2008年8月31日 (日)

ペシャワール会 伊藤和也さんが遺してくれたもの、気づかせてくれたこと…

アフガニスタンで現地の人々と真に共に生きるNGO“ペシャワール会”の伊藤和也さんが誘拐され、遺体で発見された…。

 今回のことで例の自己責任という極めて無責任な発言が出てくるんやったらそんなことを知ったかぶりして言うような人こそ「現実を知らない」んやと思う。

 ペシャワール会代表の中村哲医師は、ワタシがカトリック六甲教会で聴かせていただいた講演会での活動のきっかけについての質問に「主義主張や思想からではなく、通りかかって見てしまった以上、人間として素通りできなかっただけ」と答えてはった。伊藤和也さんはじめ、中村医師のもとには同じ思いをもっておられる方々が集ってはるんやろう。

 伊藤さんの思い、彼の生きた意味は、伊藤さんのご両親が語っておられたとおりやと感じる。恨み言や後悔ではなく、しっかりと最愛の息子さんの生きざまを受けとめてはる…。

 あれだけアフガニスタンの人々と深く結ばれて共に歩んではったのに誘拐され遺体で発見…本当に本当に残念な、悲しい結果や。ただ、果たしてこれも仕組まれとったんちゃうんかという思いがよぎる。考え過ぎやろか?
 今、テレビや新聞といったマスメディアを通してはイラクやアフガニスタンの真の現状を知ることはでけへん。私利私欲のために戦争を引き起こす、ごく一握りの人間と彼らが属する強大な武力をもった国家に都合よく歪曲された情報が意図的に流布されてる…かつての大本営発表のように
 もはや現実を、真の情報を伝えてくれるのは、いのちがけで現地を見、現地の人々とことばを交わした人々(=この国ではその身に何か起これば「自己責任」と非難されてしまう人々)だけや。

 戦争で儲ける連中や国家は、そういった現地で現実を受けとめ、それを伝えようとする人々=真実を知る人々を快く思ってへん
。だからこそ自己責任論も流布された。そのような平和の芽を握りつぶし、愛を嘲笑し、いのちを踏みにじる力が、今回のペシャワール会のように現地の人々と深い信頼で結ばれて活動しているグループを敢えてターゲットにし「彼らでさえも危険に曝されてるんやから、他のNGOや民間活動家たちはサッサと現地から出ていかんかい!!」と身を案じるふりをしながら介入し圧力をかけ(身を案じるどころか、脅迫やな…)、現実を知る人々を追い出すための口実づくりを行ったんとちゃうんか9.11かて仕組まれた自作自演の口実づくりやったことはほぼ確実なんやし

 今のイラクが、アフガニスタンがなぜあの国に攻撃されるようになったんか、現代の戦争のシステムそれらを知ろうとせず、学ぼうとせずに「もっと現地の事を調べて行けば良かったのに」とか「もっと安全なところでボランティアやってりゃよかったのに」ともっともらしく言う人こそ自己責任が問われてるんやないの

 最後になりましたが、伊藤和也さんのご冥福を、そしてその生涯をしっかりと受けとめられたご家族のために、心よりお祈り申し上げます。

2007年11月19日 (月)

いつも思てるコト…。

 内容的にはよそでも書かしてもろたコトやねんけど、いつも思てるコトなんでボヤかしてもらいます…。

 教会に若い人たち、子どもたちが少ない!!ということがしばしば話題にされるようになって久しいけど、“特効薬”はないみたい…せやけど、それはむしろ「自分たちが慣れ親しんだ教会を若者にそのまま引き継いでもらって維持継続してほしい」という教会共同体の姿勢に問題があるんとちゃうかナァ?

