2018年8月14日 (火)

2018年 8月15日の「聖書と典礼」

2018年 8月15日の「聖書と典礼」

「聖母の被昇天」 B

「あなたは女の中で祝福された方です」

(ルカによる福音書 142節より)

 

 〔ここに現れる一人の女性の姿の中に、教会とその母であるマリアの姿を見るのがカトリック教会の伝統である。〕

第一朗読            黙示録 

一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にしていた。

(11章19節a、12章16節、10節ab)

ヨハネの黙示

1119a 天にある神の神殿が開かれて、その神殿の中にある契約の箱が見え〔た。〕
121 また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。2女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。3また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。4竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。5女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。6女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。
10ab わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。
 「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。
 神のメシアの権威が現れた。」

()19契約の箱・・・旧約時代の神殿では、神の現存のしるしである契約の箱は至聖所の幕の奥にあり、見ることができなかった。

() 1一人の女・・・旧約と新約の神の民全体を表すという考えが一般的である。

() 十二の星・・・イスラエルの十二部族、また、新約の十二使徒を暗示する。

() 2子を産む痛みと苦しみ・・・エバを思い出させる表現(創世記316節参照)。

() 3・・・サタンのこと。

() 七つの頭・・・バビロニアの悪魔の象徴的な姿。

() 十本の角・・・ダニエル書77節からとられたイメージ。

() 5男の子・・・イエスのこと。

 

 〔パウロはキリストが復活したこと、そして、このキリストの復活にこそ、わたしたちの希望がかかっていることを力強く述べる。〕

第二朗読    (一)コリントの信徒への手紙

最初にキリスト、次いで、キリストに属している人たち。

(15章2027節a)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

20 〔皆さん、〕キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。21死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。22つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。23ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、24次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。25キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。26最後の敵として、死が滅ぼされます。27a「神は、すべてをその足の下に服従させた」からです。

()20初穂・・・最初の実りのことであり、その後に多くの実りが続くことを表すことば。

()22キリストに属している人たち・・・この第一人者であるマリアがキリストの復活に完全にあずかるものとなった、と教会は信じる。

()27神は~・・・詩編87節参照。

 

 〔イエスを身ごもったことを知ったマリアは洗礼者ヨハネを身ごもっているエリザベトのもとに行った。エリザベトや、救いを待ち望むすべての人と心を合わせてマリアは神の救いのわざをたたえる。〕

福音朗読        ルカによる福音書 

力ある方が、わたしに偉大なことをなさいました。

主は身分の低い者を高くあげられます。

(1章3956節)

ルカによる福音

39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。40そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。41マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、42声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。43わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。44あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。

45主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

46そこで、マリアは言った。
 「わたしの魂は主をあがめ、

47わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
48身分の低い、この主のはしためにも
 目を留めてくださったからです。
 今から後、いつの世の人も
 わたしを幸いな者と言うでしょう、

49力ある方が、
 わたしに偉大なことをなさいましたから。
 その御名は尊く、

50その憐れみは代々に限りなく、
 主を畏れる者に及びます。

51主はその腕で力を振るい、
 思い上がる者を打ち散らし、
52権力ある者をその座から引き降ろし、
 身分の低い者を高く上げ、
53飢えた人を良い物で満たし、
 富める者を空腹のまま追い返されます。
54その僕イスラエルを受け入れて、
 憐れみをお忘れになりません、
55わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
 アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
56マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

()39出かけて・・・マリアはガリラヤのナザレに住んでいた。

()42女の中で祝福された方・・・ヘブライ的表現で「もっとも祝福された女」の意味(士師記524節参照)。

()46わたしの魂は~・・・このマリアの歌は旧約のハンナの歌(サムエル記上2110節)に似ている。イエスを身ごもったマリアの個人的な賛美に始まるが、後半では救いを待ち望むすべての人の祈りになっていく。教会はこの歌を「教会の祈り」の中で毎晩、自分たちの祈りとして歌う。

()48身分の低い~・・・直訳では「はしための身分の低さ」。52節の「身分の低い者」の救いにつながるようなことば。

()49尊く・・・「聖である」こと。神が「聖である」ことは、その救いの力によって示される(レビ記1145節など参照)。

()50畏れる・・・「恐怖」というより、神との関係の中で人間が感じ取る無力さ・小ささを表すことば。そこからさらに神に対する人間の正しい態度全体(信頼や愛をも含む)を表すことになる。

