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2018年6月29日 (金)

2018年 7月 1日の「聖書と典礼」

2018年 7月 1日の「聖書と典礼」

「年間第13主日」 B

子供の手を取って「タリタ、クム」と言われた。

(マルコによる福音書 541節より)

 

 〔「知恵の書」は紀元前二世紀に書かれた。著者は、この箇所で創世記13章の創造の業を思い浮かべながら、人が正しく生きるべきことを述べる。〕

第一朗読        知恵の書

悪魔のねたみによって死がこの世に入った。

(1章1315節、2章2324節)

知恵の書

113神が死を造られたわけではなく、

命あるものの滅びを喜ばれるわけでもない。

14生かすためにこそ神は万物をお造りになった。
世にある造られた物は価値がある。
滅びをもたらす毒はその中になく、
陰府がこの世を支配することもない。

15義は不滅である。

                             

223神は人間を不滅な者として創造し、
御自分の本性の似姿として造られた。

24悪魔のねたみによって死がこの世に入り、
悪魔の仲間に属する者が死を味わうのである。

(註)14生かすために・・・創世記27節参照。

(註)  陰府・・・死者の領域のことであるが、ここでは死の力を意味する。

(註)23ご自分の本性の似姿・・・創世記126-27節参照。人間は本来、神の永遠性にあずかっており、死は罪の結果であると考えられている。

 

 〔コリントの隣のマケドニア州の信者が貧しいエルサレムの教会のために援助したことを例にあげて、パウロはコリントの教会にも同様の援助を勧める。〕

第二朗読  (二)コリントの信徒への手紙

あなたがたのゆとりが他の人々の欠乏を補う。

(8章7節、9節、1315節)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

7〔皆さん、〕あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。
9 あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。13他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。

14あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。
15「多く集めた者も、余ることはなく、
 わずかしか集めなかった者も、
 不足することはなかった」
と書いてあるとおりです。

(註) 9貧しくなられた・・・フィリピの信徒への手紙26-7節参照。

(註)15多く集めた者も~・・・出エジプト記1618節の引用。元は荒れ野の旅の中で「マナ」について言われたことば。

 

 〔ゲラサ人(異邦人)の地から帰ってきたイエスを大勢の群集が待ち受けていた。救いを求めてイエスに向かってくる人々の信仰が描かれる。〕

福音朗読  マルコによる福音書

少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい。

(5章2143節、または、5章2124節、35b43節)

マルコによる福音

21〔そのとき、〕イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。22会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、23しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」24そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。
 大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。
25さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。26多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。27イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。28「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。29すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。30イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。31そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」32しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。33女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。34イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
35イエスがまだ話しておられるときに、》
会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」
36イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。37そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。38一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、39家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」40人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。41そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。42少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。43イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。

(註)22会堂長・・・会堂の管理者であり、同時にその会堂に属するユダヤ人共同体のリーダーでもあった。

(註)25出血・・・レビ記1525-30節にある女性の出血のこと。「汚れ」と考えられ、この女性の触れたものも汚れるとされていた。それゆえ、この女はひそかにイエスに近づいたのである。

(註)34信仰・・・ここに現れる「信仰」というテーマは、36節の「ただ信じなさい」ということばにつながっていく。さらに来週の福音朗読個所(61-6)でも重要な意味を持つ。

(註)41タリタ、クム・・・アラム語で「タリタ」は「少女」「クム」(又はクミ)は「起きよ」の意味。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20187 1 より)

パンダネ「週報」2018年 7月 1日号

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2018年6月22日 (金)

2018年 6月24日の「聖書と典礼」

 2018年 6月24日の「聖書と典礼」

「洗礼者聖ヨハネの誕生」 B

この子には主の力が及んでいた。

(ルカによる福音書 166節より)

 

 〔いわゆる「主の僕の歌」の第二の歌。第二イザヤ(イザヤ書4055章)自身の預言者としての召命と使命を語っているようである。洗礼者ヨハネも、誕生の時から「いと高き方の預言者と呼ばれる」(ルカ福音書176節)と言われていた。〕

第一朗読           イザヤ書 

わたしはあなたを国々の光とする。

(49章16節)

