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2018年5月27日 (日)

 2018年 5月27日の「聖書と典礼」

2018年 5月27日の「聖書と典礼」

「三位一体の主日」 B

わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。

(マタイによる福音書2820節より)

 

 〔約束の地を前にして、モーセは民に神の救いのわざを思い起こさせる。イスラエルは救いの体験によって唯一の主である神を知った。〕

第一朗読            申命記

上の天においても下の地においても主こそ神であり、

ほかに神はいない。

(4章3234節、3940節)

申命記

 〔モーセは民に言った。〕32あなたに先立つ遠い昔、神が地上に人間を創造された最初の時代にさかのぼり、また天の果てから果てまで尋ねてみるがよい。これほど大いなることがかつて起こったであろうか。あるいは、そのようなことを聞いたことがあろうか。33火の中から語られる神の声を聞いて、なお生きている、あなたと同じような民があったであろうか。34あるいは、あなたたちの神、主がエジプトにおいてあなたの目の前でなさったように、さまざまな試みとしるしと奇跡を行い、戦いと力ある御手と伸ばした御腕と大いなる恐るべき行為をもって、あえて一つの国民を他の国民の中から選び出し、御自身のものとされた神があったであろうか。
39あなたは、今日、上の天においても下の地においても主こそ神であり、ほかに神のいないことをわきまえ、心に留め、40今日、わたしが命じる主の掟と戒めを守りなさい。そうすれば、あなたもあなたに続く子孫も幸いを得、あなたの神、主がとこしえに与えられる土地で長く生きる。

(註)33火の中から語られる神の声・・・荒れ野の旅の途中、シナイ山で十戒が授けられたことを指す。申命記では、民は十戒のことばを神から直接に聞いたと言われている(申命記54節、22節参照)。

(註)34力ある御手と伸ばした御腕・・・手に戦いの武器を持っている様子が考えられているのであろう。神の大きな救いの力を表す表現である。

(註)3940今日・・・今ここでの決断を民に促す、申命記に特徴的なことば。

 

 〔この手紙の8章でパウロは聖霊によるいのちについて詳しく述べている。〕

第二朗読 ローマの信徒への手紙

神の子とする霊を受け、この霊によって、

わたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶ。

(8章1417節)

                             使徒パウロのローマの教会への手紙

14 〔皆さん、〕神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。15あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。16この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。17もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。

(註)15アッバ、父よ・・・「アッバ」はアラム語で子どもが父親を呼ぶときのことば。イエス自身このように神に祈られた(マルコ福音書1436節参照)。

(註)17相続人・・・神の恵みと祝福を受け継ぐ者。

 

 〔マタイ福音書の結びの部分。イエスの墓の前で天使が告げたとおり、弟子たちはガリラヤでイエスに出会う。〕

 

福音朗読       マタイによる福音書

 すべての民に父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい。

(28章1620節)

マタイによる福音

 

16 〔そのとき、〕十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。17そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。18イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。19だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、20あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

(註)17ひれ伏した・・・礼拝するという意味もある。

(註)18権能・・・行動する自由、権限。

(註)19父と子と聖霊の名によって~・・・マタイの教会で使われていた洗礼式文からとられた表現と考えられる。「名によって洗礼を授け」は直訳では「名の中に沈め」となる。また「名」はそのものの本質を表す。

(註)20共にいる・・・マタイ福音書123節参照。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018527より)

