2017年8月18日 (金)

2017年 8月20日の「聖書と典礼」

2017年 8月20日の「聖書と典礼」

「年間第20主日」 A

「主よ、どうかお助け下さい。」

(マタイ福音書1525)

 

 〔イザヤ書5566章は、バビロン捕囚から帰国した直後の預言者のことばと考えられている。その冒頭で、異邦人に及ぶ普遍的な救いのビジョンが示される。〕

第一朗読         イザヤの預言

わたしは異邦人の子らを聖なるわたしの山に導こう。

(56章1節、67節)

イザヤの預言

1主はこう言われる。
正義を守り、恵みの業を行え。
わたしの救いが実現し
わたしの恵みの業が現れるのは間近い。

6主のもとに集って来た異邦人が
主に仕え、主の名を愛し、その僕となり
安息日を守り、それを汚すことなく
わたしの契約を固く守るなら

7わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き
わたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。
彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら
わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。
わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。

(註) 6安息日を守り……安息日の律法はシナイ契約のしるしであった。(出エジプト記311217節参照)。ここでは神の民になるための条件と考えられている。

(註) 7聖なるわたしの山……エルサレムの神殿があるシオンの山のこと。「祈りの家」も神殿を指す。紀元前五一五年に再建されたばかりだった。

(註) わたしの家は~……マタイ福音書2113節、マルコ福音書1117節、ルカ福音書1946節でイエスが引用することば。

 

 〔キリストへの信仰がユダヤ人よりも異邦人に受け入れられていく様子をパウロは見ていた。パウロはそれがユダヤ人も異邦人も含めた全人類を救う神の計画であると語る。〕

第二朗読       ローマの信徒への手紙

イスラエルに対する神の賜物と招きは取り消されない。

(11章1315節、2932節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

 13〔皆さん、〕あなたがた異邦人に言います。わたしは異邦人のための使徒であるので、自分の務めを光栄に思います。14何とかして自分の同胞にねたみを起こさせ、その幾人かでも救いたいのです。15もし彼らの捨てられることが、世界の和解となるならば、彼らが受け入れられることは、死者の中からの命でなくて何でしょう。
29神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。30あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順によって憐れみを受けています。31それと同じように、彼らも、今はあなたがたが受けた憐れみによって不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今憐れみを受けるためなのです。32神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。

(註)13異邦人のための使途……ガラテヤの信徒への手紙279節参照。

(註)14同胞にねたみを起こさせ……ユダヤ人が奮起することを期待する表現。

(註)15彼ら……キリストを受け入れないユダヤ人を指す。

(註)29神の賜物と招き……旧約聖書の中で、ユダヤ人に与えられていたものだった。

 

 〔自分たちの言い伝えを重視して神から離れてしまったファリサイ派や律法学者の姿に続いて、非常に対照的な異邦人の女の信仰が伝えられる。〕

福音朗読       マタイによる福音書

婦人よ、あなたの信仰は立派だ。

(15章2128節)

マタイによる福音

21〔そのとき、〕イエスは、ティルスとシドンの地方に行かれた。22すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。23しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」
24イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。25しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。26イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、27女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」28そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。

(註)21ティルス シドン……ガリラヤ地方の北方、地中海に面した異邦人の町の名。

(註)22カナンの女……カナン人はパレスチナの先住民。

(註)24わたしは、イスラエルの家の~……マタイ福音書106節参照。このようなイスラエル民族を優先することばはマタイ福音書だけに見られる。マタイ福音書では、全世界への宣教はイエスの復活後のこととされている(2819節参照)

(註)26子供たち 子犬・・・・・・「子どもたち」はユダヤ人を、「子犬」は異邦人を指す。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017820より)

2017年8月11日 (金)

2017年 8月13日の「聖書と典礼」

2017年 8月13日の「聖書と典礼」

「年間第19主日」 A

そのとき主が通り過ぎて行かれた。

(列王記上 19章11節)

 

 〔カルメル山で異教の神バアルの預言者と戦い、王妃イゼベルに追われる身となった預言者エリヤは、恐れと疲労のため、自分の死さえも願うようになった。しかし、神はエリヤをホレブ(シナイ山)に導き、そこで新たな使命を与えることになる。〕

第一朗読 列王記上

山の中で主の前に立ちなさい

(19章9節a、1113節a)

列王記

 〔その日、エリヤは神の山ホレブに着き、〕そこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。見よ、そのとき、主の言葉があった。主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を/裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。