()54僕イスラエル・・・イザヤ書418節、493節参照。イザヤ書4055章では、捕囚の苦しみの中にある民や迫害される預言者自身が、このように呼ばれている。

()55アブラハムとその子孫・・・神の約束を受けた人々の意味。新約聖書では、これは特定の民族を超えて、神を信じ、救いにあずかるすべての人を指す。(ルカ福音書38節、ローマの信徒への手紙411節参照)。イエスは特に、救いを必要としている病人や罪びとを「アブラハムの子孫」と呼んだ(ルカ福音書1316節、199節参照)。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018815 より)

2018年8月10日 (金)

2018年 8月12月日の「聖書と典礼」

 2018年 8月12日の「聖書と典礼」

「年間第19主日」 B

わたしは、天から降って来た生きたパンである。

(ヨハネによる福音書 651節より)

 

 〔紀元前九世紀、イスラエルの王アハブはシドン人イゼベルを王妃として迎え、バアル信仰を導入した。預言者エリヤはこれに反対したため、命を狙われることになった。〕

第一朗読          列王記(上) 

エリヤはその食べ物に力づけられて歩き続け、神の山に着いた。

(19章48節)

列王記

 〔その日、王妃イゼベルが自分を殺そうとしていることを知ったエリヤは、〕4荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」5彼はえにしだの木の下で横になって眠ってしまった。御使いが彼に触れて言った。「起きて食べよ。」6見ると、枕もとに焼き石で焼いたパン菓子と水の入った瓶があったので、エリヤはそのパン菓子を食べ、水を飲んで、また横になった。7主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と言った。8エリヤは起きて食べ、飲んだ。その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。

() 4えにしだ・・・「レダマ」とも言う。二メートルほどの高さの灌木で、木陰は小さい。

() 6パン菓子・・・丸く平らなパン。古くは焼灰や加熱した石の上で焼くのが普通だった。

() 8四十日四十夜・・・モーセが幕屋の律法を受けるためにシナイ山にいた日数と同じ(出エジプト記2418節)。イスラエルの民が荒れ野を旅した年数も同じ数。ここでは苦しみや試練とその中での神の保護を象徴する数であろう。

() ホレブ・・・シナイ山と呼ばれる。モーセが神に出会った場所であり、また、イスラエルの民が神と契約を結んだ場所でもある。

 

 〔まったくの恵みによって聖霊を注がれ、神の子どもとされたエフェソの人々に対して、パウロはキリストに結ばれた新しい生き方を求める。〕

第二朗読エフェソ 

キリストのように、あなたがたも愛によって歩みなさい。

(4章30節〜5章2節)

使徒パウロのエフェソの教会への手紙

430 〔皆さん、〕神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。31無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。32互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。51あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。2キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。

()30聖霊を悲しませ・・・イザヤ書6310節参照。

()  贖いの日・・・キリストの再臨は、信じる者たちにとって贖い(解放)の時である(ルカ福音書2128節参照)。

() 2香りのよい供え物・・・旧約の犠牲祭儀のことば(出エジプト記2918節、レビ記12章など参照)。ここでは、イエスの十字架のことを言う。

 

 〔パンをめぐるイエスと人々との対話の中で、イエスとはどういう方かが次第に明らかにされていく。〕

福音朗読       ヨハネによる福音書 

わたしは、天から降って来た生きたパンである。

(6章4151節)

ヨハネによる福音

                             

41 〔そのとき、〕ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、42こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」43イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。44わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。

45預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。46父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。47はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。48わたしは命のパンである。49あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。50しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。51わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

()41つぶやき・・・かつてイスラエルの民が荒れ野でモーセと神に不平を言ったときの「つぶやき」を連想させる(出エジプト記1623節、民数記111節参照)。

()45彼らは皆、神によって~・・・イザヤ書5413節のことば。新共同訳のこの個所は「あなたの子らは皆、主について教えを受け」と訳されている。

()51わたしが与えるパン・・・いつの間にか、イエスはパンそのものから、パンを与える方になっている。つまり、ここから直接「聖体」のことが語られる。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018812 より)

2018年8月 3日 (金)

 2018年 8月 5日の「聖書と典礼」

 2018年 8月 5日の「聖書と典礼」

「年間第18主日」 B

永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。

(ヨハネによる福音書 627節より)

