2018年10月19日 (金)

2018年10月21日の「聖書と典礼」

2018年10月21日の「聖書と典礼」

「年間第29主日」 B

人の子は、多くの人の身代金として

自分の命を献げるために来た。

(福音朗読主題句 マルコによる福音書1045節より)

 

 〔イザヤ書の第二の部分(40章~55章)には「主の僕の歌」と呼ばれるものが四つある。この箇所は第四の歌の一節。〕

第一朗読           イザヤ書 

彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。

(53章1011節)

                             

 

イザヤの預言

10病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ
彼は自らを償いの献げ物とした。
彼は、子孫が末永く続くのを見る。
主の望まれることは
彼の手によって成し遂げられる。

 

11彼は自らの苦しみの実りを見
それを知って満足する。
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために
彼らの罪を自ら負った。

()10この人・・・次節の「わたしの僕」と同一人物。この苦しむ僕は預言者自身とも言われるが、イエスの受難と栄光の姿を思わせる。

() 償いの献げもの・・・元は「罪、とが」を意味することばで、「とがのための献げ物」をも意味した。律法によれば無傷の雄羊がささげられることになっていた(レビ記51426節参照)。

 

 〔ヘブライ書はイエスを「大祭司」と呼ぶ。このことばの中に、神への完全な従順と人々との連帯によって、神と人とを一つに結んだイエスの使命が示されている。この大祭司イエスによって、わたしたちが神に近づく道が開かれたということが、本書の中心テーマである。〕

第二朗読        ヘブライ人への手紙 

大胆に恵みの座に近づこう。

(4章1416節)

ヘブライ人への手紙

14 〔皆さん、〕わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。15この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。16だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。

()15同情・・・本来の意味は、「同じ目にあうこと、苦難を共にすること」。

()16恵みの座・・・恵み深い神ご自身の象徴。

 

 〔三回目の受難予告に続く個所。十字架の道に無理解な弟子たちに対して、イエスはご自分の受難の意味を解きあかされる。〕

福音朗読       マルコによる福音書 

人の子は、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た。

(10章3545節、 または 10章4245節)

マルコによる福音

35 〔そのとき、〕
ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」36イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、37二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」38イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」39彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。40しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」41ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。42そこで、
イエスは〔十二人〕を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。43しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、

44いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。45人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

()37栄光をお受けになるとき~・・・この二人は、イエスがエルサレムに行き、この世の王となることを期待している。「右」「左」はその時に与えられる特別な地位のことである。

()38杯を飲み・・・ここでは苦しみを受けることを意味する。

() 洗礼を受ける・・・ここでの洗礼は、杯と同じく、苦しみや死を暗示する。

()45身代金・・・元来は、奴隷を開放してもらうために支払う代金を意味する。人を罪の奴隷状態から解放する神の業を指すようになった。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20181021 より)

2018年10月12日 (金)

2018年10月14日の「聖書と典礼」

2018年10月14日の「聖書と典礼」

「年間第28主日」 B

持っている物を売り払い、それから、わたしに従いなさい。

(福音朗読主題句 マルコによる福音書1021節より)

 

 〔「知恵の書」は紀元前一世紀、エジプトのアレクサンドリアでギリシア語を話すユダヤ人によって書かれたと考えられているが、この箇所はソロモン王(ダビデ王の子、紀元前十世紀)が語る形式をとっている。若くして王になったソロモンは、主から「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われたとき、長寿や富や敵の命を求めず、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた(列王記上3415節参照)。〕

第一朗読       知恵の書

知恵に比べれば、富も無に等しいとわたしは思った。

(7章711節)

知恵の書

7わたしは祈った。
すると悟りが与えられ、
願うと、知恵の霊が訪れた。
8わたしは知恵を王笏や王座よりも尊び、
知恵に比べれば、富も無に等しいと思った。
9どんな宝石も知恵にまさるとは思わなかった。
知恵の前では金も砂粒にすぎず、
知恵と比べれば銀も泥に等しい。
10わたしは健康や容姿の美しさ以上に知恵を愛し、
光よりも知恵を選んだ。
知恵の輝きは消えることがないからだ。
11知恵と共にすべての善が、わたしを訪れた。
知恵の手の中には量り難い富がある。

 

 〔荒れ野で神に反抗し、心をかたくなにしたイスラエルの民のように不従順になってはならない、と教えたのち、その根拠が語られる個所。〕

第二朗読     ヘブライ人への手紙 

神の言葉は、心の思いや考えを見分ける

(4章1213節)

ヘブライ人への手紙

                             

