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2019年2月22日 (金)

2019年 2月24日の「聖書と典礼」

2019年 2月24日の「聖書と典礼」

「年間第7主日」 C

敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。

(ルカによる福音書 627節より)

 

〔イスラエルの最初の王サウルは、部下であったダビデの名声を恐れ、亡き者にしようとした。そのため、ダビデはサウルから身を隠していた。〕

第一朗読       サムエル記上

主はわたしの手にあなたを渡されたが、

手をかけることをわたしは望まなかった。

(26章2節、7-9節、12-13節、22-23節)

サムエル記

2 〔その日、〕サウルは立ってイスラエルの精鋭三千を率い、ジフの荒れ野に下って行き、ダビデをジフの荒れ野で捜した。
7 ダビデとアビシャイは夜になって兵士に近寄った。サウルは幕営の中に横になって眠り込んでおり、彼の槍はその枕もとの地面に突き刺してあった。アブネルも兵士もその周りで眠っていた。8アビシャイはダビデに言った。「神は、今日、敵をあなたの手に渡されました。さあ、わたしに槍の一突きで彼を刺し殺させてください。一度でしとめます。」9ダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない。」
12 ダビデはサウルの枕もとから槍と水差しを取り、彼らは立ち去った。見ていた者も、気づいた者も、目を覚ました者もなかった。主から送られた深い眠りが彼らを襲い、全員眠り込んでいた。
13 ダビデは向こう側に渡り、遠く離れた山の頂に立った。サウルの陣営との隔たりは大きかった。
22 ダビデは〔サウルに言った。〕「王の槍はここにあります。従者を一人よこし、これを運ばせてください。23主は、おのおのに、その正しい行いと忠実さに従って報いてくださいます。今日、主はわたしの手にあなたを渡されましたが、主が油を注がれた方に手をかけることをわたしは望みませんでした。」

() 2ジフの荒れ野・・・ヘブロンの近くのユダ丘陵地帯。

() 7アビシャイ・・・ダビデの従者。ダビデの勇者たちの中でも特に重んじられた人物(サムエル記下231819節参照)

() 幕営・・・サウルはダビデを討つために陣を敷いていた。

() アブネル・・・サウルの軍の長。

() 9主が油を注がれた方・・・神によってたてられた王のこと。サウルは、預言者サムエルから油を注がれて王とされた(サムエル記上101)。しかし、アマレク人との戦いで主に背いた(15)ため、神は新しい王としてダビデを選んだ(16)。この時点で主の霊はすでにサウルを離れていた。

 

 〔ここで「アダム」はすべての人の原型である人のこと。パウロは二人のアダム(旧約のアダムとキリスト)を対比して、復活した体がどのような者であるかを述べる。〕

第二朗読 一コリントの信徒への手紙

わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなる。

(15章45-49節)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

45〔皆さん、〕「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。46最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。47最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。48土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。49わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。

()45最後のアダム・・・復活したキリストのこと。ローマの信徒への手紙51221節でもキリストは、最初の人アダムと対比して語られている。

()46霊の体・・・復活して、永遠のいのちを生きる者となったキリストのありさまを言う。

 

 〔先週の福音の続きで、イエスの弟子の生き方を示す箇所。マタイ福音書の山上の説教と関連が深い(マタイ福音書53942節、4448節、712節、12節参照)。〕

福音朗読 ルカによる福音書

あなたがたの父が憐れみ深いように、

あなたがたも憐れみ深いものとなりなさい。

(6章27-38節)

ルカによる福音

 〔そのとき。イエスは弟子たちに言われた。〕27「わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。28悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。29あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。30求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。31人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。32自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。

33また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。34返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。35しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。36あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。
37 人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。38与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」

()29上着 下着・・・現代の上着、下着のことではない。下着は日常生活で着用する衣服。上着はさらにその上に着る外套のようなもの。暴力的に着物が奪われる場面が想定されている。マタイ福音書で上着と下着の順序が逆になっているのは裁判の場面が考えられているのであろう。

()32罪人・・・神に背き、神から離れている人の意味であり、その意味ですべての人は罪人であるといえる。しかし、ここでは「あなたがたが罪人として軽蔑している人々」というニュアンスでこの言葉を使っているのであろう(マタイ福音書54647節で