 

 〔エジプトの奴隷状態から解放されたイスラエルの民を待ち受けていたのは過酷な荒れ野の旅であった。〕

第一朗読          出エジプト記

わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。

(16章24節、1215節)

出エジプト記

2 荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。3イスラエルの人々は彼らに言った。
 「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」
4 主はモーセに言われた。
 「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。
12 わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」
13 夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。14この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。15イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。
 「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。」

() 2荒れ野・・・エジプトを出たイスラエルの民が最初に入ったシナイ半島の中西部の荒れ野。「シンの荒れ野」と呼ばれる。

()13うずらが~宿営を覆い・・・ここでは詳しく言及されないが、大量のうずらが宿営の近くに落ち、民の食べ物となったことを暗示する。民数記1131-34節参照。

()13-14露が~残っていた・・・1631節で「マナ」と名付けられる食べ物。そこでは「コエンドロの種に似て白く、蜜の入ったウェファースのような味がした」と記されている(民数記117-9節参照)

 

 〔異教祭儀の中心地でもあったエフェソでパウロは三年間宣教活動をした。〕

第二朗読      エフェソの信徒への手紙

神にかたどって造られた新しい人を身に着けなければならない。

(4章17節、2024節)

使徒パウロのエフェソの教会への手紙

17 〔皆さん、〕わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩〔んでいます。〕20しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。21キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。22だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、23心の底から新たにされて、24神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。

()17異邦人・・・キリストを知らないエフェソの人々のことを指す。キリスト者になった人も、以前は同じような生き方をしていた。

()22-24古い人~新しい人・・・コロサイの信徒への手紙39-10節でも同様の表現が使われている。

 

 〔五つのパンと二匹の魚を五千人に分け与えた翌日、イエスを捜して多くの人が集まってきた。〕

福音朗読        ヨハネによる福音書 

わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、

わたしを信じる者は決して渇くことがない。

(6章2435節)

ヨハネによる福音

24 〔五千人がパンを食べた翌日、その場所に集まった〕群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。

25そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。26イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。27朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」28そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、29イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」30そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。31わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」32すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。33神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」
34 そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、35イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」

()26しるし・・・ヨハネ福音書において奇跡は「しるし」と呼ばれる。しるしは、イエスがどのような方であるかを示す出来事である。

()27認証された・・・原語は「証印を押した」。イエスが人の子(すなわちメシア)であることを神が確かに認めた、という意味である。

()28神の業・・・「神の求める働き」のことで、前節で「働きなさい」とあるのに答えて、人々はこう問い返した。

()31天からのパンを~・・・詩編7824(きょうの答唱詩編)の引用。なお、第一朗読を参照のこと。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20188 5 より)

2018年7月28日 (土)

2018年 7月29日の「聖書と典礼」

2018年 7月29日の「聖書と典礼」

「年間第17主日」 B

イエスは座っている人々に、欲しいだけ分け与えられた。

(福音朗読主題句 ヨハネによる福音書 611節より)

 

 〔預言者エリシャは紀元前九世紀の北イスラエルで活動した。エリヤと同じように多くの物語が残されている。〕

第一朗読       列王記下

彼らは食べきれずに残す。

(4章4244節)

列王記

                             

42〔ギルガルの地が飢饉に見舞われていたとき、〕一人の男がバアル・シャリシャから初物のパン、大麦パン二十個と新しい穀物を袋に入れて神の人〔エリシャ〕のもとに持って来た。神の人は、「人々に与えて食べさせなさい」と命じたが、43召し使いは、「どうしてこれを百人の人々に分け与えることができましょう」と答えた。エリシャは再び命じた。「人々に与えて食べさせなさい。主は言われる。『彼らは食べきれずに残す。』」44召し使いがそれを配ったところ、主の言葉のとおり彼らは食べきれずに残した。

()42バアル・シャリシャ・・・エフライムの山地にあった町。ギルガルはエリコの近くギルガルはエリコの近く。

() 初物のパン・・・すべての初物は神のものとされ、ふつう聖所にささげられた。初物はまた最上のものを意味する。

 

 〔パウロはこの手紙の4章から、生活に関する勧めを与えるが、そのはじめに一致を保つように教える。〕

第二朗読    エフェソの信徒への手紙

体は一つ、主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ。

(4章16節)