12 神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができ〔ます。〕13更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。

()12精神と霊・・・両方とも人間を構成する要素の一つと考えられている。ここでは「関節と骨髄」同様、分け難いもののたとえであろう。

()13自分のことを申し述べ~・・・総決算をすること(フランシスコ会訳参照)。

 

 〔エルサレムへの旅、すなわち十字架に向かう道の途上で、イエスはご自分とともに歩むことを人々に求める。〕

福音朗読     マルコによる福音書

持っているものを売り払い、それから、わたしに従いなさい。

(10章1730節、 または 10章1727節)

マルコによる福音

17〔そのとき、〕イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」18イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。19『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」20すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。21イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」22その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
23イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」24弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。25金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」26弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。

27イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」
28ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。

29イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、30今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。」 

()17善い・・・教えを乞おうとする真摯な態度から出た言葉だが、次節でイエスがこの言葉を退けているのは、神ご自身とその掟に心を向けさせるためであろう。

()19殺すな~・・・出エジプト記201217節参照。十戒の後半、人間関係についての部分の引用である。

()21慈しんで・・・原語は「アガパオー」(愛する)。

() 天に富を積む・・・マタイ福音書620節、ルカ福音書1233節参照。

()24驚いた・・・イエスのことばは、財産を神の祝福のしるしと考える当時の常識を覆すものであった。

()30今この世で……百倍受け・・・一切を捨ててイエスに従う者は、「今この世で」人や物とのまったく新たで豊かなつながりを生きることになる、という意味であろう。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20181014 より)

2018年10月 5日 (金)

2018年10月 7日の「聖書と典礼」

2018年10月 7日の「聖書と典礼」

「年間第27主日」 B

天地創造の初めから、神は人を男と女にお造りになった。

(マルコによる福音書10 6節より)

 

 〔神は人を造り、エデンの園に置き、人が生きるのに必要なものをすべて備えてくださった。その最後に、共に生き、助けあう相手が与えられる。〕

第一朗読 創世記

二人は一体となる。

(2章1824節)

創世記

18主なる神は言われた。
 「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
19主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。20人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。
21主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。22そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、23人は言った。
 「ついに、これこそ
 わたしの骨の骨
 わたしの肉の肉。
 これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう
 まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
24こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。

()18助ける者・・・単なる助手のようなものではなく、対等なパートナーを意味する。

()21あばら骨・・・あばら骨から造られたということは、男女が対等であり、親密で、互いに求め合うものであることを表している。

()23骨の骨  肉の肉・・・骨と肉は非常に親密な関係(特に血縁関係)を表す言い方。

() イシャー,イシュ・・・ヘブライ語では女と男のことをこのように言う。

()24一体・・・直訳すれば、「一つの肉」。

 

 〔今週からヘブライ書が読まれていく。きょうの箇所は、キリストによってもたらされた救いの素晴らしさを語る。〕

第二朗読     ヘブライ人への手紙

人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、

 すべて一つの源から出ている。

(2章911節)

ヘブライ人への手紙

9〔皆さん、わたしたちは、〕「天使たちよりも、わずかの間、低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、「栄光と栄誉の冠を授けられた」のを見ています。神の恵みによって、すべての人のために死んでくださったのです。
10というのは、多くの子らを栄光へと導くために、彼らの救いの創始者を数々の苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の目標であり源である方に、ふさわしいことであったからです。11事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ているのです。それで、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥と〔されないのです。〕

() 9天使たちよりも~・・・次の「栄光と栄誉の……」とともに詩編86節ギリシア語訳からの引用。この詩編は本来、人間一般について語られているものだが、ここではイエスにあてはめられている。

()10創始者・・・原語の「アルケゴス」には「導き手」の意味もある。

()11聖なる者となさる方・・・イエスのこと。次の「聖なる者とされる人たち」はイエスによる救いを受ける人々。

 

 〔十字架に向かう歩みの中で、イエスは、神が本来何を望んでおられるのかを明らかにしていく。〕

福音朗読     マルコによる福音書

神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。

(10章216節、 または 10章212節)

マルコによる福音

2 〔そのとき、〕ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。3イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。4彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。5イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。6しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。7それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、8二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。9従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」10家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。11イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。12夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」
 
13イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。14しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。15はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」16そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。 

() 4離縁状を書いて・・・申命記241節参照。申命記では「妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは」という条件も付けられている。モーセの律法の意図は、夫が妻を勝手に追い出すことを制限することにあった。

