2018年5月27日 (日)

 2018年 5月27日の「聖書と典礼」

2018年 5月27日の「聖書と典礼」

「三位一体の主日」 B

わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。

(マタイによる福音書2820節より)

 

 〔約束の地を前にして、モーセは民に神の救いのわざを思い起こさせる。イスラエルは救いの体験によって唯一の主である神を知った。〕

第一朗読            申命記

上の天においても下の地においても主こそ神であり、

ほかに神はいない。

(4章3234節、3940節)

申命記

 〔モーセは民に言った。〕32あなたに先立つ遠い昔、神が地上に人間を創造された最初の時代にさかのぼり、また天の果てから果てまで尋ねてみるがよい。これほど大いなることがかつて起こったであろうか。あるいは、そのようなことを聞いたことがあろうか。33火の中から語られる神の声を聞いて、なお生きている、あなたと同じような民があったであろうか。34あるいは、あなたたちの神、主がエジプトにおいてあなたの目の前でなさったように、さまざまな試みとしるしと奇跡を行い、戦いと力ある御手と伸ばした御腕と大いなる恐るべき行為をもって、あえて一つの国民を他の国民の中から選び出し、御自身のものとされた神があったであろうか。
39あなたは、今日、上の天においても下の地においても主こそ神であり、ほかに神のいないことをわきまえ、心に留め、40今日、わたしが命じる主の掟と戒めを守りなさい。そうすれば、あなたもあなたに続く子孫も幸いを得、あなたの神、主がとこしえに与えられる土地で長く生きる。

(註)33火の中から語られる神の声・・・荒れ野の旅の途中、シナイ山で十戒が授けられたことを指す。申命記では、民は十戒のことばを神から直接に聞いたと言われている(申命記54節、22節参照)。

(註)34力ある御手と伸ばした御腕・・・手に戦いの武器を持っている様子が考えられているのであろう。神の大きな救いの力を表す表現である。

(註)3940今日・・・今ここでの決断を民に促す、申命記に特徴的なことば。

 

 〔この手紙の8章でパウロは聖霊によるいのちについて詳しく述べている。〕

第二朗読 ローマの信徒への手紙

神の子とする霊を受け、この霊によって、

わたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶ。

(8章1417節)

                             使徒パウロのローマの教会への手紙

14 〔皆さん、〕神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。15あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。16この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。17もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。

(註)15アッバ、父よ・・・「アッバ」はアラム語で子どもが父親を呼ぶときのことば。イエス自身このように神に祈られた(マルコ福音書1436節参照)。

(註)17相続人・・・神の恵みと祝福を受け継ぐ者。

 

 〔マタイ福音書の結びの部分。イエスの墓の前で天使が告げたとおり、弟子たちはガリラヤでイエスに出会う。〕

 

福音朗読       マタイによる福音書

 すべての民に父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい。

(28章1620節)

マタイによる福音

 

16 〔そのとき、〕十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。17そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。18イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。19だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、20あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

(註)17ひれ伏した・・・礼拝するという意味もある。

(註)18権能・・・行動する自由、権限。

(註)19父と子と聖霊の名によって~・・・マタイの教会で使われていた洗礼式文からとられた表現と考えられる。「名によって洗礼を授け」は直訳では「名の中に沈め」となる。また「名」はそのものの本質を表す。

(註)20共にいる・・・マタイ福音書123節参照。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018527より)

2018年5月19日 (土)

2018年 5月20日の「聖書と典礼」

2018年 5月20日の「聖書と典礼」

「聖霊降臨の主日」 B

炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。

(使徒言行録 2 3節より)

 

 〔イエスが昇天したのち、百二十人ほどの弟子たちがエルサレムの町の一つの家に集まり、約束された聖霊を待ち望んで祈っていた。〕

第一朗読 使徒言行録

一同は聖霊に満たされ、話しだした。

(2章111節)

使徒たちの宣教

1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4すると、一同は聖霊に満たされ、が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、6この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。7人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。8どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。9わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、10フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、11ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

(註) 1五旬祭・・・旧約聖書で「七週の祭」と言われ、過越祭から五十日目に祝われた。元来は「刈り入れの祭」であった。過越し祭に始まる大きな祭りの期間を締めくくる五旬祭には、多くの巡礼者がエルサレムに集まっていた。

