2017年10月20日 (金)

2017年10月22日の「聖書と典礼」

2017年10月22日の「聖書と典礼」

「年間第29主日」 A

皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。

(マタイ福音書2221節より)

 

 〔イザヤ書4055章は紀元前六世紀のバビロン捕囚の終わりのころの預言。バビロンを征服するペルシア王によって神の救いの計画が実現する。すべての出来事は唯一の主である神の計画の中にある。〕

第一朗読           イザヤ書

私はキュロスの右の手を固く取り、国々を彼に従わせる。

(45章1節、46節)

イザヤの預言

1主が油を注がれた人キュロスについて
主はこう言われる。
わたしは彼の右の手を固く取り
国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。
扉は彼の前に開かれ
どの城門も閉ざされることはない。

                             

4わたしの僕ヤコブのために
わたしの選んだイスラエルのために
わたしはあなたの名を呼び、称号を与えたが
あなたは知らなかった。

5わたしが主、ほかにはいない。
わたしをおいて神はない。
わたしはあなたに力を与えたが
あなたは知らなかった。

6日の昇るところから日の沈むところまで
人々は知るようになる
わたしのほかは、むなしいものだ、と。
わたしが主、ほかにはいない。

(註) 1油を注がれた・・・・・・神によって特別な使命を授けられることを意味する。

(註) キュロス・・・・・・世界帝国を築いたペルシアの王で、紀元前539年にバビロンを征服した。被征服民族の宗教的な自由を認め、バビロンから解放されたユダヤ人にエルサレムの神殿の再建を許可した(歴代誌下362223節、エズラ記114節参照)。

(註) 扉 城門・・・・・・古代都市の城壁の門のこと。

 

 〔この手紙は、新約聖書の中で最も古い文書とされる。テサロニケの教会には、パウロの第二回宣教旅行で福音が伝えられた。〕

第二朗読     (一)テサロニケの信徒への手紙

あなたがたの信仰と愛と希望を、わたしたちは心に留めている。

(1章15節b)

使徒パウロのテサロニケの教会への手紙

 1パウロ、シルワノ、テモテから、父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ。恵みと平和が、あなたがたにあるように。
 
2わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。3あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。4神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、わたしたちは知っています。5abわたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。

(註) 1シルワノ・・・・・・シラスともいう。第二回宣教旅行に同行(使徒言行録1522節、40節参照)。

(註) テモテ・・・・・・パウロの同行者。テモテはテサロニケの教会を再び訪れ、その様子をパウロに知らせた(3章)。

(註) 3忍耐・・・・・・原語は「苦難の下にしっかりととどまる」の意。

 

 〔エルサレムの神殿の境内での出来事。もし、イエスが納税を認めなければ、ローマ帝国の反逆者となり、認めればユダヤ民衆の信望を失うことになる。どちらにしてもイエスを陥れることになる。〕

福音朗読         マタイ福音書

皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。

(22章1521節)

マタイによる福音

15〔そのとき、〕ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。

16そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。17ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」18イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。19税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、20イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。21彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」

(註)16ヘロデ派・・・・・・ヘロデ王家を支持する人々で、ローマ帝国の支配を認めている。本来、ファリサイ派とは相いれない。

(註)17律法に適っている~・・・・・・ここでは、十戒の「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない」(出エジプト記2034節)という掟が問題になっている。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20171022より)

2017年10月13日 (金)

2017年10月15日の「聖書と典礼」

2017年10月15日の「聖書と典礼」

「年間第28主日」 A

あなたは、・・・・・・わたしのために会食を整え。

(詩編235節より 答唱詩編)

 

 〔イザヤ書2427章は、「イザヤの黙示」と呼ばれ、バビロン捕囚からの解放を待ち望む状況の中で、紀元前六世紀半ばにまとめられた預言と考えられている。祝宴のイメージとともに、神が最終的に完成してくださる救いを語る。〕

第一朗読           イザヤ書

主は祝宴を開き、すべての顔から涙をぬぐってくださる。

(25章610節a)

イザヤの預言

6万軍の主はこの山で祝宴を開き
すべての民に良い肉と古い酒を供される。
それは脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒。

7主はこの山で
すべての民の顔を包んでいた布と
すべての国を覆っていた布を滅ぼし

8死を永久に滅ぼしてくださる。
主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい
御自分の民の恥を
地上からぬぐい去ってくださる。
これは主が語られたことである。