() 6神は人を男と女とに~・・・創世記127節参照。

()78人は父母を離れて~一体となる・・・創世記224節(第一朗読)の引用。

()13子供・・・当時の社会の中では無力な者の代表であった。

()14神の国・・・神の国は、人間の功績に対する報いではなく、貧しく無力な者に無償で注がれる神の愛そのものである。それゆえ、人には父(神)に対する子どもとしての信頼こそが求められる。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201810 7 より)

2018年9月29日 (土)

2018年 9月30日の「聖書と典礼」

2018年 9月30日の「聖書と典礼」

「年間第26主日」 B

わたしたちに逆らわない者は、

わたしたちの味方なのである。

(マルコ福音書 910節より)

 

 〔荒れ野の旅の途中、イスラエルの民はたびたび主とモーセに逆らった。モーセがこの民を重荷と感じて主に訴えると、主はモーセとともにその重荷を負う七十人の長老を選ぶよう命じられた。〕

第一朗読            民数記 

あなたはわたしのためを思ってねたむ心を起こしているのか。

わたしは、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ。

(11章2529節)

民数記

25〔その日、〕主は雲のうちにあって降り、モーセに語られ、モーセに授けられている霊の一部を取って、七十人の長老にも授けられた。霊が彼らの上にとどまると、彼らは預言状態になったが、続くことはなかった。
26宿営に残っていた人が二人あった。一人はエルダド、もう一人はメダドといい、長老の中に加えられていたが、まだ幕屋には出かけていなかった。霊が彼らの上にもとどまり、彼らは宿営で預言状態になった。27一人の若者がモーセのもとに走って行き、エルダドとメダドが宿営で預言状態になっていると告げた。28若いころからモーセの従者であったヌンの子ヨシュアは、「わが主モーセよ、やめさせてください」と言った。29モーセは彼に言った。「あなたはわたしのためを思ってねたむ心を起こしているのか。わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ。」

()25預言状態・・・ここでは、神との深い交わりの中で語り、行動することを指しているのであろう。

()26幕屋・・・「臨在の幕屋」と言われる。神がそこに降り、神と人とが語る場。

 

 〔「神は世の貧しい人たちをあえて選んだ」(25節)というヤコブは、この箇所で富裕な地主たちに対して厳しい警告を発する。〕

第二朗読          ヤコブの手紙 

あなたがたの富は朽ち果てる。

(5章16節)

使徒ヤコブの手紙

1 富んでいる人たち、よく聞きなさい。自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。2あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、3金銀もさびてしまいます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。4御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。5あなたがたは、地上でぜいたくに暮らして、快楽にふけり、屠られる日に備え、自分の心を太らせ、6正しい人を罪に定めて、殺した。その人は、あなたがたに抵抗していません。

() 2富みは朽ち果て~・・・マタイ福音書619節参照。

() 3終わりの時のために宝を蓄えた・・・神の決定的な裁きという観点からヤコブは語っており、そこではもはや朽ちるはずのない金銀もさびつき、それ自体が罰となる。

() 6正しい人・・・罪のない貧しい人々のことであるが、キリストのことを思わせる。

 

 〔イエスは二度目の受難予告に続いて、弟子たちに「仕える者になる」ことを求めた。ここでは使える者である弟子のあるべき姿が示される。〕

福音朗読        マルコによる福音書 

わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。

もし片方の手があなたをつまづかせるなら、切り捨ててしまいなさい。

(9章3843節、45節、4748節)

マルコによる福音

38〔そのとき、〕ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」39イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。40わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。41はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。
42わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。43もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。45もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。47もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。48地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。」

()38ヨハネ・・・イエスの弟子、ゼベダイの子ヨハネのこと(マルコ福音書119節参照)。

()42小さな者・・・無力で弱い立場にある信者のこと。

()  大きな石臼・・・上の石をロバに引かせて回すしくみになっているもの。

()43地獄・・・原語「ゲヘンナ」は元来、エルサレムの南西にある「ヒンノムの谷」のことだが、かって幼児犠牲が行われたことなどから、呪われた地とされ、新約聖書では、永遠の罰を受ける場の意味になった。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018930 より)

2018年9月21日 (金)

2018年 9月23日の「聖書と典礼」

2018年 9月23日の「聖書と典礼」

「年間第25主日」 B

彼を不名誉な死に追いやろう。

(第一朗読主題句 知恵の書2章20節より)

 

 〔神に逆らう者の人生観が述べられる中の一節。この神に逆らう者は、死によってすべてが終わるのだから、生きているうちに快楽にふけろうという考えを持っている。キリスト信者にとっては、この個所全体がキリストの受難を思い起こさせるであろう。〕

