2019年8月20日 (火)

聖書と典礼(年間第21主日:ヘブライ人への手紙)

ヘブライ人への手紙(ヘブライ12・5-7,11-13)
〔皆さん、あなたがたは、〕子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。
「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。
主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。
なぜなら、主は愛する者を鍛え、
子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。
だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。
また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。

聖書と典礼(年間第21主日:イザヤの預言)

イザヤの預言(イザヤ66・18-21)
〔主は言われる。〕わたしは彼らの業と彼らの謀のゆえに、すべての国、すべての言葉の民を集めるために臨む。彼らは来て、わたしの栄光を見る。わたしは、彼らの間に一つのしるしをおき、彼らの中から生き残った者を諸国に遣わす。すなわち、タルシシュに、弓を巧みに引くプルとルドに、トバルとヤワンに、更にわたしの名声を聞いたことも、わたしの栄光を見たこともない、遠い島々に遣わす。彼らはわたしの栄光を国々に伝える。
彼らはあなたたちのすべての兄弟を主への献げ物として、馬、車、駕籠、らば、らくだに載せ、あらゆる国民の間からわたしの聖なる山エルサレムに連れて来る、と主は言われる。それは、イスラエルの子らが献げ物を清い器に入れて、主の神殿にもたらすのと同じである、と主は言われる。
わたしは彼らのうちからも祭司とレビ人を立てる、と主は言われる。

2019年8月17日 (土)

聖書と典礼(年間第20主日:ルカによる福音)

ルカによる福音(ルカ1249-53

 

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。

しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。

あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。

今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。

父は子と、子は父と、

母は娘と、娘は母と、

しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、

対立して分かれる。」

 

 

聖書と典礼(年間第20主日:ヘブライ人への手紙)

ヘブライ人への手紙(ヘブライ121-4

 

〔皆さん、わたしたちは、〕このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、

信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。

あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。

あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。

 

 

2019年8月16日 (金)

聖書と典礼(年間第20主日:エレミヤの預言)

エレミヤの預言(エレミヤ384-6,8-10

 

〔その日、役人たちはエレミヤについて〕王に言った。

「どうか、この男を死刑にしてください。あのようなことを言いふらして、この都に残った兵士と民衆の士気を挫いています。この民のために平和を願わず、むしろ災いを望んでいるのです。」

ゼデキヤ王は答えた。「あの男のことはお前たちに任せる。王であっても、お前たちの意に反しては何もできないのだから。」

そこで、役人たちはエレミヤを捕らえ、監視の庭にある王子マルキヤの水溜めへ綱でつり降ろした。水溜めには水がなく泥がたまっていたので、エレミヤは泥の中に沈んだ。

エベド・メレクは宮廷を出て王に訴えた。

「王様、この人々は、預言者エレミヤにありとあらゆるひどいことをしています。彼を水溜めに投げ込みました。エレミヤはそこで飢えて死んでしまいます。もう都にはパンがなくなりましたから。」

王はクシュ人エベド・メレクに、「ここから三十人の者を連れて行き、預言者エレミヤが死なないうちに、水溜めから引き上げるがよい」と命じた。

 

 

2019年8月14日 (水)

聖書と典礼(聖母の被昇天:ルカによる福音)

ルカによる福音(ルカ139-56

 

そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。

そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。

マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、

声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。

わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。

あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。

主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

そこで、マリアは言った。

「わたしの魂は主をあがめ、

わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。

身分の低い、この主のはしためにも

目を留めてくださったからです。

今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、

力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。

その御名は尊く、

その憐れみは代々に限りなく、

主を畏れる者に及びます。

主はその腕で力を振るい、

思い上がる者を打ち散らし、

権力ある者をその座から引き降ろし、

身分の低い者を高く上げ、

飢えた人を良い物で満たし、

富める者を空腹のまま追い返されます。

その僕イスラエルを受け入れて、

憐れみをお忘れになりません、

わたしたちの先祖におっしゃったとおり、

アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

 

 

 

聖書と典礼(聖母の被昇天:使徒パウロのコリントの教会への手紙)

使徒パウロのコリントの教会への手紙(一コリント1520-27a

〔皆さん、〕キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。

つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。

ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、

次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。

キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。

最後の敵として、死が滅ぼされます。

「神は、すべてをその足の下に服従させた」からです。

聖書と典礼(聖母の被昇天:ヨハネの黙示)

ヨハネの黙示(黙示録1119a,121-6,10ab)

天にある神の神殿が開かれて、その神殿の中にある契約の箱が見え〔た。〕

また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、

月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。

女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。

また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。

これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。

竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。

そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。

女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。

子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。

女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、神の用意された場所があった。

わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。

「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。

神のメシアの権威が現れた。」

2019年8月 8日 (木)

聖書と典礼(年間第19主日:ルカによる福音12・32-48)

年間第19主日

ルカによる福音(12・32-48)

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕
小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。
あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」
「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。
主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。
主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。
主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。
このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。
あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
《そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、
主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。
主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。
確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。
しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、
その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。
主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。
しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」》

2019年8月 7日 (水)

聖書と典礼(年間第19主日:ヘブライ人への手紙11・1-2,8-19)

年間第19主日

ヘブライ人への手紙(11・1-2,8-19)

〔皆さん、〕信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。
信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。
信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。
アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。
信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。
それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。
《この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。
このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。
もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。
ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。
信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。
この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。
アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。》

より以前の記事一覧