9その日には、人は言う。
見よ、この方こそわたしたちの神。
わたしたちは待ち望んでいた。
この方がわたしたちを救ってくださる。
この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。
その救いを祝って喜び躍ろう。

10a主の御手はこの山の上にとどまる。

(註) 6この山・・・・・・直接には、神殿のあるシオンの山(エルサレム)を指すが、特定の場所を超えた、終末的な神との出会いの場のイメージがある(イザヤ書225節参照)。

(註) 古い酒・・・・・・元は「ぶどう酒の澱」の意味。よくねかせた上等の強いぶどう酒を意味する。

(註) 7顔を包んでいた布・・・・・・喪に服している様子を表す。(サムエル記下1530節、195節参照)とも考えられるが、さらに覆い布が取り去られるということは、主の栄光を直接見て、その栄光に照らされる、終末的な救いの完成のイメージ(出エジプト記342935節、()コリント3718節参照)であるともいえる。

(註) 8死を永久に~・・・・・・一コリントの信徒への手紙1554節、黙示録214節参照。

 

 〔手紙全体のしめくくりにあたり、フィリピの教会が獄中のパウロを援助してくれたことに感謝し、神とキリストに満たされる生き方を賛美をこめて語る。〕

第二朗読 フィリピの信徒への手紙

わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能である。

(4章1214節、1920節)

使徒パウロのフィリピの教会への手紙

12〔皆さん、わたしは、〕貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。13わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。14それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。
19わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。20わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

 

 

 〔マタイ福音書は、ルカ福音書での位置(ルカ福音書141524節)と異なり、このたとえ話をエルサレムの神殿でイエスが祭司長と民の長老たちと対決する場面に置く。キリストを受け入れなかったユダヤ人の運命と、異邦人に救いがもたらされた歴史が描き込まれているようである。〕

福音朗読 マタイによる福音書

見かけた者は誰でも婚宴に連れてきなさい。

(22章114節、 または 22章110節)

マタイによる福音

1 〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに〕たとえを用いて語られた。2「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。3王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。4そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』5しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、6また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。7そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。8そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。9だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』10そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。」
11「王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。12王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、13王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』14招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」》

(註) 2婚宴・・・・・・婚宴は神の国の完成の姿を表す(マタイ福音書25113節など参照)。

(註) 3家来たち・・・・・・旧約の預言者たちを指す。

(註) 4別の家来たち・・・・・・初代教会の宣教者を指すようである。

(註) 6殺してしまった・・・・・・ここにはキリストとその弟子の受けた迫害が語られているのであろう。

(註) 7町を焼き払った・・・・・・紀元70年のエルサレム滅亡のことが語られている。

(註)11婚礼の礼服・・・・・・・ここでは、神の国に入るのにふさわしい「行い」のことを指しているようである。しかし、1113節はもともと独立したたとえ話だったらしい。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20171015より)

2017年10月 6日 (金)

2017年10月 8日の「聖書と典礼」

2017年10月 8日の「聖書と典礼」

「年間第27主日」 A

イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑。

(イザヤ書57節より)

 

 〔イザヤは、紀元前八世紀、ユダ王国で活躍した預言者。神を農夫に、イスラエルやユダをぶどう畑にたとえ、神の愛のこたえない民にその行く末を悟らせようとする。同様なたとえとしてエレミヤ書221節、121011セス、ホセア書 910節、101節など参照〕

第一朗読           イザヤ書

イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑。

(5章17節)

イザヤの預言

1わたしは歌おう、わたしの愛する者のために
そのぶどう畑の愛の歌を。
わたしの愛する者は、肥沃な丘に
ぶどう畑を持っていた。

2よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。
その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り
良いぶどうが実るのを待った。
しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。

3さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ
わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。

4わたしがぶどう畑のためになすべきことで
何か、しなかったことがまだあるというのか。
わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに
なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか。

5さあ、お前たちに告げよう
わたしがこのぶどう畑をどうするか。
囲いを取り払い、焼かれるにまかせ
石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ

6わたしはこれを見捨てる。
枝は刈り込まれず
耕されることもなく
茨やおどろが生い茂るであろう。
雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。

*  

7イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑
主が楽しんで植えられたのはユダの人々。
主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに
見よ、流血(ミスパハ)。
正義(ツェダカ)を待っておられたのに
見よ、叫喚(ツェアカ)。