第一朗読           知恵の書

彼を不名誉な死に追いやろう。

(2章12節、1720節)

知恵の書

〔神に逆らう者は言う。〕
12「神に従う人は邪魔だから、だまして陥れよう。
 
我々のすることに反対し、
 
律法に背くといって我々をとがめ
 
教訓に反するといって非難するのだから。
17彼の言葉が真実かどうか見てやろう。
 
生涯の終わりに何が起こるかを確かめよう。
18本当に彼が神の子なら、助けてもらえるはずだ。
 
敵の手から救い出されるはずだ。
19暴力と責め苦を加えて彼を試してみよう。
 
その寛容ぶりを知るために、
 
悪への忍耐ぶりを試みるために。
20彼を不名誉な死に追いやろう。
 
彼の言葉どおりなら、神の助けがあるはずだ。」 

()18彼が神の子なら、助けてもらえる・・・詩編22編9節、マタイ福音書27章39~44節参照。イエスは荒れ野で、また十字架上でこのような誘惑を受けた。

()20不名誉な死・・・元来は「不格好な死」という意味。フランシスコ会訳では「恥かしい死」となっている。

 

 〔「ねたみ深く利己的」(3章14節)な地上の知恵と対比して、ヤコブは、信仰によって神から賜物として与えられた知恵について述べる。〕

第二朗読          ヤコブの手紙 

義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれる。

3・16〜4・3

使徒ヤコブの手紙

316〔愛する皆さん、〕ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあ〔リます。〕17上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。18義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。
41何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。2あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、3願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。 

()318義の実・・・イザヤ書3217節によれば、正義のもたらす実は平和と信頼である。

() 平和を実現する人・・・マタイ福音書59節参照。

()42人を殺します・・・兄弟に腹を立てることを殺人と同等と見なすマタイ福音書52122節が前提に考えられよう(一ヨハネの手紙315節も参照)。

()23得られないのは、願い求めないからで~・・・マタイ福音書77節「求めなさい。そうすれば、与えられる」が背景にあるようである。

 

 マルコ福音書831節に続き、イエスは再び自分の死と復活を予告する。受難予告のたびに、弟子たちの無理解な姿が示され、イエスはその弟子たちに十字架の道の意味を解き明かしていく。〕

福音朗読        マルコによる福音書 

人の子が引き渡される。いちばん先になりたい者は、

すべての人に仕える者になりなさい。

(9章3037節)

マルコによる福音

30〔そのとき、イエスと弟子たちは〕ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。31それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。32弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。
33一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。34彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。35イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」36そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。

37「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」

()35いちばん先になりたい者は~・・・マルコ福音書104344節参照。

()36子供・・・子供は無力で弱い立場に置かれた人々の典型であろう。

()37わたしの名のために~・・・本節の並行個所マタイ福音書1835節、ルカ福音書948節参照。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018923 より)

 

 

・・・・・・・・・・・・・世界難民移住移動者の日(9月23日)・・・・・・・・・・・・・
 毎年9月の第4日曜日とされている「世界難民移住移動者の日」は、1970年、時の教皇パウロ6世が教皇庁移住・移動者司牧評議会を設立したことを受け、「各小教区とカトリック施設が、国籍を超えた神の国を求めて、真の信仰共同体を築き、全世界の人々と『共に生きる』決意を新たにする日」として設立されました。
「世界難民移住移動者の日」では、おもに滞日・在日外国人、海外からの移住移動者、定住・条約難民・外国人船員や国際交通機関の乗組員とその家族のために「祈り・司牧的協力・献金」がささげられ、それらは日本カトリック難民移住移動者委員会を通じて、幅広く支援に役立てられています。(カトリック中央協議会刊『カトリック教会情報ハンドブック』より)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2018年9月17日 (月)

2018年 9月16日の「聖書と典礼」

 2018年 9月16日の「聖書と典礼」

「年間第24主日」 B

わたしは、うとうとする者には背中を任せた。

(第1朗読主題句イザヤ書506節より)

 

 〔いわゆる「主の僕(しもべ)の歌」の第三の歌。苦難の中で神の助けに信頼する僕(わたし)は預言者個人であると同時に、捕囚の苦しみの中にあるイスラエルの民、さらにイエスの受難の姿を思わせる。〕

第一朗読           イザヤ書 

わたしは、打とうとする者には背中をまかせた。

(50章59節a)

イザヤの預言

5主なる神はわたしの耳を開かれた。
わたしは逆らわず、退かなかった。

6打とうとする者には背中をまかせ
ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。

7主なる神が助けてくださるから
わたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。
わたしは知っている
わたしが辱められることはない、と。