は「徴税人」「異邦人」となっている)。

()35いと高き方・・・神のこと。

()36憐れみ深いように~・・・本節の並行個所であるマタイ福音書548節では、「完全であられるように……完全な者となりなさい」となっている。

()38・・・ここでは穀物を計る升のようなもののこと。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2019224 より)

パンダネ「週報」2019年 2月24日号

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2019年2月15日 (金)

2019年 2月17日の「聖書と典礼」

2019年 2月17日の「聖書と典礼」

「年間第6主日」 C

貧しい人々は、幸いである、

神の国はあなたがたのものである。

(ルカによる福音書 620節より)

 

 〔エレミヤは紀元前六世紀、ユダ王国の末期に活動した預言者。民の罪を指摘し、捕囚を預言したために迫害を受けた。ここでは呪いと祝福を対比させて、人々に主への信頼を求めている。〕

第一朗読 エレミヤ書

呪われよ、人間に信頼する人は。

祝福されよ、主に信頼する人は。

(17章58節)

エレミヤの預言

                             

5主はこう言われる。
呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし
その心が主を離れ去っている人は。
6彼は荒れ地の裸の木。
恵みの雨を見ることなく
人の住めない不毛の地
炎暑の荒れ野を住まいとする。
7祝福されよ、主に信頼する人は。
主がその人のよりどころとなられる。
8彼は水のほとりに植えられた木。
水路のほとりに根を張り
暑さが襲うのを見ることなく
その葉は青々としている。
干ばつの年にも憂いがなく
実を結ぶことをやめない。

() 5人間に信頼し・・・バビロニアの脅威から逃れるためにエジプトに助けを求めようとした人々をエレミヤは批判する。バビロン捕囚は民の罪に対する神の罰なので避けることはできない。しかし、それを超えて救いをもたらしてくださる神こそ信頼すべき方なのである。

() 肉なる者・・・人間のことだが、弱く滅びゆく者としての人間を強調することば。

() 7主に信頼する人・・・5節の「人間に信頼し」と対比して述べられる。迫害や苦しみを乗り越えて主に従おうとするエレミヤ自身の姿でもある。

 

 パウロはキリストの復活について述べたあと、それに基づき、わたしたちの復活について確信を持って語る。〕

第二朗読 一コリントの信徒への手紙

キリストが復活しなかったのなら、

あなたがたの信仰はむなしい。

(15章12節、1620節)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

12〔皆さん、〕キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。

16死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。17そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。18そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。19この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。
20しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。

()17今もなお罪の中・・・キリスト者は、キリストとともに罪に死に、キリストとともに神に生きるものである(ローマの信徒への手紙6111節参照)。キリストの復活がなければこのすべては無意味になる。

()20初穂・・・文字通り最初の実りであり、後に続く多くの実りを思わせることば。イスラエルでは、「初穂」を神にささげることは全収穫物が神のものであることを表していた。

 

 〔イエスは山に登り、十二使徒を選んだ(61216節)。ここでは、「幸いと不幸」を対比させて、弟子の生き方を問いかけている。〕

福音朗読 ルカによる福音書

貧しい人は、幸いである。

富んでいるあなたがたは、不幸である。

(6章17節、2026節)

ルカによる福音

 

17〔そのとき、イエスは十二人〕と一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から〔来ていた。〕
20さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
 「貧しい人々は、幸いである、
 神の国はあなたがたのものである。
21今飢えている人々は、幸いである、
 あなたがたは満たされる。
 今泣いている人々は、幸いである、
 あなたがたは笑うようになる。
22人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。23その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
24しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、
 あなたがたはもう慰めを受けている。
25今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、
 あなたがたは飢えるようになる。
 今笑っている人々は、不幸である、
 あなたがたは悲しみ泣くようになる。
26すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」

()17ティルスやシドン・・・ガリラヤよりさらに北の異邦人の地域。

()20貧しい人々は~・・・マタイ福音書53節では「心の貧しい」(直訳では「霊において貧しい」)となっている。マタイ福音書では八つの幸が述べられている(マタイ福音書5310節参照)。

()22人の子・・・ここではイエス自身を指す。次節にあるような裁きを行う方というイメージであろう。

()24しかし、富んでいる~・・・ルカ福音書は四つの幸に続いて、四つの不幸を述べるが、不幸の部分はマタイ福音書にはない。元のイエスの言葉は、複雑な伝承の過程を経て、ルカ福音書とマタイ福音書の二つの形になったようである。