 

 

 〔パウロは、キリストによる救いを受け入れなかった多くの同胞(ユダヤ人)のことを思い、心を痛めて語る。このテーマが9~11章で扱われ、イスラエルとすべての民を救う神の計画が語られていく。〕

第二朗読      ローマ の信徒への手紙

兄弟たちのためならば、

神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っている。

(9章15節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

1 〔皆さん、〕わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、2わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。3わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。4彼らはイスラエルの民です。神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです。5先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。

(註) 3肉による同胞……ユダヤ人を指す。フランシスコ会訳では「血縁上の同族。

(註) 5肉によれば……「人間としては」の意味。1章3節参照。

 

 〔マタイ福音書は、この出来事の中に、自分たちの教会の不安定な様子を重ね合わせてみているようである。不安におびえる弟子たち(教会)とともにいてくださるキリストへの信頼が求められる。〕

福音朗読       マタイによる福音書

わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。

(14章2233節)

マタイによる福音

22〔人々がパンを食べて満腹した後、〕イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。23群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。24ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。25夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。26弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。27イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」28すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」29イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。30しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。31イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。32そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。33舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

(註)24スタディオン……長さの単位。1スタディオンは約185メートルにあたる。

(註)27わたしだ……「わたしはある」とも訳せることば。旧約では、神が自ら現れるときの宣言の形で、ともにいることを約束する力強いことばである。イザヤ書43章1-2節参照。

(註)28-32ペトロが答えた~……この部分は、同じ出来事を伝えるマルコ福音書6章45-52節、ヨハネ福音書6章15-21節にはなく、マタイ福音書だけが伝える。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017813より)

2017年8月 4日 (金)

2017年 8月 6日の「聖書と典礼」

2017年 8月 6日の「聖書と典礼」

「主の変容」 A

イエスの顔は太陽のように輝いた。

(福音朗読主題句 マタイによる福音書172節)

 

 〔バビロン捕囚の時代(紀元前六世紀)にダニエルが見た幻として描かれているが、実際に本書が書かれたのは、紀元前二世紀のセレウコス朝シリアの支配下のこと。激しい宗教的な迫害の中で、神の最終的な勝利への確信を語る。〕

第一朗読         ダニエルの預言

その衣は雪のように白い。

(7章910節、1314節)

ダニエルの預言

9 〔わたしが〕見ていると、

王座が据えられ
「日の老いたる者」がそこに座した。
その衣は雪のように白く
その白髪は清らかな羊の毛のようであった。
その王座は燃える炎
その車輪は燃える火

10その前から火の川が流れ出ていた。
幾千人が御前に仕え
幾万人が御前に立った。
裁き主は席に着き
巻物が繰り広げられた。

                             

13夜の幻をなお見ていると、
見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り
「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み

14権威、威光、王権を受けた。
諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え
彼の支配はとこしえに続き
その統治は滅びることがない。

(註) 9日の老いたる者……神のこと。神の永遠性を思わせる表現である。

(註) 白……白は光の色と考えられ、神の聖性を表す。

(註) 炎 火…・・・裁きと清めをもたらす神の力の象徴。

(註)10巻物……変更されることのない神の意志を象徴的に表す表現。

(註)13人の子……本来は人間一般を指すが、この個所のため、神が最終的に遣わす特別な方(審判者・王・救い主)を指すようになった。

(註) 雲に乗り……神から来られた方であることを表す。

 

 〔ペトロが教会の指導者として、遺言のように教えを述べる形で書かれた書。栄光のキリストが再び来られるという待望の根拠が語られる箇所。〕

第一朗読        (ニ)ペトロの手紙

わたしたちは天から響いてきたこの声を聞いた。

(1章1619節)

使徒ペトロの手紙

16〔愛する皆さん、〕わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。17荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。18わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。19こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。

(註)18聖なる山……きょうの福音の舞台となった山。位置については諸説がある。伝統的にガリラヤ地方のタボル山とされるが、もっと北方のヘルモン山かもしれない。

(註)19明けの明星……明け方に見える金星のこと。明るさをもたらすものと考えられ、救いの到来の象徴とされた。

(註) 預言の言葉……旧約聖書のことばのこと。

 

 〔最初の受難予告があってから六日目の出来事。四旬節第二主日にもこの変容の出来事が読まれる。この出来事は、十字架を通って栄光に至るイエスの道に弟子たちを招くものであった。〕 