8わたしの正しさを認める方は近くいます。
誰がわたしと共に争ってくれるのか
われわれは共に立とう。
誰がわたしを訴えるのか
わたしに向かって来るがよい。

9a見よ、主なる神が助けてくださる。
誰がわたしを罪に定めえよう。

() 5耳を開かれた・・・ここで「わたし」は神のことばを聞き、それを人々に告げる預言者のように描かれている(4説も参照)。

() 7硬い石のように・・・嘲りに対してひるまない態度を表すことば。エゼキエル書38節、9節参照。

 

 〔この手紙の核心とも言える部分で、愛の行いの大切さを説く。山上の説教の結びを連想させる(マタイ福音書72127節参照)。〕

第二朗読          ヤコブの手紙 

行いが伴わないなら、信仰は死んだものである。

(2章1418節)

使徒ヤコブの手紙

14 わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。15もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、16あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。17信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。
18
 しかし、「あなたには信仰があり、わたしには行いがある」と言う人がいるかもしれません。行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。そうすれば、わたしは行いによって、自分の信仰を見せましょう。

()14行い・・・パウロは人が行いではなく信仰によって義とされると述べている(ローマの信徒への手紙328節、ガラテヤの信徒への手紙216節、エフェソの信徒への手紙28節など)が、パウロが言う「行い」は律法の実行のことであり、ヤコブがここで語っているのは、信仰の実践としての愛のことである。

 

 〔マルコ福音書の前半で、病人をいやし、罪びとにゆるしをもたらし、貧しい人に神の福音を告げ知らせたイエスの活動を身近に見てきたペトロが、イエスはメシア(キリスト)であると告白する。〕

福音朗読       マルコによる福音書

「あなたは、メシアです。」人の子は必ず多くの苦しみを受ける。

(8章2735節)

マルコによる福音

27 〔そのとき、〕イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。28弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」29そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」30するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。
31
 それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。32しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。33イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」34それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。35自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」 

()28エリヤ・・・紀元前九世紀の北イスラエル王国の有名な預言者。神の裁きの日が来る前に再来すると考えられていた。

()30だれにも話さないように・・・31節からイエスは自分の受難と復活について語り始め、自分が「苦しむメシア」であることを示す。このことが理解されなければ、イエスがメシアであることの意味は誤解されてしまうのである。

()33サタン・・・新約聖書ではサタンは普通、悪魔を意味するが、ここでは「神の計画に敵対する者」「誘惑する者」という意味でペトロに向かって言われている。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018916 より)

2018年8月31日 (金)

2018年 9月 2日の「聖書と典礼」

2018年 9月 2日の「聖書と典礼」

「年間第22主日」 B

わたしが命じるとおりにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい。

(申命記42節より)

 

 〔エジプトを脱出したイスラエルの民は、四十年後にようやくヨルダン川の東岸に着いた。約束の地を目の前にしてモーセは民に語りかける。〕

第一朗読            申命記 

わたしが命じることばに何一つ加えてはならない。

主の戒めを守りなさい。

(4章12節、68節)

申命記

 〔モーセは民に言った。〕1イスラエルよ。今、わたしが教える掟と法を忠実に行いなさい。そうすればあなたたちは命を得、あなたたちの先祖の神、主が与えられる土地に入って、それを得ることができるであろう。2あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らすこともしてはならない。わたしが命じるとおりにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい。
6 あなたたちはそれを忠実に守りなさい。そうすれば、諸国の民にあなたたちの知恵と良識が示され、彼らがこれらすべての掟を聞くとき、「この大いなる国民は確かに知恵があり、賢明な民である」と言うであろう。7いつ呼び求めても、近くにおられる我々の神、主のような神を持つ大いなる国民がどこにあるだろうか。8またわたしが今日あなたたちに授けるこのすべての律法のように、正しい掟と法を持つ大いなる国民がどこにいるだろうか。

() 1掟と法を忠実に行いなさい・・・直訳をすると「掟と法に聞きなさい」。申命記では、神に聞き従うよう、たびたび命じられる(645節、112728節など参照)。

 

 〔「ヤコブの手紙」は、ユダヤ人キリスト者の中で生まれた説教のような内容であり、信仰生活の実践面が強調されている。〕

第二朗読         ヤコブの手紙

御言葉を行う人になりなさい。

(1章1718節、21b22節、27節)

使徒ヤコブの手紙

 〔わたしの愛する兄弟たち、〕17良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。18御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。
21b 心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。
22 御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。
27 みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。