イザヤの預言

1島々よ、わたしに聞け
遠い国々よ、耳を傾けよ。
主は母の胎にあるわたしを呼び
母の腹にあるわたしの名を呼ばれた。

2わたしの口を鋭い剣として御手の陰に置き
わたしを尖らせた矢として矢筒の中に隠して

3わたしに言われた
あなたはわたしの僕、イスラエル
あなたによってわたしの輝きは現れる、と。

4わたしは思った
わたしはいたずらに骨折り
うつろに、空しく、力を使い果たした、と。
しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり
働きに報いてくださるのもわたしの神である。

5主の御目にわたしは重んじられている。
わたしの神こそ、わたしの力。
今や、主は言われる。
ヤコブを御もとに立ち帰らせ
イスラエルを集めるために
母の胎にあったわたしを
御自分の僕として形づくられた主は

6こう言われる。
わたしはあなたを僕として
ヤコブの諸部族を立ち上がらせ
イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。
だがそれにもまして
わたしはあなたを国々の光とし
わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。

(註) 1母の胎ある~・・・神による選びを強調して語る表現(エレミヤ書15節参照)。

(註) 3わたしの僕、イスラエル・・・イスラエルの民全体が「僕」と呼ばれることもあるが、ここではイスラエルに与えられた「神の僕」としての使命を代表して生きる人として、預言者自身が「イスラエル」と呼ばれているのであろう。

(註) 5ヤコブを御もとに立ち帰らせ~・・・「ヤコブ」はイスラエルの別名。民を神のもとに立ち帰らせることは、洗礼者ヨハネの使命でもあった。

 

 〔パウロが第1回の宣教旅行のとき、小アジアのアンティオキアのユダヤ教の会堂で行った説教の一部。パウロはここで、イエスが救い主であることは神の約束であり、洗礼者ヨハネも認めていた、と主張している。〕

第二朗読          使徒言行録 

ヨハネは、イエスがおいでになる前に宣べ伝えた。

(13章2226節)

使徒たちの宣教

                             

22 〔その日、パウロは言った。「神は〕サウルを退けてダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。』23神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。24ヨハネは、イエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。25その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。『わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない。』
26 兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られ〔たのです。〕」

(註)22サウル・・・イスラエルの最初の王(紀元前11世紀)。しかし、神によって退けられ、家臣のダビデが代わって王となり、後のダビデ王朝を築くことになった。

(註) わたしの心に適う者~・・・詩編8921節、サムエル記上1314節参照。

(註)25わたしを何者だと~・・・ルカ福音書315-16節参照。「履き物を脱がせる」のは、僕の仕事であった。

 

  〔洗礼者ヨハネの誕生の場面。マリアがイエスを身ごもったのは、エリザベトがヨハネを身ごもってから六か月目のこととされている。(ルカ福音書126節)ので、降誕祭の半年前にヨハネの誕生を祝う。洗礼者ヨハネの祝日は二つあるが、殉教(829日・記念日)よりも誕生の方が大きな祝い(祭日)になっている。それは誕生に始まるヨハネの生涯全体が、イエスの先駆者としての意味を持っているからである。〕

福音朗読        ルカによる福音書

この子の名はヨハネ。

(1章5766節、80節)

ルカによる福音

 

57 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。58近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。59八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。60ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。61しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、62父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。63父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。64すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。65近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。66聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。
80 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。

(註)58エリザベトを大いに慈しまれた・・・エリザベトは高齢で、それまで子どもがなかったのである。

(註)59割礼・・・神の民の一員となる儀式で、この日に命名が行われる習慣があった。

(註)63この子の名はヨハネ・・・ザカリアは、ヨハネの誕生を告げた天使ガブリエルのことばを信じなかったので口がきけなくなっていた。「ヨハネ」という名は天使から告げられた名であった(ルカ福音書113節以下参照)。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018624 より)

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2018年6月15日 (金)

2018年 6月17日の「聖書と典礼」

2018年 6月17日の「聖書と典礼」

「年間第11主日」 B

わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、

・・・・・・行ったことに応じて、報いを受けねばならない。

〔(二)コリントの信徒への手紙 510節より〕

 

 〔バビロン捕囚の時代にエゼキエルは、イスラエルの民を救い、エルサレムを回復させる神の裁きをレバノン杉にたとえて預言する。〕

第一朗読        エゼキエルの預言

わたしは高い木を低くする。

(17章2224節)