福音朗読        マタイによる福音書 

イエスの顔は太陽のように輝いた。

(17章19節)

マタイによる福音

1 〔そのとき、〕イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。2イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。3見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。

4ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」5ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。6弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。7イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」8彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
9一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。

(註) 3モーセとエリヤ……モーセは律法を、エリヤは預言者を代表する人物。「律法と預言者」で、旧約聖書全体を表した。

(註) 4仮小屋……幕屋を意味する言葉。ペトロはこの素晴らしい光景が消えてしまうことを惜しんで、彼らの住まいを建てようとした。

(註) 5……目には見えないが神がそこにおられるというしるし(出エジプト記403438節など参照)。

(註) これは私の愛する子~……ヨルダン川での洗礼のときも同じ声が聞こえた(マタイ福音書317節参照)。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20178 6より)

2017年7月28日 (金)

2017年 7月30日の「聖書と典礼」

2017年 7月30日の「聖書と典礼」

「年間第17主日」 A

あなたは……訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。

(列王記上 311節より)

 

 〔旧約聖書の中の多くの知恵文学がソロモンに帰せられるほど、ソロモン王は知恵ある人として有名であった。〕

第一朗読           列王記上

あなたは自分のために知恵を求めた

(3章5節、712節)

列王記

 5その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。〔ソロモンは答えた。〕7「わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。8僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。9どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」
10主はソロモンのこの願いをお喜びになった。11神はこう言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。12見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。」

(註) 5ソロモン……ダビデ王の息子で、その王位を継承した(紀元前10世紀)。

(註) ギブオン……元はカナン人の町で、エルサレムの北に位置する。有名な聖所があった。まだエルサレムの神殿ができる前のことで、この時、ソロモンはこの聖なる高台でいけにえをささげるためにギブオンに来ていた。

 

 〔「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りない」(818節)と述べたパウロは神の救いへの信頼と希望を語る。〕

第二朗読      ローマの信徒への手紙

神は前もって知っておられた者たちを、

御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められた。

(8章2830節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

28〔皆さん、〕神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。29神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。30神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。

(註)28共に働く……何が共に働くのかははっきりしない。「聖霊」(27節参照)とも「すべて」とも「神」ともとれる。

 

〔天の国(神の国)のたとえが集められたマタイ福音書131-52節の結び。イエスの語る天の国とはいわゆる「天国」のようなものではなく、神との交わりそのものである。〕

福音朗読       マタイによる福音書

宝を見つけた人は、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。

(13章4452節、 または 13章4446節)

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕44「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
45また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。46高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」
 
47「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。48網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。49世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、50燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。51あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。52そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」 

(註)45真珠……古代では非常に高価なものであった。44節のたとえ同様、人が求めるべき宝というテーマは、第一朗読や答唱詩編とつながるものである。

(註)47-50天の国は~……このたとえは先週の福音の「毒麦のたとえ」に似ている(マタイ福音書1324-30節、36-43節)。

(註)52学者……ここでは弟子たちが「学者」と呼ばれている。「一家の主人」はイエスのことであろう。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017730より)

2017年7月21日 (金)

2017年 7月23日の「聖書と典礼」

2017年 7月23日の「聖書と典礼」

「年間第16主日」 A

〔“霊”は〕弱い私たちを助けてくださいます。

(ローマの信徒への手紙826節より)

 

 〔紀元前一世紀頃書かれた「知恵の書」は、旧約時代の様々な出来事をとおして働いた神の知恵について思いめぐらす(1019章)。きょうの箇所は、イスラエルと敵対した先住民であるカナン人に対する神の寛容とその理由が語られる部分〔知恵の書12322節〕から採られている。〕

第一朗読           知恵の書

あなたは罪からの回心をお与えになった。

(12章13節、1619節)

知恵の書

〔主よ、〕
13すべてに心を配る神はあなた以外におられない。
だから、不正な裁きはしなかったと、
証言なさる必要はない。
16あなたの力は正義の源、
あなたは万物を支配することによって、
すべてをいとおしむ方となられる。
17あなたの全き権能を信じない者に
あなたは御力を示され、
知りつつ挑む者の高慢をとがめられる。
18力を駆使されるあなたは、寛容をもって裁き、
大いなる慈悲をもってわたしたちを治められる。
力を用いるのはいつでもお望みのまま。

                             