(註) 2・・・聖霊のしるし。霊(プネウマ)はもともと「風」を意味する。

(註) 3・・・原語の「グロッサ」は4節で「言葉」と訳される語。つまり、聖霊の賜物の目に見えるしるしである。

(註) 4ほかの国々の言葉・・・他国の言葉ととる場合が多いが、聖霊の賜物としての「異言」(一コリントの信徒への手紙14章参照)を指すとの解釈もある。

(註) 9バルディア、メディア~・・・これらの地名は、東は今のイランから西はローマまで、さらに北アフリカをも含む非常に広い地域を示す。

 

 〔パウロは、律法から解放され、自由を与えられたキリスト者が、罪を犯すことなく、互いに愛し合うよう、聖霊に従って生きることを勧める。

第二朗読      ガラテヤの信徒への手紙

霊を結ぶ実。

5・1625

使徒パウロのガラテヤの教会への手紙

16 〔皆さん、〕霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。17肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。18しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。19肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、21ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。
22 これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、23柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。24キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。25わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。

(註)16霊  肉・・・ここでは「霊」は聖霊を意味し、神とのつながりの中にある人間の状態を表すのに対し、「肉」は神から離れ、滅びゆく人間の状態を意味する。

(註)24キリスト・イエスのものとなった人たち・・・洗礼を受けてキリストに結ばれた者(ローマの信徒への手紙66節参照)。

 

 〔最後の晩餐の席でイエスが語られた長い説教の一部。迫害の予告に続いて語られることば。〕

                             

福音朗読        ヨハネによる福音書

心理の霊はあなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。

(15章2627節、16章1215節)

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕1526「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。27あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。
1612 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。13しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。14その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。15父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

(註)1526弁護者・・・原語「パラクレートス」の元の意味は「そばに呼ばれた者」。聖霊はわたしたちの近くにいてわたしたちを助けてくださる方である(1416節、26節、167節参照)。

(註) 心理の霊・・・真理であるイエスのことを弟子たちに現し、悟らせる霊、という意味であろう。1417節参照。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018520より)

2018年5月12日 (土)

2018年 5月13日の「聖書と典礼」

2018年 5月13日の「聖書と典礼」

「主の昇天」 B

イエスは彼らが見ているうちに天に上げられた。

(使徒言行録 1 9節より)

 

 〔「使徒言行録」はルカ福音書の続きとして書かれた。福音書は昇天の出来事で結ばれているが、使徒言行録は同じ出来事から始まる。〕

第一朗読          使徒言行録

イエスは彼らが見ているうちに天に上げられた。

(1章111節)

使徒たちの宣教

1-2 テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。
3 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。4そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。5ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」
6 さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。7イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。8あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」9こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。10イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、11言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

(註) 1テオフィロさま・・・ルカ福音書同様、本書は「テオフィロ」という人物に献呈された形を取っているが、この名の人物は知られていない。この名は「神を愛する者」あるいは「神に愛された者」を意味する。

(註)  先に第一巻・・・ルカによる福音書のこと。

(註) 4父の約束されたもの・・・聖霊のこと。ルカ福音書2449節参照。

(註) 5聖霊による洗礼・・・普通の洗礼で水に沈められ、水に覆われるように、聖霊で覆われること、すなわち2章の聖霊降臨の出来事を指す。

(註) 6国を建て直して・・・この時、弟子たちはまだ政治的な解放を期待していた。

(註) 9・・・神がそこにおられるしるしである。

(註)10白い服を着た二人の人・・・天使である。

 

 〔あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つのまとめられる(110節)ことを確信しながらパウロは勧告する。なお、第二朗読は各年共通のエフェソ11723節を用いることもできる。〕

第二朗読      エフェソの信徒への手紙

わたしたちは、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長する。

(4章113節、 または 4章17節、1113節)

使徒パウロのエフェソの教会への手紙

                             

1 〔皆さん、〕主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、2一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、3平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。4体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。5主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、

6すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。
7 しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。
 《
8そこで、
 「高い所に昇るとき、
 捕らわれ人を連れて行き、
 人々に賜物を分け与えられた」
と言われています。
9 「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。10この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。》
11 そして、〔キリストは〕ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。12こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、13ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。

(註) 1囚人となっている・・・パウロは獄中でこの手紙を書いたとされている(620節参照)。

(註) 2高ぶることなく、柔和で・・・マタイ福音書1129節で、キリストがご自身について語られた言葉を思わせる。

(註) 4・・・この手紙でも、教会は「キリストの体」と言われている(123節、412節参照)。

(註) 8高い所に昇るとき~・・・詩編6819節の引用。「賜物」は、具体的には11節で語られるようなさまざまな奉仕職のことである。

(註)11ある人を使徒~・・・これらの職務は「聖霊の賜物」である(一コリントの信徒への手紙12710節、2830節、ローマの信徒への手紙1268節参照)。

 