(註) 1わたし・・・・・・この個所の「わたし」は預言者自身。「わたしの愛する者」は神を指す。一方、36節の「わたし」は神ご自身である。

(註) 2酒ぶね・・・・・・ぶどう酒をつくるためにぶどうを搾る桶。

(註) 6おどろ・・・・・・とげのある灌木の茂み。イザヤ書のみに現れることば。

(註) 7ミシュパト ミスパハ・・・・・・ヘブライ語の語呂合わせを示している。朗読のときに読む必要はない(次の「ツェダカ」「ツェアカ」も同様)。

 

 〔自らが創設し、当時、圧迫を受けていたフィリピの教会の信者に、パウロは信仰のための戦いを進めてきた(12730節参照)。その勧告の結びにあたり、「主は近くにおられます」という確信(45節)から力強く語りかける。〕

第二朗読    フィリピの信徒への手紙

これらのことを実行しなさい。

そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられる。

(4章69節)

使徒パウロのフィリピの教会への手紙

 〔皆さん、〕どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。

 

 

 〔先週の「二人の息子」のたとえに続いて、神殿でユダヤ人指導者たちに向けて語られたたとえ話。このたとえの「農夫たち」も本来、民の指導者たちのことを指したのであろう。〕

福音朗読       マタイによる福音書

主人は、ほかの農夫たちにぶどう園を貸すにちがいない。

(2章3343節)

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。〕

33「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。34さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。35だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。36また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。37そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。38農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』39そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。40さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」41彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」42イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。
 『家を建てる者の捨てた石、
 これが隅の親石となった。
 これは、主がなさったことで、
 わたしたちの目には不思議に見える。』
43だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」

(註)34僕たち・・・・・・旧約の預言者たちのこと。「僕たち」が二回に分けて派遣されるのは、捕囚前と捕囚後の預言者を考えているのであろう。

(註)37息子・・・・・・イエスのことを指す。

(註)39ぶどう園の外に・・・・・・イエスはエルサレムの場外で十字架に架けられた(ヘブライ人への手紙131213節参照)。

(註)42家を建てる者の~・・・・・・詩編1182223節の引用。たとえの結びとして後から加えられたとも考えられる。殺されて復活するイエスこそが新しい神の民の礎石となること、そこに神の計らいの不思議さがあることを語る(使徒言行録411節、一ペトロの手紙27節参照)。

(註)43実を結ぶ民族に・・・・・・マタイはこのたとえの中に、イスラエルの民がキリストを拒否し、その結果、異邦人に救いが及んだ歴史を見ている。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201710 8より)

2017年9月29日 (金)

2017年10月 1日の「聖書と典礼」

2017年10月 1日の「聖書と典礼」

「年間第26主日」 A

正しくないのは、お前たちの道ではないのか。

(エゼキエル書1825節より)

 

 〔先祖の罪のために今の捕囚の苦しみがあると考え、希望を失っていた民に向かって、預言者エゼキエルは回心を呼びかけ、救いへの希望を示す。「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち返ることによって、生きることを喜ばないだろうか」(23)。過去にどんなに正しくとも、あるいは悪くとも、今をどう生きるかが問われているのである。〕

第一朗読         エゼキエル書

悪人が自分の行った悪から離れるなら、

彼は自分の命を救うことができる。

(18章2528節)

エゼキエルの預言

 〔主は言われる。〕25「お前たちは、『主の道は正しくない』と言う。聞け、イスラエルの家よ。わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか。26正しい人がその正しさから離れて不正を行い、そのゆえに死ぬなら、それは彼が行った不正のゆえに死ぬのである。27しかし、悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。28彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない。」

(註)25主の道は正しくない・・・・・・悪人の回心を喜び、正しい人の不正に厳しい神について、人間はこう考える。

 

 〔パウロは獄中にありながら、自分が創設したフィリピの共同体のことを気づかっている。6節以下は「受難の主日」、「十字架称賛」でも読まれた個所で、初代教会のキリスト賛歌の引用と考えられる。〕

第二朗読      フィリピの信徒への手紙

キリスト・イエスにもみられることを、互いに心がけなさい。

(2章111節、 または 2章15節)

使徒パウロのフィリピの教会への手紙

 1〔皆さん、〕あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、2同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。3何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、4めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。5互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
6キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、7かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、8へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。9このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。10こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、11すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。》