19神に従う人は人間への愛を持つべきことを、
あなたはこれらの業を通して御民に教えられた。
こうして御民に希望を抱かせ、
罪からの回心をお与えになった。

 

  〔ローマ書8章では聖霊のさまざまな働きが語られるが、ここでは祈りのうちに働く霊のことが言われている。〕

第二朗読      ローマの信徒への手紙

“霊が、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる。

(8章2627節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

26〔皆さん、は〕弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。27人の心を見抜く方は、の思いが何であるかを知っておられます。は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。

(註)26“霊”……聖霊のことであるが、わたしたちの祈りは、この聖霊という神の働きに支えられている。

 

 〔先週の「種蒔きのたとえ」に続いて語られる天の国(神の国)のたとえ。毒麦(罪びと)が混じっていたり、弱く小さな集まりでしかないイエスのまわりの人々の中に、イエスは神の国の確かな芽生えを見ている。〕

福音朗読       マタイによる福音書

刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。

(13章2443節、または 13章2430節)

マタイによる福音

 24〔そのとき、〕イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。25人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。26芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。27僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』28主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、29主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。30刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」
 
31イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、32どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
 
33また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」
 
34イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。35それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
 「わたしは口を開いてたとえを用い、
 天地創造の時から
 隠されていたことを告げる。」
36それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。37イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、38畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。39毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。40だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。41人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、42燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。43そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

(註)25毒麦……小麦に似た雑草で、人間が食べると吐き気やめまいをもよおす。なお、この毒麦のたとえはマタイ福音書だけが伝えている。

(註)31からし種……種は12ミリの小さなもの。木ではなく野菜であるが、成長すると1.53メートルにもなる。

(註)33サトン……容量の単位で、1サトンは約12.8リットルにあたる。

(註)35わたしは口を開いて~……詩編782節の引用。「たとえ」の元の語はヘブライ語の「マーシャール」。新共同訳の詩編のこの箇所で、このことばは「箴言」と訳されている。

(註)37-43良い種を蒔く者は~……このようなたとえの説明は初代教会の解釈、適用であると考えられている。ここではたとえ話全体が、黙示文学的な裁きの様子を示すものと解釈されている。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017723より)

2017年7月14日 (金)

2017年 7月16日の「聖書と典礼」

2017年 7月16日の「聖書と典礼」

「年間第15主日」 A

ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで……。

(マタイ福音書138節より)

 

 〔イザヤ書4055章は「第二イザヤ」と呼ばれるバビロン捕囚の時代(紀元前六世紀)の預言者のもので、捕囚からの解放を告げるメッセージ。人間の目には不可能に思えるような救いのわざを語る預言者は、結びに神のことばの力への信頼を促す。〕

第一朗読           イザヤ書

雨は大地を生い茂らせる。

(55章1011節)

イザヤの預言

〔主は言われる。〕
雨も雪も、ひとたび天から降れば
むなしく天に戻ることはない。
それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ
種蒔く人には種を与え
食べる人には糧を与える。
11そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も
むなしくは、わたしのもとに戻らない。
それはわたしの望むことを成し遂げ
わたしが与えた使命を必ず果たす。

 

 

 〔キリストとともに、聖霊によって神の子供とされたわたしたちの希望を語る。〕

第二朗読      ローマの信徒への手紙

被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいる。

(8章1823節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

18〔皆さん、〕現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。19被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。20 被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。21つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。22被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。23被造物だけでなく、の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。

(註)19被造物……ここでは、人間以外のすべての造られたものを指す。

(註)19神の子たち……聖霊によって「アッバ、父よ」と叫ぶ神の子とされた人間のこと。(81517節参照)。

(註)23 “霊”の初穂……聖霊はすでに与えられているものであり、また将来もたらされる、より豊かな実りを保証するので「初穂」と言われている。

 

  〔マタイ福音書13章には天の国(神の国)のたとえが集められている。〕

福音朗読       マタイによる福音書 

種を蒔く人が種蒔きに出て行った。

(13章123節 または 13章19節)

マタイによる福音

1その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。2すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。3イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。4蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。5ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。6しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。7ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。8ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。9耳のある者は聞きなさい。」

                             

 10弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。11イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。12持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。13だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。14イザヤの預言は、彼らによって実現した。
 『あなたたちは聞くには聞くが、
 決して理解せず、
 見るには見るが、決して認めない。
15 この民の心は鈍り、
 耳は遠くなり、
 目は閉じてしまった。
 こうして、彼らは目で見ることなく、
 耳で聞くことなく、
 心で理解せず、悔い改めない。
 わたしは彼らをいやさない。』
16しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。17はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。
18だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。19だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。20石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、21自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。22茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。23良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」