 もし、今、たくさんの若者が教会に集ってたら、果たして教会は今ほど若い人々や子どもたちについて話し合ったり、考えたりしてたやろか?実際に若い人たちと話してみると、“教会では比較的若い”と見られることの多いワタシの世代が同じ歳くらいやった頃よりもシビアな日常に彼らが立ち向かって生きてることに驚かされる。
「教会は若い人たちのことを思っている、考えている」て言うんやったら、“若者が教会に集う様=古い世代が見たい光景”の実現よりも、今、若い人々や子どもたちが学校や職場、日常でどんな悩みや苦しみ、厳しい現実に直面しているのか…もっと生活に根ざした社会的な視点で、そしてひとりひとりを大切にする姿勢こそ必要なんやと思う。

 “青年、子どもたち”といった個々の顔が見えないひとくくりの“一構成集団”ではなく、同じ人間としてひとりひとりに向き合っていく…それがイエスが示してくださった“福音=共に生きる人の在り方”やと思うんやけどナァ…。

 イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。(マルコ5.30-32)

 やっぱりイエスはここまでしてひとりひとりと向き合おうとしてはるんやし…ネ。

2007年7月27日 (金)

立ち止まって…GO!

最も苦手な暑い季節…。温暖化など見過ごせへん問題もあるとはいえ、元来暑いのが夏というモンやし、あまり文句も言われへん。

 毎度持病のことばっかりで恐縮やけど…昨秋の入院以来、健康管理のためにウォーキングを始めてから最初の夏。「暑い暑い…」とは思いつつ表 歩いとって、ふと立ち止まると汗がブワ~ッと噴き出してくる、で、今さらながら改めて自分がどんな状況の中を歩いてたんかに気づかされるワケや。

 驚いたコトに退院から半年後には30kg近う目方が減っとった!べつにガムシャラにやっとったつもりはないネンけど、正直、根性ナシのワタシがなにゆえココまで!という感じ…むしろマニア気質が働いてるンやろか!?2ヶ月ごとの診察と栄養指導では思いがけず「もっと油を摂って、運動量を減らすように!」と告げられる始末…それでも当人は「痩せとったらエェんやろ」てなモンで、先月の診察で「コレステロール値が低過ぎ、今の数値やったら死亡率3倍。免疫系の病気になる」と言われてしもて…今度ばかりは「チョッと肥えんとヤバイやん!(>_<)」と背筋がゾゾ~ッと冷となった…憑かれたように歩き続けてきて、ようやく立ち止まってみたらエライことになっとった!!というワケで…こわいコワイ!!

 時間は決して遡ることはあれへんねんから、常にわたしたちは新しくされてる、だから教会も前進していく…そのとおりなんやけど、この頃、ふと立ち止まって今の立ち位置をシッカリと見つめることの大切さを痛感する…。

 平和について考え、分かち合っている仲間が紹介してくれた『戦争のつくりかた』という本(←エェ本やから読んでや~!!)…その中に添えられた「立ち止まって考える」という文章が響いた。今どこにいてるんやろう?何が起こってるんやろう?「まさかそんなコト!」→ホンマにそうなんやろか?「戦争は戦争の顔をしていません」その文章で引用されていたことば。

 新しい一歩を踏み出すために、立ち止まって考えて、そしてイエスが共にいてくれてはることを思い起こして…。85日、昨年比=約3/5の体重で再び広島を訪れる…。

2007年4月10日 (火)

今年も「新しく」なりました♪

深刻な問題をぎょうさんかかえながらも、世界が突然壊滅するというようなコトもなく、今のところ順調に!?一夜明ければ新しい日がやってくる。同ンじような毎日の繰り返しでも、まったく同じ日ィはない、絶えずわれわれはイヤでも「新しくされて」る…。

今年も復活祭が巡っきたンやけど、それまでに実にたくさんの新しくされる体験があった。毎年のことでも、やっぱり「新しい」…。

待ちに待った たかとり教会の建物が完成したけど、それに伴って、しばらく兵庫教会で行われていたベトナム語ミサが、また主日ミサに参列してはったたかとりの信者さんたちも帰っていかはった。近くワタシも住まいをたかとりに移すことになってるネンけど、あざやかにお色直し?しはったあのキリスト像も「ほな、お先に!!」という感じで帰っていかはった…。寂しナイ言うたらウソやけど、同じところにとどまってても前には進めへん、絶えず新しくされてるなら、それに応えていきたいナァ…。

