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2018年6月22日 (金)

2018年 6月24日の「聖書と典礼」

 2018年 6月24日の「聖書と典礼」

「洗礼者聖ヨハネの誕生」 B

この子には主の力が及んでいた。

(ルカによる福音書 166節より)

 

 〔いわゆる「主の僕の歌」の第二の歌。第二イザヤ(イザヤ書4055章)自身の預言者としての召命と使命を語っているようである。洗礼者ヨハネも、誕生の時から「いと高き方の預言者と呼ばれる」(ルカ福音書176節)と言われていた。〕

第一朗読           イザヤ書 

わたしはあなたを国々の光とする。

(49章16節)

イザヤの預言

1島々よ、わたしに聞け
遠い国々よ、耳を傾けよ。
主は母の胎にあるわたしを呼び
母の腹にあるわたしの名を呼ばれた。

2わたしの口を鋭い剣として御手の陰に置き
わたしを尖らせた矢として矢筒の中に隠して

3わたしに言われた
あなたはわたしの僕、イスラエル
あなたによってわたしの輝きは現れる、と。

4わたしは思った
わたしはいたずらに骨折り
うつろに、空しく、力を使い果たした、と。
しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり
働きに報いてくださるのもわたしの神である。

5主の御目にわたしは重んじられている。
わたしの神こそ、わたしの力。
今や、主は言われる。
ヤコブを御もとに立ち帰らせ
イスラエルを集めるために
母の胎にあったわたしを
御自分の僕として形づくられた主は

6こう言われる。
わたしはあなたを僕として
ヤコブの諸部族を立ち上がらせ
イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。
だがそれにもまして
わたしはあなたを国々の光とし
わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。

(註) 1母の胎ある~・・・神による選びを強調して語る表現(エレミヤ書15節参照)。

(註) 3わたしの僕、イスラエル・・・イスラエルの民全体が「僕」と呼ばれることもあるが、ここではイスラエルに与えられた「神の僕」としての使命を代表して生きる人として、預言者自身が「イスラエル」と呼ばれているのであろう。

(註) 5ヤコブを御もとに立ち帰らせ~・・・「ヤコブ」はイスラエルの別名。民を神のもとに立ち帰らせることは、洗礼者ヨハネの使命でもあった。

 

 〔パウロが第1回の宣教旅行のとき、小アジアのアンティオキアのユダヤ教の会堂で行った説教の一部。パウロはここで、イエスが救い主であることは神の約束であり、洗礼者ヨハネも認めていた、と主張している。〕

第二朗読          使徒言行録 

ヨハネは、イエスがおいでになる前に宣べ伝えた。

(13章2226節)

使徒たちの宣教

                             

22 〔その日、パウロは言った。「神は〕サウルを退けてダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。』23神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。24ヨハネは、イエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。25その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。『わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない。』
26 兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られ〔たのです。〕」

(註)22サウル・・・イスラエルの最初の王(紀元前11世紀)。しかし、神によって退けられ、家臣のダビデが代わって王となり、後のダビデ王朝を築くことになった。

(註) わたしの心に適う者~・・・詩編8921節、サムエル記上1314節参照。

(註)25わたしを何者だと~・・・ルカ福音書315-16節参照。「履き物を脱がせる」のは、僕の仕事であった。

 

  〔洗礼者ヨハネの誕生の場面。マリアがイエスを身ごもったのは、エリザベトがヨハネを身ごもってから六か月目のこととされている。(ルカ福音書126節)ので、降誕祭の半年前にヨハネの誕生を祝う。洗礼者ヨハネの祝日は二つあるが、殉教(829日・記念日)よりも誕生の方が大きな祝い(祭日)になっている。それは誕生に始まるヨハネの生涯全体が、イエスの先駆者としての意味を持っているからである。〕

福音朗読        ルカによる福音書

この子の名はヨハネ。

(1章5766節、80節)

ルカによる福音

 

57 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。58近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。59八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。60ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。61しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、62父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。63父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。64すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。65近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。66聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。
80 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。

(註)58エリザベトを大いに慈しまれた・・・エリザベトは高齢で、それまで子どもがなかったのである。

(註)59割礼・・・神の民の一員となる儀式で、この日に命名が行われる習慣があった。

(註)63この子の名はヨハネ・・・ザカリアは、ヨハネの誕生を告げた天使ガブリエルのことばを信じなかったので口がきけなくなっていた。「ヨハネ」という名は天使から告げられた名であった(ルカ福音書113節以下参照)。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018624 より)

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