() 不幸である・・・神に従わない生き方を嘆き、叱り、回心を呼びかける言い方である(1013節、114252節、171節、2222節参照)。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2019217 より)

パンダネ「週報」2019年 2月17日号

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2019年2月 8日 (金)

2019年 2月10日の「聖書と典礼」

2019年 2月10日の「聖書と典礼」

「年間第5主日」 C

わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。

(イザヤ書68節より)

 

 〔ウジヤ王が死んだ紀元前七百三十五年頃、アモツの子イザヤがエルサレムの神殿で預言者として召し出される場面。〕

第一朗読 イザヤ書

わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。

(6章12節a、38節)

イザヤの預言

1 ウジヤ王が死んだ年のことである。
 わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。
2a上の方にはセラフィムがい〔た。〕3彼らは互いに呼び交わし、唱えた。
 「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。
 主の栄光は、地をすべて覆う。」
4 この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。5わたしは言った。
 「災いだ。わたしは滅ぼされる。
 わたしは汚れた唇の者。
 汚れた唇の民の中に住む者。
 しかも、わたしの目は
 王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
6 するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。7彼はわたしの口に火を触れさせて言った。
 「見よ、これがあなたの唇に触れたので
 あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」
8 そのとき、わたしは主の御声を聞いた。
 「誰を遣わすべきか。
 誰が我々に代わって行くだろうか。」
 わたしは言った。
 「わたしがここにおります。
 わたしを遣わしてください。」

() 2セラフィム・・・天にいる神と人との仲介者。セラフィムという名は「燃える」という意味の動詞と関連している。

() 3聖なる~・・・イザヤは神のことをしばしば「イスラエルの聖なる方」と呼ぶ。ミサの感謝の賛歌の始めの句はここからとられている。

() 5災いだ。わたしは滅ぼされる・・・神に聖性の前では、罪に汚れた人間は堪えられず、滅ぼされる、と考えられた。

 

 〔コリントの教会のさまざまな問題について述べた後、パウロは最も大切なこととして復活について語る。〕

第二朗読   一コリントの信徒への手紙

わたしたちはこのように宣べ伝え、

あなたがたはこのように信じた。

(15章111節、 または 15章38節、11節)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

 〔兄弟たち、〕
1わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。2どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。
3最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、4葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、5ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。6次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。7次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、8そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。
9わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。10神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。とにかく、
11わたしにしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした。

() 3わたしが~伝えた・・・コリントの教会はパウロから福音を聞き、信仰に入った。

() わたしも受けたもの・・・35節は、キリストの復活について新約聖書の中で最も古い伝承である(この手紙が書かれたのは紀元前50年代のことである)。

() 聖書に書いてあるとおり・・・特定の箇所というよりも、旧約聖書全体の意味。何度も繰り返されるこのことばは、それが神の計画であったことを強調している。

() 5ケファ・・・使徒ペトロのこと。『ケファ』はアラム語で、意味はペトロと同じく「岩」。復活したキリストのペトロへの出現についてはルカ福音書24章34節にも述べられている。

() 7ヤコブ・・・「主の兄弟」と言われるヤコブのことと考えられる。エルサレムの教会の指導者であった。

() 8月足らずで~・・・パウロは教会の迫害者であった自分が使徒とされたことをこのように表現する。パウロへのキリストの出現については、使徒言行録9章1-9節参照。

 

 〔ルカ福音書では、福音を告げ、病人をいやすイエスの活動が始まってしばらくしてから、最初の弟子たちが呼び出されることになる(マルコ福音書1章16-20節参照)。〕

福音朗読 ルカによる福音書

彼らはすべてを捨ててイエスに従った。

(5章111節)

ルカによる福音

1 イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。

2イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。3そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。4話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。5シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。6そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。7そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。8これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。

9とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。10シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」11そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。

() 5夜通し・・・ガリラヤ湖の漁師たちは魚が水面近くに上がってくる夜に漁をした。

() 8主よ、わたしから離れてください・・・第一朗読の預言者イザヤ同様、イエスの神的な力を目の当たりにしたペトロは、その威光に堪えることができないと感じてこのように言った。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2019210 より)