 

 〔福音を告げ知らせるイエスの活動はガリラヤで始まったが、同じ使命は復活したイエスから弟子たちに受け継がれ、全世界に向けられていく。〕

福音朗読        マルコによる福音書

主イエスは天に上げられ、神の右の座に着かれた。

(16章1520節)

マルコによる福音

15 〔そのとき、イエスは十一人の弟子に現れて、〕言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。16信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。17信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。

18手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
19 主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。20一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。 

(註)15造られたもの・・・「被造物」の意味だが、ここでは「人間」を指している。

(註)17新しい言葉・・・聖霊降臨のときに使徒たちが語った言葉(使徒言行録2章)や異言のことであると考えられる。

(註)18・・・神に逆らい、人を害するもののシンボル。なお、使徒言行録2836節のパウロのエピソードを参照。

(註)19神の右の座・・・神から全権を委任されたことを表現することば(詩編1101節参照)。

  

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018513より)

2018年5月 3日 (木)

2018年5月6日聖書と典礼

2018年 56日の「聖書と典礼」

「復活節第6主日」

互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である

(ヨハネ1517節)

 

〔異邦人(ローマ人)であるコルネリウスは天使のお告げを受けて、ペトロを迎えるために使いを送った。ユダヤ人の中で始まったキリスト教は異邦人にも広まっていく〕

第一朗読        使徒言行録

聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれた

1025-2634-3544-48節)

 

使徒たちの宣教

 25ペトロが〔カイサリアに〕来ると、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。26ペトロは彼を起こして言った。「お立ちください。わたしもただの人間です。」

 34〔そして、〕ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。35どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」
 
44ペトロが話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。45割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。46異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。そこでペトロは、47「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言った。48そして、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるようにと、その人たちに命じた。それから、コルネリウスたちは、ペトロになお数日滞在するようにと願った。

(註)25カイサリア・・パレスチナの地中海岸の港町で、

          ローマ総督が駐在していた。

()  コルネリウス・ローマ軍の「イタリア隊」と

          呼ばれる部隊の百人隊長。

()(27-33)省略個所では、ペトロが招きに応じた理由と、

     コルネリウスが彼を招いた経緯が語られる。

()(36-43)省略個所でペトロはイエスについて証しする。

()45割礼を受けている信者・ユダヤ人キリスト者のこと

()46異言・・神に向かって語られる不思議な言葉。聖霊

    の賜物の一つと考えられた。一コリント14章参照

 

〔この手紙の中心部分。イエス・キリストが真の人間として来られたことを認めない、偽預言者や反キリストの霊を警戒するようにとの呼びかけ(41-6)に続いて、神の愛について語る

第二朗読     ()ヨハネの手紙

神は愛である

47-10節)

愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。8愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。9神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。10わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。

()互いに愛し合う・ヨハネ1334151217参照

()10罪を償ういけにえ・キリストの十字架による救いを

    約の犠牲祭儀のことばで表わしている。22参照

 

〔最後の晩さんの席でイエスが弟子たちに語る別れの説教(14章―16)の中の一節〕

福音朗読     ヨハネによる福音

友のために自分の命を捨てること、

これ以上に大きな愛はない

159-17節)

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕9「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。10わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
 11これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。12わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。13友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。14わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。15もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。16あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。17互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

()10掟・・1334では「互いに愛し合うこと」が「新し

     い掟」と呼ばれている。きょうの箇所(12節) 

     では「わたしの掟」と呼ばれる。

()13友・・自由で平等な、親しい関係を表すことば。こ

      の13節のことばは、格言の引用のようでもあ

      るが、ここでは一般論ではなく、自らの命を

      ささげるイエスの愛を表しているのであろう。

()16わたしがあなたがたを選んだ・「友」ということばで

      表されるイエスと弟子とのつながりの根拠は

      弟子にあるのではなく、イエスにあることを

      表している。

() 任命した・・直訳では「置いた」。

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201856より)

2018年4月28日 (土)

2018年 4月29日の「聖書と典礼」

2018年 4月29日の「聖書と典礼」

「復活節第5主日」 B

サウロが旅の途中で主に出会い、

……イエスの名によって大胆に宣教した。

(使徒言行録 927節より)

 