(註) 1霊による交わり・・・・・・聖霊が信者の間にもたらす交わり、一致のこと。

(註) 3へりくだって・・・・・・マタイ福音書1129節参照。

(註) 6身分・・・・・・このことば(モルフェー)は、物の外観のみならず、内容・実質をも意味する。7節の「身分」も同じ語。これに対して、7節で「姿」と訳された語(スケーマ)は外にあらわれた形、形状を指す。

 

 〔エルサレムに上ってきたイエスは、神殿の境内で当時の社会の指導者たち(祭司長や民の長老たち)と対決していく。この話はマタイだけが伝えるものである。〕

福音朗読          マタイ福音書

兄は考え直して出かけた。徴税人や娼婦たちの方が、

あなたたちより先に神の国に入るだろう。

(21章2832節)

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。〕

28「あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。29兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。30弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。31この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。32なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」

(註)29考え直して・・・・・・32節にも同じことばがある。ここでは「回心」を意味するキーワードのようなことば。

(註)32ヨハネが来て義の道を示したのに~・・・・・・神に立ち返る道を示した洗礼者ヨハネの宣教を思い起こさせている(313節参照)。人々の相反する対応についてはルカ福音書72930節を参照。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201710 1より)

2017年9月22日 (金)

2017年 9月24日の「聖書と典礼」

2017年 9月24日の「聖書と典礼」

「年間第25主日」 A

主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。

(イザヤ書55章6節より)

 

 〔イザヤ書第二の部分(40~55章)の結びに近い個所。バビロン捕囚の時代、希望を失っている民に向かって神の救いへの希望を語り、回心を呼びかける。〕

第一朗読           イザヤ書 

わたしの思いは、あなたたちの思いと異なる。

(55章69節)

イザヤの預言

6主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。
呼び求めよ、近くにいますうちに。

7神に逆らう者はその道を離れ
悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。
主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。
わたしたちの神に立ち帰るならば
豊かに赦してくださる。

                             

8わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると
主は言われる。

9天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いは
あなたたちの思いを、高く超えている。

(註) 8わたしの思いは~……民は、自分たちが神に忘れ去られている(イザヤ書40章27節参照)と思っているが、神はその民を忘れず、救いをもたらそうとする。

 

 〔きょうから四週にわたってフィリピ書が読まれる。パウロは獄中にありながらも、キリストを信じる喜びに満たされながらこの手紙を書いた。監禁されたことさえも福音を告げるのに役立ったと考えている(1章12節参照)。〕

第二朗読     フィリピの信徒への手紙

わたしにとって、生きるとはキリストである。

(1章20c24節、27節a)

使徒パウロのフィリピの教会への手紙

20c〔皆さん、〕生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。21わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。22けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。23この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。24だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。

27aひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。

(註)20公然と……この表現に関しては、「パウロが福音を大胆に語ることによって」という解釈もある(フランシスコ会訳など)。

(註)21生きるとはキリスト……キリストを中心として生きるということであろう(ガラテヤの信徒への手紙2章20節参照)。

 

 〔この話の直前にある「先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」(19章30節)ということばは、きょうの福音の結びのことば(16節)とほとんど同じで、このたとえの枠組みをなしている。イエスに従う弟子たちに永遠の命を約束した(19章27-29節)後のことばなので、弟子たちのことが語られているようにも見えるが、本来は律法学者やファリサイ派の人々に向けて語られたたとえ話だったのであろう。〕

福音朗読       マタイによる福音

わたしの気前のよさをねたむのか。

(20章116節)

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕1「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。2主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。3また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、4『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。5それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。6五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、7彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。8夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。9そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。10最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。11それで、受け取ると、主人に不平を言った。12『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』13主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。14自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。15自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』16このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

(註) 2一デナリオン・・・・・・当時の一般的な一日の日当といわれる。

(註)13友よ~・・・・・・冷たい断罪のことばではなく、親しみを込めて教え諭すような言い方である。放蕩息子のたとえの中で、父親が兄に向かって言うことばと似ている(ルカ福音書153132節参照)。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017924より)

 

 

世界難民移住移動者の日(9月の第4日曜日)
 毎年9月の第4日曜日とされている「世界難民移住移動者の日」は、1970年、時の教皇パウロ6世が教皇庁移住・移動者司牧評議会を設立したことを受け、「各小教区とカトリック施設が、国籍を超えた神の国を求めて、真の信仰共同体を築き、全

