2020年4月27日 (月)

新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り

いつくしみ深い神よ、

新型コロナウイルスの感染拡大によって、

今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。

病に苦しむ人に必要な医療が施され、

感染の終息に向けて取り組むすべての人、

医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように、

亡くなった人が永遠のみ国に迎え入れられ、

尽きることのない安らぎに満たされますように。

不安と混乱に直面しているすべての人に、

支援の手が差し伸べられますように。

希望の源である神よ、

わたしたちが感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、

世界のすべての人と助け合って、

この危機を乗り越えることができるようお導きください。

わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

希望と慰めのよりどころである聖マリア、

苦難のうちにあるわたしたちのためにお祈りください。

(2020年4月3日 日本カトリック司教協議会認可)

 

※カトリック新聞2020年4月12日

2020年3月25日 (水)

教皇フランシスコ、2020年3月22日「お告げの祈り」でのことば

教皇フランシスコ様の、3月22日「お告げの祈り」でのことばと、新型コロナウイルスの感染拡大にあたっての呼びかけは以下をご参照ください。

https://www.cbcj.catholic.jp/2020/03/24/20443/

3月25日の正午(日本時間午後8時)、全世界で一斉に「主の祈り」を唱えましょう。

2020年2月22日 (土)

第 28 回「世界病者の日」教皇メッセージ ④⑤

≪ 世界病者の日 ( 2 月 11 日 ) ≫ カトリック中央協議会 HP より

2020 年第 28 回「世界病者の日」教皇メッセージ

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」 (マタイ 11,28)

④.親愛なる医療関係者の皆さん。あらゆる診断、予防措置、治療、研究、介護、リハビリテーションは、 病気の人のために行われるものです。そこでは「人」という名詞が、必ず「病気の」という形容詞よりも 大切にされなければなりません。ですから、つねに人間の尊厳といのちのために働き、もはや回復の見込み がない病であったとしても、安楽死や自殺ほう助、いのちを奪う行為に、決して屈しないでください。 ますます疑問視される臨床例や致命的な誤診を前に、医学にも限界があり過失が起こりうることを経験し ている皆さんは、自分の職業に十全な意味を与えることができる、超越的な次元へと自らを開くよう 招かれています。いのちは、神聖で、神に属するものであり、それゆえ侵すことも意のままにすることも できないこと(『生命のはじまりに関する教書』5、回勅『いのちの福音』29-53 参照)を思い起こし ましょう。いのちは始まりから死に至るまで、受け入れられ、守られ、尊重され、仕えられなければなり ません。人間の理性と、いのちの創造主である神への信仰の双方が、そのことを要求しています。いのち と人間を一貫して「肯定」し続けるためには、場合によっては良心的拒否を選択しなければならないことも あります。いずれにせよ、キリスト者としての愛から力を得ている皆さんの専門職は、生きる権利という 真の人権への最上の奉仕であり続けるでしょう。 たとえ治せなかったとしても、病者に安らぎと慰めを 与える行いや工夫によって、いつでもいやすことができるのです。 不幸なことに、戦争や武力紛争下にある地域では、病者の受け入れと救護に従事する医療関係者や 施設が標的にされています。また、政府が自分の利益のために医療活動を操作しようとして、医療専門職 がもつ正当な自律性を制限している地域もあります。社会というからだの、苦しんでいるメンバーに尽くす 人々を攻撃しても、まったく何の益にもなりません。

⑤.この第 28 回「世界病者の日」にあたり、貧困のうちに生活しているために治療を受けられない、世界中 の大勢の兄弟姉妹のことを思います。ですから、経済的な思惑から社会正義をおろそかにしないよう、世界 各国の医療機関と政府に呼びかけます。連帯の原理と補完性の原理を組み合わせることにより、健康の維持 と回復に向けた十分な処置をだれもが受けられるよう協力することを願ってやみません。 病者に奉仕するボランティアのかたがたに心から感謝します。彼らは、構造的な欠陥を幾度も補い、 優しさと親しみにあふれる行いを通して、キリスト、よいサマリア人の像を映し出しています。病気と いう重荷を担うすべての人とその家族、そしてすべての医療関係者を、病者のいやしであるおとめマリア にゆだねます。わたしは祈りのうちに皆さんに寄り添うことを約束し、心から使徒的祝福を送ります。
バチカンにて 2020 年 1 月 3 日イエスのみ名の記念日 フランシスコ