 〔サウロ(ローマ名パウロ)はファリサイ派に属しキリスト者を迫害していた。ダマスコに向かう途中でイエスに出会って回心し、ダマスコでイエスのことを宣べ伝えた。〕

第一朗読          使徒言行録

バルナバは、サウロが旅の途中で主に出会ったことを説明した。

(9章2631節)

使徒たちの宣教

26 〔その日、〕サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。27しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。28それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。29また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。30それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させた。
31 こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。

()27バルナバ・・・キプロス島生まれで本名はヨセフ。バルナバは、〈慰めの子〉の意味。

()29ギリシア語を話すユダヤ人・・・パレスチナ以外の地で生まれ育ったユダヤ人のこと。

()30カイサリア・・・パレスチナの地中海岸にある港町。当時の交通の要所。

() タルソス・・・小アジア南東部キリキア地方の都市(今のトルコのアダナに近い)。パウロの出身地。

()31聖霊の慰め・・・聖霊がそばにいて助けてくださること。

 

 〔イエスの十字架によって愛を知ったわたしたちが兄弟をも愛すべきことをこの手紙は強調する。そのことによってわたしたちは永遠のいのちを受け、神と一つに結ばれる。〕

                             

第二朗読        (一)ヨハネの手紙 

神の掟とは、わたしたちが信じ、愛し合うことである。

(3章1824節)

使徒ヨハネの手紙

18 子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。
19 これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます、20心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。21愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、22神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。23その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。24神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。神がわたしたちの内にとどまってくださることは、神が与えてくださったによって分かります。

 

()18行いをもって誠実に・・・直訳では「行いと真実をもって」となり、この場合「真実」は次節の「真理」と同じ語である。

()19真理・・・神ご自身と御子イエスを意味する。

()24“霊”・・・この手紙の中で、「霊」ということばはこの個所に初めて出てくる。4章以下に多い。

 

 〔最後の晩さんの席での長い説教の一部であり、弟子たちへの遺言とも言えることば。〕

福音朗読       ヨハネによる福音書

人がわたしにつながっており、

わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。

(15章18節)

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕1「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。2わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。3わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。4わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。5わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。6わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。7あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。8あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」 

() 2手入れをなさる・・・次節の「清くなる」と原文は同じことばで「選定する、刈り込む」ことを意味する。

() 4つながって・・・47節の「つながっている」ということばと、910節で「とどまる」と訳されていることばとは、原文では同じ「メノー」という動詞である(なお、2節の「つながって」は原文では動詞がない)

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018429より)

2018年4月21日 (土)

2018年 4月22日の「聖書と典礼」

2018年 4月22日の「聖書と典礼」

「復活節第4主日」

良い羊飼いは羊のために命を捨てる。

(ヨハネによる福音書1011節より)

 

 〔ペトロとヨハネは足の不自由な人をいやし、イエスの復活を宣べ伝えていたが、祭司たちによって捕らえられ、議会で取り調べを受けることになった。その時のペトロの証言。〕

第一朗読          使徒言行録 

ほかのだれによっても、救いは得られない。

(4章812節)

使徒たちの宣教

8 そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の議員、また長老の方々、9今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、10あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。11この方こそ、
 『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、
 隅の親石となった石』
です。12ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」

() 9病人に対する善い行い・・・使徒言行録3110節参照。

()10・・・単なる呼び名ではなく、そのもの自体やそのもののもつ力を表すことば。

()11あなたがた家をたてる者に~・・・詩編11822(きょうの答唱詩編)参照。「隅の親石」は家を建てるとき土台となる大切な石。人によって捨てられたが、神によって復活させられたキリストのことを言う。

 

 〔終の時が来ている(218節参照)ことを確信しながら、終末におけるキリスト者の希望を語る。〕

第二朗読       (一)ヨハネの手紙 

わたしたちは御子をありのままに見る。

(3章12節)

使徒ヨハネの手紙

1 〔愛する皆さん、〕御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。2愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。 

() 2御子・・・原文は「御子」ではなく代名詞の「彼」。そこでこの文章の中の「御子」と訳された部分はすべて「神(御父)ととることもできる。「御子が現れるとき」についてはコロサイの信徒への手紙334節などを参照。

 

 〔毎年、復活節第4主日にはヨハネ福音書10章の羊飼いと羊のたとえが読まれる。羊の囲い、羊の門のたとえに続く個所。〕

                             福音朗読       ヨハネによる福音書 

良い羊飼いは羊のために命を捨てる。

(10章1118節)

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスは言われた。〕11「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。12羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――13彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。14わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。15それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。16わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。17わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。18だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」