世界の人々と『共に生きる』決意を新たにする日」として設立されました。
「世界難民移住移動者の日」では、おもに滞日・在日外国人、海外からの移住移

動者、定住・条約難民・外国人船員や国際交通機関の乗組員とその家族のために

「祈り・司牧的協力・献金」がささげられ、それらは日本カトリック難民移住移動者委

員会を通じて、幅広く支援に役立てられています。
(カトリック中央協議会刊『カトリック教会情報ハンドブック2011』より)

 

2017年9月15日 (金)

2017年 9月17日の「聖書と典礼」

2017年 9月17日の「聖書と典礼」

「年間第24主日」 A

生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものである。

(第二朗読主題句 ローマの信徒への手紙148節より)

 

 〔シラ書(「集会の書」とも言う)は紀元前二世紀に、シラの子イエスによって書かれた律法の解説書のようなもの。この個所全体がレビ記1918節の解説のようになっている。レビ記の箇所では「復習してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である」と言われている。〕

第一朗読            シラ書

隣人から受けた不正を赦せ。

そうすれば、願いを求めるとき、お前の罪は赦される。

(27章30節〜28章7節)

シラ書

2730憤りと怒り、これはひどく忌まわしい。
罪人にはこの両方が付きまとう。

281 復讐する者は、主から復讐を受ける。

主はその罪を決して忘れることはない。

2 隣人から受けた不正を赦せ。そうすれば、
願い求めるとき、お前の罪は赦される。

 人が互いに怒りを抱き合っていながら、
どうして主からいやしを期待できようか。

 4 自分と同じ人間に憐れみをかけずにいて、
どうして自分の罪の赦しを願いえようか。

弱い人間にすぎない者が、
憤りを抱き続けるならば、
いったいだれが彼の罪を赦すことができようか。

6 自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ。
滅びゆく定めと死とを思い、掟を守れ。

7 掟を忘れず、隣人に対して怒りを抱くな。
いと高き方の契約を忘れず、
他人のおちどには寛容であれ。

(註) 2隣人から受けた~・・・・・・人をゆるすことと、ゆるした人が神にゆるされることが結びついている。同様な教えは、きょうの福音や「主の祈り」(マタイ福音書612節、ルカ福音書114節)にも見られる。

 

 〔当時、キリスト者が律法で禁じられている食べ物を食べてもよいかどうか、また、ユダヤ人の暦を守るのはどうかなどに関して論争があった(1416節)。それに対して、パウロは主のために生きることこそが重要で、互いを裁かず、配慮すべきことを語る(1410節以下参照)。〕

第二朗読      ローマの信徒への手紙 

生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものである。

(14章79節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

 7〔皆さん、〕わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。8わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。9キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。

 

 

 〔先週の箇所に続いて、教会共同体の問題として、兄弟同士のゆるし合いについて語られる。このたとえは、「主の祈り」の解説のようである。〕

福音朗読       マタイによる福音書

あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。

(18章2135節)

マタイによる福音

21そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」22イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。23そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。24決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。25しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。26家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。27その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。28ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。29仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。30しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。31仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。32そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。33わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』34そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。35あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」

(註)22七の七十倍・・・・・・「限りなく」の意味。創世記424節参照。

(註)24一万タラントン・・・・・・普通の労働者の十数万年分の賃金に相当する。この天文学的な数値によって神のあわれみの深さを強調している。

(註)27憐れに思って・・・・・・原語は「はらわたを痛める」といった意味で、深い共感を表す。放蕩息子の父のたとえでも使われる(ルカ福音書1520節)。

(註)28百デナリオン・・・・・・労働者の数ヶ月分の賃金。現実的な数字である。

(註)35あなたがたの一人一人が~・・・・・・マタイ福音書615節参照。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017917より)

2017年9月 9日 (土)

2017年 9月10日の「聖書と典礼」

2017年 9月10日の「聖書と典礼」

「年間第23主日」 A

二人または三人がわたしの名によって集まるところには、

わたしもその中にいる。

(マタイによる福音書1820節より)

 

 〔エゼキエルは紀元前六世紀のバビロン捕囚の時代に、捕囚の地で活動した預言者。彼の使命は民を断罪することではなく、民を回心させ、新しく生まれ変わらせることであった。〕