使徒パウロのエフェソの教会への手紙

1〔皆さん、〕主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、2一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、3平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。4体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。5主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、6すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。

() 1囚人・・・パウロは牢獄からこの手紙を書いたとされている(620節参照)。

() 3霊による一致・・・直訳は「霊の一致」であるが、単なる心や思いの結びつきではなく、聖霊によってもたらされる一致のこと。

 

 〔このパンと魚の出来事は、四つの福音書すべてに伝えられている出来事である。マルコ福音書では、先週の箇所の続きが五つのパンと二匹の魚を群集に分け与える場面であるが、今年(B年)の朗読配分では同じ話をヨハネ福音書から読む。〕

福音朗読     ヨハネによる福音書

イエスは座っている人々に、欲しいだけ分け与えられた。

(6章115節)

ヨハネによる福音

1〔そのとき、〕イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。2大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。3イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。

4ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。5イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、6こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。7フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。8弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。9「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」

10イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。11さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。12人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。13集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。14そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。15イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。

() 7デナリオン・・・当時の労働者の1日の賃金。

()11パンを取り~・・・この一連の動作は最後の晩さんの席での動作を思わせる。

()12パンの屑・・・元の意味は「裂かれたもの」。屑というよりも「かけら」である。

()14世に来られる預言者・・・申命記1815-18節に述べられたモーセのような権威を持つ預言者。

()15王にする・・・ここでは政治的な指導者としての王の意味。イエスはご自分に対する人々のこのような期待を拒否する(ヨハネ福音書1833-37節参照)。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018729 より)

2018年7月20日 (金)

2018年 7月22日の「聖書と典礼」

2018年 7月22日の「聖書と典礼」

「年間第16主日」 B

キリストは、……十字架によって

敵意を滅ばされました。

(エフェソの信徒への手紙 215-16節より)

 

〔ユダ王国の末期、ユダの王たちの罪に対して、エレミヤは裁きのことばを伝えるとともに、ユダの回復という大きな救いの希望をも示す。〕

第一朗読           エレミヤ書 

群れの残った羊を集め、彼らを牧する牧者をわたしは立てる。

(23章16節)

エレミヤの預言

1「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」と主は言われる。2それゆえ、イスラエルの神、主はわたしの民を牧する牧者たちについて、こう言われる。
 「あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった。わたしはあなたたちの悪い行いを罰する」と主は言われる。
3「このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。4彼らを牧する牧者をわたしは立てる。群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない」と主は言われる。


5見よ、このような日が来る、と主は言われる。
 わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。
 王は治め、栄え
 この国に正義と恵みの業を行う。
6彼の代にユダは救われ
 イスラエルは安らかに住む。
 彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。

() 1わたしの牧場の羊~・・・ユダの人々のこと。次の「牧者」はユダの歴代の王のことである(エゼキエル書34章参照)。

() 5ダビデ・・・イスラエルの王家の祖。

() 正しい若枝・・・ダビデの再来であるような理想的な王(メシア)のこと。

 

 〔エフェソはエーゲ海の面した小アジア(今のトルコ)の港町。この異邦人の町でパウロは三年間、宣教活動をし、エフェソの教会を育てた。この箇所では、ユダヤ人と異邦人を隔てていた壁がキリストによって取り払われたことをパウロは力強く述べている。〕

第二朗読      エフェソの信徒への手紙 

二つのものを一つにされたキリストは、わたしたちの平和である。

(2章1318節)

使徒パウロのエフェソの教会への手紙

13〔皆さん、〕あなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。
14 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、15規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、16十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。17キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。18それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。

()16一つの体・・・キリストを信じる人々の集い(教会)をパウロはキリストの体という。

 

 〔マルコ福音書67-13節で、イエスは十二人の弟子を宣教に派遣した。この弟子たちは、使命を果たして、再びイエスのもとに集まってきた。〕

福音朗読       マルコによる福音書

イエスは飼い主のいない羊のような有様を深く憐れまれた。

(6章3034節)

マルコによる福音

30〔そのとき、〕使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。31イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。32そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。33ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。34イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。

()30行ったことや教えたこと・・・弟子たちは、悪霊を追い出し、病人をいやして、神の国を宣べ伝えた。

()34飼い主のいない羊・・・羊は弱い動物なので、飼い主がいないと野の獣のえじきにされてしまう(民数記2717節、エゼキエル書348節参照)。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018722 より)