エゼキエルの預言

22 主なる神はこう言われる。わたしは高いレバノン杉の梢を切り取って植え、その柔らかい若枝を折って、高くそびえる山の上に移し植える。23イスラエルの高い山にそれを移し植えると、それは枝を伸ばし実をつけ、うっそうとしたレバノン杉となり、あらゆる鳥がそのもとに宿り、翼のあるものはすべてその枝の陰に住むようになる。24そのとき、野のすべての木々は、主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、また生き生きとした木を枯らし、枯れた木を茂らせることを知るようになる。」主であるわたしがこれを語り、実行する。

(註)22レバノン杉・・・「香柏」とも訳される。高さが30メートル近くにもなり、枝を大きく広げる美しい木。

(註) 高くそびえる山の上・・・ここではエルサレムのこと。

 

                              〔天の永遠の住みかを上に着る保証として、わたしたちに聖霊が与えられていることを確信しながらパウロは語る。〕

第二朗読     (二)コリントの信徒への手紙

体を住みかとしていても、体を離れているにしても、

ひたすら主に喜ばれる者でありたい。

(5章610節)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

 〔皆さん、わたしたちは天に永遠の住みかが備えられていることを知っています。〕6それで、わたしたちはいつも心強いのですが、体を住みかとしているかぎり、主から離れていることも知っています。7目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです。8わたしたちは、心強い。そして、体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます。9だから、体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい。10なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。

(註) 6・・・ここでは目に見える人間の姿を表す。有限の、過ぎ去る者としての人間のありさまを、パウロはこの言葉で表現する。

 

  〔マルコ福音書4章は、ガリラヤ湖畔で、群衆や弟子たちに向かって、たとえを用いて神の国について語るイエスの姿を伝える。〕

福音朗読       マルコによる福音書

からし種はどんな種よりも小さいが、どんな野菜よりも大きくなる。

(4章2634節)

マルコによる福音

 〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕26「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、27夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。28土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。29実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
30 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。31それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、32蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
33 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。34たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。

(註)31からし種・・・種は12ミリ程度だが、成長すると23メートル にもなり、大きな枝を持つ。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018617 より)

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2018年6月 8日 (金)

パンダネ「週報」2018年 6月10日号

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2018年 6月10日の「聖書と典礼」

2018年 6月10日の「聖書と典礼」

「年間第10主日」 B

お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。

(第1朗読主題句 創世記 315節より)

 

 〔蛇に誘惑されて最初の男(アダム)と女は禁じられていた果実を食べた。アダムと女は主なる神の顔を避け、木の間に隠れた。

第一朗読 創世記

お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。

(3章9-15節)

創世記

 〔アダムが木の実を食べた後に、〕9主なる神は〔彼〕を呼ばれた。
 「どこにいるのか。」
10 彼は答えた。
 「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
11 神は言われた。
 「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
12 アダムは答えた。
 「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
13 主なる神は女に向かって言われた。
 「何ということをしたのか。」
 女は答えた。
 「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
14 主なる神は、蛇に向かって言われた。
 「このようなことをしたお前は
 あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で
 呪われるものとなった。
 お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。
15 お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に
 わたしは敵意を置く。
 彼はお前の頭を砕き
 お前は彼のかかとを砕く。」

(註)10足音・・・神は擬人化して語られている。

(註)13・・・ここでは人を誘惑するものの象徴。

(註)15お前の子孫と女の子孫・・・イエスと悪魔の戦いを暗示させるようなことばであり、ここに将来の救いへの希望が示されていると考えられてきた。

 

 〔苦難の中にあってキリストを宣べ伝えるパウロはここで、神への信頼をもって、永遠の命への希望を語る。〕

第二朗読 ()コリントの信徒への手紙

わたしたちは信じ、それだからこそ語ってもいる。

(4章13節~5章1節)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

                             

413 〔皆さん、〕「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。14主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。15すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。
16 だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。17わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。18わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
51 わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。

(註)13私は信じた~・・・詩編11610節の引用。

(註)16外なる人 内なる人・・・「内なる人」はローマの信徒への手紙722節にも見られる表現で、そこでは「肢体」(新共同訳では「五体」)と対比されている。ここでは滅びゆく肉体と、キリストによる命のことが語られている。

(註)51幕屋・・・遊牧民が使用した可動式の家屋。天幕。ここではもちろん肉体のこと。

 

 〔ご自分のもとに押し寄せてくる大群衆を見たイエスは山に登り、宣教に派遣するため十二人の弟子を選んでから、戻ってきた。〕

福音朗読 マルコによる福音書

サタンは滅びてしまう。

(3章20-35節)