第一朗読         エゼキエル書

あなたが悪人に警告しないなら、

血の責任をわたしはお前の手に求める。

(33章79節)

エゼキエルの預言

 〔主の言葉がわたしに臨んだ。〕7「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたが、わたしの口から言葉を聞いたなら、わたしの警告を彼らに伝えねばならない。8わたしが悪人に向かって、『悪人よ、お前は必ず死なねばならない』と言うとき、あなたが悪人に警告し、彼がその道から離れるように語らないなら、悪人は自分の罪のゆえに死んでも、血の責任をわたしはお前の手に求める。9しかし、もしあなたが悪人に対してその道から立ち帰るよう警告したのに、彼がその道から立ち帰らなかったのなら、彼は自分の罪のゆえに死に、あなたは自分の命を救う。」

(註) 7人の子・・・・・・一人の人間にすぎないが、同時に神との特別な関係に立つ人。ここではもちろん、エゼキエル自信を指す。

(註) イスラエルの家の見張り・・・・・・朗読個所の前の1-6節では、国が攻撃されたときに危険を告げる「見張り」の役割が語られている。預言者の指名もそれにたとえられる。

(註) 8必ず死なねばならない・・・・・・神に対する不従順の結末を表す。創世記217節参照。

(註) 血・・・・・・「血」は生命の宿るところと考えられていた。ここでは「命」と同じ意味。

 

 〔ローマ書12章から始まる、キリスト者の生き方を語る倫理的勧告の中の一節である。〕

第二朗読      ローマの信徒への手紙

愛は律法を全うする。

(13章810節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

8 〔皆さん、〕互いに 愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。9「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。10愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。

(註) 8借り・・・・・・「借りがある」とは義務を負うということ。前節137節につながる表現で、愛し合うと事こそが求められていることを示す。

(註) 9姦淫するな~・・・・・・十戒の後半にある人間関係の根本を律する言葉(出エジプト記201317節、申命記51721節参照)。

(註) 隣人を~・・・・・・レビ記1918節、マタイ福音書223440節参照。

 

 〔マタイ福音書18章は教会共同体のあり方について語る。その中で特に小さいものへの配慮が強調されている。罪を犯した兄弟も「小さい者」「迷った羊」なのであり、そのような兄弟をも見失わないようにする努力が求められる。〕

福音朗読          マタイ福音書

言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。

(18章1520節)

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕15「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。16聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。17それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
18はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。19また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。20二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

(註)16すべてのことが、二人または三人の~・・・・・・申命記1915節参照。

(註)17異邦人か徴税人・・・・・・マタイの属したユダヤ人キリスト教会は、自分たちを「新しい神の民」と考えた。そういう考えが背景にある表現で、「異邦人」「徴税人」はその民に属さない人の意味である。

(註)18つなぐ 解く・・・・・・マタイ福音書1619節参照。

(註)20わたしもその中にいる・・・・・・マタイ福音書123節、2820節を思わせる表現。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017910より)

2017年9月 1日 (金)

2017年 9月 3日の「聖書と典礼」

2017年 9月 3日の「聖書と典礼」

「年間第22主日」 A

自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

(マタイ福音書1624節より)

 

 〔「エレミヤの告白」と呼ばれる個所の一つ。神のことばを告げたために迫害を受けたエレミヤは、神にその苦しみを訴える。この苦しみはイエスの受難を連想させる。〕

第一朗読          エレミヤ書

主の言葉ゆえに、わたしは恥を受けねばならない。

(20章79節)

エレミヤの預言

7主よ、あなたがわたしを惑わし
わたしは惑わされて
あなたに捕らえられました。
あなたの勝ちです。
わたしは一日中、笑い者にされ
人が皆、わたしを嘲ります。

8わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり
「不法だ、暴力だ」と叫ばずにはいられません。
主の言葉のゆえに、わたしは一日中
恥とそしりを受けねばなりません。

9主の名を口にすまい
もうその名によって語るまい、と思っても
主の言葉は、わたしの心の中
骨の中に閉じ込められて
火のように燃え上がります。
押さえつけておこうとして
わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。
 

(註) 7わたしを惑わし・・・・・・神から与えられた使命によって困苦に陥ったことを言う。

(註) 8嘆き・・・・・・預言者としてエレミヤは、民の繁栄を約束するのではなく、危機の到来や戦争、さらに罪深い民の破滅さえも告げなければならなかったのでこう言う。