以前、ワタシが修道会にとどまるか、大阪教区に移るかで悩んでいた時に、ホンマに誠意をもって接してくれた同僚の司祭に薦められた『ロメロ エルサルバドルの殉教者』という実話をもとにした映画をようやく観た。ビデオは2年前から手もとにあったのにネ(;^_^A 政治的抑圧が人々の自由を踏みにじっていた1970年代のエルサルバドル…民衆の目を社会から「宗教」に逸らさせるのが20070318_1 教会の役割というイエスの福音からは遠く離れてしまった状況で、「現実に疎く、政治や社会問題に波風を立てそうにない保守的人物」という絶望的な理由!?で大司教に選ばれたロメロ、しかし自由の実現のために社会に立ち向かう神父や知人が相次いで誘拐され、拷問のすえに殺されていく現実を突きつけられて、彼はイエスの福音を生きる者として、抑圧された人々の「声」となる使命に目覚めていく。ロメロ大司教は1980324日、ワタシがこの映画を観たちょうど27年前、ミサのさなかに暗殺された…。

現実と向き合うことへの大きな葛藤、そして最終的にはいのちを奪われたワケややけど、やはりロメロ司教は新しくされたのやと感じる。彼が英雄なのではなく、彼の生き方に触れた今を生きるわたしたちも新しくされる…新しいいのちをもたらしたイエスの復活もわたしたちすべてが日々新たにされて前進していくために実現したことと受けとめる「新しい」復活節にしたいですネェ…ということを今やから感じられる気がする…。

この映画、やっぱり2年間寝かしとってヨカッタわ…!!

41日付で大阪教区に正式に入籍させていただき、これまたワタシの新たなスタートです。これからもよろしくお願いいたします…m(_ _)m

2006年12月18日 (月)

痛い目ェ見なワカランので…(;^_^A

ズゥ~っと更新を怠ってたら、もう年の瀬ヤァ~( ̄□ ̄;)!!

 アッという間の1年やったようで、実はいろんなコトがあった…TCC(たかとりコミュニティセンター)でのハジケた!?新年会にはじまって、春には たかとり教会のキリスト像がここ兵庫教会に引っ越してきはって、バザーで10年ぶり(!)に落語をさせていただき、夏は侍者錬成会に初めてフルタイムで参加させてもろて、秋には初入院!!そして冬のシナピス神戸チャリティ・コンサートでは再び落語で出させてもらい1年間で2回の高座という暴挙!?…と、“初”の多い、濃ゆ~い1年やった。

中でも自分にとって大きかったンは、初入院の原因である糖尿病。3年前には既に患うてたんやけど、一度は節制して体重や血糖値も問題ない数値に回復しとったのに油断してしもてリバウンド…ちょうど抱え込んでた悩みや問題も重なって不摂生は底なしに慢性化…今思うと血の気引くけど、悪化の条件整いまくりで結局2年間放置、9月にひょんなことから内科検査を受け「数値的には即入院」と診断され、10月に初めての入院に至った…逃げててんナァ、逃げられへんのにね…。

「なんで入院したんやろ…生きたいから?なんで生きたいんやろ…もっと働きたいから?なんで働きたいんやろ…」入院中、今まで腰据えて考えんかったことと向き合うことになった…もちろん、病気とも…。

思えば、これまで自分に言い聞かせるように理由をこさえては煩わしいことから逃げてきた…確かに生涯治ることのない病気と付き合うのは大変やけど、ようやく「逃げようにも逃げられへん」モンが自分の中にでけたワケや。痛い目ェ見なワカラへんねん…(>_<)

ようもまぁ、薬物・インスリン療法になれへんかったもんやと思う…最初に診断受けたとき同様、食事・運動療法で治療していくことになった。ただし、今回はキチンと栄養素考えて、カロリー計算していかなアカンねやけど…まぁ、わりと楽しんでる、カナ?…入院中は“成績優秀”やったしネ…自慢になれへんけど…(;^_^A

入院前からしたら、現在、体重はナント20kg減、血糖値と、もともと悪い肝臓の数値なども正常値に、いちばん大事な数値=ヘモグロビンA1cも糖尿病患者が目指すべき数値以下になってる…。言い訳させていただけるなら、この欄を更新でけへんかった理由はこのヘンにあると思てネェ~!って、ゆーのはアカン!かな?

