに死んでしまった兄弟はどうなるのか、という疑問にパウロは答える。〕

第二朗読    一テサロニケの信徒への手紙

神はイエスを信じて眠りについた人たちを、

イエスと一緒に導き出してくださる。

(4章1318節、 または 4章1314節)

使徒パウロのテサロニケの教会への手紙

13兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。14イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。
 
15主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。16すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、17それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。18ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。

(註)15主が来られる日まで生き残る~・・・・・・キリストは今の時代のうちに再臨すると期待されていた。しかし、パウロは期待をはっきりと述べているのではない(513節参照)。

(註)17空中・・・・・・古代人の宇宙観に基づく表現。天から降ってくるキリストと地上のわたしたちが出会う場。

 

 〔マタイ福音書では、2429節から人の子の到来が語られる。その時

に向かって今をどう生きるかを問いかけるたとえ話である。〕

福音朗読        マタイによる福音書

花婿だ。迎えに出なさい。

(25章113節)

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕1「天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。2そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。3愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。4賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。5ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。6真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。7そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。8愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』9賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』10愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。11その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。12しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。13だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

(註) 1おとめ・・・・・・花嫁の家で花婿が迎えに来るのを待っている花嫁の友人のこと。当時の風習では、花婿が花嫁を花嫁の実家まで迎えに行き、花嫁や付き添いの人々と一緒に婚宴の行われる花婿の家に向かった。

(註) 2賢かった・・・・・・ここでいう「賢さ」は人間的な知恵ではなく、神に従う知恵を意味している(第一朗読参照)。

(註)10婚宴の席・・・・・・婚宴は神の国の完成の姿を表す。

(註)13目を覚ましていなさい・・・・・・これは、マタイ福音書2436節から続いているテーマである。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20171112より)

2017年11月 4日 (土)

2017年11月 5日の「聖書と典礼」

2017年11月 5日の「聖書と典礼」

「年間第31主日」 A

彼らは言うだけで、実行しない。

(福音朗読主題句 マタイ福音書23 3節より)

 

  〔「マラキ」とは「使者」の意味。紀元前五世紀の前半、神殿は再建されたが、正しい礼拝は行われておらず、祭司は不正を行っていた。〕

第一朗読           マラキ書

あなたたちは道を踏み外し、教えによって多くの人をつまずかせた。

(1章14節b-2章2節b、810節)

マラキの預言

114bわたしは大いなる王で、わたしの名は諸国の間で畏れられている、と万軍の主は言われる。
21祭司たちよ、今あなたたちにこの命令が下される。2abもし、あなたたちがこれを聞かず、心に留めず、わたしの名に栄光を帰さないなら、と万軍の主は言われる。わたしはあなたたちに呪いを送り、祝福を呪いに変える。

                             

8あなたたちは道を踏みはずし
 教えによって多くの人をつまずかせ
 レビとの契約を破棄してしまったと
 万軍の主は言われる。
9わたしも、あなたたちを
 民のすべてに軽んじられる価値なき者とした。
 あなたたちがわたしの道を守らず
 人を偏り見つつ教えたからだ。

 

10我々は皆、唯一の父を持っているではないか。
 我々を創造されたのは唯一の神ではないか。
 なぜ、兄弟が互いに裏切り
 我々の先祖の契約を汚すのか。

(註)21この命令・・・・・・16節、14節との関連からは、神を畏れ、心を尽くして礼拝を行うことへの命令と思われる。

(註) 8レビとの契約・・・・・・旧約時代、祭司の務めはレビ族にゆだねられた。ここでは申命記33811節にあるような、教える任務が考えられているのであろう。

 

 〔パウロは自分のテサロニケの人々に対する宣教が、不純な動機によるものではなく、神に喜ばれるためであったことを強調して語る。〕

第二朗読     一テサロニケの信徒への手紙

私は神の福音を伝えるばかりでなく、

自分の命さえ喜んで与えたいと願った。

(2章7b9節、13節)

使徒パウロのテサロニケの教会への手紙

7b〔皆さん、わたしたちは、〕あなたがたの間で幼子のようになりました。ちょうど母親がその子供を大事に育てるように、8わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。あなたがたはわたしたちにとって愛する者となったからです。9兄弟たち、わたしたちの労苦と骨折りを覚えているでしょう。わたしたちは、だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えたのでした。
13このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。

(註) 7幼子のようになりました・・・・・・前の文との関係では、高ぶらなかったという意味だろう。しかし、ここの「幼子」を「優しく」と読む可能性もある。その場合、あとの「母親がその子どもを……」とつながり「優しくふるまいました」と訳すことができる。

(註) 9労苦と骨折り・・・・・・(二)コリントの信徒への手紙1127節、()テサロニケの信徒への手紙38節参照。

 

 〔マタイ福音書では、エルサレムの神殿での、ファリサイ派やユダヤ人の指導者たちとの論争の後、律法学者やファリサイ派に対する強烈な批判のことばが続く(23136節)〕

福音朗読          マタイ福音書 

彼らは言うだけで、実行しない。

23・112

マタイによる福音

 1〔そのとき、〕イエスは群衆と弟子たちにお話しになった。2「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。3だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。4彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。5そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。6宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、7また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。8だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。9また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。10『教師』と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。11あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。12だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

(註) 2モーセの座・・・・・・律法学者やファリサイ派は民衆に律法を教え、彼らの教えはモーセと同じ権威を持つものと考えられた。

(註) 5聖句の入った小箱・・・・・・信仰深いユダヤ人が朝の祈りのときに、左腕と額につけた小箱。中に入っている革に聖句が書き記されている(申命記68節参照)。

(註) 衣服の房・・・・・・律法を思い出すためにつけた(民数記1538節、申命記2212節参照)。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201711 5より)

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