« パンダネ「週報」2018年 2月11日号 | トップページ | 2018年 2月14日の「聖書と典礼」 »

2018年2月 9日 (金)

2018年 2月11日の「聖書と典礼」

2018年 2月11日の「聖書と典礼」

「年間第6主日」 B

主は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。

(答唱詩編 答唱句)

 

 〔蛇に誘惑されて人(アダム)が罪を犯した後の神のことば。罪によって神から離れてしまった人間の苦しみが描かれている。なお、この日の第一朗読の箇所は日本の教会のための独自の箇所である。ちなみに、ローマ規範版の『ミサの朗読配分』では、この日の第一朗読はレビ記1312節、4446節となっている。〕

第一朗読            創世記 

お前のゆえに、土は呪われる者となった。お前は生涯苦しむ。

(3章1619節)

創世記

16神は女に向かって言われた。
「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。
お前は、苦しんで子を産む。
お前は男を求め
彼はお前を支配する。」

17神はアダムに向かって言われた。
「お前は女の声に従い
取って食べるなと命じた木から食べた。
お前のゆえに、土は呪われるものとなった。
お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。

18お前に対して
土は茨とあざみを生えいでさせる
野の草を食べようとするお前に。

19お前は顔に汗を流してパンを得る
土に返るときまで。
お前がそこから取られた土に。
塵にすぎないお前は塵に返る。」

(註)16はらみ・・・孕(はら)むこと。つまり、子どもを身ごもること。

(註) 彼はお前を支配する・・・男が女を支配するということは、神の本来の意思によるのではなく、人間の罪の結果である。

(註)18茨とあざみ・・・共にとげのある雑草。食物となる草木が生えるのを妨げる。

(註)19土 塵・・・人は土の塵から形づくられ、「命の息」をふき入れられて生きるものとなった(創世記27節参照)。それゆえ、人は神から離れれば、むなしく滅び行くものでしかないのである。

 

 〔「『すべてのことが許されている。』 しかし、すべてのことが益になるわけではない」(1023節)というパウロは、偶像に供えられた肉を食べてもよいか、という問題に関連して、キリスト者の生き方全体がすべての人の救いのためであることを語る。〕

第二朗読    (一)コリントの信徒への手紙 

わたしがキリストに倣う者であるように、

あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。

(10章31節〜11章 1節)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

                             1031〔皆さん、〕あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。32ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、あなたがたは人を惑わす原因にならないようにしなさい。33わたしも、人々を救うために、自分の益ではなく多くの人の益を求めて、すべての点ですべての人を喜ばそうとしているのですから。111わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。

(註)1032神の教会・・・この手紙にたびたび登場する表現(12節、1116節、22)。教会が神のものであることを明示する。

(註)111キリストに倣う・・・ここでは徹底的に自分を低くされ、仕える者となられてキリストの姿(フィリピの信徒への手紙26節―8節参照)が考えられているのであろう。

 

〔ガリラヤでのイエスの活動の一コマ。〕

 福音朗読       マルコによる福音書 

重い皮膚病は去り、その人は清くなった。

(1章4045節)

マルコによる福音

40〔そのとき、〕重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。41イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、42たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。43イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、44言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」45しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。

(註)40重い皮膚病・・・現代でいう「ハンセン病」を含むが、似たような病状全体を表すことば。古代には治療法がなく非常に恐れられていた。律法では、この病気の人は「汚れた者」と考えられ、共同体から追放され、健常者に近づくことを許されなかった(レビ記134546節参照)。

(註) 御心ならば・・・直訳は「あなたが望むならば」。次節の「よろしい」は、直訳では「わたしは望む」である。

(註)41深く憐れんで・・・はらわたが激しく動かされるさまを表す語で、深い共感を意味する。なお「怒って」とする写本もあり、その場合は、人間を苦しめているものへの怒りを表していると考えられる。

(註)43厳しく注意して・・・原語は、「息巻いて、がみがみ言う」といった意味合い。

(註)44話さないように・・・イエスはたびたびいやしを口止めしている(マルコ福音書543節など)

(註) 祭司に体を見せ~・・・清めの儀式については、レビ記14章に詳しい規定がある。この儀式を経なければ、病人は社会復帰することができなかった。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018 211より)

« パンダネ「週報」2018年 2月11日号 | トップページ | 2018年 2月14日の「聖書と典礼」 »