2020年2月10日 (月)

第 28 回「世界病者の日 ( 2 月 11 日 ) 」教皇メッセージ

2020 年第 28 回「世界病者の日」教皇メッセージ

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう (マタイ 11,28)

②.イエス・キリストは、なぜそのような思いを抱かれるのでしょう。ご自身が弱い者となって人間の 苦しみを経験し、御父のなぐさめをご自身も受けたからです。実際に自分自身でそれを経験した人だけが、 人を慰めることができるのです。苦しみの厳しさはさまざまです。難病、精神疾患、リハビリや 緩和ケアを要する状態、さまざまな障がい、小児疾患や高齢者疾患などです。こうした状態においては、 人間らしさが奪われるように感じられることがあります。ですから、全人的な回復のためには、治すだけ ではなく相手を思いやり、それぞれの病者に合わせて対応することが求められます。 人は病気になると、身体の健全だけでなく、人間関係、知性、情緒、精神も脅かされているように感じて しまいます。だからこそ、治療だけでなく、支え、気遣い、思いやり……、ひとことで言えば、愛を期待す るのです。さらに病者の傍らには、同じく慰めと寄り添いを求めている、苦しむ家族がいます。

③.親愛なる兄弟姉妹である病者の皆さん。病は、独自のしかたで皆さんを、イエスのまなざしと心を 引きつける「疲れた者、重荷を負う者」にしてくれます。それによって、あなたがたの闇の時間に光が 射し、失意に希望が訪れます。「来なさい」、イエスはそう言って、ご自身のもとへと招いておられます。 この心身の「暗夜」にあって生じる不安や疑問を乗り越える力は、まさしくイエスのうちにあります。キ リストは処方箋を手渡すのではなく、ご自分の受難と死と復活によって、わたしたちを悪の支配から解き 放ってくださるのです。そうした状態にあっては、元気を取り戻す場が確かに必要です。 教会はよりいっそう、キリストであるよいサマリア人の「宿屋」(ルカ 10・34 参照)でありたいと望ん でいます。 それは、親しさ、歓迎、慰めのうちに示されるキリストの恵みが見いだされる家です。 そこで出会うのは、その弱さにおいて神のあわれみによっていやされた人々です。彼らは、皆さんの 傷口を小さな窓に変えることによって、十字架を担う皆さんを支えることができます。その窓を通して皆 さんは、病気の彼方の地平を見つめ、生きるための光と空気を受け取るのです。 病に苦しむ兄弟姉妹の回復のために、医療関係者、 医師、 看護師、 衛生と管理のスタッフ、 助手、 ボランティアのかたがたが貢献しています。病者を慰め、傷をいやしながら世話してくださるキリストの 現存を感じさせることを通して、彼らはその能力を駆使して働いています。けれども、こうした人々もま た、弱さを抱え、病気になることもある人間です。次のことばは、とりわけ彼らに当てはまります。「キ リストの安らぎと慰めを受けたなら、今度はわたしたちが、主に倣って柔和で謙遜な姿勢で、兄弟姉妹の 安らぎと慰めにならなければなりません」『お告げの祈り』でのことば(2014 年 7 月 6 日)

カトリック中央協議会HPより

2020年2月 2日 (日)

第 28 回「世界病者の日 ( 2 月 11 日 ) 」教皇メッセージ

2020 年第 28 回「世界病者の日」教皇メッセージ

親愛なる兄弟姉妹の皆さん「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。 休ませてあげよう」 (マタイ 11・28)