マルコによる福音

20〔そのとき、〕イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。21身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。22エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。23そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。24国が内輪で争えば、その国は成り立たない。25家が内輪で争えば、その家は成り立たない。26同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。27また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。28はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。29しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」30イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。
31 イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。32大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、33イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、34周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。35神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」

(註)22ベルゼブル・・・列王記下12節以下の異教の神の名「バアル・ゼブブ」から来た名と考えられるが、新約ではサタンと同義。

(註)23サタン・・・ヘブライ語で「敵対者」の意味。いわゆる悪魔のこと。イエスはすでに荒れ野でサタンに打ち勝っている(マルコ福音書112-13節と並行個所参照)。

(註)29精霊を冒瀆する・・・文脈から考えれば、目の前で神の業が行われているのにそれを認めようとしない態度のことを指すと言えよう。

(註)31兄弟たち・・・ヘブライ語やアラム語には「いとこ」にあたる言葉がないので、親族の者のことをこう言ったと考えられる。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018610 より)

2018年6月 1日 (金)

2018年 6月 3日の「聖書と典礼」

2018年 6月 3日の「聖書と典礼」

「キリストの聖体」 B

これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。

(マルコによる福音書1424節より)

 

 〔シナイ山のふもとで、神とイスラエルの民の間で行われた契約締結の儀式。新約との関係で言えばこれが「旧い契約」である。〕

第一朗読 出エジプト記

これは主があなたたちと結ばれた契約の血である。

(24章38節)

出エジプト記

3 〔その日、モーセは山から〕戻って、主のすべての言葉とすべての法を民に読み聞かせると、民は皆、声を一つにして答え、「わたしたちは、主が語られた言葉をすべて行います」と言った。4モーセは主の言葉をすべて書き記し、朝早く起きて、山のふもとに祭壇を築き、十二の石の柱をイスラエルの十二部族のために建てた。5彼はイスラエルの人々の若者を遣わし、焼き尽くす献げ物をささげさせ、更に和解の献げ物として主に雄牛をささげさせた。6モーセは血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけると、7契約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らが、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」と言うと、8モーセは血を取り、民に振りかけて言った。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」

(註) 3主のすべての言葉とすべての法・・・出エジプト記2022節~2333節の律法を指す。モーセだけがシナイ山に登って密雲の中でこの神の言葉を聞いた。

(註) 8契約の血・・・遊牧民の考えで、契約の際に動物の血を流すことは、その契約が命をかけたものであることを意味した。このことばはきょうの福音朗読にも見られる。

 

 〔旧約において祭司たちは礼拝のために聖所の幕屋に入ったが、その奥には大祭司が年に一度しか入れない至聖所があった。しかし、人が神に近づくことを妨げていたものはイエスによって取り除かれた(ヘブライ人への手紙1019-20節参照)。

第二朗読 ヘブライ人への手紙 

キリストの血は、わたしたちの良心を清めるだろう。

(9章1115節)

ヘブライ人への手紙

11 〔皆さん、〕キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、12雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。13なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、14まして、永遠のによって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。
15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。

(註)11完全な幕屋・・・神の臨在を表す地上の幕屋(神殿の聖所)は「天の幕屋」のかたどりと考えられた(85節参照)が、ここでの「完全な幕屋」とは、キリストご自身のからだのことであろう。

(註)15永遠の財産・・・「遺産」とも訳せる。「契約」と訳された言葉には「遺言」の意味もある。

 

 〔イエスは弟子たちとともにされた最後の晩さんの中でこの新しい契約を残された。〕

福音朗読 マルコによる福音書 

これはわたしの体である。これはわたしの血である。

(14章1216節、2226節)

マルコによる福音

12 除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。13そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。14その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』15すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。」16弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。
22 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」23また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。24そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。25はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」26一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。

(註)12除酵祭・・・元は農耕祭であるが、過越祭と結びつけられた。過越祭の後の七日間、酵母を除いたパンを食べる。

(註) 過越の子羊・・・エジプト脱出の夜、イスラエルの民が子羊の血を家の入口に塗ったことから過越の記念として食された(出エジプト記121-14節参照)。イエスの時代には神殿で屠られた。

(註)24契約の血・・・出エジプト記248節(第一朗読)参照。

(註)25神の国で新たに~・・・これが弟子たちとともにする最後の食事であることを示すことば。

(註)26賛美の歌・・・過ぎ越しの食事の終わりに詩編115118編が歌われた。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20186 3 より)

パンダネ「週報」2018年 6月 3日号

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