()18真理の言葉・・・イエス・キリストによる救いの福音を指す。続く「生む」は、神による新たな創造を意味する。

()27みなしごや、やもめ・・・旧約聖書において社会的な弱者の代表とされている。

 

 〔福音朗読は、先週までヨハネ福音書6章が読まれてきたが、今週から再びマルコ福音書に戻り、ガリラヤでのイエスの活動を伝える。〕

福音朗読        マルコによる福音書 

あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。

(7章18節、1415節、2123節)

マルコによる福音

1 〔そのとき、〕ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。2そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。3――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、4また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。――5そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」6イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。
 『この民は口先ではわたしを敬うが、
 その心はわたしから遠く離れている。
7人間の戒めを教えとしておしえ、
 むなしくわたしをあがめている。』
8あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」
14 それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。15外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。21中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、22姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、23これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」

() 2洗わない手・・・食事の前に手を洗わなければならないという律法はないが、ファリサイ派は日常生活に用いた手を宗教的に汚れていると考えていた。

() 4市場・・・市場には異邦人の商人もいるので、特に汚れを受けやすい場所と考えられていたようである。

()6-7この民は~・・・イザヤ書2913節の引用(七十人訳ギリシア語旧約聖書に基づく)。

()9-13・・・省かれた個所では、イエスはコルバン(神への供え物)の例を出して、ファリサイ派の教えの誤りを指摘する。

()15外から人の体に入るもの・・・1719節によれば、食べ物のこと。旧約聖書には、食べてよいものと食べてはならないものに関するさまざまな規定があったが、キリスト教はその一切の規定を破棄した。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20189 2 より)

2018年8月24日 (金)

2018年 8月26日の「聖書と典礼」

2018年 8月26日の「聖書と典礼」

「年間第21主日」 B

主よ、……あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。

(ヨハネによる福音書 668節より)

 

 〔イスラエルの民を率いて、ヨルダン川を渡り、約束の地カナンに入ったヨシュアは老人になった。世を去る前に、ヨシュアは神に従う決断をもう一度民全体に求める。〕

第一朗読           ヨシュア記

わたしたちは主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。

(24章12節a、1517節、18節b)

ヨシュア記

1 〔その日、〕ヨシュアは、イスラエルの全部族をシケムに集め、イスラエルの長老、長、裁判人、役人を呼び寄せた。彼らが神の御前に進み出ると、2aヨシュアは民全員に告げた。
15 「もし主に仕えたくないというならば、〔ユーフラテス〕川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」
 民は答えた。
16 「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません。17わたしたちの神、主は、わたしたちとわたしたちの先祖を、奴隷にされていたエジプトの国から導き上り、わたしたちの目の前で数々の大きな奇跡を行い、わたしたちの行く先々で、またわたしたちが通って来たすべての民の中で、わたしたちを守ってくださった方です。18bわたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。」

() 1シケム・・・カナンのほぼ中心に位置する町で、カナン定住後のイスラエルの十二部族の中心地となった。

()15川の向こう側・・・アブラハムの故郷カルデアのウルの神々が考えられているが、創世記にはイスラエルの先祖が他の神々を拝したということは記されていない。

() アモリ人の神々・・・アモリ人は、ここではパレスチナ先住民を総称した名で、その神々とはバアル、アシラなどである。

 

 〔主に結ばれた「光の子」(58節)としての生き方の具体的な姿として「仕え合う」ことをパウロは求め、はじめに夫婦の関係について語る。〕

第二朗読      エフェソの信徒への手紙

この神秘は偉大である。

わたしは、キリストと教会について述べているのである。

(5章2132節)

使徒パウロのエフェソの教会への手紙

                             

21〔皆さん、〕キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。22妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。23キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。24また、教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです。25夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。26キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、27しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。28そのように夫も、自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。29わが身を憎んだ者は一人もおらず、かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわるものです。30わたしたちは、キリストの体の一部なのです。31「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」32この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。

()25愛し・・・2224節の「仕える」とは別のことばが用いられているが、「仕える」と「愛する」を特に区別しているわけではない。互いに仕え合うこと(21節)を別の表現で述べているのである。

()26言葉を伴う水の洗い・・・洗礼式のことが考えられているのであろう。

()29わが身・・・直訳では「自分の肉」。このことばは31節の「一体」(直訳では「一つの肉」)と結びついている。

()31それゆえ、人は~・・・創世記224節、マタイ福音書195節参照。パウロはこのことばを夫と妻の関係だけでなく、キリストと教会の関係を示すものと受け取っている(32節参照)。