2018年7月13日 (金)

2018年 7月15日の「聖書と典礼」

2018年 7月15日の「聖書と典礼」

「年間第15主日」 B

〔イエスは〕十二人を呼び寄せ、

二人ずつ組みにして遣わすことにされた。

(マルコによる福音書 6 7節より)

 

 〔アモスは紀元前八世紀の預言者で、おそらくユダ(南王国)の出身であったが、北イスラエル王国で活動した。当時の社会の中にアモスは不正義を見、その罪を糾弾し、イスラエルの滅亡を予告したため、ベテルの祭司アマツヤなど支配階級から敵視されるようになった。〕

第一朗読        アモス

行って、わが民イスラエルに預言せよ。

(7章1215節)

アモスの預言

                             

12〔その日、ベテルの祭司〕アマツヤはアモスに言った。
 「先見者よ、行け。ユダの国へ逃れ、そこで糧を得よ。そこで預言するがよい。
13だが、ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、王国の神殿だから。」14アモスは答えてアマツヤに言った。「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ。
15〔ところが、〕主は家畜の群れを追っているところから、わたしを取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と言われた。」

()12ベテル・・・分裂王国時代、ヤロブアム一世によって北王国の聖所とされた町。

()14預言者・・・職業的な預言者団があったと考えられている。

 

  〔エフェソ書の冒頭の賛美が読まれる。原文では3-14節が一つの文になっている。〕

第二朗読    エフェソ信徒への手紙

天地創造の前に、神はわたしたちをお選びになった。

(1章314節、 または 1章310節)

使徒パウロのエフェソの教会への手紙

3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。4天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。5イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。6神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。7わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。8神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、9秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。10こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。
11キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。12それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。13あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。14この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。 

() 4天地創造の前に~・・・ 時間的な順序というよりも、神が人を救おうとされた遠大な計画の素晴らしさと確かさを強調するために、パウロはこのように語る。

() 9秘められた計画・・・すべてのものがキリストのうちに一つにまとめられること。特にユダヤ人と異邦人の区別が取り払われたこと。

()10頭であるキリスト・・・キリストはご自分の体である教会の頭であるが、ここではさらに宇宙的な広がりを感じさせる。

()11わたしたち・・・11-13節の「わたしたち」はパウロ自信を含むユダヤ人、「あなたがた」は異邦人のことを指す。

()13聖霊で証印を押された・・・洗礼・堅信という入信の儀式を指すとも考えられる。

()14保証・・・今わたしたちに与えられている聖霊が、将来の完全な救いにあずかる「手付」のように考えられている。()コリントの信徒への手紙122節、55節参照。

 

 マルコ福音書313節以下でイエスのよって選ばれた十二人の弟子がここで派遣される。〕

福音朗読     マルコによる福音書

イエスは十二人を遣わすことにされた。

(6章713節)

マルコによる福音

7〔そのとき、イエスは〕十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、8旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、9ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。10また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。11しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」12十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。13そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。

() 7十二人・・・イスラエルの十二部族からとられた数で、新しい神の民を暗示している。

() 8袋・・・喜捨を入れるための袋。

() 9下着は二枚着てはならない・・・重ね着してはならない、すなわち、野宿の用意をせず、宿を貸してくれる人の好意と神の配慮に自分をゆだねよ、という指示であるとも考えられる。

()11足の裏の埃を~・・・その土地を異邦人の土地と見なすという絶縁のしぐさ(使徒言行録1351節参照)。

()13油を塗って~・・・これは、初代教会でも実践されていた(ヤコブの手紙514節参照)。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018715 より)

2018年7月 6日 (金)

2018年 7月 8日の「聖書と典礼」

2018年 7月 8日の「聖書と典礼」

「年間第14主日」 B

わたしは語りかける者に耳を傾けた。

(エゼキエル書 2 2節より)

 

 〔紀元前六世紀、捕囚の地バビロンで、エゼキエルが預言者として召し出される場面。彼は神の栄光の顕現に接してひれ伏し、神の声を聞いた。〕

第一朗読         エゼキエル書

彼らは反逆の家である。

彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう。

( 2章 25節 )