今までも「逃げられへん」ことは他にもたくさんあったんやろう…けど逃げてた、自分のいのちに関わることやないから?でも誰かのいのちに関わることやったかも知れへん…。いのち、平和…逃げたらアカンことはいくらでもある。これからは皆さんと共に歩む中で、逃げずに向き合うことを大切に生きていきたい…急に理想が現実にはなれへんやろけど…。

まぁ、そういうことでございますので、皆さん、よいクリスマス+よいお年を~!!m(_ _)m

2006年7月21日 (金)

断腸ならぬ断髪の思い…!?

実に久々の更新…スンマセン、サボってました(;^_^A

 エライこと昔の話で恐縮やけど…今年のはじめ、震災から11年を迎えた たかとり教会の現状を伝える番組がNHKでテレビ放送された。番組の内容の賛否はさておき、ワタシも参加させていただいている、多言語コミュニティ放送局FMわぃわぃの仏教、神道、キリスト教の宗教者によるトーク番組「わるがき拝拝」の収録シーンも映し出されていた。

 その様子を観たワタシの友人、「カトリック司祭ってテロップ出ても、ニワカにはそう見えない神父サンばっかり出てたネェ」→短く刈り込んだ頭にラフなスタイルのたかとりの神田神父さん、かたやワタシは腰にまで届くイキオイの長髪を後ろでくくりラフとゆーよりヨレヨレの風体…ビッ!としまってはる神田サンはエェとして…確かにワタシは神父に見えんわナァ…。

 ソレからさらに半年…ホンマに腰まで来そうになってた髪を、突如バッサリ切ってしもた。表向きには「失恋した」ゆうことにしとるけど(;^_^A、「切ったげましょか」と声をかけ、ちゃんと段取りして実行してくださった方がおってやった、というだけ。

 2年近く伸ばし放題やった。願かけとかしとったワケやのうて、人間が生きとるから髪も伸び続けるという自然の摂理に逆らわンかったまで。まぁ、ロック好きとしては「ロック=反体制→長髪」という今や古風な憧れもチョビッとはあったけど、正直言うたらこれまでの経験から、神父という役割を権威と見なす人の目を避けたかった、また時としてソレを受けて驕る自分を戒めるいうのがイチバン割合を占めとったんかも知れんナァ…

 今回ほどやないけど、これまで髪延ばしてから突然切ると必ず耳にする「今やから言いますけど、うっとうしィて見るのイヤでしてん、今のほうがよっぽど似合てますヨ!」という声も聞きたくなかった。今度もそんな声をほうぼうから聞かされるンやろナァと思てたら…「なんで切ってしもたん!?」「世に流されてしもたらアカンやん!」「神父サン紹介するときに、髪長い人です!言うたらすぐにわかってくれはってヨカッタのに…」など、実際耳にして、調子合わせてるんやナシに、こんな風体のワタシでも仲間として受け入れてくれてはってンなぁと身に染みる温かいことばをようけかけていただいた。「切ってよかった」という方の声も非難やイヤミではない、ホンマにそのほうがエェよ!という、ワタシみたいなモンでも気にかけてくれてはるという気持ちがこもっていた。

 細かいコトはここではよう言わんけど…神戸に来て新しい生き方が始まって、教会の中で、そして外で、いろんな方に出会って、カトリック司祭として生きていく意味がようやくわかった気がする…髪の毛はバッサリ切ってしもたけど、人とはもっとつながっていきたい、うっとうしいほど?伸ばしていきたい!と思う…。

 最後に…今回は「切ったげる」と言うてくれはった方が勤めてはる“美容室”で“美容師”のセンセに切っていただくという初体験→軽くセットまでしてもろて、鏡を見たとき…こんなん自分で言うのはナントモ恥ずかしいけどネ…正直「わりかしオトコマエやん…」と一瞬思ってしもた(>_<)イヤ、美容師センセのプロのわざのなすマジック!今は…髪の長い短いカンケーなしにうっとうしぃオッサンやナ!と自覚しとります…m(_ _)m