 

 〔イエスが語った「わたしの肉を食べ、血を飲む」(54節)ということばを人々は理解できず、イエスにつまずく。〕

福音朗読       ヨハネによる福音書

わたしたちはだれのところへ行きましょうか。

あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。

(6章6069節)

ヨハネによる福音

60 〔そのとき、〕弟子たちの多くの者は〔イエスの話〕を聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」61イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。62それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……63命を与えるのはである。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。

64しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。65そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」
66 このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。67そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。68シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。69あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」

()63霊 ・ 肉・・・聖書の中で「霊」と「肉」が対比されるとき、「霊」は人の内に働く神の力、神との交わりそのものを表し、霊こそが命の原理である。一方の「肉」は神から切り離され、滅びゆくものとしての人間の状態を表す。

()65父からお許しが~・・・44節参照。

()66離れ去り・・・直訳すれば「背を向けて去り」となる。

()68主よ、わたしたちは~・・・わたしたちが用いている聖体拝領前の信仰告白のことばは、マタイ福音書1616節とこのことばを組み合わせたものである。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018826 より)

2018年8月19日 (日)

2018年 8月19月日の「聖書と典礼」

2018年 8月19月日の「聖書と典礼」

「年間第20主日」 B

わたしの肉はまことの食べ物、

わたしの血はまことの飲み物である。

(福音朗読主題句 ヨハネによる福音書 655節より)

 

 〔『箴言』では創造のときから神とともにあった知恵が擬人化して語られる。ここではその知恵が人々を招く。この箇所の後の91318節は、「愚かさ」の招きを擬人化した、対照的な内容となっている。〕

第一朗読    

わたしのパンを食べ、わたしが調合した酒を飲むがよい。

(9章16節)

箴言

1知恵は家を建て、七本の柱を刻んで立てた。
2獣を屠り、酒を調合し、食卓を整え
3はしためを町の高い所に遣わして
 
呼びかけさせた。
4「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。」
 
意志の弱い者にはこう言った。
5「わたしのパンを食べ
 
わたしが調合した酒を飲むがよい
6浅はかさを捨て、命を得るために
 
分別の道を進むために。」

() 1七本の柱・・・多くの柱は宮殿のような建物の特徴である。

() 3酒を調合し・・・ぶどう酒に香料やはち蜜を混ぜること。

() 4意志の弱いもの・・・別の訳では「知恵のない者」「分別に欠けた者」。

 

 〔キリストによって闇から光へ招き入れられたキリスト者の「光の子として歩む」(58節参照)道が示される。〕

第二朗読     エフェソの信徒への手紙

主の御心が何であるかを悟りなさい。

(5章1520節)

使徒パウロのエフェソの教会への手紙

15 〔皆さん、〕愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。16時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。17だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。18酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、19詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。20そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。 

()15愚か 賢い・・・ここで問題になっているのは人間的な知恵ではなく、何が主に喜ばれることであるかを知る信仰者としての知恵である。

()19詩編と賛歌と霊的な歌・・・この三つは、旧約聖書の詩編、詩編以外の創作された賛歌、即興的な賛美の歌のことだとされるが、ここではそれらの区別が問題になっているわけではない。

 

 〔ヨハネ福音書6章で、五つのパンの奇跡から始まったパンについての長い対話と説教は、この箇所ではっきりと「聖体」がテーマとなる。〕

福音朗読       ヨハネによる福音書 

わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物である。

(6章5158節)

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。〕51「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
52 それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。53イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。55わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。57生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。58これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

()54血を飲む・・・生き物の血を飲むことは律法で固く禁じられており(レビ記171014節参照)、この表現はユダヤ人に衝撃を与える者である。

()56内にいる・・・ヨハネ福音書の中で、互いに相手の「内にいる」という表現は、御父と御子の関係についても言われている。両者の深い一致を表す表現である。

()58先祖が食べた・・・イスラエルの民は荒れ野でマナを食べた(出エジプト記16章参照)。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018819 より)

2018年8月14日 (火)

2018年 8月15日の「聖書と典礼」

2018年 8月15日の「聖書と典礼」

「聖母の被昇天」 B

「あなたは女の中で祝福された方です」

(ルカによる福音書 142節より)

 

 〔ここに現れる一人の女性の姿の中に、教会とその母であるマリアの姿を見るのがカトリック教会の伝統である。〕

第一朗読            黙示録 

一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にしていた。

(11章19節a、12章16節、10節ab)