パンダネ「週報」2019年 2月10日号

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2019年2月 2日 (土)

2019年 2月 3日の「聖書と典礼」

2019年 2月 3日の「聖書と典礼」

「年間第4主日」 C

母の胎から生まれる前に、わたしはあなたを聖別し、

諸国民の預言者として立てた。

(エレミヤ書 1 5節より)

 

 〔紀元前七~六世紀にユダ王国で活動した預言者エレミヤの召命を語る箇所。バビロン捕囚に向かう時代に、エレミヤはユダの罪とその結果である王国の滅亡を預言したため、迫害を受けた。このエレミヤの苦しみはイエスの受難をも連想させる。〕

第一朗読 エレミヤ書

わたしはあなたを諸国民の預言者として立てた。

(1章45節、1719節)

エレミヤの預言

〔ヨシヤ王の時代に〕
4主の言葉がわたしに臨んだ。
5「わたしはあなたを母の胎内に造る前から
あなたを知っていた。
母の胎から生まれる前に
わたしはあなたを聖別し
諸国民の預言者として立てた。
17あなたは腰に帯を締め
立って彼らに語れ

わたしが命じることをすべて。
彼らの前におののくな
わたし自身があなたを
彼らの前でおののかせることがないように。
18わたしは今日、あなたをこの国全土に向けて
堅固な町とし、鉄の柱、青銅の城壁として
ユダの王やその高官たち
その祭司や国の民に立ち向かわせる。
19彼らはあなたに戦いを挑むが
勝つことはできない。
わたしがあなたと共にいて、救い出す。」

() 5母の胎内に造る前から・・・時間的な順序よりも、神の確かな計画であることを表す(ガラテヤの信徒への手紙 115節参照)。

() 聖別・・・人やものを選び出し神のものとすること。

()17腰に帯を締め・・・武装を意味する。ここでは神のことばを身に備えること。

 

 〔コリントの教会では聖霊の働きとしてさまざまな「賜物(カリスマ)」があり、それぞれの人が自分の受けた賜物を強調することによる混乱も見られた。パウロは教会が秩序正しく一つになることを願い、最高の道をここに示す。〕

第二朗読 一コリント信徒への手紙

信仰と希望と愛はいつまでも残る。

最も大いなるものは、愛である。

(12章31節〜13章13節、 または 13章413節)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

 〔皆さん、〕
1231もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。
 そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。

131たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。2たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。3全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
134愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。5礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。6不義を喜ばず、真実を喜ぶ。7すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
8愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、9わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。10完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。11幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。12わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。13それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

()131異言・・・原語は元々「舌」を意味することばで「言葉」の意味にもなる。ここでは神を賛美する不思議な言葉のこと(一コリントの信徒への手紙1210節、30節、及び14章参照)。コリントの教会で重んじられていた賜物であった。

() 2山を動かすほどの・・・マタイ福音書1720節、2121節、マルコ福音書1123節参照。

()11幼子のように・・・ここでは「無知な者として」という意味で使われている。

()12・・・現在の鏡と違い、古代の鏡は金属をみがいたものだったので、姿がぼんやりとしか映らなかった。

() そのとき・・・神との決定的な出会いの時。

() 顔と顔を合わせて・・・出エジプト記3311節、民数記128節のモーセについての描写を思わせる。神との直接的で親密な交わりを表す。

 

 〔先週の箇所に続く、故郷のナザレの会堂での宣教開始の日の出来事。しかし、ここで起こることはイエスのこれからの歩み全体を暗示するような出来事であるとも言える。〕

福音朗読  ルカによる福音書

イエスは、エリヤやエリシャのように

ユダヤ人のためだけに遣わされたのではない。

(4章2130節)

ルカによる福音

〔そのとき、ナザレの会堂で預言者イザヤの書を読まれた〕21イエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。22皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」23イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」24そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。25確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、26エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。27また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」28これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、29総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。30しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。

()25エリヤ・・・紀元前九世紀の北イスラエルの預言者。この飢饉の話は列王記上17章にある。「シドン」「サレブタ」はイスラエルの北方の地中海沿岸に位置する。

()27エリシャ・・・エリヤの弟子で後継者であった預言者。アラム人の王の軍司令官ナアマンはエリシャに言われたとおりヨルダン川で身を洗っていやされた(列王記下5章参照)。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20192 3 より)

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