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2018年6月 8日 (金)

2018年 6月10日の「聖書と典礼」

2018年 6月10日の「聖書と典礼」

「年間第10主日」 B

お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。

(第1朗読主題句 創世記 315節より)

 

 〔蛇に誘惑されて最初の男(アダム)と女は禁じられていた果実を食べた。アダムと女は主なる神の顔を避け、木の間に隠れた。

第一朗読 創世記

お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。

(3章9-15節)

創世記

 〔アダムが木の実を食べた後に、〕9主なる神は〔彼〕を呼ばれた。
 「どこにいるのか。」
10 彼は答えた。
 「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
11 神は言われた。
 「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
12 アダムは答えた。
 「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
13 主なる神は女に向かって言われた。
 「何ということをしたのか。」
 女は答えた。
 「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
14 主なる神は、蛇に向かって言われた。
 「このようなことをしたお前は
 あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で
 呪われるものとなった。
 お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。
15 お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に
 わたしは敵意を置く。
 彼はお前の頭を砕き
 お前は彼のかかとを砕く。」

(註)10足音・・・神は擬人化して語られている。

(註)13・・・ここでは人を誘惑するものの象徴。

(註)15お前の子孫と女の子孫・・・イエスと悪魔の戦いを暗示させるようなことばであり、ここに将来の救いへの希望が示されていると考えられてきた。

 

 〔苦難の中にあってキリストを宣べ伝えるパウロはここで、神への信頼をもって、永遠の命への希望を語る。〕

第二朗読 ()コリントの信徒への手紙

わたしたちは信じ、それだからこそ語ってもいる。

(4章13節~5章1節)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

                             

413 〔皆さん、〕「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。14主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。15すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。
16 だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。17わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。18わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
51 わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。

(註)13私は信じた~・・・詩編11610節の引用。

(註)16外なる人 内なる人・・・「内なる人」はローマの信徒への手紙722節にも見られる表現で、そこでは「肢体」(新共同訳では「五体」)と対比されている。ここでは滅びゆく肉体と、キリストによる命のことが語られている。

(註)51幕屋・・・遊牧民が使用した可動式の家屋。天幕。ここではもちろん肉体のこと。

 

 〔ご自分のもとに押し寄せてくる大群衆を見たイエスは山に登り、宣教に派遣するため十二人の弟子を選んでから、戻ってきた。〕

福音朗読 マルコによる福音書

サタンは滅びてしまう。

(3章20-35節)

マルコによる福音

20〔そのとき、〕イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。21身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。22エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。23そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。24国が内輪で争えば、その国は成り立たない。25家が内輪で争えば、その家は成り立たない。26同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。27また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。28はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。29しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」30イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。
31 イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。32大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、33イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、34周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。35神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」

(註)22ベルゼブル・・・列王記下12節以下の異教の神の名「バアル・ゼブブ」から来た名と考えられるが、新約ではサタンと同義。

(註)23サタン・・・ヘブライ語で「敵対者」の意味。いわゆる悪魔のこと。イエスはすでに荒れ野でサタンに打ち勝っている(マルコ福音書112-13節と並行個所参照)。

(註)29精霊を冒瀆する・・・文脈から考えれば、目の前で神の業が行われているのにそれを認めようとしない態度のことを指すと言えよう。

(註)31兄弟たち・・・ヘブライ語やアラム語には「いとこ」にあたる言葉がないので、親族の者のことをこう言ったと考えられる。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018610 より)

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