2006年6月 5日 (月)

晴~れた空~ そ~よぐ風~♪

5月28日、バザーを無事終えることができた。

 今回のバザーは地域の方たちの交流の場づくりという企み?があったんやけど、個人的にはメッチャ楽しい一日やった。心配したお天気もくもりどころか晴れ!雨やったんちゃうんかい!? まぁ、気象庁職員の野球大会が雨で中止ンなったっちゅう噂があるくらいやから、天気予報なんてハズレてけっこう♪昼過ぎに「アッ、ついに降るか?」という空模様もあったけど持ち直して、またお陽ィさんがカーッ!!「晴~れた空~ そ~よぐ風~♪」と歌のひとつも出るトコやけど、風は、“お天道さん”に照らされて浮かれるンか会場に張った“おテントさん”が時々フワッと浮き上がるくらい強かった。その風のおかげで雨雲が散ったワケやから感謝やネェ、おおきにハバカリサン!(^0^)

 兵庫教会の皆さんももちろんやけど、いろんな方が関わってくださった。人員確保できずに一度は中止になった たこ焼き(←メチャウマ!) を出店してくださった神社のSさん、ご家族みんなで駆けつけてくださったお寺のAさん(←いつもお世話さまですゥ!)、お店休んでまで出店してくださった三宮の怪獣オモチャ屋AMAZONさん(←ワタシのオアシス♪)、商売抜きで怪獣ソフビ売ってくれはったけど…元はとってくれはりました?お客さんがようけ来てくれはるのもウレシイけど、教会の内外問わず、いろんな方たちがバザーの中味に関わってくださったコトがホンマにうれしかってン!(T_T) オマケにワタシ、落語までさせてもろた…皆さん、ホンマにホンマに、ありがとうございました!!m(_ _)m

 教会って「与えましょう、してあげましょう」という視点に立ってまうことが多いような気ィするネンけど、ソレって実は、相手が持ってない、知らないと決めつけてる傲慢とちゃうンかナァ…むしろ「教えてください、いただきます」という気持ちがいっしょに生きていく上で大切なンちゃうやろか…。

 来年はもっともっと、地域の方にも企画から参加していただいて、もう「まつり」にしてしまいたいナァと野望を抱いてンねけど…皆さん、どうですゥ?(;^_^A

2006年5月19日 (金)

今後ともよろしく…。

カトリック兵庫教会を担当させてもろてます、よしおか神父です。広報さんから「何か書いてみませんか」というお話をいただいて「さぁ、書くぞ!!」と初手から意気込んでしもたんがワザワイしたか、却って気が重うなってようやくパソコンの前に座りました。ココに書かせていただくんは、ホンマにボヤキ、ひとりごと、聞いても聞かんでもエェけど、そんなんやったら聞かなんだらヨカッタてなコトばっかりになるんやないかと思いますが、まぁ、日ごろ聞けない?神父の正直な気持ちの吐露とおゆるしいただきまして…今後ともよろしくお願いいたします…m(_ _)m

お隣のたかとり教会から、震災後に様々なメディアで紹介されたキリスト像がたかとり教会再建工事のため、この兵庫教会に「一時転居」してきはって早ひと月になろうとしている。正直、キリスト像やマリア像やいうても、ヒトのこさえたモン、もったいない話やけどあまり関心がない(仏像はカッコエェのでメッチャ好きなんですが)。けど、このキリスト像はチョッとちゃうような気がする。アチコチかなり劣化してるが、目の縁が少し割れてるので、ちゃ~んと眼球が入れてあるのがわかる。あの日から11年…たくさんの人、いろんなモンを見つめてきはった目。そして、たくさんの人の目がいろんな想いで、このキリスト像を見上げ、見つめてきはったんやろナァ…。手を合わせて祈るというワケでもないのやけど、しばしばこの像の前にたたずんでしまう…。