ヨハネの黙示

1119a 天にある神の神殿が開かれて、その神殿の中にある契約の箱が見え〔た。〕
121 また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。2女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。3また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。4竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。5女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。6女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。
10ab わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。
 「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。
 神のメシアの権威が現れた。」

()19契約の箱・・・旧約時代の神殿では、神の現存のしるしである契約の箱は至聖所の幕の奥にあり、見ることができなかった。

() 1一人の女・・・旧約と新約の神の民全体を表すという考えが一般的である。

() 十二の星・・・イスラエルの十二部族、また、新約の十二使徒を暗示する。

() 2子を産む痛みと苦しみ・・・エバを思い出させる表現(創世記316節参照)。

() 3・・・サタンのこと。

() 七つの頭・・・バビロニアの悪魔の象徴的な姿。

() 十本の角・・・ダニエル書77節からとられたイメージ。

() 5男の子・・・イエスのこと。

 

 〔パウロはキリストが復活したこと、そして、このキリストの復活にこそ、わたしたちの希望がかかっていることを力強く述べる。〕

第二朗読    (一)コリントの信徒への手紙

最初にキリスト、次いで、キリストに属している人たち。

(15章2027節a)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

20 〔皆さん、〕キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。21死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。22つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。23ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、24次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。25キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。26最後の敵として、死が滅ぼされます。27a「神は、すべてをその足の下に服従させた」からです。

()20初穂・・・最初の実りのことであり、その後に多くの実りが続くことを表すことば。

()22キリストに属している人たち・・・この第一人者であるマリアがキリストの復活に完全にあずかるものとなった、と教会は信じる。

()27神は~・・・詩編87節参照。

 

 〔イエスを身ごもったことを知ったマリアは洗礼者ヨハネを身ごもっているエリザベトのもとに行った。エリザベトや、救いを待ち望むすべての人と心を合わせてマリアは神の救いのわざをたたえる。〕

福音朗読        ルカによる福音書 

力ある方が、わたしに偉大なことをなさいました。

主は身分の低い者を高くあげられます。

(1章3956節)

ルカによる福音

39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。40そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。41マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、42声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。43わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。44あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。

45主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

46そこで、マリアは言った。
 「わたしの魂は主をあがめ、

47わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
48身分の低い、この主のはしためにも
 目を留めてくださったからです。
 今から後、いつの世の人も
 わたしを幸いな者と言うでしょう、

49力ある方が、
 わたしに偉大なことをなさいましたから。
 その御名は尊く、

50その憐れみは代々に限りなく、
 主を畏れる者に及びます。

51主はその腕で力を振るい、
 思い上がる者を打ち散らし、
52権力ある者をその座から引き降ろし、
 身分の低い者を高く上げ、
53飢えた人を良い物で満たし、
 富める者を空腹のまま追い返されます。
54その僕イスラエルを受け入れて、
 憐れみをお忘れになりません、
55わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
 アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
56マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

()39出かけて・・・マリアはガリラヤのナザレに住んでいた。

()42女の中で祝福された方・・・ヘブライ的表現で「もっとも祝福された女」の意味(士師記524節参照)。

()46わたしの魂は~・・・このマリアの歌は旧約のハンナの歌(サムエル記上2110節)に似ている。イエスを身ごもったマリアの個人的な賛美に始まるが、後半では救いを待ち望むすべての人の祈りになっていく。教会はこの歌を「教会の祈り」の中で毎晩、自分たちの祈りとして歌う。

()48身分の低い~・・・直訳では「はしための身分の低さ」。52節の「身分の低い者」の救いにつながるようなことば。

()49尊く・・・「聖である」こと。神が「聖である」ことは、その救いの力によって示される(レビ記1145節など参照)。

()50畏れる・・・「恐怖」というより、神との関係の中で人間が感じ取る無力さ・小ささを表すことば。そこからさらに神に対する人間の正しい態度全体(信頼や愛をも含む)を表すことになる。

()54僕イスラエル・・・イザヤ書418節、493節参照。イザヤ書4055章では、捕囚の苦しみの中にある民や迫害される預言者自身が、このように呼ばれている。

()55アブラハムとその子孫・・・神の約束を受けた人々の意味。新約聖書では、これは特定の民族を超えて、神を信じ、救いにあずかるすべての人を指す。(ルカ福音書38節、ローマの信徒への手紙411節参照)。イエスは特に、救いを必要としている病人や罪びとを「アブラハムの子孫」と呼んだ(ルカ福音書1316節、199節参照)。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018815 より)

より以前の記事一覧