()11良い・・・善悪の「善」ではなく、「目的にかなっている、役に立つ」という意味での「良い」ことを表すことば。

() 捨てる・・・原文は「置く」ということば(151718節も同じ)。「すすんで差し出す」という意味か。

()14知っており・・・ただ単に知識と知っているのではなく、両者の間の深い交わりを表すことば。

()16聞き分ける・・・原文は「聞く」ということば。「聞き従う」という意味もある。

()18・・・「命令」とも訳されることば(フランシスコ会訳参照)

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018422より)

2018年4月13日 (金)

2018年 4月15日の「聖書と典礼」

2018年 4月15日の「聖書と典礼」

「復活節第3主日」

あなたがたに平和があるように。

(ルカによる福音書2436節より)

 

 〔ペトロは神殿の門のところにいた足の不自由な男をいやした。そのことに驚いたエルサレムの群集に向かってイエスのことを語る。〕

第一朗読使徒言行録 

あなたがたは命への導き手である方を殺してしまったが、

神はこの方を死者の中から復活させてくださった。

(3章1315節、1719節)

使徒たちの宣教

 〔その日、ペトロは民衆に言った。〕13「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。14聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。15あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。17ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。18しかし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、このようにして実現なさったのです。19だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。」

()13僕イエス・・・イザヤ書の苦しむ主の僕のことが考えられているのであろう。イザヤ書5213節~5312節参照。

()14人殺しの男・・・バラバのこと。ルカ福音書231325節参照。

()15命への導き手・・・「いのちの創始者」とも訳せる。なお、省略された16節は、足の不住な人のいやしが、イエスの名を信じる信仰によることを述べる。

()17無知のため・・・ルカ福音書2334節参照。

()18預言者の口を~・・・ルカ福音書2427節、4446節参照。

 

 〔この個所に直前で「罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすること」(110)と言われたのに続き、ここではキリストによる罪からの救いが語られる。〕

第二朗読       (一)ヨハネの手紙 

イエス・キリストこそ、わたしたちの罪ばかりでなく、

全世界の罪を償ういけにえである。

(2章15節a)

使徒ヨハネの手紙

1 わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。2この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。3わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。4「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。5aしかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。

() 1弁護者・・・ヨハネ福音書では聖霊のことがこう呼ばれている(ヨハネ福音書1416節、26節、1526節 など)

() 2罪を償ういけにえ・・・直訳では、「罪のためのいけにえ」。「世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ福音書129)としてのイエス理解が前提に考えられる。

() 3神の掟・・・兄弟を愛すること。323節、421節参照。

 

 〔復活の日、イエスはエマオに向かう途上で二人の弟子に姿を現し語りかけた。そして宿屋で食事をしたときに、彼らはそれがイエスだと気づき、急いでエルサレムに引き返していった。〕

福音朗読        ルカによる福音書 

次のように書いてある。

「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する」

(24章3548節)

ルカによる福音

35 〔そのとき、エルサレムに戻った二人の弟子は、〕道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
36 こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。37彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。38そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。39わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」40こう言って、イエスは手と足をお見せになった。41彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。42そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、43イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
44 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」45そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、46言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。47また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、48あなたがたはこれらのことの証人となる。」

()36あなたがたに平和~・・・ヨハネ福音書2019節、21節、26節参照。

()44モーセの律法と預言者の書と詩編・・・旧約聖書全体を指す。

()46次のように書いてある・・・「メシアは……」以下は聖書の特定の箇所の引用ではない。旧約聖書全体がこのことを語っているという意味。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018415より)

2018年4月 7日 (土)

2018年 4月 8日の「聖書と典礼」

2018年 4月 8日の「聖書と典礼」

「復活節第2主日(神のいつくしみの主日)

信じない者ではなく、信じる者になりなさい。

(ヨハネによる福音書2027節より)

 

 〔誕生したばかりの教会共同体の一致の姿を伝える個所。24345節にも同様の記述がある。〕

第一朗読使徒言行録 

信じた人々の群れは心も思いも一つにした。

(4章3235節)

使徒たちの宣教

 信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。 

 

 〔わたしたちのために命を捨ててくださったイエスの愛の勝利にあずかる道が示される。〕

第二朗読       (一)ヨハネの手紙 

神から生まれた人は皆、世に打ち勝つ。

(5章16節)

使徒ヨハネの手紙

1 〔愛する皆さん、〕イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。2このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。3神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。4神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。5だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。
6 この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして、はこのことを証しする方です。は真理だからです。