(註) 3種を蒔く人……これはイエス自身の姿を思わせる。

(註)  種蒔き……当時の種蒔きは、種を手で土地一面に蒔き散らし、それから耕して種に土をかぶせたらしい。そのため無駄になる種も多かったようである。

(註)1117あなたがたには~……この部分は理解しにくいが、このイエスのことばは本来、たとえ話を語る理由というよりも、イエスの教え全体について述べたことばだったのかもしれない。「たとえ」という語の背景にあるヘブライ語の「マーシャール」ということばには、「たとえ」「格言」だけでなく「なぞ」の意味もある。つまり、受け入れない人にとってはイエスの教え全体が謎になってしまう、というのが本来の意味か。

(註)14-15あなたたちは聞くには聞くが~……イザヤ書6910節の引用。

(註)18-23だから、種を蒔く人の~……このようなたとえの説明部分は、イエスのことばではなく、初代教会による解釈、適用であると考えられる。ここにはマタイの時代の教会の困難な状況がうかがえる。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017716より)

2017年7月 8日 (土)

2017年 7月 9日の「聖書と典礼」

 2017年 7月 9日の「聖書と典礼」

「年間第14主日」 A

見よ、あなたの王が来る。……高ぶることなく、ろばに乗ってくる。

(ゼカリア書99節より)

 

 〔ゼカリア書914章は、18章とは別の一つにまとまった預言で、来るべきメシア時代の救いを告げる。9節はイエスのエルサレム入城への関して福音書に引用されていることばである(マタイ福音書215節、ヨハネ福音書1215節参照)。〕

第一朗読          ゼカリヤ書

見よ、あなたの王が来る。彼は高ぶることがない。

(9章910節)

ゼカリヤの預言

〔主は言われる。〕
9娘シオンよ、大いに踊れ。
 娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
 見よ、あなたの王が来る。
 彼は神に従い、勝利を与えられた者
 高ぶることなく、ろばに乗って来る
 雌ろばの子であるろばに乗って。
10わたしはエフライムから戦車を
 エルサレムから軍馬を絶つ。
 戦いの弓は絶たれ
 諸国の民に平和が告げられる。
 彼の支配は海から海へ
 大河から地の果てにまで及ぶ。

(註) 9娘シオン……エルサレムの町が一人の女性にたとえられている。

(註) 高ぶることなく……「貧しい」「柔和な」とも訳せる。七十人訳(古代ギリシア語訳)は「プラユス」という訳語をあてている(きょうの福音朗読で「柔和」と訳されることば)。

(註) ろば……ここでは10節の馬と対比されて、「貧しさ(柔和)」と「平和」のシンボルである。

 

 〔「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死の法則からあなたを解放した」(ローマの信徒への手紙82節)とパウロは宣言した。この法則に従って生きる道をパウロは説く。〕

第二朗読       ローマの信徒への手紙

霊によって体の仕業を断つならば、あなたがたは生きる。

(8章9節、1113節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

 9〔皆さん、〕神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。11もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
12それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。13肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。

(註) 9霊の支配下……「霊」「肉」は人間の二つの部分ではなく、対立する二つの原理。「霊の支配下」は神中心の生き方を指す。「肉に従って生きる」(1213節)は、これと対比される自己中心の生き方のこと。

 

 〔律法の重荷を人々に負わせたファリサイ派や律法学者(マタイ福音書234節参照)と正反対のイエスの姿を示すことば。〕

福音朗読       マタイによる福音書

私は柔和で謙遜な者である。

11・2530

マタイによる福音

25そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。26そうです、父よ、これは御心に適うことでした。27すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。28疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。29わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。30わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

(註)25幼子のような者……幼子は、「無知で無力な者」を表す。ファリサイ派や律法学者が律法を知らない者として軽蔑していた民衆を指す。

(註)29柔和……マタイ福音書55節、215節参照。

(註) 謙遜……ここで用いられている「タペイノス」ということばは、本来「身分が低い」と言う意味。ここでは「心の」という言葉が不可されているので「謙遜」と訳される。

(註) 軛(くびき)……農耕などのために二頭の牛(又はろば)をつなぐ農具。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201779より)