パンダネ「週報」2018年 5月27日号

~~~カトリック兵庫教会報~~~

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2018年5月19日 (土)

2018年 5月20日の「聖書と典礼」

2018年 5月20日の「聖書と典礼」

「聖霊降臨の主日」 B

炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。

(使徒言行録 2 3節より)

 

 〔イエスが昇天したのち、百二十人ほどの弟子たちがエルサレムの町の一つの家に集まり、約束された聖霊を待ち望んで祈っていた。〕

第一朗読 使徒言行録

一同は聖霊に満たされ、話しだした。

(2章111節)

使徒たちの宣教

1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4すると、一同は聖霊に満たされ、が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、6この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。7人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。8どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。9わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、10フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、11ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

(註) 1五旬祭・・・旧約聖書で「七週の祭」と言われ、過越祭から五十日目に祝われた。元来は「刈り入れの祭」であった。過越し祭に始まる大きな祭りの期間を締めくくる五旬祭には、多くの巡礼者がエルサレムに集まっていた。

(註) 2・・・聖霊のしるし。霊(プネウマ)はもともと「風」を意味する。

(註) 3・・・原語の「グロッサ」は4節で「言葉」と訳される語。つまり、聖霊の賜物の目に見えるしるしである。

(註) 4ほかの国々の言葉・・・他国の言葉ととる場合が多いが、聖霊の賜物としての「異言」(一コリントの信徒への手紙14章参照)を指すとの解釈もある。

(註) 9バルディア、メディア~・・・これらの地名は、東は今のイランから西はローマまで、さらに北アフリカをも含む非常に広い地域を示す。

 

 〔パウロは、律法から解放され、自由を与えられたキリスト者が、罪を犯すことなく、互いに愛し合うよう、聖霊に従って生きることを勧める。

第二朗読      ガラテヤの信徒への手紙

霊を結ぶ実。

5・1625

使徒パウロのガラテヤの教会への手紙

16 〔皆さん、〕霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。17肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。18しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。19肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、21ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。
22 これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、23柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。24キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。25わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。

(註)16霊  肉・・・ここでは「霊」は聖霊を意味し、神とのつながりの中にある人間の状態を表すのに対し、「肉」は神から離れ、滅びゆく人間の状態を意味する。

(註)24キリスト・イエスのものとなった人たち・・・洗礼を受けてキリストに結ばれた者(ローマの信徒への手紙66節参照)。

 

 〔最後の晩餐の席でイエスが語られた長い説教の一部。迫害の予告に続いて語られることば。〕

                             

福音朗読        ヨハネによる福音書

心理の霊はあなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。

(15章2627節、16章1215節)

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕1526「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。27あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。
1612 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。13しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。14その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。15父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

(註)1526弁護者・・・原語「パラクレートス」の元の意味は「そばに呼ばれた者」。聖霊はわたしたちの近くにいてわたしたちを助けてくださる方である(1416節、26節、167節参照)。

(註) 心理の霊・・・真理であるイエスのことを弟子たちに現し、悟らせる霊、という意味であろう。1417節参照。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018520より)

パンダネ「週報」2018年 5月20日号

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2018年5月12日 (土)

2018年 5月13日の「聖書と典礼」

2018年 5月13日の「聖書と典礼」

「主の昇天」 B

イエスは彼らが見ているうちに天に上げられた。

(使徒言行録 1 9節より)

 

 〔「使徒言行録」はルカ福音書の続きとして書かれた。福音書は昇天の出来事で結ばれているが、使徒言行録は同じ出来事から始まる。〕

第一朗読          使徒言行録

イエスは彼らが見ているうちに天に上げられた。

(1章111節)

使徒たちの宣教

1-2 テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。
3 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。4そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。5ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」
6 さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。7イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。8あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」9こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。10イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、11言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

(註) 1テオフィロさま・・・ルカ福音書同様、本書は「テオフィロ」という人物に献呈された形を取っているが、この名の人物は知られていない。この名は「神を愛する者」あるいは「神に愛された者」を意味する。

(註)  先に第一巻・・・ルカによる福音書のこと。

(註) 4父の約束されたもの・・・聖霊のこと。ルカ福音書2449節参照。

(註) 5聖霊による洗礼・・・普通の洗礼で水に沈められ、水に覆われるように、聖霊で覆われること、すなわち2章の聖霊降臨の出来事を指す。

(註) 6国を建て直して・・・この時、弟子たちはまだ政治的な解放を期待していた。

(註) 9・・・神がそこにおられるしるしである。

(註)10白い服を着た二人の人・・・天使である。

 

 〔あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つのまとめられる(110節)ことを確信しながらパウロは勧告する。なお、第二朗読は各年共通のエフェソ11723節を用いることもできる。〕

第二朗読      エフェソの信徒への手紙

わたしたちは、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長する。

(4章113節、 または 4章17節、1113節)

使徒パウロのエフェソの教会への手紙

                             

1 〔皆さん、〕主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、2一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、3平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。4体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。5主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、

6すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。
7 しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。
 《
8そこで、
 「高い所に昇るとき、
 捕らわれ人を連れて行き、
 人々に賜物を分け与えられた」
と言われています。
9 「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。10この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。》
11 そして、〔キリストは〕ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。12こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、13ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。

(註) 1囚人となっている・・・パウロは獄中でこの手紙を書いたとされている(620節参照)。

(註) 2高ぶることなく、柔和で・・・マタイ福音書1129節で、キリストがご自身について語られた言葉を思わせる。

(註) 4・・・この手紙でも、教会は「キリストの体」と言われている(123節、412節参照)。

(註) 8高い所に昇るとき~・・・詩編6819節の引用。「賜物」は、具体的には11節で語られるようなさまざまな奉仕職のことである。

(註)11ある人を使徒~・・・これらの職務は「聖霊の賜物」である(一コリントの信徒への手紙12710節、2830節、ローマの信徒への手紙1268節参照)。

 

 

 〔福音を告げ知らせるイエスの活動はガリラヤで始まったが、同じ使命は復活したイエスから弟子たちに受け継がれ、全世界に向けられていく。〕

福音朗読        マルコによる福音書

主イエスは天に上げられ、神の右の座に着かれた。

(16章1520節)

マルコによる福音

15 〔そのとき、イエスは十一人の弟子に現れて、〕言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。16信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。17信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。

18手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
19 主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。20一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。 

(註)15造られたもの・・・「被造物」の意味だが、ここでは「人間」を指している。

(註)17新しい言葉・・・聖霊降臨のときに使徒たちが語った言葉(使徒言行録2章)や異言のことであると考えられる。

(註)18・・・神に逆らい、人を害するもののシンボル。なお、使徒言行録2836節のパウロのエピソードを参照。

(註)19神の右の座・・・神から全権を委任されたことを表現することば(詩編1101節参照)。

  

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018513より)

パンダネ「週報」2018年 5月13日号

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2018年5月 4日 (金)

パンダネ「週報」2018年 5月 6日号

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2018年5月 3日 (木)

2018年5月6日聖書と典礼

2018年 56日の「聖書と典礼」

「復活節第6主日」

互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である

(ヨハネ1517節)

 

〔異邦人(ローマ人)であるコルネリウスは天使のお告げを受けて、ペトロを迎えるために使いを送った。ユダヤ人の中で始まったキリスト教は異邦人にも広まっていく〕

第一朗読        使徒言行録

聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれた

1025-2634-3544-48節)

 

使徒たちの宣教

 25ペトロが〔カイサリアに〕来ると、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。26ペトロは彼を起こして言った。「お立ちください。わたしもただの人間です。」

 34〔そして、〕ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。35どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」
 
44ペトロが話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。45割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。46異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。そこでペトロは、47「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言った。48そして、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるようにと、その人たちに命じた。それから、コルネリウスたちは、ペトロになお数日滞在するようにと願った。

(註)25カイサリア・・パレスチナの地中海岸の港町で、

          ローマ総督が駐在していた。

()  コルネリウス・ローマ軍の「イタリア隊」と

          呼ばれる部隊の百人隊長。

()(27-33)省略個所では、ペトロが招きに応じた理由と、

     コルネリウスが彼を招いた経緯が語られる。

()(36-43)省略個所でペトロはイエスについて証しする。

()45割礼を受けている信者・ユダヤ人キリスト者のこと

()46異言・・神に向かって語られる不思議な言葉。聖霊

    の賜物の一つと考えられた。一コリント14章参照

 

〔この手紙の中心部分。イエス・キリストが真の人間として来られたことを認めない、偽預言者や反キリストの霊を警戒するようにとの呼びかけ(41-6)に続いて、神の愛について語る

第二朗読     ()ヨハネの手紙

神は愛である

47-10節)

愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。8愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。9神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。10わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。

()互いに愛し合う・ヨハネ1334151217参照

()10罪を償ういけにえ・キリストの十字架による救いを

    約の犠牲祭儀のことばで表わしている。22参照

 

〔最後の晩さんの席でイエスが弟子たちに語る別れの説教(14章―16)の中の一節〕

福音朗読     ヨハネによる福音

友のために自分の命を捨てること、

これ以上に大きな愛はない

159-17節)

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕9「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。10わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
 11これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。12わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。13友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。14わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。15もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。16あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。17互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

()10掟・・1334では「互いに愛し合うこと」が「新し

     い掟」と呼ばれている。きょうの箇所(12節) 

     では「わたしの掟」と呼ばれる。

()13友・・自由で平等な、親しい関係を表すことば。こ

      の13節のことばは、格言の引用のようでもあ

      るが、ここでは一般論ではなく、自らの命を

      ささげるイエスの愛を表しているのであろう。

()16わたしがあなたがたを選んだ・「友」ということばで

      表されるイエスと弟子とのつながりの根拠は

      弟子にあるのではなく、イエスにあることを

      表している。

() 任命した・・直訳では「置いた」。

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201856より)

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