() 2・・・この手紙でいう神の掟とは「互いに愛し合うこと」にほかならない(ヨハネ福音書1334節、1512節。一ヨハネの手紙323節、421節参照)

() 6水と血・・・「水」はヨルダン川での洗礼、「血」は十字架を指すと考えられる。

() “霊”・・・聖霊のこと。

 

 〔ヨハネ福音書で、復活したイエスが男の弟子たちに初めて姿を現す個所。復活の日(つまり、ペトロたちが空の墓を見た日)の夕方の出来事と、それから1週間後の出来事。〕

福音朗読        ヨハネによる福音書 

八日の後、イエスが来られた。

(20章1931節)

ヨハネによる福音

19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。20そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。21イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」22そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。23だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
24 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。25そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」

26さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。27それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」28トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。29イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
30 このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。31これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

()19週の初めの日・・・今の日曜日。26節の「八日の後」も同じく日曜日にあたる。

() 平和があるように・・・平和は、欠けたもののない状態を意味する。ヨハネ福音書1427節で「わたしの平和を与える」と約束されていた。

()20手とわき腹・・・手には十字架に釘づけられた傷、わき腹には槍で貫かれた傷がある。

()22息を吹きかけて・・・聖霊を与えることを表す動作。創世記27節参照。なお、聖霊を与える約束についてはヨハネ福音書141617節参照。

()23だれの罪でも~・・・マタイ福音書1619節、1818節参照。

()24ディディモ・・・ギリシヤ語で「双子」の意味。「トマス」はアラム語でやはり「双子」を意味する。

()28わたしの主、わたしの神よ・・・詩編3523節参照。

()29見ないのに~・・・出現したイエスに出会わないで、使徒たちの証言を受け入れる後の時代の人々のことを言う。

()3031このほかにも~・・・本来のヨハネ福音書の結びのことばと考えられる(21章は後で書き加えられた)

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201848より)

2018年3月30日 (金)

2018年 4月 1日の「聖書と典礼」

2018年 4月 1日の「聖書と典礼」

「復活の主日(日中のミサ)

週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに……。

(ヨハネによる福音書201節より)

 

 〔復活節の主日の第1朗読はいつも「使徒言行録」が読まれ、復活した主に力づけられ、聖霊に導かれた初代教会の姿が思い起こされる。毎年読まれるきょうの箇所は、ローマ軍の百人隊長であったコルネリウスから招待を受けたペトロが、イエス・キリストについて証言する個所。〕

第一朗読使徒言行録 

イエスが死者の中から復活した後、

わたしたちはイエスと一緒に食事をした。

(10章34節a、3743節)

使徒たちの宣教

34a〔その日、〕ペトロは口を開きこう言った。37「あなたがたは〔このことを〕ご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。38つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。39わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、40神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。41しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。42そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。43また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」

()38聖霊と力に~・・・ルカ福音書418(イザヤ書611)参照。

()41ご一緒に食事をした・・・イエスが確かに生きていることを表すしるし。ルカ福音書2443節、使徒言行録14節参照。

 

 〔パウロは不道徳な人との交際を避けるように命じて、このたとえを語る。〕

                             

第二朗読    (一)コリントの信徒への手紙 

新しい練り粉のままでいられるように、

古いパン種をきれいに取り除きなさい。〕

(5章6b8節)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

 〔皆さん、〕わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか。いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。

() 6パン種・・・パン種はパンをふくらませるためになくてはならないものであるが、同時に腐敗のもとでもある。福音書の中でもパン種のたとえは、良い意味でも(マタイ福音書1333)悪い意味でも(マルコ福音書815)用いられている。ここでは悪が広がっていくことを意味する。

() 7過ぎ越しの子羊・・・原語は「パスカ」で「過越」「過越祭」の意味もある。過越祭は八日間パン種の入っていないパンを食べる除酵祭の初日であった。

 

 〔イエスが十字架で死んでから三日目の出来事。〕

福音朗読       ヨハネによる福音書 

イエスは死者の中から復活されることになっている。

(20章19節)

ヨハネによる福音

1 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。2そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」3そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。4二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。5身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。6続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。7イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。8それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。9イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのであ       る。

() 1週の初めの日・・・安息日の翌日で、今の日曜日にあたる。

() 墓・・・墓は岩を掘った横穴で、その入り口は転がる石でふさぎ、死者の世界との境界を閉ざした。

() 2愛しておられたもう一人の弟子・・・ゼベダイの子ヨハネ。

() 5亜麻布・・・イエスの遺体を包んでいた布(1940節参照)