2017年7月 2日 (日)

2017年 7月 2日の「聖書と典礼」

2017年 7月 2日の「聖書と典礼」

「年間第13主日」 A

自分の十字架を担ってわたしたちに従わない者は、

わたしにふさわしくない。

(マタイ福音書1038節より)

 

 〔エリシャは、預言者エリヤの弟子。エリや同様、北イスラエルで活動し、福音書の奇跡を思わせるような様々な奇跡を行ったと伝えられている。〕

第一朗読            列王記(下)

あの方は、聖なる神の人で、その部屋に入っていただける。

4811節、1416a

 8ある日、エリシャはシュネムに行った。そこに一人の裕福な婦人がいて、彼を引き止め、食事を勧めた。以来彼はそこを通るたびに、立ち寄って食事をするようになった。9彼女は夫に言った。「いつもわたしたちのところにおいでになるあの方は、聖なる神の人であることが分かりました。10あの方のために階上に壁で囲った小さな部屋を造り、寝台と机と椅子と燭台を備えましょう。おいでのときはそこに入っていただけます。」11ある日、エリシャはそこに来て、その階上の部屋に入って横にな〔った。〕14エリシャは、「彼女のために何をすればよいのだろうか」と言うので、〔従者〕ゲハジは、「彼女には子供がなく、夫は年を取っています」と答えた。15そこでエリシャは彼女を呼ぶように命じた。ゲハジが呼びに行ったので、彼女は来て入り口に立った。エリシャは、「来年の今ごろ、あなたは男の子を抱いている」と告げた。

(註) 8シュネム・…・・イサカル族の住む地域にある町。イスラエルの北部、ガリラヤ地方と接するあたりに位置する。

(註)14彼女には子供がなく……子供がないことは、女性にとって恥じと考えられたので、大きな苦しみであった。

(註)16来年の今ごろ~……この約束はそのとおり実現した(17節)。

 

 〔罪のあるところに恵みが増したからといって、罪の中にとどまるべきではないとパウロは語る。そのためにキリスト者が受けた洗礼の意味を考えさせる。〕

第二朗読 使徒パウロのローマの教会への手紙

わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、新しい命に生きる。

(ローマの信徒への手紙634節、811節)

 3〔皆さん、〕あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。4わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。8わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。9そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。10キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。11このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。

(註) 3洗礼……「洗礼」(パブテスマ)の元の意味は「沈める、浸す」。水の中に沈められ、そこから再び立ち上がることは死と復活のシンボルである。洗礼とは、「キリストの中に沈められること」であり、「その死の中に沈められること」なのである。

 

 〔十二使徒を派遣するにあたっての長い説教(10542節の結びの部分。)

福音朗読        マタイによる福音書

自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れる。

(103742節より)

 〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕37「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。38また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。39自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。
 
40あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。41預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。42はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

(註)37私よりも父や母を~……非常に厳しい要求であるが、このことによってすべての人との新たなつながりが生まれることにもなる(マタイ福音書124950節参照)。

(註)38-39自分の十字架を~……マタイ福音書162425節、マルコ福音書83435節、ルカ福音書92324節参照。

(註)40-42あなたがたを受け入れる人は~……マタイ福音書185節、マルコ福音書937節、41節、ルカ福音書1016節など参照。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201772より)

2017年6月23日 (金)

2017年 6月25日の「聖書と典礼」

2017年 6月25日の「聖書と典礼」

「年間第12主日」 A

人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は…。

(マタイ福音書1032節より)

 

 〔預言者エレミヤは、紀元前六世紀、バビロン捕囚の直前の時代に、ユダ王国の救いではなく、その滅亡を預言した。人々の期待にそわない預言をしたエレミヤは、主のことばを忠実に伝えたがゆえに迫害をうけなければならなかった。この個所は、預言者としての苦悩とその中での神への信頼を語る「エレミヤの告白」と呼ばれるものの一つ。〕

第一朗読         エレミヤの預言 

主は貧しい人の魂を、悪事を謀る者の手から助け出される。

(20章1013節)

                             

 

エレミヤの預言

 

〔エレミヤは言った。〕
10わたしには聞こえています
 
多くの人の非難が。
 
「恐怖が四方から迫る」と彼らは言う。
 
「共に彼を弾劾しよう」と。
 
わたしの味方だった者も皆
 
わたしがつまずくのを待ち構えている。
 
「彼は惑わされて
 
我々は勝つことができる。
 
彼に復讐してやろう」と。

 