エゼキエルの預言

2〔その日、〕霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた。わたしは語りかける者に耳を傾けた。3主は言われた。「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの人々、わたしに逆らった反逆の民に遣わす。彼らは、その先祖たちと同様わたしに背いて、今日この日に至っている。4恥知らずで、強情な人々のもとに、わたしはあなたを遣わす。彼らに言いなさい、主なる神はこう言われる、と。5彼らが聞き入れようと、また、反逆の家なのだから拒もうとも、彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう。」

(註) 3反逆の民・・・バビロニア捕囚が起こったのは、神に対する民の不従順(反逆)のためであった。エゼキエルの使命はこの民に回心を呼びかけることである。

 

 〔パウロはコリントの教会の中に現れた偽使徒の問題に心を痛めていた。それらの人々は「自己推薦する者」だった。そこでパウロは「誇る者は主を誇れ」(1017節、一コリントの信徒への手紙131節参照)と言う。〕

第二朗読   ()コリントの信徒への手紙

キリストの力がわたしの内に宿るように、

むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇ろう。

(12章7b10節)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

7b〔皆さん、わたしが〕思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。8この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。9すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。10それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

(註) 7とげ・・・何らかの病気や疾患のことであると考えられる。ガラテヤの信徒への手紙413-14節には、「…わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに…」と述べられている。

(註) サタンから送られた使い・・・サタンは人を神から引き離す力の源。パウロは「とげ」を、福音宣教の使命の遂行を妨げるものと考えていたので、こう言っている。

 

 〔ガリラヤ地方を巡って宣教していたイエスとその一行は、イエスの育った地ナザレに行く。〕

福音朗読     マルコによる福音書

預言者が敬われないのは、自分の故郷の中だけである。

(6章16節)

マルコによる福音

1〔そのとき、〕イエスは故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。2安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。3この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。4イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。5そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。6そして、人々の不信仰に驚かれた。
 それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。

(註)3兄弟 姉妹・・・ヘブライ語やアラム語には「いとこ」にあたる言葉がなく、「兄弟」「姉妹」ということばに、近い親戚が含まれていると言われる。

(註) イエスにつまずいた・・・直訳は「イエスによってつまずいた」。イエスのことを知っていると思い込むことによって、かえってイエスがだれであるかを理解できなくなったことを意味するようである。フランシスコ会訳は「人々はイエスを理解しようとしなかった」と訳している。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」201878 より)

2018年6月29日 (金)

2018年 7月 1日の「聖書と典礼」

2018年 7月 1日の「聖書と典礼」

「年間第13主日」 B

子供の手を取って「タリタ、クム」と言われた。

(マルコによる福音書 541節より)

 

 〔「知恵の書」は紀元前二世紀に書かれた。著者は、この箇所で創世記13章の創造の業を思い浮かべながら、人が正しく生きるべきことを述べる。〕

第一朗読        知恵の書

悪魔のねたみによって死がこの世に入った。

(1章1315節、2章2324節)

知恵の書

113神が死を造られたわけではなく、

命あるものの滅びを喜ばれるわけでもない。

14生かすためにこそ神は万物をお造りになった。
世にある造られた物は価値がある。
滅びをもたらす毒はその中になく、
陰府がこの世を支配することもない。

15義は不滅である。

                             

223神は人間を不滅な者として創造し、
御自分の本性の似姿として造られた。

24悪魔のねたみによって死がこの世に入り、
悪魔の仲間に属する者が死を味わうのである。

(註)14生かすために・・・創世記27節参照。

(註)  陰府・・・死者の領域のことであるが、ここでは死の力を意味する。

(註)23ご自分の本性の似姿・・・創世記126-27節参照。人間は本来、神の永遠性にあずかっており、死は罪の結果であると考えられている。

 

 〔コリントの隣のマケドニア州の信者が貧しいエルサレムの教会のために援助したことを例にあげて、パウロはコリントの教会にも同様の援助を勧める。〕

第二朗読  (二)コリントの信徒への手紙

あなたがたのゆとりが他の人々の欠乏を補う。

(8章7節、9節、1315節)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

7〔皆さん、〕あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。
9 あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。13他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。

14あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。
15「多く集めた者も、余ることはなく、
 わずかしか集めなかった者も、
 不足することはなかった」
と書いてあるとおりです。

(註) 9貧しくなられた・・・フィリピの信徒への手紙26-7節参照。

(註)15多く集めた者も~・・・出エジプト記1618節の引用。元は荒れ野の旅の中で「マナ」について言われたことば。

 