(註) 9・・・・・・ここでは体の支柱・中心として考えられているのであろう。

 

 〔ローマ書111章はキリストによる救いを語ってきたが、12章からはキリスト者の生き方について教える。この勧告の部分の始めにあたって、神に向かって生きる人間の根本的な態度が語られる。〕

第二朗読 ローマの信徒への手紙

自分の体を生けるいけにえとして献げなさい。

(12章12節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

1兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。2あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。

(註) 1・・・・・・「精神」に対する「肉体」のような意味ではなく、人間全体を指すことば。

(註) 2自分を変えていただき・・・・・・変える主体は神である。

 

 〔フィリポ・カイサリアでのペトロの信仰告白(先週の福音)に続く個所。ここでイエスは、初めてご自分の受難を弟子たちに予告する。〕

福音朗読       マタイによる福音書

わたしについて来たい者は、自分を捨てなさい。

(16章2127節)

マタイによる福音

21〔そのとき、〕イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。22すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」23イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」24それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。25自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。26人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。27人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。」

(註)21必ず・・・・・・イエスの受難が神の計画に基づくものであることを示す。

(註)23サタン・・・・・・元来は「誹謗するもの」「訴える者の意味。新約聖書では「誘惑する者」の意味で用いられることが多い。

(註)24-25わたしについて来たい者は~・・・・・・マタイ福音書1038-39節でも同様に言われる。ルカ福音書1427節も参照。

(註)25・・・・・・同じ「命」ということばが、ここでは「誕生から死までのこの世の命」と「神によって生かされている命、永遠の命」の二つの意味で使われている。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20179 3より)

 

 

「被造物を大切にする世界祈願日」 (9月の第1日曜日)
 回勅『ラウダート・シ──ともに暮らす家を大切に』(2015年)で、全世界の人に向けて、エコロジー(自然保護)に取り組むよう訴えた教皇フランシスコは、東方正教会にならって、環境保護のための助けを願う日をカトリック教会の暦に加えました。
 地球規模の環境悪化が進む中、自然を破壊することなく、「わたしたち皆の家」である地球を大切にし、調和のうちに発展していくことができるよう、この日、全世界のカトリック教会で祈りがささげられます。
いのちの与え主である神に賛美と感謝をささげるとともに、自然を大切にする視点から、ライフスタイルを見直し、考え方を改める機会としていきたいものです。


(カトリック中央協議会刊『カトリック教会情報ハンドブック2017』より)

2017年8月18日 (金)

2017年 8月20日の「聖書と典礼」

2017年 8月20日の「聖書と典礼」

「年間第20主日」 A

「主よ、どうかお助け下さい。」

(マタイ福音書1525)

 

 〔イザヤ書5566章は、バビロン捕囚から帰国した直後の預言者のことばと考えられている。その冒頭で、異邦人に及ぶ普遍的な救いのビジョンが示される。〕

第一朗読         イザヤの預言

わたしは異邦人の子らを聖なるわたしの山に導こう。

(56章1節、67節)

イザヤの預言

1主はこう言われる。
正義を守り、恵みの業を行え。
わたしの救いが実現し
わたしの恵みの業が現れるのは間近い。

6主のもとに集って来た異邦人が
主に仕え、主の名を愛し、その僕となり
安息日を守り、それを汚すことなく
わたしの契約を固く守るなら

7わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き
わたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。
彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら
わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。
わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。

(註) 6安息日を守り……安息日の律法はシナイ契約のしるしであった。(出エジプト記311217節参照)。ここでは神の民になるための条件と考えられている。

(註) 7聖なるわたしの山……エルサレムの神殿があるシオンの山のこと。「祈りの家」も神殿を指す。紀元前五一五年に再建されたばかりだった。

(註) わたしの家は~……マタイ福音書2113節、マルコ福音書1117節、ルカ福音書1946節でイエスが引用することば。

 