イエスのこのことばは、恵みへの神秘的な道を指し示しています。それは、素朴な人に示され、 疲れた人、弱り果てた人に安らぎを与える道です。このことばは、人の子イエス・キリストの、 傷つき苦しんでいる人間に対する連帯の表れです。あまりにも多くの人が、心身に苦しみを負っ ています。イエスはあらゆる人に、ご自分のもとに来るよう呼びかけておられます。「わたしの もとに来なさい」。そして、慰めと安らぎを約束してくださいます。「こう述べたとき、イエス の目の前には、ガリラヤの路上で日々出会う人々がいました。大勢の庶民、貧しい人々、病者、 罪人、律法の重圧や抑圧的な社会構造によって疎外された人々です。これらの人々は、希望が与 えられるイエスのことばを聞こうと、……いつもその後をついて回りました。イエスのことばは いつも希望を与えてくれます」(「『お告げの祈り』でのことば(2014 年 7 月 6 日)」)。 この第 28 回「世界病者の日」に、イエスは病者、抑圧された人、貧しい人を招いておられます。 自分が完全に神に頼っていることを知っているその人々は、試練の重荷によって傷つき、いやし を求めています。もろさ、痛み、弱さを抱えた自身の状態に苦悩する人々に、イエス・キリスト は律法を課すのではなく、ご自分のあわれみを、つまりいやし手であるご自身を与えてください ます。イエスは傷ついた人類を見つめておられます。奥深くにまで届くそのまなざしは、見て、 気づきます。無関心にはならずに目をとめ、どのような健康状態にあってもだれ一人排除するこ となく、人間のすべてを受け入れ、ご自分のいのちに入り、優しさに触れるよう、一人ひとりを 招いておられます。 つづく

カトリック中央協議会 HP より 

2020年1月19日 (日)

こころの深呼吸 気づきと癒しの言葉366(1月19日)

心の居場所

路上で生活する人に、

住む部屋だけ与えても問題は解決しません。

自分が必要とされ、

尊敬される場所を見つけるまで、

心は「ホームレス」のままだからです。

誰かから必要とされ、尊敬されてこそ、

人間らしく生きることができるのです。

 

こころの深呼吸 気づきと癒しの言葉366より

2020年1月18日 (土)

こころの深呼吸 気づきと癒しの言葉366(1月18日)

時間の家計簿

お金を無駄遣いしないため、

家計簿をつけて

何にお金を使ったかを

確認するのと同じように、

時間を無駄遣いしないため、

一日を振り返って

何に時間を使ったか確認しましょう。

時間の無駄遣いは、人生の無駄遣い。

お金の無駄遣いより深刻です。

 

こころの深呼吸 気づきと癒しの言葉366より

キリスト教一致祈禱週間(1月18日~25日)

キリスト教一致祈禱週間

「すべての人を一つにしてください」という最後の晩さんでのイエスの祈りに耳を傾けるわたしたちはまた、折にふれて目に見える一致を示すように求められています。それは、ともに祈り、支え合うことによって、神がすべての人の救いのためにイエスを遣わしたことを「世が信じるため」です。

(ヨハネ 17・21-23 参照)

2020年1月12日 (日)

こころの深呼吸 気づきと癒しの言葉366(1月12日)

できるところまで

「やればできる」は、

半分正しくて、半分間違っています。

「やれば、できるところまではできる。

やらなければ、できるはずのことさえ

できないまま終わる」

が正確な表現でしょう。

どこまでできるかは、

自分で確かめるしかありません。

 

こころの深呼吸 気づきと癒しの言葉366より

2020年1月11日 (土)

こころの深呼吸 気づきと癒しの言葉366(1月11日)

全力で挑む

実力以上の結果を出そうとすれば、

緊張して

実力さえ出せなくなります。

これまでの積み重ねを信頼して

全力で挑むとき、

一番よい結果が得られるのです。

ありのままの自分を

さらけ出す勇気を持ちましょう。

 

こころの深呼吸 気づきと癒しの言葉366より

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