 〔ゲラサ人(異邦人)の地から帰ってきたイエスを大勢の群集が待ち受けていた。救いを求めてイエスに向かってくる人々の信仰が描かれる。〕

福音朗読  マルコによる福音書

少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい。

(5章2143節、または、5章2124節、35b43節)

マルコによる福音

21〔そのとき、〕イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。22会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、23しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」24そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。
 大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。
25さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。26多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。27イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。28「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。29すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。30イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。31そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」32しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。33女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。34イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
35イエスがまだ話しておられるときに、》
会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」
36イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。37そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。38一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、39家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」40人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。41そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。42少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。43イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。

(註)22会堂長・・・会堂の管理者であり、同時にその会堂に属するユダヤ人共同体のリーダーでもあった。

(註)25出血・・・レビ記1525-30節にある女性の出血のこと。「汚れ」と考えられ、この女性の触れたものも汚れるとされていた。それゆえ、この女はひそかにイエスに近づいたのである。

(註)34信仰・・・ここに現れる「信仰」というテーマは、36節の「ただ信じなさい」ということばにつながっていく。さらに来週の福音朗読個所(61-6)でも重要な意味を持つ。

(註)41タリタ、クム・・・アラム語で「タリタ」は「少女」「クム」(又はクミ)は「起きよ」の意味。

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」20187 1 より)

2018年6月22日 (金)

2018年 6月24日の「聖書と典礼」

 2018年 6月24日の「聖書と典礼」

「洗礼者聖ヨハネの誕生」 B

この子には主の力が及んでいた。

(ルカによる福音書 166節より)

 

 〔いわゆる「主の僕の歌」の第二の歌。第二イザヤ(イザヤ書4055章)自身の預言者としての召命と使命を語っているようである。洗礼者ヨハネも、誕生の時から「いと高き方の預言者と呼ばれる」(ルカ福音書176節)と言われていた。〕

第一朗読           イザヤ書 

わたしはあなたを国々の光とする。

(49章16節)

イザヤの預言

1島々よ、わたしに聞け
遠い国々よ、耳を傾けよ。
主は母の胎にあるわたしを呼び
母の腹にあるわたしの名を呼ばれた。

2わたしの口を鋭い剣として御手の陰に置き
わたしを尖らせた矢として矢筒の中に隠して

3わたしに言われた
あなたはわたしの僕、イスラエル
あなたによってわたしの輝きは現れる、と。

4わたしは思った
わたしはいたずらに骨折り
うつろに、空しく、力を使い果たした、と。
しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり
働きに報いてくださるのもわたしの神である。

5主の御目にわたしは重んじられている。
わたしの神こそ、わたしの力。
今や、主は言われる。
ヤコブを御もとに立ち帰らせ
イスラエルを集めるために
母の胎にあったわたしを
御自分の僕として形づくられた主は

6こう言われる。
わたしはあなたを僕として
ヤコブの諸部族を立ち上がらせ
イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。
だがそれにもまして
わたしはあなたを国々の光とし
わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。

(註) 1母の胎ある~・・・神による選びを強調して語る表現(エレミヤ書15節参照)。

(註) 3わたしの僕、イスラエル・・・イスラエルの民全体が「僕」と呼ばれることもあるが、ここではイスラエルに与えられた「神の僕」としての使命を代表して生きる人として、預言者自身が「イスラエル」と呼ばれているのであろう。

(註) 5ヤコブを御もとに立ち帰らせ~・・・「ヤコブ」はイスラエルの別名。民を神のもとに立ち帰らせることは、洗礼者ヨハネの使命でもあった。

 

 〔パウロが第1回の宣教旅行のとき、小アジアのアンティオキアのユダヤ教の会堂で行った説教の一部。パウロはここで、イエスが救い主であることは神の約束であり、洗礼者ヨハネも認めていた、と主張している。〕

第二朗読          使徒言行録 

ヨハネは、イエスがおいでになる前に宣べ伝えた。

(13章2226節)

使徒たちの宣教

                             

22 〔その日、パウロは言った。「神は〕サウルを退けてダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。』23神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。24ヨハネは、イエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。25その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。『わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない。』
26 兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られ〔たのです。〕」