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20184 1より)

2018年3月24日 (土)

2018年 3月25日の「聖書と典礼」

2018年 3月25日の「聖書と典礼」

「受難の主日(枝の主日)」 B

「お前がユダヤ人の王なのか。」

(マルコ福音書15章2節より)

 

 〔ガリラヤからエルサレムへの旅を続けてきたイエスと弟子たちは、エリコからエルサレムへと上って行った。〕

入城の福音      マルコによる福音書

主の名によって来られる方に、祝福があるように。

(11章110節)

マルコによる福音

1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、2言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。3もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」

4二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。5すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。6二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。7二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。8多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。9そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。
 「ホサナ。
 主の名によって来られる方に、
 祝福があるように。

10我らの父ダビデの来るべき国に、
 祝福があるように。
 いと高きところにホサナ。」 

() 2小ろば・・・マタイ福音書21章4-5節とヨハネ福音書12章14-15節は、イエスがろばに乗ってエルサレムに入られたことをゼカリア書9章9節を引用して説明している。ゼカリア書の原文では「雌ろばの子であるろば」と言われているが、これがギリシヤ語に訳されたとき、「小ろば」を意味することばがあてられた。

() 9ホサナ・・・本来は詩編118章25節にある「どうか救いたまえ」という意味の言葉だが、歓呼の叫びにもなった。仮庵祭(かりいおさい)の行列のとき、枝を携えた人々によって詩編118のホサナが唱えられた。「主の名によって」以下も同じ詩編の26節から採られている。

 

〔イザヤ書の40~55章は第二イザヤと呼ばれるが、その中に「主の僕の歌」と呼ばれるものが四つある(42章1-4節、49章1-6節、50章4-9節、52章13節~53章12節)。この箇所はその第三のもの。この「僕」は、預言者自身のようでもあり、来たるべきメシアのようでもあるが、なによりもイエス・キリスト(特にその受難)の姿を思わせる。〕

第一朗読           イザヤ書 

わたしは顔を隠さずに、嘲りを受けた。しかし、わたしは知っている、

わたしが辱められることはない、と(主の僕第三の歌)

(50章47節)

イザヤの預言

4主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え
疲れた人を励ますように
言葉を呼び覚ましてくださる。
朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし
弟子として聞き従うようにしてくださる。

5主なる神はわたしの耳を開かれた。
わたしは逆らわず、退かなかった。

6打とうとする者には背中をまかせ
ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。

7主なる神が助けてくださるから
わたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。
わたしは知っている
わたしが辱められることはない、と。

() 4弟子としての舌を・・・僕の指名は言葉を通してなされる預言者的なものである。

() 6打とうとする者には~・・・僕の苦難については第四の歌に詳しい(59章13節以下)

() 7硬い石のように・・・迫害に屈伏しないさまを表す。

 

 〔互いに愛し合い、へりくだることをパウロは訴えかけ、キリストの模範を思い起こさせる。この部分は、初代教会のキリスト賛歌が引用されていると考えられている。〕

第二朗読      フィリピの信徒への手紙 

神は、へりくだったキリストを高く上げられた。

(2章611節)

                             

 

使徒パウロのフィリピの教会への手紙

 

6 〔イエス・〕キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、7かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、8へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。9このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。10こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、11すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。

() 6身分・・・この言葉(モルフェー)の本来の意味は「形、姿」だが、外観のみならず内容・実質をも意味する。7節の「身分」も同じ語。これに対して、7節で「姿」と訳される語(スケーマ)は外にあらわれた形、形状を指す。

() 8十字架の死に至るまで・・・この言葉は、パウロが元の賛歌に加えたものと考えられている。

 

 〔イエスは夜、逮捕され、大祭司の屋敷に連行され、直ちに最高法院で裁判を受け、死刑の判決を受けた。〕

受難の朗読      マルコによる福音書

主イエス・キリストの受難

(15章139節)

 ()✝印はキリスト(司式司祭)Cは語り手(第1朗読者)

 Sは群衆(会衆一同)Aは他の登場人物(第二朗読者)

 

 

 

マルコによる主イエス・キリストの受難

 

 

                                                                                                                                                                                         
 

 
 

1夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。2ピラトがイエスに尋問した。

 
 

 
 

「お前がユダヤ人の王なのか。」

 
 

 
 

イエスは答えられた。

 
 

 
 

「それは、あなたが言っていることです。」

 
 

 
 

3そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。4ピラトが再び尋問した。

 
 

 
 

「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」

 
 

 
 

5しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。
 
6ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。7さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。8群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。9そこで、ピラトは言った。

 
 

 
 

「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか。」

 
 

 
 

10祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。11祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。12そこで、ピラトは改めて言った。

 
 

 
 

「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか。」

 
 

 
 

13群衆はまた叫んだ。

 
 

 
 

「十字架につけろ。」

 
 

 
 

14ピラトは言った。

 
 

 
 

「いったいどんな悪事を働いたというのか。」

 
 

 
 

群衆はますます激しく叫び立てた。

 
 

 
 

「十字架につけろ。」

 
 

 
 

15ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
 
16兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。17そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、

 
 

 
 

18「ユダヤ人の王、万歳」

 
 

 
 

と言って敬礼し始めた。19また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。20このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。
 
21そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。22そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。23没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。24それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、
 
 その服を分け合った、
 
 だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。
 
25イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。26罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。27また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。29そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。

 
 

 
 

「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、30十字架から降りて自分を救ってみろ。」

 
 

 
 

31同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。

 
 

 
 

「他人は救ったのに、自分は救えない。32メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」

 
 

 
 

一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
 
33昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。34三時にイエスは大声で叫ばれた。

 
 

 
 

「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」

 
 

 
 

これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。35そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、

 
 

 
 

「そら、エリヤを呼んでいる」

 
 

 
 

と言う者がいた。36ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、

 
 

 
 

「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」

 
 

 
 

と言いながら、イエスに飲ませようとした。37しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。
 
     (頭を下げて、しばらく沈黙のうちに祈る)
 
38すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。39百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て言った。

 
 

 
 

「本当に、この人は神の子だった。」

 

() 1最高法院・・・大祭司が議長をつとめるユダヤ教の最高会議。祭司長、長老、律法学者、からなる。この時代にはユダヤ人内部の裁判権、警察権はあったが、死刑はローマ総督の同意なしには行えなかった。

() ピラト・・・紀元26~36年まで、ローマ総督として、ユダヤ、サマリア、イドマヤを統治した。

() 2ユダヤ人の王・・・ユダヤは当時ローマ帝国の直轄領だったので、ユダヤ人の王と自称する者はローマ皇帝の支配に対する反逆者ということになる。最高法院はイエスを死刑にするために、このように訴えたのである。

() あなたが言っている・・・これは、はっきりとした肯定でも否定でもない言い方である。

() 7バラバ・・・「アバ()の子」という意味で、ユダヤ人に多い名前である。

()13十字架・・・ローマの死刑の中で最も残虐な刑であり、ローマ市民権を持つ者には適用されなかった。植民地の、特にローマに対する反逆者に適用された。見せしめとしての性格を持つ。

()17紫の服・・・ローマ兵の着用した深紅色の外套のこと。王の服になぞらえた。

() 茨の・・・これをかぶらせるのは、苦痛を与えるよりも、むしろ嘲りのためであると考えられる。

()21アレクサンドロとルフォス・・・ローマの信徒への手紙1613節にルフォスという人名があり、本節のルフォスと同一人物であると思われる。この息子たちはローマ教会でよく知られていた信者だったらしい。

() キレネ・・・ギリシアの対岸の北アフリカの都市。

()23没薬を混ぜたぶどう酒・・・非常に強く、苦痛をやわらげる効果を持つ。

()24その服を~・・・詩編2219節(きょうの答唱詩編)参照。

()29神殿を打ち倒し、三日で建てる者・・・マルコ福音書1458節、ヨハネ福音書21921節参照。ヨハネ福音書219節では、イエス自身がこう言うが、そこでいわれている「神殿」とは、死んで三日目に復活する「自分の体」のことを意味していた。

()34エロイ、エロイ、~・・・アラム語をギリシア語に写した形。意味は「わが神、わが神・・・」であるが、これは詩編22(きょうの答唱詩編)の冒頭のことばである。この詩編全体は絶望の叫びではなく、苦難の中で神に信頼する祈りである

()35エリヤ・・・紀元前九世紀の北イスラエルの預言者。非常に尊敬されていた。

()36酸いぶどう酒・・・兵士の持っていた飲み物で元気を回復させるためのものだが、ここでは苦痛を引き延ばすことになる。

()38神殿の垂れ幕・・・神殿には二つの垂れ幕があり、一つは至聖所の入り口、もう一つは聖所の前にあった。いずれにせよ、キリストの死によって、もはやこの幕は神と人とを隔てるものではなくなる。

()39百人隊長・・・ローマ軍の百人隊の長。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018325より)

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