11しかし主は、恐るべき勇士として
わたしと共にいます。
それゆえ、わたしを迫害する者はつまずき
勝つことを得ず、成功することなく
甚だしく辱めを受ける。
それは忘れられることのない
とこしえの恥辱である。

12万軍の主よ
正義をもって人のはらわたと心を究め
見抜かれる方よ。
わたしに見させてください
あなたが彼らに復讐されるを。
わたしの訴えをあなたに打ち明け
お任せします。

 

13主に向かって歌い、主を賛美せよ。
主は貧しい人の魂を
悪事を謀る者の手から助け出される。

 

 〔パウロは、キリストの救いの絶大な力を、最初の人間アダムとの対比によって示そうとする。アダムとキリストは、罪と義という点では正反対だが、その結果がすべての人に及んだという点で共通ものがあるとパウロは考える。〕

 

第二朗読        ローマの信徒への手紙

恵みの賜物は罪とは比較にならない。

(5章1215節)

 

 

使徒パウロのローマの教会への手紙

 

12〔皆さん、〕一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。13律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。14しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。
15しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。

(註)12一人の人……アダムのこと。アダムの罪については創世記3章参照。この罪の結果、神はアダムに向かって、「塵にすぎないお前は塵に返る」(319)と言われた。

 

 〔十二人の弟子(使徒)を選んで派遣するにあたってのイエスの説教で、弟子たちが遭遇することになる迫害を予告した後のことば。ルカ福音書1229節と文脈は異なるが、内容はよく似ている。〕

 

福音朗読        マタイによる福音書

体を殺す者どもを恐れるな。

(10章2633節)

 

 

マタイによる福音

 

 〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕26「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。27わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。28体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。29二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。30あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。31だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。
32だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。33しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」

(註)29アサリオン……1デナリオン(1日の日当)16分の1。雀は価値が低く、一羽では売り物にならない。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017 625より)

2017年6月17日 (土)

2017年 6月18日の「聖書と典礼」

2017年 6月18日の「聖書と典礼」

「キリストの聖体」

パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。

(一コリントの信徒への手紙1017節より)

 

 〔荒れ野の旅の終わりに、約束の地を目の前にして、モーセはイスラエルの民にこれまでの辛い旅を思い起こさせ、その意味を語る。〕

第一朗読           申命記

主は、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。

(8章23節、14節b16節a)

申命記

 〔モーセは言った。〕2あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。3主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。
14b主はあなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出し、15炎の蛇とさそりのいる、水のない乾いた、広くて恐ろしい荒れ野を行かせ、硬い岩から水を湧き出させ、16aあなたの先祖が味わったことのないマナを荒れ野で食べさせてくださった。

(註) 3マナ……荒れ野の旅の間に神から与えられた食べ物(出エジプト記16章参照)。天から降ったパンとも言われている(同164節)。

(註) 人はパンだけで~……マタイ福音書44節、ルカ福音書44節でイエスが引用したことば。

(註)15岩から水を……出エジプト記1717節参照。

 

 〔コリントの教会では、キリスト者が異教の神殿で行われる犠牲祭儀にかかわるという問題があった。パウロは、これをとがめ、キリスト者がパンを裂くことの意味を問い直す。〕

第二朗読      一コリントの信徒への手紙

パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体である。

(10章1617節)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

16〔皆さん、〕わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。

(註)16あずかる……原語の「コイノニア」は「交わり、一致」を意味する。

 

 〔ヨハネ福音書6章は、イエスが五つのパンを大群衆に分け与えた話に始まり、パンをめぐる対話が続く。初めは「わたしが命のパンである」(イエスこそが真の命を与える方である)と語られているが、ここでは次第に「わたしが与えるパン」(すなわち聖体)のことに話が進んでいく。〕

福音朗読      ヨハネによる福音書

わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物である。

(6章5158節)

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。〕51「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
52それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。53イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。55わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。57生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。58これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

(註)53人の子の肉を食べ~……非常に生々しい表現。特に「血を飲む」ことは律法で禁じられていたことであった(レビ記171014節参照)。

(註)56内におり~内にいる……「互いが相手の内にとどまる」というこの表現は、ヨハネ福音書に特徴的なもので、両者の深い交わりと一致を表す(ヨハネ福音書155節では、ブドウの木と枝のつながりがこのように表現されている)。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017 618より)

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