(註)22サウル・・・イスラエルの最初の王(紀元前11世紀)。しかし、神によって退けられ、家臣のダビデが代わって王となり、後のダビデ王朝を築くことになった。

(註) わたしの心に適う者~・・・詩編8921節、サムエル記上1314節参照。

(註)25わたしを何者だと~・・・ルカ福音書315-16節参照。「履き物を脱がせる」のは、僕の仕事であった。

 

  〔洗礼者ヨハネの誕生の場面。マリアがイエスを身ごもったのは、エリザベトがヨハネを身ごもってから六か月目のこととされている。(ルカ福音書126節)ので、降誕祭の半年前にヨハネの誕生を祝う。洗礼者ヨハネの祝日は二つあるが、殉教(829日・記念日)よりも誕生の方が大きな祝い(祭日)になっている。それは誕生に始まるヨハネの生涯全体が、イエスの先駆者としての意味を持っているからである。〕

福音朗読        ルカによる福音書

この子の名はヨハネ。

(1章5766節、80節)

ルカによる福音

 

57 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。58近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。59八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。60ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。61しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、62父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。63父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。64すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。65近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。66聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。
80 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。

(註)58エリザベトを大いに慈しまれた・・・エリザベトは高齢で、それまで子どもがなかったのである。

(註)59割礼・・・神の民の一員となる儀式で、この日に命名が行われる習慣があった。

(註)63この子の名はヨハネ・・・ザカリアは、ヨハネの誕生を告げた天使ガブリエルのことばを信じなかったので口がきけなくなっていた。「ヨハネ」という名は天使から告げられた名であった(ルカ福音書113節以下参照)。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018624 より)

2018年6月15日 (金)

2018年 6月17日の「聖書と典礼」

2018年 6月17日の「聖書と典礼」

「年間第11主日」 B

わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、

・・・・・・行ったことに応じて、報いを受けねばならない。

〔(二)コリントの信徒への手紙 510節より〕

 

 〔バビロン捕囚の時代にエゼキエルは、イスラエルの民を救い、エルサレムを回復させる神の裁きをレバノン杉にたとえて預言する。〕

第一朗読        エゼキエルの預言

わたしは高い木を低くする。

(17章2224節)

エゼキエルの預言

22 主なる神はこう言われる。わたしは高いレバノン杉の梢を切り取って植え、その柔らかい若枝を折って、高くそびえる山の上に移し植える。23イスラエルの高い山にそれを移し植えると、それは枝を伸ばし実をつけ、うっそうとしたレバノン杉となり、あらゆる鳥がそのもとに宿り、翼のあるものはすべてその枝の陰に住むようになる。24そのとき、野のすべての木々は、主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、また生き生きとした木を枯らし、枯れた木を茂らせることを知るようになる。」主であるわたしがこれを語り、実行する。

(註)22レバノン杉・・・「香柏」とも訳される。高さが30メートル近くにもなり、枝を大きく広げる美しい木。

(註) 高くそびえる山の上・・・ここではエルサレムのこと。

 

                              〔天の永遠の住みかを上に着る保証として、わたしたちに聖霊が与えられていることを確信しながらパウロは語る。〕

第二朗読     (二)コリントの信徒への手紙

体を住みかとしていても、体を離れているにしても、

ひたすら主に喜ばれる者でありたい。

(5章610節)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

 〔皆さん、わたしたちは天に永遠の住みかが備えられていることを知っています。〕6それで、わたしたちはいつも心強いのですが、体を住みかとしているかぎり、主から離れていることも知っています。7目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです。8わたしたちは、心強い。そして、体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます。9だから、体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい。10なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。

(註) 6・・・ここでは目に見える人間の姿を表す。有限の、過ぎ去る者としての人間のありさまを、パウロはこの言葉で表現する。

 

  〔マルコ福音書4章は、ガリラヤ湖畔で、群衆や弟子たちに向かって、たとえを用いて神の国について語るイエスの姿を伝える。〕

福音朗読       マルコによる福音書

からし種はどんな種よりも小さいが、どんな野菜よりも大きくなる。

(4章2634節)

マルコによる福音

 〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕26「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、27夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。28土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。29実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
30 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。31それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、32蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
33 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。34たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。

(註)31からし種・・・種は12ミリ程度だが、成長すると23メートル にもなり、大きな枝を持つ。

 

 

(オリエンス宗教研究所発行「聖書と典礼」2018617 より)

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