 〔キリストへの信仰がユダヤ人よりも異邦人に受け入れられていく様子をパウロは見ていた。パウロはそれがユダヤ人も異邦人も含めた全人類を救う神の計画であると語る。〕

第二朗読       ローマの信徒への手紙

イスラエルに対する神の賜物と招きは取り消されない。

(11章1315節、2932節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

 13〔皆さん、〕あなたがた異邦人に言います。わたしは異邦人のための使徒であるので、自分の務めを光栄に思います。14何とかして自分の同胞にねたみを起こさせ、その幾人かでも救いたいのです。15もし彼らの捨てられることが、世界の和解となるならば、彼らが受け入れられることは、死者の中からの命でなくて何でしょう。
29神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。30あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順によって憐れみを受けています。31それと同じように、彼らも、今はあなたがたが受けた憐れみによって不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今憐れみを受けるためなのです。32神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。

(註)13異邦人のための使途……ガラテヤの信徒への手紙279節参照。

(註)14同胞にねたみを起こさせ……ユダヤ人が奮起することを期待する表現。

(註)15彼ら……キリストを受け入れないユダヤ人を指す。

(註)29神の賜物と招き……旧約聖書の中で、ユダヤ人に与えられていたものだった。

 

 〔自分たちの言い伝えを重視して神から離れてしまったファリサイ派や律法学者の姿に続いて、非常に対照的な異邦人の女の信仰が伝えられる。〕

福音朗読       マタイによる福音書

婦人よ、あなたの信仰は立派だ。

(15章2128節)

マタイによる福音

21〔そのとき、〕イエスは、ティルスとシドンの地方に行かれた。22すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。23しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」
24イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。25しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。26イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、27女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」28そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。

(註)21ティルス シドン……ガリラヤ地方の北方、地中海に面した異邦人の町の名。

(註)22カナンの女……カナン人はパレスチナの先住民。

(註)24わたしは、イスラエルの家の~……マタイ福音書106節参照。このようなイスラエル民族を優先することばはマタイ福音書だけに見られる。マタイ福音書では、全世界への宣教はイエスの復活後のこととされている(2819節参照)

(註)26子供たち 子犬・・・・・・「子どもたち」はユダヤ人を、「子犬」は異邦人を指す。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017820より)

2017年8月11日 (金)

2017年 8月13日の「聖書と典礼」

2017年 8月13日の「聖書と典礼」

「年間第19主日」 A

そのとき主が通り過ぎて行かれた。

(列王記上 19章11節)

 

 〔カルメル山で異教の神バアルの預言者と戦い、王妃イゼベルに追われる身となった預言者エリヤは、恐れと疲労のため、自分の死さえも願うようになった。しかし、神はエリヤをホレブ(シナイ山)に導き、そこで新たな使命を与えることになる。〕

第一朗読 列王記上

山の中で主の前に立ちなさい

(19章9節a、1113節a)

列王記

 〔その日、エリヤは神の山ホレブに着き、〕そこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。見よ、そのとき、主の言葉があった。主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を/裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。

 

 

 〔パウロは、キリストによる救いを受け入れなかった多くの同胞(ユダヤ人)のことを思い、心を痛めて語る。このテーマが9~11章で扱われ、イスラエルとすべての民を救う神の計画が語られていく。〕

第二朗読      ローマ の信徒への手紙

兄弟たちのためならば、

神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っている。

(9章15節)

使徒パウロのローマの教会への手紙

1 〔皆さん、〕わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、2わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。3わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。4彼らはイスラエルの民です。神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです。5先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。

(註) 3肉による同胞……ユダヤ人を指す。フランシスコ会訳では「血縁上の同族。

(註) 5肉によれば……「人間としては」の意味。1章3節参照。

 

 〔マタイ福音書は、この出来事の中に、自分たちの教会の不安定な様子を重ね合わせてみているようである。不安におびえる弟子たち(教会)とともにいてくださるキリストへの信頼が求められる。〕

福音朗読       マタイによる福音書

わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。

(14章2233節)

マタイによる福音

22〔人々がパンを食べて満腹した後、〕イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。23群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。24ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。25夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。26弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。27イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」28すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」29イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。30しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。31イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。32そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。33舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

(註)24スタディオン……長さの単位。1スタディオンは約185メートルにあたる。

(註)27わたしだ……「わたしはある」とも訳せることば。旧約では、神が自ら現れるときの宣言の形で、ともにいることを約束する力強いことばである。イザヤ書43章1-2節参照。

(註)28-32ペトロが答えた~……この部分は、同じ出来事を伝えるマルコ福音書6章45-52節、ヨハネ福音書6章15-21節にはなく、マタイ福音書だけが伝える。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2017813より)

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