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2018年8月10日 (金)

2018年 8月12月日の「聖書と典礼」

 2018年 8月12日の「聖書と典礼」

「年間第19主日」 B

わたしは、天から降って来た生きたパンである。

(ヨハネによる福音書 651節より)

 

 〔紀元前九世紀、イスラエルの王アハブはシドン人イゼベルを王妃として迎え、バアル信仰を導入した。預言者エリヤはこれに反対したため、命を狙われることになった。〕

第一朗読          列王記(上) 

エリヤはその食べ物に力づけられて歩き続け、神の山に着いた。

(19章48節)

列王記

 〔その日、王妃イゼベルが自分を殺そうとしていることを知ったエリヤは、〕4荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」5彼はえにしだの木の下で横になって眠ってしまった。御使いが彼に触れて言った。「起きて食べよ。」6見ると、枕もとに焼き石で焼いたパン菓子と水の入った瓶があったので、エリヤはそのパン菓子を食べ、水を飲んで、また横になった。7主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と言った。8エリヤは起きて食べ、飲んだ。その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。

() 4えにしだ・・・「レダマ」とも言う。二メートルほどの高さの灌木で、木陰は小さい。

() 6パン菓子・・・丸く平らなパン。古くは焼灰や加熱した石の上で焼くのが普通だった。

() 8四十日四十夜・・・モーセが幕屋の律法を受けるためにシナイ山にいた日数と同じ(出エジプト記2418節)。イスラエルの民が荒れ野を旅した年数も同じ数。ここでは苦しみや試練とその中での神の保護を象徴する数であろう。

() ホレブ・・・シナイ山と呼ばれる。モーセが神に出会った場所であり、また、イスラエルの民が神と契約を結んだ場所でもある。

 

 〔まったくの恵みによって聖霊を注がれ、神の子どもとされたエフェソの人々に対して、パウロはキリストに結ばれた新しい生き方を求める。〕

第二朗読エフェソ 

キリストのように、あなたがたも愛によって歩みなさい。

(4章30節〜5章2節)

使徒パウロのエフェソの教会への手紙

430 〔皆さん、〕神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。31無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。32互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。51あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。2キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。

()30聖霊を悲しませ・・・イザヤ書6310節参照。

()  贖いの日・・・キリストの再臨は、信じる者たちにとって贖い(解放)の時である(ルカ福音書2128節参照)。

() 2香りのよい供え物・・・旧約の犠牲祭儀のことば(出エジプト記2918節、レビ記12章など参照)。ここでは、イエスの十字架のことを言う。

 

 〔パンをめぐるイエスと人々との対話の中で、イエスとはどういう方かが次第に明らかにされていく。〕

福音朗読       ヨハネによる福音書 

わたしは、天から降って来た生きたパンである。

(6章4151節)

ヨハネによる福音

                             

41 〔そのとき、〕ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、42こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」43イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。44わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。

45預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。46父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。47はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。48わたしは命のパンである。49あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。50しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。51わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

()41つぶやき・・・かつてイスラエルの民が荒れ野でモーセと神に不平を言ったときの「つぶやき」を連想させる(出エジプト記1623節、民数記111節参照)。

()45彼らは皆、神によって~・・・イザヤ書5413節のことば。新共同訳のこの個所は「あなたの子らは皆、主について教えを受け」と訳されている。

()51わたしが与えるパン・・・いつの間にか、イエスはパンそのものから、パンを与える方になっている。つまり、ここから直接「聖体」のことが語られる。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018812 より)

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